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第25話 星の在処

 『ゆき先生、届きましたか?』

 「はい、ありがとうございます……」


 手元にはこれから発売する【星アカ】の書籍があった。夜空の星をイメージした表紙とジャケット。帯にはキャッチコピーが載り、購買意欲を高める仕様になっている。奥付には初版と記され、自身のペンネームに綻ぶ。

 何度見ても本になる度に実感するのは、【月野ゆき】として活動している事だ。


 『ーーーー本当に、おめでとうございます!』

 「ありがとうございます……また、よろしくお願い致します」

 『はい!!』


 通話を終えた雪乃は嬉しそうに頬を緩ませたまま、スマホを耳に当てた。


 「お疲れさまです」

 『お疲れさま、いよいよ発売だな』

 「うん……」

 『待ち遠しいな』

 「うん……ありがとうございます……」


 一冊の本を出すのに携わっているのは、編集者の田中だけではない。多くの専門家の手を通して、ようやく世に送り出され、読み手に届くのだ。


 『土曜日には参考書も見に行こうか』

 「うん!」


 声色で喜んでいると伝わる。匠には彼女の変化が分かっていた。


 『ーーーーおやすみ』

 「おやすみなさい」


 名残惜しく通話を終え、耳に残る甘さに触れる。


 匠さんと会える時間は…………あと、どのくらいあるのかな……


 とても協力的な彼にありがたいと感じながらも、一週間に一度も会えないのは寂しいのだろう。口にしなくとも、横顔がそう物語っていた。


 「はぁーーーー…………」


 溜め息を漏らし、募る想いに蓋をするようにパソコンを閉じる。少しずつではあるが、彼が分かるほどには表情が豊かである。


 「…………匠さん……」


 声にすると、胸の奥がじんわりと温まり染まっていく。


 【仮】でなくなり、急激にデートの回数が増えた訳ではない。雪乃が受験生という事もあり、週に一度会えるか会えないかのペースでのデートだ。

 一時的に減っていた通話回数も元に戻り、そちらのペースも変わりはない。増えたのは通話時間と、触れ合う機会だろう。

 デートの後は必ず玄関先まで見送られ、口づけを交わして去っていく匠に慣れそうにない。

 甘い声も、優しく触れる手つきも、彼自身は何一つ変わっていない一方で、雪乃は意識した事により頬を染める頻度が増えた。

 それに反応するかのように、匠が悪戯心を発揮する場面も多々見られるようになったがキス以上の事はない。触れ合っても、抱き合うまでに留められていた。


 「ーーーー雪乃、どうしたの?」

 「ううん……中間試験がくるから……」

 

 昼休みに生徒会室に行く事のなくなった雪乃は、珍しく屋上で愛理と二人きりだ。


 「試験もだけどーー、受験勉強の方が、ハードル高いでしょ?」

 「うん……家庭教師の先生、厳しいの?」

 「うん! 課題、多すぎなんだもん!」


 ぷんぷんと分かりやすく怒る愛理に、柔らかな笑みを浮かべる。


 「…………愛理……」

 「それ以上はナシよ。私が行きたいんだから!」

 「うん…………頑張ろうね!」

 「うん!!」


 元気よく頷く愛理は昔から勉強嫌いだ。頭の出来はいい為、ある程度は出来る。だからこそ全力で取り組む事は少なく、成績も十位以内に入っていればいいとさえ考えている節があった。

 特に雪乃と知り合うまでは、今よりもお嬢様気質が強く、自我があり過ぎる印象だ。どれだけ見た目が良くても、横柄な態度を続ければ嫌悪感を抱かれる事もあるだろう。今でこそ多くの友人がいる愛理だが、当時は友人など皆無の子供だった。両親が晩婚だった事もあり、蝶よ花よと育てられた事が災いしたとしか言いようがない。

 愛理自身も弟が生まれた時点で諦めていたのだろう。長女であっても家督は告げず、嫁ぐ事になる。そんな現実が、ますます勉強から遠ざけていたが、自らの意志で受験するというのだ。中学進学の際も、親友と同じ学校に通うというモチベーションの下、猛勉強が行われていた。

 都内有数の進学校として有名な学校に進学したが、世界最難関の大学受験はその比じゃないだろう。本人もそれを承知の上で挑むというのだ。本気になった愛理が受からないとは雪乃も思ってはいない。ただ自身の進路をそれで決めてしまっていいのかとは感じていた。

 

 「…………楽しみだね」

 「勿論!」


 敢えて口に出した言葉に、勢いよく頷く。そんな親友の姿に勇気をもらっていたのは、きっと雪乃の方だろう。自分の力を試すと言っても、高校生には限られている。雪乃に限っては作家として成功を掴んでいるが、幼馴染のように現状を知る者は同級生に一人もいない。幼馴染が気を許している渡邊も、清隆の許嫁である茉莉奈さえも知らないのだ。

 【月野ゆき】は雪乃の理想の姿でもあった。藤宮家に囚われず、ただ好きな本を形にするという希望のようなモノでもあったのだ。


 「お疲れーー」

 「遅いよーー!」

 「悪い、担任に呼び出されててな」


 大袈裟に『待っていた』と、強調する愛理に微笑む。風磨に至っては気にしていない様子で頭を撫でていた。いつもの事ながら仲のいい二人に、清隆が溜め息を吐き、雪乃からは楽しそうな雰囲気が漂う。通常運転の幼馴染に一番安堵していたのは、雪乃だったかもしれない。


