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第31話 同棲のはじまり①

 「ーーーー早い……」


 思わず出た本音は、匠が手配した引越し業者に向けられていた。

 もともと広々とした室内に対し、高価な家具や家電があれど物は少なかった為、あっという間に作業が終了した。多くあった物があるとすれば、執筆する為に必要な資料と収集した好きな作家の本やスノードームくらいだろう。

 私服で立ち会った事もあり、高校生とは思われてはいない。高層マンションの最上階に住む一人暮らしの女性が、まだ学生とは誰も思わないだろう。


 本当に、あれから一週間後に引越しなんて…………


 『ご近所になるなら、たくさん遊べるな!』


 受験生にかける言葉ではないが、呑気な兄との会話を思い出し頬が緩む。反対する所かむしろ喜んでいたし、最初は驚いた様子で反対気味な愛理も、最終的には遊びに行く気満々で嬉しそうにしていた。

 未発表ながらも正式な婚約となり、両家の顔合わせ的な集まりがお見合いした時と同じ座敷で行われた。冬時の有り余るオーラを除けば、会食自体は和やかな雰囲気で幕を閉じた。


 「ーーーーはい」


 スマホから響く甘い声が気遣う。


 『迎えの車が行くから』

 「うん……」

 『……どうした?』

 「ううん、あっという間だなーと、思って……」

 『あぁー……でも、俺は待ち遠しかったな』

 「……うん……私も……」


 上気した頬に手を当てながら応えると、嬉しそうな声色が響く。


 『ーーーーまた後でな』

 「うん」


 引越しといっても家具は殆どそのままだ。完全に引き払う訳ではない事もあり、短時間で終わったともいえるだろう。カバーをかけた家具に、雪乃がすぐに戻る事がないという意思表示が反映されていた。

 アトリエにする話が出ていたが今すぐという訳ではないし、定期的な清掃ならシズを含むお手伝いでこと足りる。


 今回の引越しにしても本家が負担を勝手出たが、結果的には匠と本家の折半となった。雪乃自身も十分に稼いでいる為、支払って貰わずとも引越し費用の捻出は容易い事だっただろう。学生という事で一定のお小遣いが毎月ある事もあり、自身で稼いだお金は殆どが貯蓄に充てられていた。


 家具が残ってはいるものの閑散とした部屋を見渡し、ここに来たばかりの事を振り返る。


 「ーーーー三年…………」


 中学三年の冬……一貫校ということもあって、受験生らしさを味わうことはなくて…………試験さえ落とさなければ、進学できた。

 残るイベントが、卒業式を残すだけになった頃……【桜が降る夜】が大賞を受賞して、世に出ることになった。

 スムーズに進んでいく話に、気後れしたのを今もよく覚えている。

 なりたいモノだった……すきな本に携われる職に就けたらと、願ったことはある。

 それでも……いつかは、藤宮の関連企業に勤めることになると思っていたの。

 春兄のように継がないにしても、藤宮家の一員であることに変わりはないから……そのくらいの自覚も、覚悟もあった。


 雪乃の予想に反し、作家になる事はすんなりと認められ、冬時をはじめ家族の買い占めを防がなくてはいけなくなったのは予想外の出来事だった。

 藤宮の力の関係ない場所で、自身の力を証明した瞬間でもあった。


 エントランスに降りると、迎えの車が待っていた。黒塗りのリムジンに思わず溜め息を呑み込む。


 「ーーーー雪乃様、お待ちしておりました」

 「はじめまして、島崎しまざきさん……本日はありがとうございます」

 「いえ……」


 前情報がある程度あったとはいえ、立派なご令嬢に有能な秘書でさえも言葉に詰まる。


 「ーーーーどうされましたか?」


 バックミラー越しにチラチラと見られれば、雪乃でなくても声をかけていただろう。


 「いえ……とてもお美しい方だったので……」

 「ありがとうございます……お世辞でも嬉しいです…………それから、敬語は不要ですよ? まだ高校生ですから」


 見透かされた言葉に、観察眼の鋭さを知る。


 僅かな時間に彼女は島崎の事をよく見ていた。引越し業者と同じく、秘書にとっても高校生には思えなかったのだと。外見だけでなく、対応力に高さからも立派な一人の女性というべきだろう。そう島崎が感じたとしても仕方がない事である。どんなに有能で多くの人と顔を合わせる機会が多い彼でも、幼少期からの彼女には遠く及ばないだろう。家庭の事情からともいえるが、人の扱いには慣れていた。

 今も作家として、編集者やイラストレーターと、多くの大人と接する機会が多い彼女の接遇は完璧である。


 微笑まれ、ドキリと胸が高鳴る島崎に対し、日常的な反応に雪乃が示す事はなく、窓の外へ視線を移した。


 私生活は言わずもがなだが、受験勉強も概ね順調であり、周囲から見れば充実した人生をすでに送っているといえるだろう。秘書も自慢の社長は人柄もよく、人望も厚い。非の打ちどころのない美男美女のカップルの為、彼女が小さく息を吐き出す場面など想像もつかない。


