第46話 新たな年に①
「雪乃ちゃん、久しぶりだね」
「はい、ご無沙汰しております」
艶やかな着物姿の雪乃は、婚約者と同じく整った顔立ちの男性に向けて微笑んだ。言わずもがな彼の父、一條丈武。一條家が運営する上場企業の社長だ。
一條家の歴史は長く、藤宮家とも昔から懇意にしていた事もあり親同士も仲が良い。今の雪乃や愛理たちのように学生時代の苦楽を共にしてきたからだろう。経営者側特有の共通の悩みを打ち明けられる気の置けない友人関係でもある。
「お話中のところ失礼致します。冬時さまが……」
「はい」 「あぁー」
息がぴったりの二人に丈武も笑みを浮かべた。
「また後で」
「あぁー、また後でな。明日は楽しみにしているよ」
「はい、ありがとうございます」
会釈をしてお手伝いの後を追う彼女に腕が差し出される。躊躇う事なくエスコートされる姿に、羨ましげな視線を向ける者が多い。人たらしさまでも受け継がれていると言えるが、圧倒的な美がそこにはあった。
「ーーーーーーーー多いな……」
「匠さん?」
「いや……冬時さん達と会うのは、あの日以来か……」
「うん……」
藤宮家に仕えるお手伝いの一人に促され、祖父母の待つ和室に向かう。
新年は身内同然の者しか参加していないとはいえ、かなりの人数だ。一般人が紛れ込んでいたなら驚嘆する場面だろう。宴会会場がホテルのような創りだけでなく、その参加者にだ。
芸能人や政治家などの著名人が数多く参加していた。雪乃にとっては変わり映えのしない面子であるが、側から見れば豪華としか言いようがない。
身内同然の者の中には親戚が大多数だ。雪乃にとっては従兄弟や再従兄弟、叔父や叔母にあたる人達の殆どが世間では著名人と呼ばれている。テレビで見た事のある俳優やアイドル、キャスターやスポーツ選手からインターネット配信者と、様々な職種の中には春翔のように若くして会社を継いだ者や起業した者もいる。要するに優秀な親族の集まりだが、その中でも秀でている者が直系である春翔と雪乃だ。孫たちを溺愛する冬時からも一目置かれる存在といえる。
そんな中、春翔の親友が婚約者であっても雪乃を嫁に貰いたい分家は複数あった。冬時や秋人の反対もあり婚約者選定は流れたが、それを雪乃が知るはずはない。
事情通の春翔にとっては、微かな鋭い視線を向ける者に同情しなくもない。幼い頃から恋愛感情を抱いていた者も少なからずいるのだから。
「ーーーーあの人が……」
「匠くん、相変わらずイケメンじゃん」
「あーーーー、俺の雪ちゃんがーー」
「雪乃もついに婚約者が決まったのかぁーー」
「お似合いだね」 「雰囲気似てるな」
殆どが好意的なのは、冬時の決定に間違いはないと誰もが知っているからだろう。そうでなければ、ここまで影響力のある存在になる事はなかったはずだ。
そして、一條匠の敏腕社長ぶりも買っていた。身内には喜んで投資しても良いと断言する者までいた。藤宮に名を連ねる者からも一目置かれている為、なるべくして婚約に至ったと見られても遜色はない。こうなるべく周囲を固めた事実に変わりは無いのだから。
『あけましておめでとうございます』
「あけましておめでとう」
揃って頭を下げて挨拶をする姿に満足げな笑みを浮かべた冬時は、お年玉と称して大金の包みをお手伝いの一人に持って来させた。目配せの合図で動ける優秀なお手伝いもただのお手伝いではない。ボディーガードも兼任できる有能さがあり、シズの後任を任される人物の一人でもあった。
「もう十分に稼いでいるだろうが、結婚式は物入りだからな」
『はい……』
気の早い祖父ではあるが、ご祝儀が加味されていると雪乃にも分かった。お年玉にしては桁が二つ違うからだ。
「後で身内には伝えるからな、今日は楽しんでいってくれ」
『はい……』
終始圧倒され気味になりそうだが、敬語を使いながらも雰囲気は和やかだ。孫を溺愛しているのは勿論のこと、優秀な人材の確保には余念がない。身内同然の集まりには、これからの藤宮に必要な人材の確保も含まれているのだ。
「雪乃、昨年の受賞は見事だったな」
「はい……ありがとうございます……」
「もう少し、砕けてくれても良いんだが……」
「いえ……」
砕けた口調で話す事もあるが、身内同然とはいえ他人がいる場面では祖父であっても敬語が無難だ。心臓の強い春翔はともかく、殆どが彼に対して礼節を重んじている為、服装だけでなく口調も丁寧になる。ある意味では値踏みされているともいえるが、毎年の事のため今更どうという事ではない。分かっていてもなお崩したがるのが祖父の悪い癖である。
