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第4話 婚約者と幼馴染と

 久しぶりに会った一條さんは、当たり前だけどブレザー姿ではなく和服姿だった。

 庭園散策中の砕けた口調から、私のことは覚えてくれているみたいだったけど……何だか、知らない人みたい……


 「……段差がある」

 「ありがとうございます……」


 ほんのりと頬が染まっていたと思う。

 こんな風にエスコートを受けるのは、春兄の社長就任式以来…………その時でさえ、腕を組むスタイルだったから、こんな風に手を繋いだりは久しくしてない。


 大きな手に包まれている感が、何だか慣れなくて……男の人なんだって、今更のように思った……


 「雪乃ちゃんさえ良ければ、俺と婚約しない?」


 いくら初恋の人とはいえ、その言葉を聞いた瞬間は戸惑いが占めていた。


 「ーーーー本気ですか?」


 高校生の私と婚約するメリットがない。

 一條さんほどの方なら、結婚相手に困る事はないはず……春兄にだって、婚約者がいるのだから……


 「本気、というか……君もこの縁談を断れば、また冬時さんがお見合いを持ち込む事になるだろ?」

 「そうですね……」


 兄の知り合いだから断れるとタカを括っていた為、そんな単純な事にも気づかなかった。


 「俺も、なんだ…………まだ結婚する気はないし、今回断ったとしても、また条件に合う人を探してくると思うんだ」

 「一條さんも大変ですね」

 「雪乃ちゃん程ではないと思うけどね」

 「そうですか?」

 「そうだよ。冬時さんやご両親だけでなく、春翔も中々の溺愛っぷりだろ?」

 「ーーーー否定はしませんが……」


 難しい顔をしていたのだろう。表情を崩して笑う匠に、出逢った頃の面影が重なって映る。鼓動が速まり、手のひらにはじんわりと汗が滲みそうだ。


 「だから、仮の婚約者になってくれないか?」

 「仮……」

 「そう、期間限定の婚約者ってこと」

 「ーーーーそれは……」


 手に微かに力がこもった気がしたが、それ所ではない。お見合いをする時間があるなら執筆に充てたいと、深く考えていなかった事に気づく。基本的には冬時も孫に甘い為、一度きりの快諾で済むと思っていたのだ。


 「…………考えていなかったです」

 「どう? 雪乃ちゃんにとっても、メリットがあると思うんだけど……」

 「そうですね……」


 いつもの雪乃なら、もう少し熟考していただろう。


 「……私でよければ…………こちらからも、お願いしたいです」

 「決まりだね」

 「はい…………あの、一條さん……そろそろ手を……」

 「婚約者なんだから、このくらいは許してよ」

 「はい……」

 

 それ以上は言えなくて…………そのあとの散策中も、一條さんと手を繋いだままだった。


 私たちの思惑通り、お互いの両親は喜んでいたし、これから縁談は来ない……少なくとも学生の間は、何も言って来ないはず。


 楽観的ではあるが、婚約者がいるのにも関わらず縁談を持ち込むような非常識人が藤宮家にいれば、即座に破門になるだろう。

 提案を受け入れたのには、雪乃なりの理由があった。


 ーーーー執筆が一番には変わりないけど……もう少し、話をしてみたいと思ったから…………春兄と同い年で、私と同じような境遇だったから……もっと、話を聞いてみたかったの。


 手から伝わる体温に高鳴り、砕けた口調の声はどこか甘さを孕んでいるようだった。






 『ーーーーゴールデンウィークはどうするの?』

 

 ワイヤレスイヤホンから聞こえる声に応え、執筆の手を緩める。パソコンの画面と向き合ったまま、通話を続けた。


 「そうですね、愛理……西園寺さいおんじさんは覚えていますか?」

 『あぁー、雪乃ちゃんとよく一緒にいた子だよね?』

 「はい、西園寺さん達と旅行の予定です」

 『そう……何人で行くの?』

 「四人ですね……西園寺さんと、財前ざいぜんさんに、蓬莱ほうらいさんです」

 『幼馴染か……』

 「はい、さすが一條さんですね」

 『昔は本家によく遊びに行ってたからね』

 「そうでしたね」


 雪乃の口調は変わらずに敬語ではあるが、短いながらも毎日のように会話を重ねれば打ち解けていくものだ。

 お見合い当初よりもスムーズな会話に、微かに口角が上がる。通話でなければ表情の違いに、匠も気づいたかもしれない。


 「一條さんはゴールデンウィークもお仕事ですか?」

 『いや、祝日は休みだよ。取引先も休みの所が多いしね』

 「そうなんですね」

 『春翔と会う予定だよ』

 「それは……兄が喜びそうですね」


 一ヶ月かかった巡回を終え、春翔帰省の知らせは雪乃にも届いていた。半月ほど予定を繰り上げたらしいが、正確な情報ではない。藤宮家の運営する会社について雪乃はノータッチだからだ。

