第13話 夏季休暇はお勉強会①
まだ、甘い声が残っているみたい…………
耳元に無意識に触れる仕草を繰り返していたが、終業式の真っ只中だ。
展示会デートをした日から匠とは一度も会っていない。寂しさよりも、どんな顔をして会えばいいか分からず、電話とメッセージのやり取りだけで十分な様子だ。
「勉強会もするでしょ?」
「うん、いつにする?」
「雪乃は仕事、平気なのか?」
「毎日じゃないから大丈夫だよ」
「新刊出るのか?」
「うん」
並んで校門まで歩きながら、時折挨拶されるのは生徒会役員が勢揃いしているからだろう。手を振る風磨と愛理に釣られるように、雪乃と清隆も愛想を振りまいていた。
「とりあえず、来週だな」
「うん、どこでする?」
「雪乃の家に行きたい」
「私? いいけど……来週だと、シズさんはいないよ?」
「いなくても大丈夫。雪乃とキヨがいれば、何とかなるでしょ?」
「そこは愛理が名乗り出ろよ」
「できるけど、二人の方が上手でしょ?」
「愛理だって上手だろ?」
「そういうのはいいの! とにかく雪乃の家でお泊まりするから!」
「えっ?」 「はっ?!」 「え?」
同じような顔が並び、したり顔の愛理に敵うはずがないと悟る。経験上、こうなった愛理が意見を変える事はない。
愛理がお泊まりすると宣言した翌週、ボストンバックを片手に顔を出した。といっても、荷物持ちは風磨の為、愛理は手ぶら同然である。
「相変わらず、綺麗に片付いてるなーー」
「そうかな?」
「作業中だったのか?」
開いたままのノートパソコンに、清隆が気づく。
「うん、ちょっと乗ってきちゃったから……お昼は、一応用意してるよ?」
「ありがとな」
「やったーー!」
「狙って昼時にしたんだろ?」
「バレてた?」
ちょこんと舌を出して悪びれた様子もなく告げる姿は、小悪魔だ。風磨は日々、翻弄されている感がある。
テーブルに並ぶのは、お手製のパエリアに、サラダとポテトフライだ。
「美味しい……お店の味じゃない?」
「シズさん監修だからね」
「シズさんかーー、夏季休暇中は来ないのか?」
「週二で来てくれるよ。お盆はお休みだけど」
「そういう所、しっかりしてるよな」
お店の味に満足しながら昼食を終えると、先ほどまでとは変わり、テーブルに教科書が並ぶ。夏季休暇中の課題もある為、そちらから先に片付けていくようだ。何だかんだ言いながらも、黙々と問題集を解いていく。
「うーーん、もう無理……」
「愛理、もうちょい頑張れよ」
「えーーっ、そういう風磨も、やる気半減でしょ?」
「まぁーな」
二時間ほど集中した結果、今日やる予定だった課題は終わっていた。一足先に終わらせた雪乃はノートパソコンと向き合い、清隆はスマホでゲームをしている。要領の良さは、さすが生徒会長と副会長だ。
「ーーーーお疲れさま、愛理が持ってきてくれたアイスで休憩する?」
「賛成!!」
「飲み物は何がいい?」
「アールグレイ!」
「アイスにかけるの?」
「うん、濃いめに淹れてかけたら、アフォガードみたいで美味しいんだから!」
「美味そうだな、俺もそれで」
「俺も」
「うん、用意するね」
楽しそうにしながら、キッチンに立つ雪乃と愛理の姿は眼福といえるだろう。清隆はともかく、恋人の笑顔に頬を緩ませる風磨は珍しい事じゃない。
「プールに行くんだろ?」
「ああ、二人でも行くけど、雪乃とも行きたいらしくてさ」
「お守り役かよ」
「そう言うなよ。一対二じゃ、分が悪いだろ?」
「まぁーな、それで、あの人は?」
「迎えには来てくれるってさ。甘々だろ?」
「風磨にだけは言われたくないと思うけど……まぁー、仕事だろうし、そうだろうな」
「ああ」
相変わらずマイペースな幼馴染が、バニラアイスにアールグレイを注いだグラスを持って戻ってきた。
『いただきます』
揃って食べ始めると、口の中にベルガモットの香りが広がり、ほんのりと溶けたアイスの甘さとマッチしている。
「プールは、また来週ね」
「うん」 「ああ」
「じゃあ課題、頑張らないとな。愛理は軽井沢にも行くって言ってただろ?」
「風磨、そこは聞き流してよーー」
「無理。雪乃と同じ大学に進むんだろ?」
「うん」
「そこは即答かよ」
「当たり前でしょ」
昼休みと変わらず会話が続くなか休憩を終え、もう一度タブレットと向き合う。
先ほどよりも集中力が欠ける愛理は、真剣に取り組む雪乃の横顔に微笑み、タブレットに視線を戻す。変わらない彼女に勇気づけられてもいたのだが、そう長くは続かなかった。
「雪乃ーー、これやっていい?」
「うん、接続の仕方わかる?」
「ああ」
「風磨、それはこっちだろ?」
課題を終えた清隆に誘われ、風磨もほとんど終わったのだろう。ゲーム機をセッティングし始めた。
「風磨の裏切り者ーー」