 雪乃は彼に気づかれない程度に息を吐き出していた。友人との長期の旅行はあっても、家族以外の誰かと暮らした事はない。はじめての事に多少なりとも緊張していたのだ。


 長距離の移動ならいざ知らず、匠の家までは車で二十分もない。気持ちを落ち着けようにも、休まるような時間は与えられなかった。


 「ーーーーーーーー高い……ですね……」

 「雪乃様のご自宅と、あまり変わりないかと……」

 「そう、ですか……」


 先ほどまでとは異なり、明らかな動揺ぶりに微笑む。高校生らしさを垣間見た気がした。


 実際は匠のマンションの方が高いが、どちらも高級な高層マンションに変わりはない。あまり変わりないという言葉は妥当ではあったが、雪乃の心情上では大差があった。婚約者と同棲するとなれば尚更である。


 コンシェルジュのいる広いロビーを抜け、エレベーターで最上階まで上がる。


 「雪乃、お疲れ」

 「……お疲れさま……」


 思い切り頭を撫でてくる手を掴むが、何故ここにいるかは愚問である。


 「……春兄、手伝いにきてくれたの?」

 「まぁーな、あとから杏奈も来る。雪乃の歓迎会だな」

 「ありがとう……」


 色彩のよく似た二人は揃って美しい顔立ちである。街を歩けば、必ずと言って良いほど声をかけられる程だ。

 匠に聞いていた通り、春翔の溺愛ぶりは一目瞭然である。


 仲の良い兄妹きょうだいに島崎は微笑み、役目を終え部屋を後にした。


 「では、私はこれで……」

 「島崎さん、ありがとうございました」

 「いえ、それではまた」


 深々と一礼をした島崎の乗ったエレベーターが降りていくと、雪乃は微かに息を吐き出した。対応力が高くとも初対面は相変わらず苦手なままである。


 「匠は、あと十分くらいで着くってさ」

 「うん……」


 緊張感に気付きながらも、あくまで素知らぬ顔で接する兄に感謝しながら、預かっていた鍵を使って入る。雪乃が入るのは花山院の一件以来はじめてだ。


 「ーーーーお邪魔します……」


 当然の事ながら返答はなく、雪乃の部屋に充てがわれた一室には指定通りに書籍やスノードームが収まり、ウォークインクローゼットには衣服が綺麗に並ぶ。清掃は行き届いている為、やる事といってもパソコンを繋げて設定をするくらいだ。


 「雪乃は意外とパソコン得意だよな」

 「うん、仕事で使ってるからかな?」

 「そうだったな」


 すぐに設定を終え、いつでも執筆は可能な状態だが、さすがの雪乃も初日から部屋に篭りきりになるつもりはない。


 兄と並んで談笑していると玄関から音がした。

 一目散に駆け寄り、匠を出迎える妹に頬が緩む。


 「ーーーーおかえりなさい」

 「……ただいま……」


 思考の止まりそうになる親友に、春翔が態とらしく声をかける。


 「お疲れ、匠」

 「お疲れさま」


 笑いを堪える仕草に思わず苦笑いの匠と、不思議な様子の雪乃だ。


 「着替えてきたら、うちで歓迎会な?」

 「うん」 「あぁー」


 揃って応え、兄を追おうとする手は繋ぎ止められる。


 「…………雪乃ちゃん、少しいい?」

 「うん……」

 「俺は先に戻って準備しとくから、ゆっくり来いよ?」

 「あぁー」


 兄と匠には何やら通ずるものがあるのだろう。互いに頷き合い、部屋を後にする兄を見送ると、扉が閉まるのと殆ど同時に抱きしめられていた。


 「ーーーーっ!!」

 「…………雪乃ちゃん、もう一回……」

 「…………匠さん……おかえりなさい?」

 「ふっ、疑問系?」


 笑いが漏れ出る彼に、もう一度息を吐き出す。


 「……匠さん、おかえりなさい」

 「うん、ただいま……」


 熱っぽい瞳を向けられ、心音が速まる。二人きりという自覚が今さらのように押し寄せる。


 「……着替えてくるから、待ってて?」

 「うん……」


 軽く触れられた頭が熱く感じ、思わず両手で頬を覆う。


 ーーーー春兄と二人きりの時は、何ともなかったのに……


 兄とは違う。そんな当たり前の事に気づく。


 「ーーーーお待たせ」

 「いえ……」


 スーツからパーカーにデニムと、ラフな恰好になった匠から思わず視線を逸らす。すぐに後悔しても遅く、分かりやすい態度は自身が一番分かっていた。


 このくらいで、動揺して……どうするのよ……


 他人に弱みを見せない。そんな所まで藤宮だが、彼を前にすると思い通りにいかず、戸惑ってばかりだ。


 「…………雪乃ちゃん……」


 差し伸べられる手を握り返す。躊躇いなく繋いだ手は安心感があった。


 「……少しだけ、いい?」

 「うん?」


 分からずに小さく頷いた次の瞬間、また温かさに包まれていた。


 「ーーーーっ、た、匠さん……」

 「少しだけ……」


 拒む理由はなく、そっと肩の力を抜く。じんわりと温かさを感じながら、ゆっくりと瞼を閉じていた。

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