第43話 偽りの栄転と顛末②
簡単に従う雪乃を疑問に思う事なく連れ去った。
歯痒く思いながらも、分かっていての行動だと自身にいい聞かせるが、気がきではない。特に愛理は手が白くなりそうな程に強く拳を握っていた。
「ーーーーーーーー決着だろ?」
「分かってるわよ……」
「匠さん達がついているのにあり得ないだろ?」
「ーーーーっ、分かってるってば!!」
愛理とて藤宮の影響力も、一條匠の凄さも知らない訳ではない。ただ納得が出来ないのだ。何故、彼女ばかりがと。
「…………雪乃に……何かあったら許さないんだから」
語気が強まる横顔は今にも泣きそうであった。
そのまま当たり散らすかに見えたが、さすがの偀もそこまで愚かではなく、車に乗るように促した。数日前まで社長職に就いていたとはいえ、運転手として彼に手を貸す者が今もいる事に雪乃は驚いていた。
「早く出せ!!」
「か、かしこまりました」
後部座席に押し込められ拘束されるかと思いきや、怒鳴ったきり沈黙が流れる。
「ーーーーーーーーお人よしだな」
「えっ?」
「着いて来ない選択肢だってあっただろ? たかがお手伝いの為に、あんたが犠牲になる必要はない」
急に話出したかと思えば、二重人格にも程がある。それほどまで両極端に雰囲気が違うのだ。
「ーーーー彼女は、私の祖母ですから……」
「赤の他人に思い入れが強すぎないか? 俺なら絶対に御免だな」
「…………あなたは……」
「ああ、偀じゃないから」
「そう、ですか……」
「驚きはしないか……」
「いえ……驚いていますが……」
彼が投げかけた通り、顔には動揺が一切出ていない。偀でないのなら彼は一体誰なのかと、疑問に思いながらも表情を変える事はない。あるいは匠や春翔だったなら気づいたかもしれないが、些細な変化に敏感な強者はいない。
「…………影と言えば分かりやすいか?」
「はい…………」
十分過ぎる情報である。思えば花山院司の態度が悪化した時から、その懸念はあった。藤宮の情報網は世界屈指とも言えるが、花山院が脅威になり得なければ詮索すらしなかっただろう。藤宮に劣るとはいえ数年前に破滅に追い込まなければならない程、薬が出回りつつあったのだ。
当時の当主である司たちの父が売り捌いていたとの噂は得ていたが、物的証拠がなければ警察は手出しできない。雪乃に対する司の不可解な行動は、薬による副作用によるものだろう。息子にまで使用する非道さは感化できるものではなかった。
わざわざ紙ベースにした報告書をシュレッダーにかけた春翔は、妹の乗った車を追っていた。
作戦自体はかなりシンプルで、雪乃の家が見張られている事は知っていたし、弱みを握って金の無心をするだろう事も容易に想像がついた。金によって地位を確立してきた花山院にとって、富こそが全てであると教え込まれてきた筈だ。想像とはいえ当てずっぽうではなく、事実を見極めていた。
金さえあればある程度のことは叶う。それは真実でもあり、それが全てではない。人の想いだけは根底から覆す事は、いくら金があっても難しいだろう。藤宮は人との関わりを大切にしてきたからこそ、今があると十分に理解していた。
そして、藤宮と関わりのある企業に必要なモノは金でも名誉でもなく、その清廉潔白さにあった。秘密裏に賄賂を送る輩と交流する事はないが、勘違いする輩は大なり小なりいた。
現在、社長職を継いだ春翔は身をもって知り、辟易すると同時に見極める能力に長けていった。
「ーーーー後藤、逃すなよ」
「はい」
運転席に座るボディーガードの一人に声をかけ、抑えながらも殺気が微かに漏れそうだ。シンプルとはいえ、何も知らない妹を巻き込む事は不本意であったが、それが一番早く最善でもあった。
「…………降りろ」
急停止した車に驚きながらも、数台後から着けている車にも雪乃はしっかりと気づいていた。敏感に状況把握しながらも表情が変わる事はないまま、腕を引っ張られ着いた先は予想通りの場所である。花山院が薬の取引場所としていた海の近くの倉庫だ。
「ーーーーっ、シズさん!!」
シャッターが上がり、視界に入った彼女は写真と同じくロープで縛られたままだ。
おもむろに駆け出す雪乃を止める事はせず見守る視線は、何処か遠くを彷徨っているかのようである。