「愛理も、あと少しだろ?」
勉強嫌いとはいえ、模試の結果からも愛理は出来る部類に入る。毎回のように文句を言いつつも、課題はきちんと一人でやり遂げていた。
「愛理、お疲れさま」
「雪乃ーー、ありがとう!」
ハグして喜び、雪乃が淹れたミルクティーを楽しむ。
「美味しい……練乳入りだぁーー」
「うん、疲れた時には甘いものでしょ?」
並んで座り一息つく二人の前には、テレビの前で戦い合う姿が映る。
「キヨの勝ちじゃん!」
「ああ」
「強すぎだろ?」
「ゲーム、好きだしな」
「んで、何をすればいいんだ?」
罰ゲームありで競っていたようだ。悔しそうにしながらも、尋ねてくるあたり風磨の人の良さが出ている。
「来週のプール、風磨持ちな?」
「はっ?! アイスとの差、すごくないか?!」
「いいじゃん、勿論、みんなの分な」
「おぉーー、キヨ、男前!」
「だろ?」
「いや、奢るのは俺だぞ?!」
「えっ、奢ってくれないの?」
「うっ……」
上目遣いの潤んだ瞳で見つめられれば、風磨でなくても頷いてしまうだろう。
「風磨、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫……雪乃は今日も場所を提供してくれてるしな」
「ありがとう」 「ありがとう、風磨♡」
「愛理は課題が終わってたらな?」
「ちょっと! 雪乃は?」
「雪乃はキヨと一緒で、どうせ終わったんだろ?」
「うん……」
味方がいなくなり態と項垂れる愛理の頭を優しく撫でるのは、追い込んだはずの雪乃だ。
「あと少しだから、頑張ろう? 夕飯は愛理が好きなのにするから」
「うん……ステーキで!!」
「うん、あとでスーパーに買い出しに行ってくるね?」
甘やかす雪乃に、風磨が口を挟む。
「雪乃、肉なら持ってきた。アイスしまう時、冷蔵庫に入れさせて貰った」
「本当だ……ありがとう」
「俺もローストビーフ入れといた」
「キヨもありがとう」
冷蔵庫は二人の持ってきた食材で割と埋まっていた。
「白ご飯、炊く?」
「ああ、俺も手伝う」
「じゃあ、愛理の課題は俺が見とくから」
「ーーーー風磨、それって何もしないやつじゃん?」
「いや、だって、戦力外だろ? それに愛理、サボりそうじゃん?」
「うっ……」
キッチンに立つのは雪乃と清隆で、夕飯が出来るまでに愛理は課題を進める事となった。
「味噌汁とサラダと、これも出していい?」
「うん、糠漬けは何本切る?」
高校生らしからぬ会話だが、家庭的な味は四人とも好きなのだ。三十分ほどで出来上がった料理でテーブルは埋まり、揃って食べ始めた。
「雪乃、執筆の邪魔だったら、引き取って帰るからな?」
「ちょっと風磨、私は犬じゃないんだから! あっ、これ好き」
「糠漬け、美味しいよね」
「えっ? 漬けたの?」
「うん、去年はできなかったから」
「まだ嫁にはやらないんだから」
「気が早すぎだろ?」
「愛理、肉、なくなるぞ?」
山盛りになっていたローストビーフも、おかわりする度に焼いていたステーキも、あっという間になくなっていく。食生活にはそれなりに気を使っている為、野菜もしっかりと摂っていた。
片付けを愛理と風磨が担当し、清隆がゲームを楽しむ隣でノートパソコンと向き合っていると、スマホが鳴った。
「ーーーー出るね」
「ああ」
てっきり部屋を移動するのかと思いきや、そのまま電話を取った。
『お疲れさま』
「お疲れさまです……今日はどうだった?」
『定時で上がれたよ。今日は勉強会だっけ?』
「うん、今、愛理と風磨が後片付けしてくれてるの」
『そうか……清隆くんは?』
「キヨはゲームしてるよ」
いつの間にか敬語でなくなっている事に驚き、柔らかな笑みに鳴りそうだ。
「こんばんはーー、匠さん、来週はお迎えお願いしますね?」
『あぁー』
「お迎え?」
「ああ、プールのあと迎えに来てくれるってさ」
「いつの間に……」
二人のやり取りに、頬が緩む。わざとらしく会話に入ってくるあたり、清隆も中々の策略家だ。
『ーーーー邪魔したね、また連絡するよ』
「ううん、お疲れさま……おやすみなさい……」
『雪乃ちゃんも、おやすみ……みんなによろしくね』
「うん……」
名残惜しそうに通話を終え、何事もなかったかのようにパソコンと向き合う。あれだけダダ漏れのような好意に気づかないってあるか? と感じながらも、ある意味では仕方のない事だと分かっていた。気づきすぎてしまうがあまり、笑顔を失っていったのだから。
「普通に仲が良いのな」
「そうかな?」
「いつの間にか敬語じゃなくなってるし」
「うん、たまに戻っちゃうけどね」
愛理が雪乃の事を聞き逃すはずがない。夜二人きりになったら根掘り葉掘り聞くのだろうと、雪乃に同情しながら、風磨は残りの洗い物を食洗機に放り込むのだった。