第14話 夏季休暇はお勉強会②
「雪乃、なんかあったら電話しろよ?」
「ああ、夜中でも引き取りに行くから」
「ちょっと!!」
態とらしく憤慨する愛理に微笑む。質問攻めに合う雪乃を揃って心配しているのだ。
「雪乃、お風呂入ろう?」
「うん、泡風呂にする?」
「する、するーー♪」
広い浴室に向かい合って入る。幼少期から一緒に入っている為、いまさら抵抗はない。
白い肌が上気する姿は色っぽいが、愛理だけの秘密だ。
「匠さんと、毎晩電話してるの?」
「毎晩ではないけど……メッセージのやり取りは、毎日してるかな……」
「毎日?」
「うん、おはようとか……短い文がほとんどだけど」
いつも一緒にいるからこそ、メッセージのやり取りは毎日のようにはない。それでも幼馴染のグループラインには、くだらない事でも報告し合っている。スタンプで返す事が多い雪乃がメッセージを送るほど、気を許してるという事だ。
「雪乃は……匠さんのこと、どう想ってるの?」
すでに恋と気づいているのか、いないのか。彼女の表情だけでは分からない。気を許している事も、嫌いじゃない事も分かってはいるが、それと恋心では別の話だ。
「匠さんは…………素敵な人だよね……」
「それだけ?」
「うん……かっこいい人だと思うよ」
それ以上の回答は得られないと悟った。天然でマイペースなところはあったが、ここまで鈍感ではなかった。少なくとも、あの日までは。
「雪乃、もし……もし、匠さんが婚約を解消しようって言ったらどうするの?」
「…………解消だね……今のところ、あと一年かな……」
「えっ? 一年??」
「うん……春兄が、杏奈さんと結婚するまでかな……」
「春翔さん、とうとう結婚するんだぁーー」
婚約者がいる事は知っていたが、出来たら一生独身でいて欲しかったのだろう。アイドルや推しを思うのと大差はない。残念がる愛理に、微笑ましい視線を向ける。兄のファンは妹にとって嬉しい事のようだ。
「って、そうじゃなくて! もちろん、少し? いや、かなり? ついに来たかぁーーって感じだけど、雪乃は?!」
「えっ?」
「匠さんから言われた訳じゃないんでしょ?」
「う、うん……違うけど…………」
言葉に詰まる。愛理には、それが全てだと思った。それだけで十分だと。
「……その時は……私の、【月野ゆき】の読者だと知って……嬉しかったから……」
「そっか……」
愛理としても無理に自覚させるのは不本意だ。彼女が嬉しかったというのなら、それでいい。
「……愛理?」
浴槽から立ち上がると、雪乃の手を取った。桜色に染まる手は愛理にとって救いでもある。
「お風呂上がりに炭酸飲む?」
「飲む! 強炭酸にする!」
「うん!」
雪乃は幼馴染の些細な違いに気づいたが、なんて言えば正解なのか分からなかった為、違う言葉を口にした。
「ーーーー愛理、ありがとう……」
「うん……」
気遣ってのお節介である事だけは、雪乃にも伝わっていたのだ。
夜更かしした翌朝も、変わらずにいつもと同じ時間に起きた雪乃は、そっと寝室を出るとリビングでノートパソコンを立ち上げた。
「愛理が起きるまで、二時間くらいはあるよね……」
イヤホンで音楽を聴きながら、執筆を進める。新作は順調な滑り出しだ。キーボードを打つ指先は滑らかに動いていった。
「んーーーー、雪乃、おはよう」
「おはよう、愛理」
パジャマ姿の愛理にアールグレイを注いだティーカップを差し出す。
「やったぁーー、雪乃の朝食だ♪」
「顔洗ってきたら、食べよう?」
「うん!!」
朝から元気いっぱいの愛理に和みながら、並んで少し遅めの朝食をとる。
「ここのクロワッサン好きーー」
「うん、美味しいよね」
穏やかな時間が流れる中、愛理のスマホが鳴った。
「風磨から?」
「うん、モーニングコールかな? はーーい、もしもし?」
『おーー、起きてるじゃん。おはよう、愛理』
「雪乃に迷惑はかけてません」
『分かってるって、課題終わったなら久しぶりに映画に行かない?』
「うーーん、雪乃は?」 「大丈夫だよ」
『じゃあ、二時頃迎えにいくから。雪乃にもよろしく』
『はーーい』
揃って聞こえてくる声に、笑いながら風磨が電話を切った。
片付けを終えると、愛理持参のメイク道具で雪乃に化粧を施していく。着飾られる事が多い雪乃だが、断トツで愛理から着飾られる場面が多いだろう。毎日一緒にいるわけではないが、それほど一緒に過ごす機会が多いのだ。
「雪乃は色白だから、メイクが生えるよねーー」
「愛理、すごいね……」
鏡に映る雪乃は、いつもよりも美しさが増している。美的センスの良い愛理にとっても満足の仕上がりだ。
「風磨たちは徹夜でゲームしてそうだよねーー」