「…………雪乃様……」
「人質なら……私、ひとりで十分でしょ? シズさんは解放して!」
語気が強まり、思わず尻込みする。宿した瞳の強さにたじろがずにはいられない。声の出し方一つで印象がガラリと変わる。
雪乃の胸中が分かったなら、二重人格はどっちだと、悪態を吐きたい所だろう。
「……それは出来ない」
「なんで…………」
「彼女から引き出せる情報は多い」
それは至極真っ当な判断だ。娘だけでは足らず、藤宮を潰す気なら納得ができる答えではあるが、それが真実とは到底思えない。そもそも情報を吐かせるだけならば雪乃は不要だ。実の子供や孫の危機を知らせれば、簡単に寝返ると彼は思っていたのだろう。自身がそうであったように。
金で物を言わせてきた花山院らしい思考ではあるが、藤宮の関係者にとっては悪手である。末端の末端にあたる分家ならともかく、中枢の本家を裏切るような輩はそもそも居ない。恩義だけでなく、長い年月で培った信頼もあり、簡単に藤宮を売る事はない。
当てが外れ、一番接触しやすい身内という事で雪乃を選んだのだろうが、これも悪手である。そもそも一族から溺愛されている彼女をなんの対策もなしに拐わせたりはしない。藤宮をよく知る家ならば、簡単にそう導き出されたはずだ。雇われている者が、たとえシズのような家政婦であっても、普通であるはずがないと。
自身を中心に施行した結果はお粗末なものである。
「くそっ!!」
遠くから聞こえるサイレンに思わず悪態を吐く。倉庫に着いてまだ数分も経っていないが、すでに周囲は包囲済みである。雪乃にとっては想定内でも、偀の代わりを務める彼にとっては予想外の展開だろう。
数年服役する事はいくら金を積んでも逃れられない。藤宮が関わっている事を除いても情状酌量の余地はない。
初犯ではなく余罪がある事からも明らかであるが、彼には納得がいかない。聞いていた話と違うのだと騒ぎ立て、藤宮家が愚かだと悟ったのはいうまでもない。誰から見ても滑稽に映った事だろう。
「ーーーーっ、何処かで見てるんだろ?! 偀!! 約束通り、金は支払えよ!!」
強靭な警察官に囲まれながらも叫ぶ彼に、同情の余地はないと知りつつも、偀本人である事すら忘れてしまった彼を憐れむ視線の多さに更に頭を抱える。
薬の過剰摂取による記憶の喪失があった。花山院を復活させた功労者でもある彼の味方は、兄弟にはいなかったのだ。
「…………役立たずの偀め」
「それで、次はどうなさるの?」
「決まってるだろ? 雪乃を手に入れるまでやるさ」
双眼鏡で顛末を眺めていた彼と視線が交わる。視線に気づく事はあり得ないと分かっていながらも、擦り寄ってきた女を乱暴に振り払い、部屋を出た。
「花山院司だな……逮捕状が出ている。ご同行願おうか?」
「ーーーーっ?!」
突きつけられた現実に血の気が引く。自分の居場所だけでなく、全ての悪事が露呈したような口ぶりだ。司に現実を直視する許容はなく、逃亡する事もできず手錠をかけられた。
「ーーーーーーーー無事だな……」
「……うん…………」
大量にいた警察関係者が去り、車から降りた匠に頷いてみせる。
「二度とごめんだからな……」
「あぁー」
雪乃をぎゅっと抱き寄せる匠に即答する春翔もまた、妹を使う作戦に心の中では反対であったが、それでも早期解決には彼女の囮役が必須であった。
藤宮の財力と雪乃の美貌を求めた結果、自身の能力を過信しすぎたのだろう。薬は少量でも効果があり、日常的に使用していた為、それが違法薬物だと気づいた時には引き返せない場所まで来ていた。子供の頃のように、ただ純粋に想う事もできなくなっていたのだ。
すっかりと無言になった司は空を眺めていた。暴力的な脅威は微塵も感じられない静けさだ。
妄想として片付けるには、あまりにお粗末な結果だ。そして藤宮は、彼だけでは此処までの能力が無いと判断していた。
「ーーーーーーーー花山院家は……」
「あぁー……」
抱き寄せられた肩に安堵しながら、空っぽになった倉庫に視線を移す。かつては栄えていた筈の工場は錆びついていた。まるで、あの日から時間が止まってしまったかのようだ。
「…………売ろうとしたのが、間違いだったんだ」
「うん…………」
冷たい風が吹き抜け、身体を冷やす。雪乃の心も冷めていくようだった。