表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/72

第23話 君の理由②

 「冬時さんが君の結婚相手を探してると知ったのは、去年の年末だったかな……酒の席での話だったけど、チャンスだとも思った」

 「チャンス……ですか?」

 「あぁー、君を手に入れる為のね」


 事もなげに告げられ、アイスブルーの瞳が揺れる。急激に頬が染まり、匠から向けられる眼差しには慣れそうにない。

 ようやく自覚した雪乃が誰かと付き合うのは、初めての事である。

 

 「ーーーー今回の縁談が……匠さんからの要望というのは、本当だったってことですか?」

 「あぁー……」


 時折戻る言葉遣いに微笑まれ、ようやく気づく。習慣はなかなか抜けないものだと。

 敬語を使う時は藤宮家の娘として参加のパーティーか、年上の人に対してだ。幼い頃から大人に囲まれていた雪乃なりの処世術の一つである。


 「…………匠さん……近く、ないですか?」

 「そう?」


 ソファーに並んで腰掛けた二人は、ぴったりと寄り添うように密着している。とても話が聞ける状態ではないが、匠が腰から手を離してくれそうにない。


 レストランを出たあと、二人きりで話をする為に匠の自宅を訪れていた。ただでさえ想いが通じて一杯いっぱいな雪乃に、さらに追い打ちをかけるのは婚約者だ。


 はじめての彼氏宅訪問に心音がうるさい。匠に悟られるのではと、考えてしまう程に強く鳴っている。


 「ーーーー雪乃ちゃんは……お見合いの日に、久しぶりに会ったと思ってるだろ?」

 「うん……違うんですか?」

 「あぁー」


 心当たりのない雪乃は戸惑いの色を隠せない。兄と同じくらい長身な彼を見逃す事があるのだろうかと、疑問に思うのは無理もないこと。彼が一方的に眺めていたのだ。


 「…………書店で見かけたんだ」

 「書店ですか?」

 「あぁー……今思えば、【月野ゆき】として活動していたんだろうな。手に取られた本を嬉しそうに眺めてたから……」


 書店に本がはじめて並んだばかりの頃、自身の本を見つけては眺める事が習慣になっていた。書店員さんによるポップや大々的な平積みも、何もかもがはじめての事ばかりで新鮮だったと同時に怖くもあったのだ。


 ーーーーいつか……描けなくなる日が、来るかもしれない…………そんな想いが過ぎった。

 はじまったばかりの活動は、側から見れば順風満帆だったと思う。

 一気にベストセラー作家の仲間入りを果たして、次回作の期待が重くのしかかった。

 こんな重圧に耐えながら書いているの? そう考えてしまうこともあった。

 ただ本がすきで……でも書き続けるには、それだけではいられなくて……


 瞳が揺れ、気づけば匠の腕の中にいた。


 「ーーーー君は、頑張ったんだな……」

 「ーーーーっ……」


 そっと触れられる背中が『泣いてもいい』と、促しているかのようだ。自身が呟いた言葉は呑み込まれていく。

 目元に寄せられた唇に身を委ねれば、栗色の澄んだ瞳が微笑んでいた。変わらない色に安堵しながら、紡がれる言葉に染まる。


 『月が綺麗ですねーー』


 あれは、いつのことだったかな…………春兄が留学する前、まだ小学生の頃のこと。


 兄と同じ大学に留学すると知り、春翔とは違う気持ちに気づいた。すでに留学先が決まっている匠に対し、雪乃はまだ十歳にもなっていなかった。イギリスと日本では距離もあり、もう会う事はないと思っていた。だからこそ言えたのだ。とある文豪の一節を真似て口にした言葉に、返された言葉。

 彼には何の意味がなくとも、雪乃にとってはいい思い出だった。そう、綺麗なままの思い出にできていたのだ。


 押し寄せる感情に涙が止まらない。そう言ってくれる人は、いなかった。幼馴染の嬉しい期待に応えられるだけの自信が、雪乃には足りなかったのだ。

 凛とした表情が美しい外見とは異なり、無から有を生み出す度にボツにした数は数え切れない。一度書きはじめればスムーズな彼女も、はじめは試行錯誤を繰り返していた。それこそ、これが今の一番だと思えるようなモノになるようにと。だからこそ【月野ゆき】は、書けばヒット間違いなしと編集部内でも評判になる程になったのだ。

 

 「ーーーーご、ごめんなさい……」

 

