第24話 報告会
「きゃーーーーっ、おめでとう!!」
思い切り抱きつかれ微笑む雪乃に対し、風磨も清隆も安堵の息を吐く。こうなるであろう未来を予想しながらも、彼女の想いまではどうにもならない。ただ彼が逃すはずがないと、若干の同情を抱いていたのは確かだ。
「……ありがとう」
花が綻んだような表情に、更にぎゅっと抱きつく。愛理は親友の笑顔に嬉しそうだ。
「匠さんには負けないんだから」
「どこに対抗心を燃やしてるんだよ」
「いいの! 親友ポジションは譲らないんだから!」
「ったく……」
風磨の気苦労はいつもの事の為、幼馴染的にはスルーである。表向きの婚約者という彼の立場は変わらない。変わったのは【仮】では無くなった雪乃の心情だけだ。
「ーーーーそれで、これからどうするんだ?」
「変わらないよ。大学は受験するから……」
「春翔さんと同じ大学か?」
「うん……よく分かったね」
「まぁーな」
「愛理の意気込みを見ればなーー」
雪乃がイギリスの大学、すなわち春翔と匠の母校を受験するにあたって、今の成績でも難関には変わりない。日本から受験するというだけで、さまざまな弊害がある。まず言葉の問題が挙げられるが、彼らは英語が堪能だ。幼い頃から海外旅行をする習慣があった為、遊ぶように言葉を習得していった。雪乃なら、英語、フランス語、イタリア語と日常会話程度なら可能である。
英語の成績に関しては、常に首位をキープしてきた。四人とも成績は常に十位以内だが、それだけでは足りないほどの世界最難関の大学である。
箔がつくという理由で合格した春翔に対し、雪乃は藤宮家から嫁いでいく立場だ。強制された訳でも、勧められた訳でもない。彼女が自身の為に挑戦すると決めたのだ。
愛理に付き合う義理はないが、それでも同じ大学に行くというモチベーションのもと専属の講師をつけて猛勉強中である。
「俺も、受けるからな?」
「キヨも?」
「ああ、受からなかったら都内の大学に進学になるけどさ。せっかくだから挑戦したい」
「俺も……あの時の春翔さん達、かっこよかったからなーー」
「そういう事だから、雪乃にも負けないからね!」
「うん!」
以前から考えていたのだろう。模試の結果で落胆した意味にはじめて気づく。
「ーーーーありがとう……」
危なっかしい幼馴染を想うだけでは、受験する理由にならない。そう断言できてしまう程に難関な為、彼らも望む未来を掴む為に動き出したといえるだろう。
『家名の関係ない場所で自分の力を試したい』と、月を見上げて語った彼と重なって映る。自身の望む場所を掴むための選択だ。
放課後の食堂で決意を新たにし、学校を後にした雪乃のルーティンに変わりはない。いつものように一人で夕飯を取り、執筆に時間を充てる。
大きく伸びをして、スマホに手を伸ばした。画面を見て微妙な反応をしていた時期もあったが、今は頬を緩ませている。
「匠さん……お疲れさまです」
『お疲れさま』
耳元で響く甘い声に変わりはないが微かに染まる。目の前にいたなら、急激に上気していただろうと自身で感じる程の違いに気づく。
『ーーーー今週末の土曜日は会えるかな?』
「はい……」
『……まだ慣れないか』
「うっ……そんなことない……です……」
声が小さくなりながらも敬語に戻る雪乃に、笑いを堪えるような声が聞こえる。
「……匠さん?」
『いや……そのうち慣れるさ。これから先も一緒にいるんだから』
思わず無言になり、電話で良かったと実感した。真っ赤に染まった顔を見られずに済んだと。
「…………うん……匠さん…………」
『ーーーーどうした?』
柔らかな声に言葉が詰まる。進路について匠に話した事はない。幼馴染に話すように、上手く言葉に出来なくなる。
「……土曜日、楽しみにしてるね」
『あぁー……おやすみ』
「おやすみなさい」
名前が消えた画面を見て溜め息を吐く。雪乃の視線の先には小さな箱があった。
「ーーーー綺麗……」
溢れた本音に、不釣り合いだと感じる。
大粒のダイヤモンドが光り輝く指輪は、オーダーメイドしたのだろう。アームにもダイヤモンドが規則的にぐるりと配置され、見るからに高価な婚約指輪に普段使いはもっての外だ。眺めるだけで、そっと引き出しにしまう。
スマホのカレンダーに土曜日の予定を追加し、執筆を続ける。すぐに変われないと自覚しながら、変わりたいと思っていた。
