第47話 新たな年に②
昼食を終えると、約束通り神社へ初詣に訪れていた。揃って着物姿は少ないが、それでも藤宮家の来客が立ち寄る事もあり、コートを着込んでいるとはいえ美しい佇まいの者が多く行き交う。
「雪乃ーー、あけおめ!!」
「あけましておめでとう」
抱きつく勢いの愛理に微笑む。実際に抱きついていないのは、彼女も着物姿で隣に風磨がいるからだ。
「新年会はどうでしたか?」
「凄かったな……」
「ですよねーー」
幼馴染ですら気後れするような面子が揃う新年会は余程のことがない限り遠慮したい所だが、匠はそうはいかない。嫁いでいくとはいえ、彼女は藤宮家直系の一人娘なのだから。
「あけましておめでとう!」
「おめでとうございます……」
一足遅れて顔を出したのは清隆と茉莉奈だ。ゴールデンウィーク期間中に旅行したメンバーが揃い、嬉しそうな雪乃に対し、匠は引率の先生感が否めない。彼を除く全員が十代であり現役の高校生だ。若さを感じながらも揃ってお参りをする。
雪乃にとっては定番の初詣だが、今年は清隆も婚約者連れだ。遠距離になるのは雪乃に限った事ではない。清隆も第一志望に進学が決まれば、彼女もまた直ぐに会える距離ではなくなるのだ。今までとは違い時差もあり、簡単に行けるような距離ではない。匠と同様で思い出作りの一環だと、幼馴染にも想像がついた。
「匠さん、少し良いですか?」
「あぁー」
「子供に見てると足元救われますよ?」
愛理の強烈な一言に顔色を変えずに応える。
「肝に銘じておくよ」
「はい♡」
婚約者を子供だと感じた事はない。出会った当初は、こんな妹がいたら自慢だと思わなくもなかったが、彼にとって年齢は些細な事で、惹かれない理由には出来なかったのだ。
「甘酒のむ?」
「あぁー」
振り返った彼女に視線を向ける者は多い。今日に限っては匠だけでなく幼馴染がいる事もあり、夏のように強引な輩はいないようだ。少なくとも近隣の住民にとっては、あの大豪邸の一人娘として名が通っていた。
「ーーーー美味しそうだな」
「うん、さっきの日本酒の家もとが出しているから」
「そうか……」
相変わらず外では完璧な令嬢感が否めない。今までこうして生きてきたのだから、急に変えろと言われて出来るものでもないが、冬時同様に表情を崩したくなるのが性であり、出来れば自身にだけ見せて欲しいという独占欲もある。
「……明日はうちに行くけど、疲れてない?」
「ううん……匠さんこそ、大丈夫?」
「あぁー……いや……」
急に耳元に唇が寄せられ、心音が速まる。
「……帰ったら、癒してくれ」
「?!」
思わず離れようとする雪乃は、しっかりと腰を引かれ敵わない。
「ーーーー匠さん……楽しんでます?」
「いや……浮かれてるんだよ」
「えっ?」
「身内とはいえ、きちんと名乗らせて貰えたから……これで堂々とデートできるでしょ?」
「ーーーーっ!!」
甘い声に耳を塞ごうとも敵わず、エスコートされるまま歩いていく。完全に二人きりの世界だが、他のカップルもある意味では自身のことで手一杯の為、一緒に行動している感は少ない。たとえ雪乃が助けを求めた所で愛理は『頑張れ』と、微笑むだけだっただろうが。
「……次のお休みは……お昼から、デートできる?」
「あぁー」
破壊力抜群の恥じらった笑顔で見つめられ、二人きりだったなら抱きしめていた場面だ。ポーカーフェイスの健在さに安堵しながら、珍しいリクエストに微笑む。彼女の誘いを喜ばない男はいないだろう。
「ーーーー順番が来たな」
「うん」
ようやく回ってきたお参りの間も、身体の半分が熱を帯びているようだ。雪乃の熱が彼にも移ったのだろう。瞼を開けアイスブルーの瞳と交われば、吸い込まれそうだ。
「行こうか」
「うん」
躊躇う事なく握り返す手に、再会した当初よりも縮まった距離感を感じずにはいられない。未だに慣れないながらも、隣にいる事が当たり前になっていた。
「今年もよろしくね♡」
「うん、今年もよろしくね」
受験が迫り、この時期はナーバスになる者もいるが、彼らには関係ないようだ。今までもプレッシャーを感じる場面に何度も遭遇してきたと、匠にも想像がついた。次男であれ、彼も一條家の人間だからだ。
駆け引きが日常茶飯事の世界が物心つく頃から当たり前だった彼らにとって、難関であれど通過点の一つでしかない。むしろ学生だからこそ許される事が多々あり、今のうちに楽しみたいという本音が見てとれる。
「匠さん、参考書ありがとうございました」
「いや、少しは役だったならいいけど」
「とっても助かりましたよ! 向こうの友人も使うような書籍だったので」
「そうか……」
自身の経験が役に立ち、微笑む匠から大人の余裕が感じられる。清隆と風磨が春翔のように慕う理由が、雪乃にもわかる程だ。
初詣を済ませ、自宅に帰る頃にはすっかりと日が暮れていた。明日は一條家に向かうため、早めに帰宅する予定だったが、神社から戻ればお酒の入った身内に質問攻めにあったのである。
「お疲れさま」
「匠さんこそ、お疲れさまです……ありがとうございました……」
「いや……」
「ちゃんと対応してましたよ?」
かなりの量を飲まされた匠は、珍しく酔いが回っているのだろう。頬が微かに赤い。
「そうか……」
ソファーに腰掛け、帯を緩める姿にドキリと高鳴る。珍しく無防備な彼にグラスを差し出せば、ぎゅっと抱き寄せられた。
