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第34話 距離感

 『今期のベストセラーは下半期に発売されたばかりの【星の在処】です!』

 『すぐに重版がかかり、書けばヒット間違いなしの人気作家ですが、正体は不明ですよね』

 『ええ、多くの賞を受賞していますが、一度も公の場に出た事がないですからね』

 『【月野ゆき】さん、どんな方ですかねーー』

 『気になりますよね。沖田おきた監督はご存知ですよね?』

 『ええ、それは……コメントは差し控えさせて頂きますが、多才な方である事は確かです』

 『もう少し、月野先生についてお伺いしたいのですが…』

 『この辺りで質問は締め切らせて頂きます』


 見事に遮られた記者は掘り下げる事に失敗した。

 彼女に関わる人物は、監督をはじめ一定数いる。挨拶にはきちんと顔を出す為、人となりを知らなくとも容姿を述べる事は容易いだろう。『現役の女子高生とは思えなかった』と、大体の第一印象はそこからだ。

 初受賞から数多くの作品をヒットさせてきた人気作家が、現役の女子高生という事にも驚きだが、その容姿端麗さからも十代とは思えない。アイスブルーの瞳に微笑まれれば、老若男女問わず落ちてしまうだろう。


 作家について聞かれる事が多いのは、一切顔出しをしていないからだろう。質疑応答に対応する監督をはじめ、関係者は一度も口を滑らせた事がなく正体不明のままだ。『彼女はーー』と、性別が判明するような場面もない為、取材者側としては情報を少しでも引き出したい所だが、そう簡単にはいかない。仮に口を滑らせた関係者がいたとしても、藤宮にとっては些細な事だが、受験生である雪乃の妨げになるようなら排除する事も厭わないだろう。


 インターネット上で生配信されるアフレコ現場に、雪乃がいる筈がない。監督の誘いがあったとはいえ、態々記者発表も含めた場への参加は皆無だ。


 パソコンから流れる音声に気づき、ポットに伸びた手が止まる。


 「ーーーー匠さん……」

 「気づいた?」

 「うん……」


 さすがの雪乃も、自身と関わりのあるアニメ制作発表となれば、気づかない筈がない。監督の沖田からURLを渡されていた為、知ってはいたが敢えて見ないようにしていた。

 自身の手から離れた作品はプレで見る事はあっても、それ以上の事はない。関連グッズは購入せずとも大量に届く為、幼馴染に好きなものがあればプレゼントしているくらいだ。想い描いたものが書籍になっただけでも十分過ぎる幸福だが、アニメやドラマから映画や舞台にまで発展するものもあり、未だに信じられない思いの方が強い。【月野ゆき】をヒットメーカーと呼んでも過言ではないのだ。


 匠の隣に腰掛け、淹れたばかりの紅茶を差し出す。自身の事のように嬉しそうに微笑まれれば、ドキリと胸が高鳴る。


 「凄いな…………」

 「うん……すごいですよね……」


 そこに含まれる意味を理解していない雪乃の頭は撫でられ、優しい手つきに穏やかな気分になっていく。


 「……分かってないな……雪乃ちゃんが含まれるんだよ?」

 「えっ?」


 心底驚いた様子に、温かな視線が向けられる。

 同棲を始めて一週間経ったが、彼の甘さには慣れそうにない。高い対応力はどこかに消え去ったようだ。


 「異例のヒットは、君の原作のおかげだろ?」

 「いえ……作って下さった方のおかげですよ……」


 芯のある言葉は、それ以上を許さない。自身の功績よりも、今回のアニメ化に携わってくれた方のおかげが雪乃の本心だ。


 「そうか……」


 さらに緩める匠に頬が染まり、言葉に詰まる。いつもなら器用さを発揮するはずが、婚約者相手では上手くいかない。


 「……………………匠さん、冷めちゃいますよ?」

 「あぁー」


 振り絞ったであろう言葉に笑いを堪える匠。態とらしく睨んでみせても効果はなく、さらに深められるだけだ。


 「……悪い、悪い…………雪乃ちゃんは素直だな」

 「そうですか?」

 「あぁー」


 分かりやすい反応に微笑まれ、染まっていた頬に伸びた手でさらに熱が帯びていく。


 「…………匠さん……」

 「少しは慣れた?」

 「……少し、だけなら…………」

 「相変わらず敬語だしな」

 「うっ……」


 頑張って敬語をなくそうと試みているが、習慣から抜け出すのは難しい。さらに嬉しそうな表情が心音を加速させ、敬語に戻ってしまうのだ。ある意味では匠のせいであったが、それを雪乃が伝える事はないし、彼が気づく気配もない。


