第42話 偽りの栄転と顛末①
【月野ゆき】原作の【君青】が歴代興行収入一位になった一方で、薬物所持で逮捕の報道が連日行われていた。
「ーーーー花山院家かぁーー……」
「ああ、また盛大にやったな」
「もう取り潰しだろ? 二階堂家が上手くやって、また買収したらしいし」
「うん……」
明らかに気分の沈む雪乃はただ頷く事しか出来ない。
スマホニュースのトップは、花山院家のスキャンダルで持ちきりである。
「ーーーー春兄からだ……」
「何かあったのかもな」
「ああ」 「出た方がいいよ!」
幼馴染に促されスマホを耳に当てると、数時間前まで一緒にいた婚約者の声がした。
「えっ……匠さん?!」
『あぁー、今日も迎えに行くから』
「えっと……大丈夫だよ?」
『そう言うと思ったけど、今日は聞けない。俺が着くまでは教室にいてね』
「う、うん……」
有無を言わせぬ声色に頷き、手短に通話を終えた。
「お迎えかぁーー、相変わらず過保護だね」
「うん……」
「でも、春翔さんのスマホからかけてきたんだろ?」
「うん……」
「何かあったのかもな」
「…………うん……」
一瞬過る最悪を振り払うように首を横に振って否定し、変わらない幼馴染に安堵してみせた。
「……みんなも、気をつけてね」
「ああ」 「うん」 「雪乃もな」
揃って頷く姿に記憶が巡る中、払拭したのは愛理の明るい言葉と祝福だ。
「そんなことより! おめでとう!!」
「ロングラン決定だろ?」
「ああ、ニュースにもなってたじゃん!」
【君と最後の青い春を】通称【君青】が名だたる名作映画の記録を塗り替えたのだ。花山院家に気を張っている場合ではなく、嬉しいニュースである。
目の前に差し出されたチーズケーキに笑顔を向けながらも、実感がない。
田中さんが電話で連絡をくれた時も、SNSでメッセージをたくさん貰った時も……ここまで、実感が湧かなかったけど…………
「……ありがとう…………」
綻んだ表情に幼馴染も満足気だ。
用意のいい愛理がスプーンを差し出し、ホールごと食べすすめていく。軽めの昼食にした理由が分かり、雪乃はさらに頬を緩ませていた。
「……ったく、雪乃が驚いてただろ?」
思わず悪態を吐く匠に、悪びれる様子のない春翔は整えられた書類を読み返している。
「仕方ないだろ? スマホの解析には、さすがに時間がかかる」
「分かってる…………で? その顔は目星がついたんだろ?」
「あぁー、よくやるよ」
「ーーーーやっぱりか……」
先ほどまでの穏やかさは何処へやら、鋭い眼光を彼女が見たらなんと言うだろう。雪乃がいないからこその表情だと知りながらも、春翔は親友に向け決意を新たにした。
浅はかな行動は自身の身を滅ぼす。今は逃れたとしても、それは永遠ではない。藤宮家が見逃す事はあり得ないと、身をもって知っているのは雪乃だけではないのだ。
「ーーーーっ、くそっ!!」
側にいた秘書らしき女性が思わず肩をすくめる。広々としたデスクの上が乱雑に薙ぎ払われた。
「…………偀さま……」
「なんだ?」
「い、いえ……」
怯え切った様子の彼女に、偀は更に苛立ちを爆発させる。非難されていると感じる瞳が冷静さを欠く。乱暴に抱き、ストレスを発散させているかのようだ。
「ーーーーっ、やっ、止め……!!」
振り絞って出した言葉は乱暴に塞がれ、飲み込まれていった。
暴力沙汰も証拠物件の一つとなり得ると理解しているはずだが、ここまで洗いざらい暴かれるとは少しも思っていなかったのだろう。何一つ思い通りにならず、生贄にするはずの弟は難を逃れた。責任は社長である自身に問われ、呆気なく失職した。かつての司のように砂上の楼閣であったと気づく事はなく、当たり散らすしか能がない。
「全部、あいつのせいだ!!」
実に責任転嫁の得意な花山院家らしい思考であると、匠たちがこの場にいたなら思っただろう。傲慢で人としての尊厳も欠けているが、それでも社長だった男だ。悪知恵だけは人一倍働く。だからこそ次男でありながら、花山院の企業を一部復活させたのだ。
怯える秘書は性欲の捌け口でしかなく、物に当たり散らす子供を止める手立てはない。
「ーーーーここまで来たのに捕まってたまるか!!」
スーツからラフなパーカーに着替え、社長室だった部屋を後にする横顔は怒りに満ちていた。
連日の報道が続く中、花山院偀だけが捕まっていないから……匠さんの懸念はもっともだと思うけど…………司くんならともかく、彼との関わり合いはないに等しいのに…………
