第19話 学園祭前夜②
午前授業が終わり、早々と昼食を済ませたA組は、教室と調理室を利用する班に分かれていた。
教室では机を等間隔に並べ、花の飾り付けが行われている。また調理室ではソースが手作りされ、スコーンの大量生産が行われていた。
割り振られた予算の中で、最大限のコストパフォーマンスを発揮しなければならない。総合一位になり金一封を手にして、豪華な打ち上げが出来るかは、客の投票数だけで決まるわけではないのだ。
すでに戦いが始まっているといっても過言ではない為、行動を共にする事が多い幼馴染も、今日はクラスメイトと共に作業に当たっていた。
雪乃と愛理は当日の接客と、昨日に引き続き教室の装飾品の作製だ。
「机、足りてるーー?」
「大丈夫そうだけど、廊下の分の椅子が足りなくなりそう」
「あっ、C組が余ってるって言ってたから、借りてくるよ」
「藤宮、俺も行く。一人じゃ無理だろ?」
「石井くん、ありがとう。行ってくるね」
「うん!」 「雪乃、お願いね」
愛理たちに手を振る雪乃に気にする素振りはないが、石井は明らかに彼女狙いだろう。気づいていないのは本人くらいだが、彼は学園祭実行委員のため引き止める者もいない。
「すみません、椅子借りてもいいですか?」
「あっ、雪乃、いいよ」
「雪ちゃん、何個持ってく?」
「とりあえず五脚で、もし足りなかったら連絡するね」
「了解」
他クラスの女子とも仲が良い。緊張した様子が感じられないのは、中等部からの友人だからだろう。
「俺が持つよ」
「さすが石井、サッカー部キャプテン!」
「サッカー関係なくないか?」
親しげな女子生徒の発言に、雪乃も微笑む。彼も良好な対人関係のようだ。
「石井くん、ありがとう」
「いや……」
ここまではいい感じだと石井は思っていた事だろう。彼が話かけなければ。
「あ、雪乃! そっちは時間までに終わりそう?」
「風磨、頑張ってギリギリかな。調理室の進み具合にもよるかも」
「了解、また連絡する」
「うん……その恰好、愛理が喜びそう」
「だろ?」
学園祭の前日という事もあり、Tシャツやジャージを着た生徒が多いなか、風磨は明日の衣装に身を包んでいた。セットアップのスーツに髪も整えられ、男前さが増している。
「蓬莱、サボるなーー」
「サボってないし。また後でな、雪乃」
「うん」
ナチュラルに頭に触れてくるあたり、幼馴染の距離感のため通常運転である。それでも、隣にいた石井が嫉妬心を出す程に仲の良さを見せつける形になった。
「石井くん、ありがとう」
「いや……廊下はこれで大丈夫そうだな。俺、調理室の方、見てくるよ」
「うん、お願いします」
優しい笑顔にドキリと高鳴りながら、その場を離れていった。
「お疲れさまーー、雪乃ありがとう」
「私は並べただけだから、石井くんが運んでくれたよ」
「石井は?」
「調理室の方、見てくるって」
「あーー、実行委員だったっけ」
「うん」
机と椅子が二組同士で並べられ、すっかりと喫茶店仕様に様変わりだ。飲み物を作るスペースでは不備がないか最終チェックが行われ、黒板にはメニューが書かれている。あとは本番を待つばかりだ。
「こっちも終わったよー」
「お疲れさま」
「うわっ、綺麗に飾り付けしてるな!」
「まぁーな」
調理室から戻った生徒から驚きの声が上がる。教室は予想以上の仕上がりになっていたのだろう。黒板の英字を織り交ぜたメニュー表も見やすくて好評だ。
A組が解散する頃、まだ残る生徒もいた。出し物によっては夕食をとって作業を続けるクラスもあるが、雪乃は愛理と帰る事になった。
「キヨたち、あと少し、かかるみたいだね」
「ねーーっ、せっかくシズさんのご飯が食べられるのにーー」
テーブルには二人分の食事が用意され、愛理は嬉しそうに唐揚げを頬張る。
「みなさま、お変わりはないですか?」
「うん、風磨もキヨも変わらないですよ」
「そうそう、この間も告白されてましたよーー」
「おモテになるんですね」
「うん、二人とも人気があるよね」
「まぁーね、彼女がいるのに、今も告ってくる人がたまにいるからねーー」
雪乃たちの話を頷きながら聞くシズは、さながら孫の話を嬉しそうに聞いている感がある。
勤務時間ギリギリまで付き合っていたが、風磨と清隆が顔を出したのは十九時近くなってからだった。
『お疲れさま』
「お疲れ」
「シズさんのご飯あるよ?」
「食う。腹減ったーー」
「ああ」
玄米入りのご飯や味噌汁を温め直し、テーブルに並べると、一足先に食べ終えた二人は、お風呂の準備をし始めた。
「先に入ってくるね。お味噌汁とご飯のお代わりと、唐揚げもまだキッチンに残ってるから、追加でいるようだったらよそってね」
「ああ」 「了解」
「雪乃ーー、入浴剤いれていい?」
「うん、どれにする?」
すでに浴室にいる愛理の元へ行き、乳白色になったお湯に浸かる。浴室全体に柑橘系とハーブのいい香りが広がっている。二人だったなら香水の香りで泡風呂でもよかったのだが、清隆が苦手なため控えたのだ。