週末が待ち遠しく感じる程、すきになっていた事に気づく。お見合い当初の憂鬱さは何処にもいない。
ルーティンを繰り返しながら過ぎ去った一週間が、とても長く感じられた。いつもの雪乃なら一週間が早く感じ、描く時間が足りないと感じていた事だろう。先週よりも明らかに通話時間が延びたにも関わらず、執筆は順調そのものだった。
車の送迎には慣れていても、【仮】から【本物】に変わった関係になって会うのは初めてだ。左手の薬指には匠が送った指輪が収まっている。今日まで大切にしまっていたが、彼に付けてくるように言われ、素直に従ったのだ。
「ーーーー雪乃ちゃん、細いな……」
左手に触れながら口にする匠に、思わず引っ込めそうになりながらも堪える。雪乃自身も慣れたいと思っているからこその反応だ。
今までとは違い穏やかな車内だ。音楽を聴きながらも会話が弾み、視線を通わせる余裕すらある。ただ雪乃に限っては最大限の努力だろう。
慣れたようでも気を抜くと敬語に戻ってしまうし、つい薬指を眺め頬を緩ませてしまう。視線が交われば、砂糖をぎゅっと凝縮したような甘さが感じられる。
「行こうか」
「……うん」
駐車場からしっかりと手を取られ、並んで歩いていく。
「ーーーーここ……」
「覚えてるか?」
「うん……」
それは幼い頃にも兄に連れられてきた事のある遊園地だ。都内のど真ん中にある為、友人とも来た事はあるが高校生になってからは一度もない。
「……懐かしい…………」
「そうか……」
最高傾斜八十度のスリル満点なジェットコースターで疾走感を体感し、ボートに乗り込み水面へ一気に急降下するウォータースライダーを楽しむ。
二十種類以上のアトラクションを全制覇する勢いで回っていった。
「はい、雪乃ちゃん」
「ありがとうございます」
揃って昼食を取る二人は珍しく手掴みだ。シャックバーガーに、オリジナルレモネードにフライと、ニューヨークで食べた懐かしい味に思い出話の花が咲く。
「んーーーー、美味しい」
「よかった……ポテトも揚げたあとに焼いてるから美味いよな」
「うん……匠さん、連れてきてくれてありがとう」
「あぁー」
ラフな装いだが、さり気なく一級品を着こなしている。何処となく漂う雰囲気からも、一般人とは違うと分かるだろう。チラチラと向けられる視線に気づきながらも、彼といるからだと結論づけた。視線を感じない日はなく、雪乃にとっては日常の一部である。
「最後は観覧車に乗るだろ?」
「うん!」
大観覧に乗る頃には夕暮れが美しい時間帯だ。地上八十メートルから景色を眺める。遊び過ぎたおかげか、雪乃から二人きりの空間という事が抜け落ちていた。
「ーーーー綺麗……」
「あぁー……君がね…………」
「…………匠さんは、やっぱり春兄の友人ですね」
「今頃気づいたのか?」
夕陽のせいではなく赤く染まり、思わず視線を逸らす雪乃は分かりやすい。照れている事は一目瞭然で、春翔のように人たらしだと思われている事も、匠には手に取るように分かった。
「…………雪乃ちゃん、話……あるんだろ?」
見透かされたような瞳に、電話では伝えられなかった言葉を紡ぐ。
「…………うん……匠さん、私は…………匠さんが通っていた大学に、行きたいです……」
「そうか……イギリスか……」
「はい……」
視線を逸らさず告げる雪乃に高鳴る。現役合格した彼であっても並大抵の事ではなかったが、大きく頷く。
「……夏季休暇には戻って来てくれるだろ?」
「ーーーーいいんですか?」
「あぁー……反対する理由はないよ。家名とは関係ない場所で、君の力を試してくるといい」
「ありがとうございます!」
頬を緩ませる雪乃の手が取られ、そっと甲に唇が近づく。
「ーーーー指輪は肌身離さずつけといてくれ。それだけは譲れないから……」
「はい……」
「それと……必ず合格してくれ。俺が待てない」
「はい……?」
伝わっていないと悟り、はっきりと口にする。
「……君との結婚だよ」
「あっ……」
意味が分かり急激に染まった頬に、そっと手が触れる。
大きな手の感触に瞼を閉じると、唇が優しく触れ合って離れていった。
「ーーーー雪乃ちゃんなら大丈夫だ」
「…………うん」
額を寄せ合い、至近距離で速まる心音が重なるように、彼の温かさに包まれていた。