「もう、冬時さんたら」
「うっ……」
最愛の妻に咎められ、こほんと態とらしく咳払いをした。冬時も妻には弱いのだ。彼女の支えがあってこその繁栄と自覚もある為、頭が上がらないのである。
正式発表をするパーティーよりも一足先に身内に示す。高校卒業と同時に取り込もうとしても無駄だという事を示唆していた。
大々的に開かれるであろうホテルの会場を貸し切ってのパーティーではなく正月恒例の集まりではあるが、一般家庭とはかけ離れている。映画のセットのような邸宅の応接間には、挨拶するだけで日が暮れてしまいそうな人数がいる。驚くべきは雪乃の記憶力だ。毎年のように開かれているとはいえ、毎年参加している者が同じとは限らない。
高等部に入ってからパーティーの参加が減った雪乃も、正月には短時間でも顔を出していた。優秀な親戚一同からも可愛がられる様子が見て取れる。
「雪乃ちゃん、サイン書いて欲しい♡」
「はい、リサさん、ありがとうございます」
目の前に差し出された新刊に頬を緩ませる。ページをめくれば初版本だ。殆どが藤宮家所縁の者が購入してるのではと、デビュー当初は抱いていた雪乃も今ではそうでない事を理解している。自身が【月野ゆき】として活動を広げる中で藤宮の名を進んで語った事はないし、誰にも告げずに応募した経緯もあり、デビュー当初は家族でさえ知らなかったのだから。
「あなたが匠さんね。雪乃ちゃんを泣かせたら承知しないんだから」
「心得ております」
年長者にも余裕な笑みを向ける匠に注目が集まる。あの雪乃を射止めた事が要因だが、春翔の友人という事もあり、近しい親戚には顔が通っていた。彼に負けず劣らずの美丈夫であり、頭脳明晰で学生時代の成績もトップクラス。非の打ち所がないとは、彼のような人物を示唆するだろう。
鋭い視線を受け流し、臨機応変な対応をそつなくこなすスマートさには文句のつけようがない。
隣にいた雪乃が分かりやすく表情を変化させる度、彼に向ける鋭い視線は減っていった。可愛らしい表情にデレる親戚一同に、春翔に目配せすれば『諦めろ』と告げているようだ。
「雪乃はモテるな……」
「えっ?」
「……自覚なしか」
「匠さんには言われたくないです……」
チラチラと向けられる視線は、彼女だけでなく婚約者にも向けられていた。さらりと着物を着こなす姿は絵になり、雪乃でなければ婚約者に名乗りを上げたいお姉様方がいた事だろう。
ただ完全に彼女以外に興味がないと言わんばかりの塩対応な為、そんな想いを抱いてもすぐに散っていくような図ではあるし、本気になるような愚か者はこの場にはいない。あくまで観賞用的な立ち位置である。
「初詣には清隆くん達も来るでしょ?」
「うん、今年は茉莉奈ちゃんも参加だから嬉しいな」
純粋に喜ぶ彼女に微笑みながらも、同伴の意味は理解していた。それは自身にとって思い出作りの一環だからだ。
東京とイギリスでは時差もあり、今までのように一緒にいられる訳ではない。彼女はまだ学生で、これからも多くのことを学び、美しく成長していくだろう。それを分かっていながら手放せない自身に苦笑いが溢れそうだ。
「匠さん、日本酒のむ?」
「あぁー、もらおうかな」
トックリを受け取れば、彼女自らが注ぐ。着物姿も相まって注いでもらいたい者の長蛇の列ができそうだ。
「…………美味しい」
「みたいですね……有名な酒蔵の方が毎年、送ってくださるようで……」
「なるほどな……」
納得で頷くしかない。藤宮家と懇意にしているだけで利益が出る。それは経営側でもごく一部の者しか知らない事実であった。一流を取り扱ってきた藤宮家ならではだろう。
歓談していた会場に静けさが訪れる。急激な空気の変わりようは藤宮冬時が会場に現れたからだ。
「あけましておめでとう、今日はめでたい報告が二つある。春翔」
「はい」
「それから雪乃」
「はい」
臆する事なくはっきりとした口調で応えると、お手伝いに促され冬時の隣に両者が並ぶ。
「春翔は杏奈さんと婚姻する事になった。そして雪乃は、一條匠くんと婚約する運びとなったので、皆もそのつもりでな」
返答の代わりに拍手が沸き起こり、ただでさえ正月のお祝いムードが増長される。
「では、二組の門出を祝って乾杯!」
『乾杯!!』
配られたグラスを掲げ、祝福ムードが全開である。
次々と挨拶にくる身内に微笑んで応え、ご令嬢ぶりを発揮する雪乃に釣られ、匠も真摯に対応していった。彼女を手にした幸運を噛み締めながら。