 「ーーーー進路?」

 「ああ」 「まぁーな」

 「タケやんの反応はどうだった?」

 

 風磨と清隆は顔を見合わせた。


 「驚いてたけど、喜んでたな」

 「ああ、なんたって、受かれば春翔さんたち以来の快挙だしな」

 「そうそう、二人同時に合格したのだって稀なのに、四人同時になんて前人未到だろ?」

 「そっか……」


 頬を緩ませ、幼馴染と過ごせる三年間を想像した。貴重な大学生活を慣れ親しんだ日本を離れて過ごす日々は、寂しさが滲みながらも楽しみの方が強いだろう。知った顔がいるというだけで心強いのだ。

 それもすべて四人が合格しなければ叶わぬ夢だが、誰も欠けるとは思っていない。残り少ない学生生活を満喫する為に、全力で取り組むだけだ。


 「それよりもさーー」

 「ああ」


 揃って目の前に差し出される両手に、一冊ずつ本を乗せる。


 「綺麗な表紙だな」

 「うん、イラストレーターさんが頑張ってくれたから」

 「ありがとな」 「楽しみだな」


 さっそく熟読したい所だが、自身の目の前で読まれるのは気恥ずかしさが増すため遠慮してもらっている。


 「【星アカ】が書店に並ぶんだなーー」

 「うん」

 「茉莉奈も読書好きだから買うだろうな」

 「キヨ、一応書いてきたよ?」

 「ありがとな……絶対喜ぶ」


 初版本の遊びにサイン付きと、ファンなら絶対に手に入れたい一冊だ。茉莉奈の家柄であっても入手困難な一冊といえるだろう。作家として第一線で活躍する【月野ゆき】が、授賞式の類に出た事は一度もない。

 多くの賞を総なめしたデビュー作から一度もない為、数々の商業効果を生み出しているにも関わらず、その正体は不明だ。ペンネームから推察できるのは女性の可能性が高い事だけだろう。ただし、あくまでもペンネームの為、その真偽は定かではないのだ。


 「茉莉奈ちゃんにだけ、ずるいーー」

 「私のサインだよ?」

 「もう、雪乃ったら! 【月野ゆき】のサイン本なんて、レア中のレアなんだから!」

 「ありがとう…………書く?」

 「うん!!」


 大喜びの愛理はいつもの如く保存版にするのだろう。読書用は発売日に店頭で購入もしくはネット予約で郵送と、必ず入手出来るようにしていた。というのも、初版本の部数が多いとはいえ、すぐに増版が常であり、一時欠品する事まであるからだ。


 「明日は匠さんとデート?」

 「うん……参考書も選んでくれるって」

 「いいのが見つかったら、俺らの分も頼むな」

 「うん、もちろん! いろいろ聞いておくね」

 「ああ」


 デートに反応したのはほんの一瞬で、表情が元に戻ったかに見えたが、頬はほんのりと染まったままだ。ここに渡邊が居たなら同じように染めていただろうと想像がつくほど、穏やかな表情だった。




 「ーーーー雪乃ちゃん、久しぶり」

 「お久しぶりです、匠さん……」


 助手席に乗り込み、会話を続ける。二週間ぶりに会った彼は変わらずに甘く、雪乃の表情を変化させた。


 「…………ありがとう……俺のにもサインくれる?」

 「うん……」


 幼馴染の話を聞き、匠に手渡された本にも後で記入する約束をした。頬を緩ませた雪乃に、彼も同じように微笑み見つめ合う。

 手を繋いだまま、大型書店を巡る。この日の為に雪乃だけでなく、四人分の参考書を注文していたのだ。


 「受け取ってくるから……店頭、見ておいで?」

 「うん、ありがとう……」


 名残惜しさを感じながら、店頭に並ぶ【月野ゆき】の新刊を手に取る。

 大々的なポップに、広々としたスペースが確保され、今までの作品が勢揃いだ。中にはすでに欠品しており、入荷待ちの札が置かれているものもある。

 自身の手元にもあった新刊を購入していく人々に、毎回のように『ありがとう』と、心の底から感謝していた。


 感動した横顔を匠が受け取りながら眺めていると、見知らぬ顔が近づく。


 「ーーーー雪乃……」 


 ビクリと肩が揺れ、アイスブルーの瞳が陰る。呼んだ本人は嬉しそうに微笑み、彼女の表情に気づいていないのだろう。構わずに迫る距離感に、思わず一歩退く。


 「久しぶりだな、元気にしてたか?」

 「うん…………つかさくんも……」


 ポーカーフェイスに逆戻りだ。親しげな彼は馴れ馴れしく肩に触れようとした。


 「ーーーーっ!!」 「なっ!?」


 跳ね除けた手に驚いたのは雪乃の方だろう。レジにいたはずの匠に、抱き寄せられていたのだ。


 「…………あんた……誰? 俺は雪乃に用があるんだけど」

 「悪いけどデート中なんだ。急いでるから、行くよ?」


 手を引かれるがまま書店を後にする雪乃の思考は、停止したままだ。


 ーーーーなんで……なんで彼が、日本にいるの?!


 右手に重たいはずの書籍を持った匠は、左手でしっかりと握ったまま足早に歩いていく。


 痛いくらいに強く感じた右手で、ようやく息を吐き出す雪乃の瞳は、先程までの輝きを失っているようだった。

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