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第2話 編集者さんと作家さん

 「ゆき先生、こちらです」


 手を挙げ、雪乃を呼んだのは担当編集者だ。


 「田中さん、こんにちは。お休みの日にすみません」

 「とんでもないです。ゆき先生こそ、お疲れさまです」


 雪乃は小柄な彼女の向かいに腰を下ろした。

 今日は約束した土曜日の為、私服姿の雪乃に対し、田中は綺麗めなパンツスタイルで仕事仕様だ。


 慣れた手つきで雪乃の分の紅茶を注文すると、早速スケジュールの調整が話し合われる。

 高校生の雪乃は長期休暇中ほど執筆が進んでいるわけではないが、それを抜きにしても彼女の執筆ペースは速い。そのうえ、書けばヒット間違いなしだ。【君青】の映画化だけでなく、この三年で書き上げた作品のほとんどが、アニメ化や漫画化などの商業効果を生み出していた。

 編集者の田中にとっても、金の卵を産む雪乃は大事な人材の一人だろう。


 「ゆき先生の進級祝い、まだでしたよね。ケーキも頼みませんか?」

 「はい、ありがとうございます」


 甘党の雪乃が花が綻んだように微笑むと、少し離れているとはいえ隣に座っていた男性が見惚れている様子が、田中にでさえ分かる。

 愛理だけでなく、羨むような容姿をしていたからだ。モデルのような長い手足に、色白の小さな顔には特徴的なアイスブルーの瞳だ。祖母譲りの顔立ちにスタイルの良さまで抜群とくれば嫉妬の対象にもなりそうだが、ほんわかしたオーラがそれを防いでいた。雪乃が幼馴染から天然と揶揄される所以だろう。


 「ゆき先生、WEB版も、是非うちで書籍化して貰えませんか?」

 「えっ……いいんですか?」

 「勿論です!! 昨日の更新分では泣いてしまいましたよ」

 「ありがとうございます」

 「他からも書籍化のお話、来てましたよね?」

 「はい……田中さんにご相談しようと思っていたところでした」

 「やっぱり……」


 安堵する田中の想いとは違い、雪乃自身は一人でも多くの人に読んでもらえる機会が増える事を純粋に喜んでいた。

 彼女にとって小説は希望でもあった。ハッピーエンドの作品でなくとも、微かな希望のようなモノが必ずどこかに描かれていた。

 小説は読み手がいて初めて成立する商売だ。そう考えてしまうのは、家督を継がないとはいえ藤宮ふじみや家の一員だからだろう。


 「WEB版の原稿を書籍化するにあたって、ご希望のイラストレーターさんはいらっしゃいますか?」

 「いえ……あっ、hitomiヒトミさんという方が、DMでキャラクター案を送って下さっていたのですが……」


 ノートパソコンからメールを開くと、田中の想像以上の美麗イラストが描かれていた。


 「これって……あのhitomiさんじゃないですか?!」

 「ご存じなんですか?」

 「はい、今流行りのPVを手掛けた方ですよ!」

 「どおりで……色彩が豊かなはずですよね」


 感心した様子の雪乃に、田中の興奮は収まっていく。目の前の少女の着眼点は確かなモノだが、高校生には見えない落ち着きようである。


 もっとも保護者が藤宮ふじみや秋人あきひとであり、挨拶を交わした事はあるが、詳しい家庭環境までは知らなかった。彼女の自宅に足を運んだ事はあるが、裕福な家庭のイメージでしかない。オートロック式の広々とした玄関ホールに、管理人の在中ありの物件でも、家族と住んでいるならば、あり得ない話ではない。

 その為、彼女が一人で住んでいるとは夢にも思っていないだろう。訪れる度に出迎えてくれるシズを、未だに祖母だと勘違いしているくらいだ。


 「DMで直に頼んでるじゃないですか!」

 「はい、書籍化の予定は念頭になかったので失念していました。投稿を始めた四日前から読んで下さってるそうで、更新する度に送って下さるんですよ」


 メールの内容は『是非、アニメ原画を書かせて欲しい』という熱烈なラブコールだ。

 仕事の出来る編集者らしく、その場で制作会社にオファーし、即決でアニメ化、漫画化まで決まるあたり、彼女の手腕だろう。感心する雪乃に対し、すべては彼女の作品あってこそだと田中自身は思っていた。

 いくら売れっ子作家とはいえ、利益が出なければ書籍化や映像化はない。特に本という媒体はインターネットの普及が進むにあたって、規模が縮小しているというのが現実だ。

 無料で読む事の出来る媒体はいくつもあるが、【月野ゆき】という幅広い年代の読者がいるからこそのヒットの予感である。慈善事業ではない為、お金にならなければ制作する意味がないのだ。


