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第29話 ヒーローな婚約者

 珍しく雪乃の家に立ち寄る幼馴染がいた。司の事だけでなく、匠が購入した参考書を受け取る為だ。


 「うわっ……やっぱ、この本かーー……」

 「キヨ、知ってたの?」

 「ああ、一応対策はしてるし、この本に見覚えもあるしな」

 「だよなーー」


 八年前に春翔がよく持ち歩いていた本の一つも含まれている。会話はともかく、この程度は辞書なしで読めなければ話にならない。前提は四人とも難なく乗り越えられそうだが、ただ読むペースに限っては雪乃が断トツである。


 「シズさんのご飯の為に頑張る」

 「うん」


 ダイニングテーブルには英字の本や書類が並び、どれも受験にあたって必要なものばかりだ。

 賑やかな食卓に、シズは孫娘たちを見守るような想いで和食を振る舞う。数分前までとは違い、テーブルには出来立ての天ぷらや煮付けが並び、豪華な夕食だ。


 どれも絶品で箸が進む幼馴染を見習って、雪乃も口に運び頬を緩ませるが時折止まる。それは美味しいものを食べると、一緒に食べられたらと思ってしまうからだろう。週に一度会えるか会えないかの頻度は相変わらずの為、今までと特に変化はない。ただ雪乃からもメッセージを送る事になったのは、大きな変化だ。


 シズを見送り、手早く片付けを済ませると、また本を広げる。明日が土曜日の為、そのまま泊まる流れになりそうだ。


 「雪乃ーー、お風呂入ろう?」

 「うん、沸かしてくるね」


 一区切りがつき、伸びをした雪乃が席を外していると、スマホが鳴った。


 「ーーーー非通知?」

 「まさかな……」


 嫌な予感が過り顔を見合わせる幼馴染の元へ戻ると、履歴の非通知に自身にも過ぎる。花山院司ではないかと。


 「…………結構、鳴ってた?」

 「ううん、すぐに切れたよ」

 「そっか…………」


 初対面の匠に対し、敵対心を剥き出しにする姿と、肩に触れられそうになり嫌悪感を抱いた事を思い出す。つい一週間程前の出来事だが、新刊が発売された喜びが抜け落ちる程の衝撃だった。


 「……じゃあ、雪乃と入ってくるから」

 「ああ」

 「上がったら、また少しするだろ?」

 『うん』


 揃って応え、脱衣所に入るなり抱きしめられていた。


 「ーーーー愛理?」

 「……雪乃、大丈夫だったのは分かるけど……平気?」

 「うん…………ありがとう……」


 柔らかな声に安堵したのは、お互い様だったのかもしれない。自身の事を自分以上に考えてくれる親友だからこその反応だ。


 「ーーーーそれよりも婚約の方は?」

 「婚約?」

 「だって、正式なものなら発表するでしょ? まだ何も来てないから」

 「そっか……」


 相変わらず呑気な雪乃に、溜め息が出そうになりながらも微笑む。微かに上気した頬は湯船に浸かっているからではない。少なくとも愛理は照れたように感じた。


 「…………まだ、そういう話はないよ。大学進学も許してもらってるから……」

 「匠さんって寛大よねーー、あと四年も待ってくれるんでしょ?」

 「うん……現役合格は譲れないみたいだったけど……」

 「そうだね。私も、楽しいキャンパスライフを目指して頑張る!」

 「うん!」


 気合を入れ直し、日本にいる時間が少なくなってきた事に気づく。

 前々から頭の片隅にあった留学が現実を帯び始めた。合格しないとは誰にも思われていない。それは嬉しくもあり、微かなプレッシャーでもあるが、期待に潰されるほど弱くはない。藤宮家の娘は伊達ではないのだ。


 「雪乃ーー、作っていい?」

 「うん」


 出来たばかりの強炭酸を注ぎ、グラスを傾ける。未成年でなければ、お酒で乾杯したい気分だろう。微かに染まった頬とアイスブルーの潤んだ瞳に、幼馴染でなければ勘違いする場面だが、今の彼らにとって一番の話題は受験についてだ。


 「正解のない質問かーー」

 「うん、ポテンシャルを問われてるみたいだね」

 「なかなか厳しいのにな」

 「ああ、春翔さんたち凄いよなーー」


 改めて二人の凄さを実感する。二十代で早々と社長に就任した兄と、少数精鋭ながらも起業した婚約者。並大抵の事ではない。

 まだ高校生の雪乃にもその程度の事は分かる。特に兄が本家にいる頃は陰で努力する姿を間近で見てきた。それは無意識のうちに自身のやる気にも反映していたのだ。


 お花にヴァイオリン……他にも一通りのお稽古事があったけど……春兄も同じような事を幼少期にしていたと知ってから、頑張れた部分もあったと思う…………今も……


 「うーーーーん、そろそろ寝るーー」

 「うん」


 大きく伸びをした愛理に頷き、寝室に入る。清隆と風磨は客室にある簡易ベッドで揃って就寝だ。お泊まり自体は初めてではない為、スムーズに分かれる。


 「ーーーー愛理……」

 「んーー、どうしたの?」

 「今日……ありがとう……」


 柔らかに微笑む親友に、愛理の頬も緩む。今日が勉強会と称して、異常がないか確認の為のお泊まりだという事は雪乃にも分かっていた。一人の方が勉強が捗るはずの清隆さえも、幼馴染を心配して参加していたのだ。十年以上間近で過ごしてきた親友は伊達ではない。口にしなくとも伝わるものはあるが、告げなければ分からない事もある。