「うん、キヨがまた勝ってそう」
「そうそう、風磨はゲームセンスだけは無いからねーー」
「おい、聞こえてるぞ!」
『あっ、ありがとう』
揃って応える姿は可愛らしい反面、手に負えない感がある。双子コーデっぽく仕上げた二人に対し、風磨と清隆は当然ながら色味も、好みも違う。全体的に黒っぽい風磨に対し、清隆は爽やかなブルーのシャツを羽織っている。
「風磨はいつも同じよね」
「愛理、これは違うんだからな?」
「分かってる。着心地が良くて、同じブランドのばっかり集めちゃうんでしょ?」
「うっ……いいだろ? キヨなら分かるよな?!」
「ああ、楽でいいけど、お洒落ではない」
「おい!」
今日もキレのあるツッコミが入り、笑い合う。
「リムジンかぁーー」
「悪いな、他が出払っててな」
「ありがとう、風磨」
「雪乃、甘やかすな」
「そうそう!」
幼馴染も恋人も、風磨には意外とシビアだ。のんびり屋の雪乃が入ってちょうどいい塩梅である。
ただでさえ目立つリムジンから、美男美女が出てくれば、騒然となるのは仕方のない事だ。映画館から少し離れた場所に停めて貰ったとはいえ、新宿は人通りが多い。目立たない方が無理である。
「これ、風磨のせいでしょ?」
「ああ」 「……うん」
悪ノリする二人に雪乃も乗っかり、味方のいなくなった風磨が態とらしく気落ちしてみせる。
「飲み物買ってあげるから元気出して」
「うん、ポップコーンもつけるよ」
「ああ、ホットドッグとチュリトスも」
「そんなに食えるか!」
冗談を言い合いながらも、飲み物を片手にプラチナシートに腰掛ける。高校生らしくない出立ちの為、プラチナシートに座っても違和感はない。
匠と来た時と同じ映画館だが、プラチナルームとは違うものの、通常の座席よりも広く座り心地もいい。そして、スクリーンが目線の高さに来るように設計されている為、ベストポジションでの鑑賞が可能だ。
ーーーーーーーーあれから、ひと月……経ったんだ…………
上映されるまでの僅かな間、想い浮かぶのは彼の優しい瞳だ。雪乃に合わせるような歩幅で、さりげなく道路側を歩く。何度となく差し伸べられる手を握る度、気持ちが動かないわけがない。それでも、今だけだと思うことにした。
初恋の人が変わらずに微笑んでくれる。それだけで十分で、それ以上を望むのは怖い。相手の感情なんて、知らないままでいい。表向きの顔で笑う事が身についた雪乃に、恋愛は高いハードルであった。
エンドロールが流れ、ハンカチが差し出される。何気ない清隆の仕草に、彼を重ねていた。無意識のうちに占める割合が大きくなっている証拠だ。
「雪乃、泣きすぎ」
「…………キヨ、ありがとう」
そう言いながらハンカチを差し出す清隆も涙目だ。顔を見合わせ笑い合うと、右隣からも同じようなやり取りが聞こえてくる。エンドロールに流れる曲が、また涙を誘っていたのだ。
「夕飯には少し、早いか?」
「そうだね」
「この後のプランはないの?」
「ないよ。ちょうどプラチナシートで見たいのがやってるから、キヨと思いついたんだし」
「ああ、じゃあ、甘いものでも食べに行くか?」
「賛成ーー!」 「うん」
スマホで検索する清隆の画面を覗く。近い距離感だが幼馴染の距離感だ。清隆も動じる事はないし、近くに寄った雪乃や愛理もだ。風磨にとっても、恋人が近づきすぎても許容範囲である。
「少し、歩くか」
「うん」
「運動だな」
「食べた分は運動しないと」
「太ったのか?」
「風磨、デリカシーない!」
プンスカと分かりやすく怒る愛理もスタイルがいい。それでも水着姿を披露するとなると、気になる事はあるのだ。
「悪かったって」
「奢ってくれたら許す」
「ったく、またかよ……」
二人のじゃれ合いもいつもの事だ。時折スルーしながら話す雪乃と清隆に、態とらしく嘆いてみせる。
楽しげな雰囲気のまま、ホテルのラウンジでケーキセットを頼んだ。
「美味しい……」
「ねっ、久しぶりに食べた」
「俺も」 「ああ」
高級ホテルのラウンジにお茶の用だけで入るのは、雪乃たちくらいだろう。敷居が高い分、セキュリティーには定評がある為、それなりの恰好をしていれば咎められる事はない。身元を気づかれても、大丈夫な恰好をしていた。
「結局、まともな勉強会は昨日だけだったな」
「まぁーな、でも、終わったんだろ?」
「うん、愛理も終わってたよ」
「それは雪乃がスパルタだからでしょ?」
「そうかな?」
「そうなの! だから、プールも遊園地も行くから!」
そう宣言する愛理に、文法の間違いを指摘する幼馴染はいない。彼女らしさに微笑みながら、夏季休暇に遊ぶ予定を立てるのであった。