 ソファーに並び、少しぬるくなった紅茶で喉を潤す。夕飯後に増えたルーティンの一つだ。


 「見せて?」

 「う、うん……」


 真剣な横顔に胸が高鳴る。ノートパソコンには雪乃が書いた英文が並び、日常的に使っていなければ瞬時に理解できないだろう。たった一読しただけですらすらと和訳が出来る匠も、正しい文法で難なく長文が書ける雪乃も、語学に長けている。


 「…………さすがだな」

 「……大丈夫そうですか?」

 「あぁー、語学の心配はないな」


 断言する匠に、今度は雪乃が微笑む。勉強を見てもらう機会が増え、傾向と対策が練られる。順調に受験勉強は捗り、二人の距離感も少しずつ縮まっていた。


 「匠さん、聞いてもいいですか?」

 「あぁー、どこ?」

 「ここの……」


 至近距離になり、花の香りが近づく。真剣な横顔と視線が交われば、思っていたよりも近かったのだろう。すぐに染まる頬が愛らしい。

 外で会っている時はまだ高校生だと忘れそうになったが、今は年相応な反応だ。


 「ーーーー匠さん?」


 上目遣いで見られ、ドキリとしたのは匠の方だろう。年相応な反応と、大人な顔が入り混ざる。

 匠自身に自覚がなくとも、雪乃の色香が増すのは彼がいるからだ。


 「よく出来てるな……」

 「ありがとうございます」


 花が綻ぶようで胸が高鳴る。ティーカップを持つ姿さえ優美だ。雪乃に自覚がなくとも、今すぐにでも匠の妻として社交できるレベルである。

 お互いに相手へ寄せる想いが募っていくようだ。

 

 「明日は約束してた店に行こうか」

 「うん」

 「雪乃ちゃん、おやすみ」

 「ーーーーっ、おやすみなさい……」


 頬に触れる唇には慣れず背中を向けると、抱き寄せられる。


 「た、匠さん……?」

 「ん?」


 素知らぬ顔でぎゅっと引き寄せられ、ベッドの中心に戻る。


 「そんな端っこに行ったら風邪ひくよ?」

 「うっ、うん……」


 素直に頷き、染まる頬に緩む匠に対し、甘い視線も、触れ合うだけのキスも、恋愛経験の乏しい雪乃にとっては初めての経験ばかりだ。

 閨の知識も人並みの好奇心があっても、それに至るまでの相手に巡り合う事はなく、親友の愛らしい姿を眺めながら自分とは無縁であると何処かで思っていた。その容姿や家柄でお近づきになろうとする輩は山ほどいたが、心が揺れる程の想いは、彼に惹かれるまで感じた事はなかったのだ。


 「…………匠さん……」

 「ん? どうした?」

 「……いえ……明日、楽しみです」

 「あぁー」


 腕の中にいる婚約者は頬を染めながらも、逃げようとはしない。匠としては無理強いはしたくないが、ようやく叶った想いに多少強引になっても致し方ないだろう。

 柔らかな肌に触れたい衝動に駆られながらも、長い髪に手を伸ばした。そっと撫ぞれば、綻ぶ雪乃に唇を寄せる。反射的にとった行動に後悔しそうになりながらも、交わる視線に頬が緩む。

 見上げる潤んだ瞳も、隣で寝顔を見る事が多く一週間の溜まった疲れも、全て消え去りそうだ。


 「……匠さん……ありがとう…………」


 そう言って胸元に額を寄せられ、高鳴る鼓動に心音が忙しない。愛らしい婚約者が腕の中で眠る現実に幸せを噛みしめる。目の前にある頭部に、当たり前のように唇を落とした。


 藤宮家ほど大規模ではないとはいえ、社長職に就く彼が忙しくないはずがないのだ。案の定、夕飯と朝食は毎日のように一緒にとっても、寝る時間帯は別々であった。

 毎晩のように先にベッドにいる可愛らしい寝顔を見る習慣がついたが、同じタイミングで眠るという一週間ぶりの行為に分かりやすく染まる婚約者にこれ以上迫る事はない。


 「ーーーー卒業まで……か……」


 笑顔でありながらも有無を言わせぬ物言いが健在の冬時との約束を律儀に守っていた。雪乃の知らない所で同棲の許可をとり、引越しまでの手続きがスムーズだったのも、全て匠の策略であった。その全てを雪乃が知ることはないが、彼が忙しい合間を縫って手配してくれたのは明らかである。

 相変わらずの聡い彼女に驚かされながらも、そんな些細な言葉選びの秀逸さは賞賛に値する。幼い頃から努力し続けたからこそ、今があるのだろう。


 大学に進学したら遠く離れた場所で過ごす事となる。当たり前のように近づいてくる現実は、優しいものばかりではない。

 それでも隣で眠れるほど近づいた婚約者との距離に微笑んでみせる匠と、早鐘のような心音が重なり安心感を覚えた雪乃は、明日の朝を待ち遠しく感じたまま眠りについた。

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