 気づけば匠のシャツは濡れている。離れようとした雪乃は、ぎゅっと抱きしめられ、また腕の中に引き戻される。


 「…………【星アカ】、楽しみにしてる」


 それは、描いていて良かったと心から思える瞬間だ。見上げた先にある瞳に、また視界が滲んでいく。


 「…………ありがとう……ございます……」

 「……また……泣かせたな…………」


 頭に触れる手が心地よく、そっと瞼を閉じる。鮮明に蘇る記憶に、そっと微笑んだ。


 『月が綺麗ですねーー』

 『あぁー…………雪乃ちゃんと見てるから、かもね』


 雪乃が有名な一節だと知ったのは、中等部に上がってすぐの事。だから匠が、この時に込めた意味まで伝わっているかは分からなかった。幼心に少し、真似てみたい気持ちもあったのだ。一見かけ離れたような言葉で、想いを伝える事ができるのかと。


 私が……一方的にすきだったから…………春兄とは違う大きな手が頭を撫でる度、嬉しくて……今と変わらずに、心地よかった。


 兄が連れてきた彼は秀才だと聞き、仮に意味を知っていたとしても春翔の妹だから応えてくれたのだと。都合のいい解釈のままでいいと、綺麗な思い出として心の奥に仕舞い込んだ。


 『ふふふ、満月は吸い込まれそうですよね』


 じんわりと夜空に滲み、曖昧な輪郭のまま輝く姿に心が揺れた。紡いだ言葉の意味を知りながら、会えなくなる前に伝えたかった。さまざまな仮説を立てて進む事を学んだ時期と重なり、万がいち会う事を考慮しての告白だった。

 彼ならば想いをきちんと伝えていたとしても、笑わずに応えてくれていただろう。それを分かっていながら出来なかったのは、幼いながらも理解していたのだ。自身の存在を。

 藤宮家の長女として、叶わない事はないのだ。


 吸い込まれそうなほど光り輝く月に、行きたいと…………叶うはずがないのに、そんなことを考えていた。

 大人になる度、周囲の視線に敏感になっていたんだと思う。

 たとえ十歳に満たない私でも、会社を一つ潰すくらいは出来るということ。

 物理的ではない言葉の暴力が、確かにあるということ。

 何も知らないままでは、いられなくなったということを……


 ピンポーーンと、タイミングを見計らったかのようなチャイム音に、匠から溜め息が漏れる。


 「ーーーーこれは、怒られるな」

 「??」


 腕の中にいる潤んだ瞳はまっすぐに見上げていた。吸い込まれそうなほどの輝きをぎゅっと抱きしめてから、そっと力を緩める。

 立ち上がった匠は、後ろに引き寄せられた。振り返れば、遠慮がちにシャツを掴んだ雪乃が真っ赤に染まっている。


 「す、すみません……」


 無意識に動いていたのだろう。パッと離した手と潤んだ上目遣いに、くらくらと目眩がしそうだ。


 「……可愛いな」

 「!!」


 頬に触れる極上の笑みに首筋まで染まった色が、少しずつ冷静さを取り戻していく。


 「ーーーーもしかして……」

 「あぁー……そうだろうな」


 匠の反応に、そっと溜め息を吐く。雪乃が明日は休校とはいえ、時刻は九時過ぎ。

 揃って『もう帰るところ』だと、主張すると心に決め、扉を開けた。


 「…………雪乃……」


 心配そうな春翔の声に苦笑いが二つ並ぶが、無視するかのように雪乃は抱きしめられていた。


 「ーーーー春兄?」

 「……後夜祭で、告られたんだろ?」

 「えっ?!」 「え?!」


 声が重なり、助けを求めた視線が彷徨う。


 「大丈夫だったのか?」

 「うん……」


 なぜ知っているのかと尋ねなくとも、答えは分かっている。幼馴染が兄に報告したのだと。


 「ーーーー雪乃ちゃん……その話、詳しく聞きたいな」


 匠の胸元へ引き寄せられると、悪い顔が並ぶ事に気づく。逃れようとも体格差から敵うはずがないだろう。諦めたかのように息を吐き出した。


 「…………後夜祭で……クラスメイトから告白されたの……」

 『ーーーーそれで?』


 大の男二人から詰め寄られ、ソファーの上で正座しそうな勢いだが、両隣にぴったりと座られ逃げ場がない。


 「……それだけだよ? 過去形だったから……」

 「過去形なーー……」


 まだ納得していない様子の兄とは違い、匠が先に落ち着きを取り戻したようだ。年下に対し大人気ないと。


 「春翔、雪乃ちゃんが困ってるだろ?」

 「ーーーー分かってる……」


 匠と顔を見合わせた雪乃の表情に、豊かさが戻りつつあると気づく。


 「……雪乃は帰るのか?」

 「うん……」


 素直に頷く妹に安堵しながらも、親友と交わる視線には申し訳なさが映る。鈍感さは健在であった。


 「ーーーー俺が送っていくから」


 態とらしく告げる匠に、春翔が微笑む。

 妹の染まった頬と、親友の柔らかな眼差しに、【仮】ではなくなったと悟るのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