*番外編* 桜が降る夜
回想と第24話デート後の匠視点のお話
雪乃ちゃんとはじめて会ったのは、君がまだ五歳の頃だ。
白く小さな手を握る春翔が羨ましかった。
俺には兄と弟しかいないから、余計にそう思ったのかも知れない。
幼い頃から割と人に好かれるタイプで、人間関係はそれなりに上手くやってきた。
君とお見合いをするまでに交際した人もいたが、いつも同じような理由で別れてた。
正直うんざりしてたにしても、あの条件はなかなか最低だったと思う。
『容姿端麗でバイリンガルで、家庭的な人を連れて来い』
この条件に当てはまる女性を思い浮かべた時、君しかいないと思ったのは確かで、結婚相手を探しているとはいえ、冬時さんが孫娘を溺愛しているのは周知の事実で、無理に縁談話を勧めるとは到底思えなかった。
ーーーー誰にも譲れなかったんだ…………八年ぶりに再会した君は、美しい女性になっていた。
アイスブルーの瞳に笑いかけられる度、ドキリとした。
俺の安っぽい策略なんて冬時さんにはバレていたと思うが、それでも縁談話を勧めてくれたことに安堵した。
それくらいには、信用されているってことだから……
『…………俺は、君がすきだよ』
告わずにはいられなかった…………再会した日に告げていたら、君は【仮】でも婚約してくれなかっただろう。
理由がなければ会う機会はない…………それが、今までの関係だ。
春翔がいなければ、俺が映ることはなかった。
【桜が降る夜】は文庫化、漫画化、実写映画化だけでなく、アニメ化、アニメの映画化にまでなった。
様々なメディアで取り上げられ、更にその年の賞を総なめした。
そんな一躍時の人となった【月野ゆき】が、顔出しする事はなかった。
この三年ほどの活動で、一度も顔出しした事はなくとも、書けばヒット間違いなしとまで言われている。
緘口令が引いてあるのか、サインを飾る書籍店の関係者ですら、彼女の素性を知る者はいなかった。
それなりに交友関係が広い俺でも、作家自身の情報を手に入れるのは難しかった。
ようやく手に入れた情報も、まだ学生という事だけで、性別も、何も分からないままだ。
まだ学生というだけで、勝手に大学生が書いているのかと思ったくらいだ。
とても……高校生が書けるような物語ではなかった。
ここまで惹かれる事自体が稀で、だからこそ【月野ゆき】について知りたくなって、新刊が出る度に電子ではなく書物を購入した。
君だと知った時には、本棚のちょっとしたコレクションになっていた。
『…………匠さんは、【月野ゆき】をご存じですか?』
彼女の口から聞く事実に、何処か納得した事に気づく。
いくら春翔が薦めたからって、ここまで読み続けていられたのは…………君が、【月野ゆき】だったから…………惹かれない理由はない。
俺は…………君に会うために縁談をお願いしたが、八歳も違う君に抱いてる想いは、恋愛感情なんかじゃなかった。
こんな可愛い妹がいたら……春翔みたいに着飾りたくなるし、連れて回りたくなるだろうな…………最初は、それくらいの想いだったんだ。
誰にも感じたことのない感情を抱いたのは、書店で見かけた時の横顔だ。
嬉しそうに頬を緩ませながらも、どこか不安げに瞳が揺れていた。
駆け寄って、話しかけたい衝動に駆られながらも、そうは出来なかった。
イギリスに行く前に交わした言葉を、君は覚えていないだろうな…………いつの間にか降り積もる雪のように、想いだけが募っていたんだ。
『月が綺麗ですねーー』
有名な一節をまだ十歳の君が知ってるとは思えなかった。
それでも、大人になった君と再会することがあれば…………
『あぁー…………雪乃ちゃんと見てるから、かもね』
『ふふふ、満月は吸い込まれそうですよね』
意味が伝わるはずはなく、夜空を見上げる君は少し大人びて見えた。
彼女の家庭環境なら仕方のない事なのかもしれないが、外で遊ぶよりも部屋で読書を好む君は、少し春翔と似ていた。
恐ろしく頭の回転が速いのは、将棋の手数からも明らかだった。
君は知らないと思うけど、奨励会に入って欲しいという話もあったらしい。
体格さの関係あるスポーツでなければ対等な存在だ。
藤宮家の長女として生まれ、家督を継ぐことがないのにも関わらず、すでに恥じない生き方をしていた。
『ーーーー吸い込まれそう……か……』
『はい…………』
家を離れ、どこか遠くへ行ってしまいそうな……そんな横顔が印象に残った。
家督を継がない俺は、割と自由に育った。
兄ほど厳しくはなかったと思うけど、弟ほど甘やかされていなかったとも思う…………だからこそ、期待されてないと感じた時期もあった。
そんな勘違いがいつの間にか消えていたのは、間違いなく君のおかげだ。