「ふわぁーーーー、気持ちいいーー」
「うん、疲れがとれるね」
「今日、大丈夫だった?」
「うん? なにかあった?」
「石井だよ! 迫られたりしてない? 平気?」
過保護な愛理に苦笑いしながら応え、ここでようやく風磨が声をかけた理由を悟る。
「ありがとう愛理、大丈夫だよ……風磨にも、感謝しなきゃね」
「えーーっ、風磨はいいの!」
向き合って浸かりながら話題になるのは、明日の学園祭についてだ。
「今年で最後だもんねーー」
「うん……」
……そう、最後なんだよね…………来年は、きっと……
「雪乃、なにかあった?」
「えっ?」
「いつも以上にぼーーっと、してない?」
「愛理、ぼーーっと、って……そんなことないよ?」
「そう?」
本人の中でも上手くまとまっていない感情を吐露する事は出来ない。話してみて解決策を見出せる事もあるが、それすらも出来ない状態だったのだろう。
二人きりの空間でも彼について話す事はなく、別の事を口にした。
「ーーーーーーーー愛理、私ね…………」
湯上がりの血色のいい肌でリビングに戻ると、キッチンは綺麗に片付けられていた。風磨と清隆は並んでテレビゲームの対戦中だ。
『お先しましたーー』
「お、疲れ!」
「今、風呂、の順番、決めて……って、あーーーー!!」
風磨が大袈裟に肩を落とした。対戦ゲームの勝者は清隆のようだ。
「んじゃ、俺から入ってくるな」
「了解……キヨは相変わらず強いなーー」
ソファーに寝転んだ風磨に飲み物を差し出す。
「雪乃、ありがとう」
「いいえ、今日はありがとう」
「あーー、気づいたのか?」
「さっき愛理と話しててね」
「そういうところ、察しが良いよなーー」
「ねーー、私としては、他の事にも察しが良くなって欲しいけど」
「うっ……頑張ります」
カップルから詰め寄られるが、吹き出して笑い合う。
「あいつも気の毒になーー」
「なにかあったの?」
「そこは気づかないんだな」
「雪乃らしいけどね」
愛理と風磨は顔を見合わせて苦笑いだ。察しの良さはあっても、それが自身の好意に繋がるとまで考えるには至らないのだ。
学園祭を幼馴染で満喫する計画を立てていると、雪乃のスマホのバイブ音が鳴った。一瞬だけ強張る表情に、愛理たちが気づく事はない。
ソファーから少し離れ、ダイニングの椅子に腰掛けて出ると、甘い声が響く。
『ーーーー雪乃ちゃん、今、大丈夫?』
「うん、お疲れさまです」
『お疲れさま、今日はお泊まり会だっけ?』
「うん、お風呂上がったところ」
『そっか……明日なんだけ』
『俺も見にいくからな!』
「えっ?! 春兄?!」
『声を上げるの珍しいな』
その声色には笑いが混ざっていたが、雪乃が驚くのも無理はない。匠に被せるように兄の声がしたからだ。しかも明日の学園祭に来るという事は、目立たないはずがない。
「えっ?! 春翔さん?!」
「おい、愛理」
喜びを露わにする愛理に風磨は呆れ気味だ。観賞用という事は心得ている為、今ではヤキモチを焼かないで済んでいる。
『おっ、愛理ちゃんに、風磨の声だな』
幼い頃から知っているというだけでなく、記憶力が長けている事もあり、電話の声を間違えたりはしない。それは匠にもいえる事だ。
『二人とも久しぶりだね』
「匠さんもお久しぶりです」
スピーカーにして揃って応える姿が思い浮かび、自然と頬も緩む。
『あれ? 清隆は?』
「キヨならお風呂だよ?」
『はっ? 何、泊めるの?』
思わず声を上げたのは春翔だが、少なからず匠にもあった想いだ。
「うん……みんな、泊まるよ?」
「春翔さんも匠さんもご心配なくーー、雪乃と一緒に私が寝ますので♡」
『あぁー……』
匠の時は感じなかった圧を電話口から感じるのは、兄が溺愛している証拠だろう。
その後は何事もなく電話を終えたが、風呂上がりの清隆は不思議な様子だ。
「ーーーー何か、あったのか?」
「ふふふ、春翔さんと匠さんが明日の学祭に来るって♡」
「は?! 春翔さん、どんだけだよ……」
「何で愛理が喜んでるんだよ」
不貞腐れた風磨の頭を撫でる愛理は、明らかに面白がっている。
「そんなの決まってるでしょ! せっかくの機会なんだから、お写真撮らなくちゃ!」
「おい!! 俺は?!」
騒がしいバカップルを横目に、宣言された本人は微妙な反応だ。
清隆も思い出すのは中学三年の学園祭に、当時大学生の春翔が遊びに来た事だろう。相変わらずな人たらしっぷりに、今よりも引っ込み思案だった雪乃が溜め息を吐きそうになった。そんな印象が幼馴染にでさえ残るのだから、雪乃が覚えていないはずがないのだ。
「ーーーー雪乃?」
「ん? キヨも麦茶のむ?」
「ああ」
一瞬で何事もなかったかのように戻り、これ以上踏み込む事は幼馴染でも出来ない。
「雪乃、楽しみだね♡」
「うん……」
急に染まる頬に、何かあったのだと悟る幼馴染。
誤魔化せていないと分かっていながら、追求してこない愛理に感謝しつつ、夜はふけていった。