第3話 お見合い相手は初恋の人
どうせなら…………匠さんみたいな人がいいと、思ってはいたけど……まさかの本人?!
驚愕しながらも顔色にほとんど変化はない。分かるとすれば兄の春翔くらいだろう。
とど懲りなく食事会は進み、ホテルの庭園を散策するように促された。『あとは若い二人で』のお決まりの台詞に現実を直視できずにいると、手を差し伸べられる。
「行きましょうか……」
「はい」
座敷に来た時と同じく、ゆっくりと匠の後を歩いて行く。
ーーーー沈黙が辛い……先方の要望と、お爺ちゃんは言っていたけど…………本当、なのかな?
祖父の冬時は政財界にまで幅広く顔が効くと言われている。会長職を早々と引退したものの、その影響力は今も健在である。『ひ孫が見たい』というのは単なる口実で、他に意図があるのではと、勘繰ってしまうのは仕方のない事だ。
「…………雪乃ちゃん、久しぶりだね」
「はい…………一條さん、お元気でしたか? 会社を立ち上げたと、兄から伺いました……」
「あぁー、今のところは順調かな。春翔と相変わらず仲がいいね」
「そうでしょうか?」
「俺の弟は可愛くないからさ」
先程とは違い、砕けた口調に頬が緩む。
「ーーーー雪乃ちゃん……綺麗になったね」
「……ありがとうございます」
社交辞令の返答は心得ている。
お見合い相手が全く知らない相手から、顔見知りの兄の友人に変わっただけで、今の匠について雪乃が知ることは少ない。兄が社長になったと同時期に、会社を設立したと耳にした事があるくらいだ。
「今日は付き合ってくれて、ありがとう」
「いえ……」
「親が結婚しろって煩くてね……『容姿端麗でバイリンガルで、家庭的な人を連れて来い』って言ったら、君に話がいったらしい」
「そうだったんですね……」
ほんの少し…………胸に違和感を感じるのは、彼が私にとって……おそらく初恋の相手だから…………。
そう結論づけて、十年ぶり近くなる再会に微笑む。当時は高校生だった彼も今では社長だ。
兄の春翔とは中学からの付き合いで、本家にも遊びに来ていた時期があった。兄とは違い一條家の家督は長男が継ぐ事になるようだが、その内情までは雪乃には分からない。もしかしたら、縁談を持ってきた冬時なら知っている事もあったかもしれないが、本日は不在のため確かめようがないのだ。
「……冬時さんが、雪乃ちゃんの結婚相手を探してるみたいだね……」
「みたいですね……早くひ孫が見たいようで…………今日、本当は……憂鬱だったんですけど、一條さんで安心しました」
「俺もだよ。雪乃ちゃんでよかった……」
顔を見合わせ笑い合う。幼い頃に戻ったような錯覚を起こすが、社会人と高校生。来年には雪乃も大学生になるとはいえ、社長夫人になるには若すぎるだろう。それは彼女自身がよく分かっていた。肩書きがつけば付くほど、責任は重くなり、社長ともなれば従業員の生活も、その手腕にかかってくるのだ。
「……段差がある」
「ありがとうございます……」
微かに染まる頬で、差し出された手をとる。
雪乃が大人びて見える事もあり、和服で並んで歩く姿は驚くほど絵になっていた。
「ーーーー話は盛り上がったみたいね」
庭園から戻るなり、満面の笑みで出迎えるお互いの両親。そう言った母の視線は、繋がれたままの手に向けられていた。
ごくりと喉を鳴らす音が今にもしそうだが、そこは藤宮と一條に名を連ねる者だ。
演技とは思わせない表情で手を離しながらも、匠の袖を遠慮がちに掴む。頬を染めたまま彼を見上げれば、視線が交わり、優しい栗色の瞳に吸い込まれそうだ。雪乃が本当に望んでいたなら、引き寄せられていた事だろう。それくらい匠は魅力的な男性だが、小さく頷き合うに留まる。それでも、家の名に恥じない動きはしていたはずだ。
「ーーーーあの……」
続く言葉で喜びを露わにする両親に、ほんの少し良心が痛む。婚約者という肩書きがあれば、それでよかったのだ。
「はぁーーーー!? 婚約したーーーー!?」
「愛理、声がでかい」
「だって! 私の雪乃がーー!!」
「うるさいって」
「ちょっと、キヨまでーー!」
あれだけ憂鬱そうにしていた愛しの幼馴染が、まさかの婚約となれば、叫ばずにはいられない。話の内密性から屋上に来ていた為、実害はないが耳元で叫ばれれば五月蝿いのは確かだ。
「……愛理……でも、仮だから……」
「仮??」
「うん、お互いに縁談がこれ以上来ないようにね」
「それって、いつかは解消するってこと?」
「うーーん、具体的には決めてないけど……そうなるよね……」