大学では英語でのディスカッションが基本だ。
自身の想いを母国語以外で伝えるのに、慣れていたはずの俺でも苦労はあった。
親友の春翔がいたから、学生時代はとても有意義なモノになったが…………藤宮兄妹がいなければ、今の俺はないと断言できる。
それくらい…………感謝してるんだ……
『雪乃ちゃんは……将来なりたいもの、ある?』
『本が好きなので……書籍に関われる仕事につきたいです』
『そうか……きっと、君なら叶うよ』
『ありがとうございます…………匠さんは?』
『俺?』
『はい…………春兄と……匠さんが通う大学は、とても難しいと聞きました。どうして、行こうと思ったんですか?』
迷いなく夢を語る彼女と、純粋な好奇心に苦笑いしながらも微笑んだ。
『……一條と関係ない場所で、どの程度できるか……試したいから、かな……』
『試す…………』
『あぁー……』
考え込んだような横顔がなんとも愛らしい。彼女なりに答えを導き出そうとしているのだろう。
『…………雪乃ちゃん、ありがとう……』
何のお礼か分からない表情は一瞬で、柔らかな笑みを浮かべる彼女に、藤宮家の凄さを垣間見た気がした。
まだ幼い君は立場を弁えているし、愛想笑いだって必要とあればする。
十八歳の俺よりも、ずっと大人だ…………会う度に成長していると感じる君は、まだまだ発展途上だ。
今までとは違う感情に気づき、そっと蓋をした。
受験の追い込みは言い訳で、君を見たら揺れるから……未成年の君にあってはならない感情だ…………彼女だっていた事があるのに、優先順位はずっと低かった。
春翔よりも、君よりも、ずっと……低かったんだ………
「匠さん、ありがとうございました」
玄関先まで見送ると、必ず頭を下げてお礼を伝える姿が美しい。
言葉遣いも所作も、君が頑張ってきた証拠だと思う。
穏やかに微笑まれ、惹かれない奴はいないだろう。
学祭みたいに……機会があれば、お近づきになりたいと思ってる奴は多いはずだ。
「ーーーーこれから忙しくなるな……」
「うん…………また、会えますか?」
上目遣いと交わり、衝動に駆られながらも抑える。
「あぁー……雪乃ちゃんがよければ、いつでも」
「ありがとうございます……」
「卒業したら、また改めてご挨拶に伺わせてくれ」
「…………うん」
怖がらせる事は匠にとっても不本意だが、婚約者という立場を利用しない手はない。【仮】で無くなったのなら尚更だ。
想いが通じ合ったのだから、少しくらい攻めても許されるだろうと、バランス感覚の良さを発揮し、そっと引き寄せた。
「ーーーー匠さん……」
染まった頬が愛らしく。瞳を近づけると、ぎゅっと瞼を閉じる仕草に笑いを堪える。触れればピクリと肩が動き、目眩がしそうだ。
柔らかな感触が離れ、初々しい反応を目の当たりにすれば、愛おしさが込み上げてくる。
「…………雪乃ちゃん……もう一回、したい?」
「!!」
悪戯心で告げた言葉は、どうやら彼女の想いを言い当てたようだ。上気した頬と潤んだ瞳に誘われるかのように高鳴る。
ーーーーしたいのは、俺の方だ……
「…………開けたままで……いいの?」
目の前に迫る瞳にぎゅっと瞼を閉じる君は、やっぱり愛おしくて…………【桜が降る夜】の初々しいヒロインと、重なって映った。
そっと触れ合っては離れ、アイスブルーの瞳が間近にある現実にようやく叶ったと感じた。
「…………離れ難いな……」
「あ、あの……」
「ん? どうした?」
ぎゅっと抱き寄せたまま、柔らかな感触を満喫したい下心を隠して、髪をなぞる。
「…………【星の在処】が出来たら、読んでもらえますか?」
「あぁー、勿論。読者だって言っただろ?」
「うん……ありがとうございます…………」
花が綻んだような君に、俺が出来る事はきっと少ない。
自身の力で夢を叶えたように、無事に進学するだろう。
その点の心配はしてないが、確実に遠距離になる不安がないと言えば嘘になる。
三年もそばにいられないなんて…………きっと、俺の方が耐えられそうにない。
考えを巡らせ、婚約指輪をつける約束を取り付けた。
独占欲丸だしの行動だが、君は分かってないだろうな……静かに降り積もる雪のように、会う度に惹かれていくこと。
あの主人公のように、もう止まれないんだ…………
「……おやすみ」
「おやすみなさい……」
頬に寄せた唇で真っ赤に染まった頬が、どこか幼い頃を思わせる。
雪乃ちゃんとはじめて会ったのは、君がまだ五歳の頃だ。
白く小さな手を握る春翔が羨ましかった。
俺には兄と弟しかいないから、余計にそう思ったのかも知れないが、その手を握れる距離になった。
ちっとも策略通りに動かせてはくれないが、君の隣は居心地がよくて……離れられそうにないんだ。