 「…………今のところ、花山院家に関わりがあるのは居ないみたいだけど、気をつけるのよ?」

 「うん……愛理もね」

 「私は大丈夫よ。いざとなったら風磨がいるから」

 「そうだね……」


 額を寄せ合う近さで微笑み合う。キングサイズのベッドは二人で並んで寝転んでも有り余るサイズ感だが、寄り添ったまま眠りについた。


 数年ぶりに会った彼は、あまり変わっていなかったように思う。

 目上の人に……初対面で、あれだけ横柄な態度を取れるなんて…………


 脳裏に過る言葉に悪夢をみる事の多い雪乃は、穏やかな顔をしていた。それは幼馴染が側にいる安心感からだろう。


 「ーーーー寝ましたよ」


 寝室の扉が微かに開き、風磨は安堵しながらも距離の近さにそっと溜め息を吐く。


 『風磨くん、ヤキモチ?』

 「うっ……」

 「風磨は分かりやすいからなーー」

 

 スマホから微かな笑い声が聞こえる。


 「匠さんまで……」

 『悪い、二人は本当に仲がいいんだな』

 「はい、特に愛理にとっては特別かもしれません」

 『特別?』

 「はい……ヒーローだったんですよ」

 「ああ、雪乃は引っ込み思案なところがあるとはいえ、芯がしっかりしてますから」

 『そうか……』


 客室のベッドに寝転びながら、二人が昔話を始める。雪乃をヒーローと称した意味に納得しながら微笑んだ。

 見た目とは違い、なかなかの論破ぶりだっただろうと想像する。実際に見た訳ではないが、幼い頃の彼女の横顔が重なって映った。彼女は藤宮家の娘である事を十分に理解し、自身の立場を弁えていたのだと。


 『ーーーー二人ともありがとう』

 「いえ、こちらこそ参考書ありがとうございました」

 「早速、熟読させて貰ってます」

 『あぁー、みんなが進学するの楽しみにしてるよ』

 『はい!!』


 勢いよく応える二人の反応に、柔らかに微笑む。顔は見えなくとも、期待している想いは十分に伝わっていた。






 朝からパソコンを立ち上げ、静かなリビングにタイピングの音が響く。ぐっすりと眠れた雪乃は、快調に物語を紡いでいた。

 小説家を続けていくことが大前提の上で、世界最難関とされる大学を受験するというのだ。志望校が決まり担当編集者の田中には伝えてある。ネット環境さえ整っていれば、日本にいなくとも執筆は可能だ。リモートで最大限のフォローをして貰えるという確約も得た。

 描き続ける事は、雪乃にとって一つの自信に変わっていた。拙いながらも描き続けた先にある景色に、手が届く場所にいるのだ。

 

 大きく伸びをしたタイミングでスマホが鳴り、表示される名前に頬が緩む。


 『おはよう』

 「おはようございます……匠さん……」


 甘い声に胸が高鳴りながらも返す。声色だけで少し照れた様子まで彼には伝わっていた。


 『勉強は捗った?』

 「うん…………心配かけちゃいましたね……」

 『それは幼馴染の特権だろ?』

 「…………うん」


 馴染みのある言葉に笑みが溢れる。 


 『雪乃ちゃん……一人の行動は控えてくれ』

 「うん……大丈夫ですよ。愛理たちが一緒にいてくれますから……」

 『あぁー』


 本来なら自身が側にいたいのだろう。社会人と学生では生活ペースが異なるため仕方がないが、匠の声色から察する事は出来る。雪乃は元々勘がいいのだ。


 「…………匠さん、ありがとうございます」


 面と向かって告げたなら、抱きしめられていた事だろう。

 柔らかな声色に微笑む匠だけでなく、互いに婚約者を想い浮かべていた。


 『明日、楽しみにしてる』

 「うん……」


 ストレートな言葉に頬が染まる。上手く返せない自分に、落胆しながらも頷く。雪乃にとっても彼と会える時間は楽しみでもある。少なくとも愛理がヤキモチを妬いてしまう程に。


 「……匠さん…………」

 『……どうした?』


 言葉に詰まると、優しい声がかかり素直に紡ぐ。


 「……私も、楽しみです…………」


 まだ緊張感の抜けない言葉遣いでありながらも、匠の表情は和らぐ。

 何処か懐かしさを感じながら通話を終えると、互いに息を吐き出していた。


 「雪乃ーー♡ 匠さんにモーニングコール?」

 「ううん、そういうのじゃないけど…………」


 真っ赤に染まる頬に悪戯心が湧くが、素直な反応に嬉しさが増す。本物になってから表情に豊かさが戻り、分かりやすい反応も見られるようになってきた。


 「ふふふ♡」

 「愛理?」

 「ううん、朝ごはん手伝う♡」

 「うん」


 上機嫌な反応に戸惑いながらも頷く。


 「フレンチトーストにするね」

 「うん♡」


 仲良く並んでキッチンに立ち、朝食を作る。朝からハイテンションな愛理に、あとから加わった幼馴染も納得の様子だ。以前の雪乃なら無表情が悪化していただろう。今は彼のおかげもあり穏やかさを保っている。

 雪乃にとって匠がヒーローであったように、幼馴染にとっても彼は救世主のようだった。

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