「雪乃ーー、時間まで勉強しよう?」
「うん、風磨はいいの?」
「大丈夫、大丈夫、あとから来るから」
「ありがとう」
愛理の気遣いに感謝しながら机を寄せ合う。幼馴染にとっても雪乃が一人で待つ事は得策ではなく、匠の願いを聞き入れた形でもある。
教室に人はまばらであるが、英会話混じりのやり取りに思わず振り返る生徒は多い。いくら都内有数の進学校とはいえ、ここまでネイティブな英語を使いこなせるのは、彼女達くらいだろう。
「How are you doing?」
「Hi,Fuma」
何気なく会話に入ってきた風磨に抵抗なく応える。発音の良さを知るはずのクラスメイトも思わず振り返る程の自然さだ。
使う言語が違うだけでいつもと変わらない四人に、羨望の眼差しが向けられていた。
「来てくれてありがとう」
「ああ……雪乃はもう読み終わったのか?」
「うん」
「相変わらず速読だなーー」
「だよねーー」
英文であっても書物に変わりなく、本の虫と呼ばれた事もある雪乃に速読で敵うはずはないが、けして愛理たちのペースが遅い訳ではない。彼女が速すぎるのだ。
近くの椅子を借りて四人が集まれば、遠巻きに眺める生徒が増えていく。まばらな筈の教室だが廊下側は人だかりが出来つつあった。
「ーーーーすごい集中力だな」
「ああ」 「うん」
騒々しくなる廊下側を気にする素振りはなく、雪乃の視線は一冊の本に向けられたままだ。ページをめくる速さもだが、集中力の高さは見習いたい所だろう。それが彼女らしさでもあり、幼馴染でさえも感嘆する部分だ。
愛理も手元の本に視線を落とし、雪乃ほどの速さではないがスムーズにページをめくっていく。風磨と清隆も視線を通わせ、釣られるように読み進めていった。
「ーーーーーーーーの、雪乃……雪乃!!」
「えっ?」
「スマホ、鳴ってるぞ?」
「あっ……」
鞄から聞こえるバイブ音に気づかないほど集中していた為、反応速度が遅い。側にいた清隆が腕に触れ、声を張らなければ、まだ気づいていなかっただろう。
「……キヨ、ありがとう」
「ああ」
ようやく迎えが来たのだろうと想像はついたが、スマホの画面に綻ぶ。待ちかねた婚約者の名前だけで鳴る横顔に、周囲の方がドキリとしただろう。帰宅時間真っ只中だったなら、騒然となる場面だ。
「…………はい……」
みるみるうちに凍りつく横顔に、幼馴染が思わず声をかけそうになりながらも留めた。雪乃が小さく首を振ったからだ。
「…………来たから、先に帰るね」
「うん……」 「ああ……」 「分かった……」
異変に気づきながら言葉を呑み込んだ幼馴染に深く頷き、教室を出る。不快な声に顔を顰めた自身に、ポーカーフェイスすら出来ないのかと嘆きたい所だが、そんな余裕はない。
駆け出す雪乃よりも、スマホで連絡を取る幼馴染の方が早かった。気づいた時点で悟られないようにメッセージを出していたのだ。
窓から雪乃を見つければ、校門前で待ち構える姿が目に入る。想像がついたとはいえ、ここまで自由に出歩ける事は疑問でしかない。当の本人は逃げおおせたとでも思っているのだろう。ラフな格好ではあるが良質な品であると、近くにいたなら気づいたが、三階の教室からでは黒っぽい格好に猫背が悪目立ちしているだけだ。
「ーーーーーーーー藤宮雪乃だな」
「あなたは……」
暗い瞳にたじろいで見せる。驚きながらも、内心では納得していた。身代金を要求するにしても、腕力で敵うのは自身であると。
藤宮家唯一の弱点と見做されても不思議な事はない。分家まで揃って優秀な為、付け入る隙はないに等しく、学生である彼女との接触が一番容易だろう。
そして、あれだけの報道がなされていながら捕まっていない現実もよく理解していた。周囲が囲まれているとは夢にも思わないのだろう。卑しい笑みに身震いがするが、それすらも表情には出さず完璧な令嬢を演じる。
「ついて来い……来なければ、分かっているな?」
彼の差し出したスマホにはシズが写っていた。囮役をかって出たのだろうと分かってはいても胸は痛む。手首に巻かれたロープが痛々しい。
「ーーーーっ、偀さんですよね? 何故、このような……」
「何故だと? お前達、藤宮のせいで花山院は全てを失ったんだ!!」
これだけ叫びながら、警察沙汰にならない時点で気づくべきである。呆れるほど周りが見えておらず、花山院偀は最後まで身勝手な理由を並べていた。