 知識として規模や概要、創立等の基本的な情報は頭に入ってはいるが、それだけである。学生という事もあり、披露する機会は少ない。


 『ーーーー雪乃ちゃん、おやすみ』

 「おやすみなさい……」


 いつもより五分ほど長い通話を終え、イヤホンを外す。

 創作意欲がかき立てられたのか、止まっていた指先が滑らかに動き出す。


 久しぶりに口にした言葉…………この一週間で、慣れていたつもりだったけど、まだ……だったみたい。


 お風呂上がりだからではなく、頬が微かに染まる。匠の甘い声は雪乃の好みでもあった。 

 愛理に美しいモノを愛でる収集癖があるように、彼女は声フェチであるが、好みの声と恋心は必ずしもイコールではない。

 自身の事情を知っていそうだが、【月野ゆき】という小説家だと彼女から告げた事はないし、逆も同じだ。ホームページで得られる知識以上のことは、匠から語られた事はない。

 本来ならお互いの長期休みが重なり、デートを重ねる場面だろう。仮にも婚約者なのだから。

 だが、残念ながら雪乃にその概念はない。恋愛物を描くベストセラー作家だが、現実の経験値は圧倒的に低い。それでも頬の熱には気づいていた。


 「ーーーーおやすみ……か……」


 中等部までは本家から通学していた雪乃も、今では一人暮らし。お手伝いのシズはどんなに遅くても十八時には帰ってしまう為、そう言葉を交わす機会はない。最近では、幼馴染と会話をした時くらいだ。


 ベッドに飛び込んで、この一週間を振り返る。


 喜ぶお爺ちゃんの顔に、少しだけ胸が痛んだ……元々、強引な縁談ではあったけど、縁とは不思議よね…………


 まさか十八の誕生日を迎える前に、婚約者が出来るとは思っても見なかったのだ。


 ……キヨには許嫁の茉莉奈ちゃんがいるし、愛理には風磨がいる。

 それぞれ財前ざいぜん家と、蓬莱ほうらい家を、これから背負って行くことになるんだよね……分かっていた、はず……なのに…………


 雪乃にしては珍しく寝落ちだ。照明が小さくなっているとはいえ、完全に消えてはいない。

 気力のほとんどは執筆に向けられている為、慣れない事をして疲れたのだろう。抜かりなくデータ保存はしているが、パソコンの電源自体も入ったままだ。


 翌朝、電気のつけっぱなしに後悔したのは言うまでもない。節約家というわけではないが節電は心得ていた。


 「シズさん、おはようございます」

 「おはようございます、雪乃様」


 夜とは違い、平日は朝から会話がある。テレビは変わらずにBGM代わりだ。

 情報収集が彼女の日課でもある為、テーブルには取り寄せた英字新聞がある。これは、本家にいた頃の名残だ。


 「それでは、明日からお休みをいただきますね」

 「うん、娘さん達が帰省してくるんですよね?」

 「ええ、雪乃様はご旅行ですよね?」

 「うん、兄ほどじゃないけど、お土産楽しみにしてて下さいね」

 「ふふふ、いつもありがとうございます」


 藤宮兄妹は旅先で家族の分だけでなく、シズ達お手伝いさんや幼馴染にお土産を毎回のように買っている。お返しを期待しているわけではなく、趣味に近いだろう。お土産を選ぶのが好きなのだ。

 その為、学校が長期休暇の後は海外土産を渡すのが定番だ。イタリアやスペイン、ニューカレドニアやオーストリア、あげたらキリがないほど幼い頃から巡っている為、雪乃の部屋にはスノードームのコレクションが数え切れない程ある。


 「日焼けにはお気をつけ下さいね」

 「うん!」


 普段はインドアな雪乃もマリンアクティビティは好きだ。ただし、すぐに肌が赤くなるためシズの忠告通り、日焼け止めや虫除けが必須である。


 リビングにはすでに小さめのスーツケースが用意され、二泊三日分の衣類に加え、水着やラッシュガードまで入っている。

 愛理曰く『本格的に受験生になる前の旅行』ではあるが、楽しみな事に変わりはない。四人揃っての旅行は、中等部卒業を記念して行ったハワイが最後だ。

 雪乃だけでなく、長期休暇は国内外問わず旅行している為、旅行自体に久しぶりという感覚はないが、少なくとも沖縄に行くのは四人とも中等部の修学旅行以来である。


 昼過ぎにシズを見送り、【星の在処】を書き続けた。

 これから書籍化するにあたって修正が必要な部分はあるが、WEB版を書き終え、大きく腕を伸ばす。


 ネット上で公開している小説は毎日一話ずつ更新され、すでに上半期一位のポイント数だ。五百万部以上の売り上げを伸ばす【君青】の書籍ランキングを目にする機会が少ないのに対し、【星アカ】の評価やブックマーク数を元にしたポイント数のランキングは読者から見ても一目瞭然である。

 肯定、否定、様々な感想が寄せられているが、投稿予約が全て終わってから読み始めた。感想に左右されないように、雪乃は書き上げてから返信するタイプである。


 遠足が楽しみすぎて眠れない子供ではなく、律儀に返信するあまり夜更かししそうになりながらも、いつものアラーム音で区切りをつけた。


 企画した愛理だけでなく、雪乃にとっても幼馴染との旅行は特別な時間でもあった。 

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