「た、匠さん?」
「ーーーーーーーー雪乃……今日は、ありがとう……」
「えっ…………気づいてたんですか……」
「あぁー、とても助かった」
簡単に見破られ、小さな肩が落ちる。勧められるまま飲んでいては身体に悪いと思い、上手く間に入り相手に飲ませていた。注がれた方は喜んで彼女のお酌を受け入れていた為、全く気づいていなかったが。
「いえ……人数が多かったので……」
「これくらいはな。覚悟してたよ……」
「…………みんな、お酒に強いからね」
伝わっていないと悟り、耳元で囁く。
「……雪乃と一緒にいられるなら、たいした事じゃない」
「!!」
視線が合えば、柔らかな笑みに染まる。
「…………着替えてきますね」
距離を取ろうとするが、腕の中に引き戻される。
「…………雪乃……」
色香が漏れ出る婚約者に速まる鼓動はどちらだろう。普段とは違う着物姿というオプションも相まって言葉に詰まる。
「……雪乃…………」
名前を呼ばれる度に胸が高鳴り、ポーカーフェイスは皆無だ。
「ーーーーーーーー匠さん…………」
ゆっくりと背中に手を回し、上目遣いの瞳が揺れる。惹かれない者はいないだろう。
「……少しは…………なって、ますか?」
「え?」
真っ赤に染まった頬が愛らしく、小さくなっていった言葉を聞き返す。思いがけない言葉は、確かに自身が告げた事だった。
「…………っ、少しは……癒しに、なってますか?」
染まりながらもまっすぐに向けられるアイスブルーの瞳に揺れる。見つめ返せば、染まっていたのは匠の方だ。
「…………匠さん?」
「ーーーー惹かれない奴の方が、どうかしてるか……」
「えっ?」
ぎゅっと抱き寄せられ、胸元に引き寄せられる。緩んだ襟元から覗く鎖骨が色香を増長させるかのようだ。
声を出せないほど動揺する婚約者の首元から覗くネックレスに、手を伸ばして誤魔化した。
「…………今度は、指にはめてもらえるな」
「はい…………」
極上の甘い声に心音が忙しないが、理由はそれだけではない。手の甲に寄せられた唇がそっと離れていったからだ。
「……た、匠さん…………」
「ん?」
何でもない事のように、頬に伸びた手にピクリと動く。子供っぽいと自身で感じながらも、恋愛偏差値の低い雪乃にはどうする事も出来ない。彼にされるがままだ。
お酒の匂いが混ざったいつもとは違う口づけに応える。
受け入れられるのをいい事に、押し倒しそうになりながらも理性を働かせた。お酒で記憶が飛んだ事はない為、浮かれていても分別はつくが、抗いがたい甘さに唇を重ねる。
「……風呂、沸いたな」
「うん……」
邪魔されたと言わんばかりの表情に、思わず頬を緩ませる。身体が強張りながらも押し返されなかった事実に、匠の方が綻んでいた。
「入っておいで」
「……うん」
頭に触れる手の熱が浴室に入った途端にぶり返す。頬に手を当て、思わず湯船に顔をつけた。
「…………すき……」
自身の声に染まり、態とらしく水音を立てる。聞かれていないと分かっていても、落ち着かない。表現し難い溢れ出る想いに戸惑いを隠せないが、誤魔化された事には気づいていた。
ーーーー距離を置かれた気がしたけど…………
リビングに戻れば、普段着で寛ぐ婚約者がドライヤーを持って待ち構えていた。
前に座るように促され、素直に従う。時間がある日限定ではあるが、今では日課だ。
さらさらの髪に触れる度、ドキリと高鳴る。風呂上がりの香りと上気した頬が破壊力抜群であるが、無心になるかのように乾かしていく。
「……ありがとう」
「あぁー、綺麗だな」
「…………匠さん……」
当たり前のように口にする言葉に染まりながらも、問いかけようとした所で距離を取られる。
「俺も入って来るな」
「うん……」
呑み込んだ言葉に、急に不安が押し寄せる。あれだけの溺愛ぶりを披露されながら、それでも考えてしまうのだ。婚約者に相応しくないのではと。
「…………はぁーーーー……」
溜め息が溢れ、呑み込むかのように炭酸水で潤す。気持ちを落ち着かせるようにノートパソコンを立ち上げ、指先を動かしていった。
「ーーーーーーーーさすがだな……」
静かに扉を開いたとはいえ、周囲の音が耳に入らない程の集中力は、流石としか言いようがない。執筆だけでなく、受験勉強であっても同じような集中力を発揮していたが、新年会の後でも普段と変わらない姿に想いが募る。
「ーーーー口説かれたら……落ちない人はいないか……」
「…………誰の話?」
「えっ?」
背後から抱きしめられ、至近距離に後退りできる筈がない。
「あっ、あの……声に、出てた?」
「あぁー」
みるみる真っ赤に染まり、自身でも頬の熱が分かるくらいだ。
「…………作品の、話で……」
「本当に? 口説かれたりしてない?」
「えっ?」
珍しく食い下がる婚約者に動揺を隠しきれない。作品と口にしながらも婚約者を思い浮かべていたのだ。
突然の至近距離はある意味ではチャンスでもあった。
遠慮がちに洋服の裾を掴んだ雪乃を冷静に見れば、染まりながらも瞳が潤んでいる。
「ゆ…」 「匠さん……あの……」
「…………どうした?」
視線を上げれば優しい瞳が映る。
「…………距離を……」
「ん?」
「……距離を取られたら、寂しいです…………」
消え入りそうな声でありながらも、届く距離の近さであった。