「相手って、あの一條匠だっけ?」
「うん、春兄の友人だから、みんなも会った事あるでしょ?」
「春翔さんの次にイケメンだったから覚えてる」
愛理の着眼点に揃って苦笑いだが、今更である。美しいものが好きな彼女は中々の収集家だ。
「仮でも婚約したんなら、定期的に会わないとだろ?」
「その辺りは、また今度話をする事になったよ。一応、連絡先は交換したから」
「相変わらず、のんびりやだなーー。そんなんで大丈夫なのか?」
「そうかな? 名案だと思ったんだけど……」
その口調から発案者が匠であると、三人とも悟ったようだ。
「何とかなるだろ? 俺も許嫁がいるしさ」
「キヨは茉莉奈ちゃんだから、いいじゃない。二個下なんだから」
「ああ、そういう愛理だって、考えてるんだろ?」
「まぁーね、私は弟が継いでくれるから……って、何を言わすのよ!」
真っ赤に染まる愛理以上に風磨も染まっている。
「本当、二人とも仲良いよね」
「雪乃、そうゆう所よ!」 「そうだぞ!」
「な、なに??」
ガッツリと両肩を掴まれ、タンブラーから口を離す。
「男はケダモノなんだから!」
「はっ?! そんな事ないだろ?!」
「風磨は黙ってて!!」
すでに尻にひかれている感が満載の風磨からは、ぐうの音も出ない。
「こいつらは置いといて、真面目な話。雪乃はそれでいいのか?」
「私は……今のところ、書ければ何でも…………お母さんたちも、お見合いのようなものだったし」
「あーー、秋人さんが一目惚れしたってやつな」
「そうそう、素敵よねーー。雪乃のお父さん」
「愛理には俺がいるだろ?!」
「風磨は頼り甲斐はあるけどーー、美少年って感じじゃないもん」
「おい! 泣くぞ!」
夫婦漫才に笑いが溢れる。結果的には『雪乃本人がいいなら……』と、幼馴染三人も納得してくれたようだ。
早すぎる婚約の為か、公になっていない話だと、彼らなりに理解していた。本当に大々的に結婚を前提に婚約したとなれば、藤宮家として何らかのアクションがあって然るべきだからである。そうならなかったという事は、雪乃の言ったように【仮】の婚約者で、少なくとも藤宮家にとっては候補者の一人のままなのだろう。
「それで、ゴールデンウィークの旅行は難しい?」
「日曜日以外なら大丈夫だよ」
「さっそく一條さんとデート?」
「ううん、執筆の方で挨拶する事になって……」
「もしかして【星アカ】のアニメ化?!」
「さすが愛理……どうして分かったの?」
「だって、めっちゃいいもん! 更新が待ち遠しいし」
「ありがとう」
花が綻んだように微笑む時は、雪乃が本当に嬉しい時だ。そのくらいの違いは幼馴染にも分かっていた。
「【星アカ】って、もう略してるのか?」
「うん、ネットでも話題になってて、【星の在処】を【星アカ】って呼んでるのは、私だけじゃないんだから!」
スマホ画面を見せ、主張する愛理に微笑む。
この手のネットニュースを雪乃自身はほとんど見ないため知らなかったが、作品を出す度に話題になっていたのは確かだ。授賞式にも顔を出した事がない為、【月野ゆき】というペンネーム以外の情報が一切出回っていないのも、ネットニュースを加熱させる要因の一つだろう。ペンネームでは性別さえも判別できないからだ。
これは影響力のある藤宮家の情報統制ではなく、出版社の担当編集者のおかげだ。雪乃自身が表に出る事を嫌う為、配慮した結果である。
今からでも顔出しを許可してくれるのなら、編集者としては是非積極的にプロモーションしていきたい所だろう。そういった事情も相まって、彼女の素顔を知るのはここにいる幼馴染や家族、そして映像化にあたって携わったスタッフとキャストの一部くらいだ。
「雪乃はこれで食べていけそうだよなーー」
「そうかな?」
「そうだろ? あんだけ売れてるんだし、授賞してたじゃんか」
「うん……」
曖昧な頷きには理由があった。今は求められ、描きたいものを書いて収益を得ているが、読み手がいなければ成り立たない職業である事を理解していた。それ故の不安の表れなのだろう。個人資産でいえば今は雪乃が飛び抜けて高いが、将来的には分からない。風磨も清隆も余程の事がない限り、家督を継ぐ予定だからだ。
「とりあえず、再来週は楽しみにしてるから!」
「うん!」
残りの昼休みの時間で旅行先は沖縄に決まり、雪乃も明るい口調で応えた。
少しでもリゾート気分を味わおうと、部屋割りは女子部屋、男子部屋でコテージを二つ貸し切る事に決まる。
このあと旅行プランが変更になるとは、この時の雪乃が知る由もないのであった。