 「あとは、私の方で行っておきますので」

 「ありがとうございます。よろしくお願い致します」


 穏やかな笑みを浮かべ会釈をする所作からも、育ちの良さが垣間見える。


 「【君青】の映画も好調な滑り出しで、また舞台挨拶が行われるそうですよ」

 「そうなんですね……制作に携わって下さった方々に感謝です」

 「ええ……先生は相変わらず謙虚ですね」

 「そうですか?」

 「そうですよ! 私なら自慢しちゃいますよ!」


 両手で拳を作り力説する田中に、頬を緩ませた。


 「また【星の在処ありか】のアニメ化にあたって、挨拶をお願いしたいんですが……」

 「はい、構いませんよ」

 「では連休あたりに調整させて頂きますね」

 「はい、よろしくお願い致します」


 デビュー当初は渋っていた雪乃も、田中の懇願に押し負け快く承諾する事にしていた。この手の話が来るのは四度目になる為、ある意味では慣れつつもあった。


 田中はフルーツのたっぷり乗ったタルトを口に運び綻ぶ姿に、ようやく高校生らしさを感じていた。

 一人の作家として尊敬しているが、その気質からも羨むべきものが多々見受けられた。大人びた印象は、十五歳の頃から変わっていない。

 たまに見せる今のような仕草に、同性とはいえ高鳴りを感じる。ままある事の為、誤魔化すように冷めたコーヒーを口にするのにも慣れたものであった。


 田中と分かれた雪乃は腕時計に視線を移した。この辺りも現代っ子というより微かな昭和の香りが漂う。

 カフェを出ると、すっかりと陽が傾き、涼しい風が吹き抜ける。スマホに触れると、再度の連絡に気分が沈んでいくようだが、溜め息を呑み込み、そっと夕暮れ時の空を見上げていた。


 電車に乗り込み、スマホに入力していく。毎日更新しているWEB版の【星の在処】は今日で五話目だが、予約分はすでに四十話を超え、雪乃の中では完結の目処が立っていた。


 二駅の移動距離で一話分を書き終え、スマホを鞄に無造作にしまいスーパーに立ち寄る。

 シズは主に平日に雪乃宅のお手伝いに来ている為、土日は自炊がメインだ。愛理たちと外食やウーバーする事もあるが、今日は昨日の残りとサラダで済ませ、執筆にのめり込むようだ。冷蔵庫の中身を考えながらも、すでに頭は小説のことで埋め尽くされていた。


 鞄で鳴り続けるバイブ音に微かに表情が陰る。出るまでもなく、誰からか察したのだ。


 「ーーーーもしもし?」

 『雪ちゃん、今、いい?』

 「うん、どうしたの?」

 『明日の事なんだけど、何色の着物がいいかしら?』

 「んーー、お母さんのお任せで……」

 『そう?』


 嬉しそうな声色に微笑む。春翔の歳の離れた妹という事もあって、昔から娘を着飾る事に余念がない。


 「うん……また明日ね」


 通話を終えた雪乃は、数分前よりも明らかに沈んでいた。


 「……着物なんて、何でもいいのに…………」


 本音が溢れ、溜め息を呑み込む。


 雪乃にとって執筆活動の他は二の次である。家事も一通りの事は一人で出来るものの、放置しておくと食生活がおざなりになる為、シズが通う事になったくらいだ。


 買い物カゴにはレタスやトマトのサラダ用の野菜の他に、グレープフルーツジュースなどの重たいものも入っている。シズを考慮して買い物できる範囲のものは自身でも行なっていた。


 本の虫の休日は、外出予定がなければ家にいて過ごす事が多く、気づいたらお昼を食べ損ねる事もしばしばあった。今ではその反省も踏まえ、執筆中は休憩も兼ねスマホの機能でアラームをセットしている。

 気分が乗っている時は、いつまででも書いていられるというのも一種の才能だろう。


 時折熟考し、素早く動く指先が止まる。書き上げているのはWEB版の【星の在処】だが、他にも短編や原稿直しと、三作品ほど同時進行で行われていた。


 ピピッ、ピピッと、アラームが鳴り、スマホに視線を移すと、時刻は夜の九時となっていた。


 明日はホテルに十時……料亭で会食しながらお見合いって…………お爺ちゃんの本気度が垣間見える。

 その肝心なお爺ちゃんは、会食には不参加らしいけど。


 滞りなく進みながらも気分が優れないのは、若干人見知りがあるからだろう。何度目かになる溜め息を呑み込み、夜がふけていった。






 朝から着付けにヘアメイクと、ホテルの一室で身なりが整えられていく。雪乃自身も着付けは出来るが、プロの仕上げに口を挟むことはない。代わりに母が細かな注文をつけていた。


 「まぁーー、お人形さんのようね! お写真撮りましょう!!」


 返事を待たずにスマホで撮影する母も儚げな美人だ。雪乃が祖母譲りの顔立ちとはいえ、母もクォーターの為か整った容姿をしている。

 雪乃と同じく和服に身を包み、隣に並べば美人すぎる親子である。スタイリストに写真を撮って貰った所で、タイミングよく扉をノックする音がした。


 「……二人とも綺麗だな」

 「まぁー、秋人さんたら」


 仲睦まじい両親の後ろをゆっくりと歩く。

 親子関係は一人暮らしをしているとはいえ良好だ。母とは毎日のようにメッセージのやり取りを行なっているし、父からも執筆活動に対して否定的な言葉はない。ただやるからには『藤宮家の名に恥じぬように』と、苦言を呈されたくらいだ。そんな両親でも総帥からの縁談は簡単に退けられず、今に至るのである。


 お爺ちゃんの直感力は信じているけど…………


 「……雪乃さん、お久しぶりです」

 「…………お久しぶりです……一條いちじょうさん……」


 襖の先にいたのは同じく着物姿の彼、一條家の次男。

 どうせお見合いをするなら…………と、思っていた一條いちじょうたくみであった。

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