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07 ささやかな休息

 まどろみの中でふと、父のことを哲樹は思い出した。

 織田おだ将家まさいえ。東京において異能戦争を戦った能力者。

 操作能力を持っていた。子供に、違う形で受け継がれた能力だ。

 神研の傘に収まるのを良しとせず、独自に徒党を築いて廃墟の中を暴れまわっていた。

 しかし、突然、殺されたのだった。異能力などではない。一発の銃弾が無残にも命を奪った。

 その時のことを哲樹は忘れもしない。あの時から自分でも、人が変わってしまったように思う。それから哲樹は、人を疑うことを知った。できるだけ人と会わない、人を信用しようとしないことで生きながらえた。

 だが、東京を出てからは事情が変わった。是非いやおうなく誰かの迷惑に付き合わされることが日常茶飯事になった。絵子にしても、魯奈にしてもそうだ。今まで聴いたことも見たこともないような事態を彼女たちは少年にもたらした。それを受け止めるだけの余裕が、まだ哲樹にはなかった。

 すでに空の中を突き抜け、山幸号は沼津にたどり着いていた。哲樹にとってはますます知らない土地だったが、このまま京都へ進み続けるだけの燃料は存在しない以上、どうしても各地を転々とするしか道はない。

 哲樹にとってはこの旅を終わらせることは確かに頭の中の大部分を占めていた課題ではあったが、魯奈があの時見せた表情も同じくらい脳裏に焼き付いて離れなかった。あの女は一体俺に何をしようとしたんだ。

 絵子も一肌脱げばあんな姿をしているのだろうか。盗み聴いた所、絵子はそんなことを決してやりたがらない性格みたいだが。

「まだあの人のこと考えてたの?」

 絵子が急に尋ねてきた。

 当然だ、考えずにはいられない。あの女は哲樹にいまだかつてない感情のゆさぶりをかけたのだ。

 だがそれ以上に、その死に様が将家を想起させてしまったのもある。

「あの時魯奈は僕に何か言いかけた。あれは何を言おうとしていたんだ?」

「……『幸せになって』ってと言おうとしていた」 相手がさして返答を聞きたがらない顔でいることに、動揺を隠せない絵子。

「『幸せ』とは真実を知らないことさ」

 あまりに情けない。だが、哲樹にそれを告げるのは憚られるのは躊躇われた。この少年は、そういう感傷にふけったり、見ず知らずの他人を思いやったりするような心がどこか欠けているような気がしてならなかったのだ。

 全く、人としての温情がないとは言わない。だが、哲樹には世界を残酷な物として捉えなければ落着いていられないのではないか、と見える酷薄さがあった。

「魯奈を殺した兵士を見たろ。結局それが世界の僕らに対する観方なんだぞ」

「だが俺たちが増えるのを誰にもいずれ能力者が非能力者の上に立つ。それがこの世界の宿命なんだ」

 魯奈のことを、哲樹は絵子に話させようとしなかった。

 絵子が魯奈の死に驚いているし、またそれを受け止めきれないでいるのは知っている。

 だが哲樹は魯奈の境遇に思わず自分の身の上を重ねて見てしまい、どうしても他人に詮索されるのが嫌でたまらないのだ。だが気になるのは、魯奈のあの行動だ。なぜ、あの女は緊迫した状況で服を脱ごうとしたのか。

 そうしなければ精神が安定しなかったからか。――俺にとって、それとは何だ? 思えば太刀巳には異性の話などしたことがなかった。

 あの騒擾事件で一体どうなってしまったのか、探しても全然情報がない。

 新聞の自動販売機でも、例の事件を取り上げた物はなかった。三菱特鋼の検閲が相当厳しいのだろう。

「で、どうする。この辺りは沼津というらしいが」

 人影のほとんど見えない埠頭に、山幸号は着地していた。はるか先、対岸に緑の大きな山が見える。

「燃料を補給する必要があるわ」

 絵子は哲樹に対して

「今さら相模原に戻れない。またあの子の姿を見るのも気まずいし」

 人目につかない場所を歩かなければならない。今こうして他人の気配を恐れている間にも、監視カメラで手配されているかもしれない。哲樹はそう思うと、自分以外の人間がますます敵に思えてきた。ただ、この少女を守ることだけが彼にとって最も明白な使命。


 沼津駅の前にいくつもの少女の肖像が飾られている。漫画にも似た、何とも不思議な絵柄だ。

 そこに何十人もの男女が群がっている。修理しているらしい。

「ラブライブだって?」 変な名前。

「なんでも三十年前に放送されていたアニメみたいね。かつては人気だったそうよ」

「厳密には……ラブライブ・サンシャインって言ったかしら?」

 どうもここは、そのアニメの舞台となった街らしい。

 哲樹は全くそういう作品を観たことがないので、言葉で説明されてもよく分からなかった。

 あまりに世間のことを知らなさすぎる、と哲樹は思った。そんな哲樹に対して自慢するかのように絵子は説き続ける。

「それからここはペリーが来航して初めて開かれた港の一つでもある……この地域は港をある今と同じくらい、激動の歴史の舞台だったわけね」


 浄蓮の滝。鬱蒼とした緑と茶色を背景に、白が速く、激しく流れている。

「ど、どうやってこれは流れてるんだ?」

「山から知らないの?」

「すごいな。東京ではこんなの見たこともなかった」

 この手の自然がどういう風に運行し、形成されているのかを知らない哲樹は、目の前の滝が魔法か未知の科学で動かされているとしか思えなかった。

 一時は観光名所だったらしいこの場所も、異能戦争後の混乱によって観光産業自体が打撃を受けたことでほとんど訪れる人間がいなくなってしまった。そのことがある意味、場所に風情を与えていると言える。

「まあ私も京都の都会で育ってきたから、あまり子の手の大自然ってのは目にしたことがなくて。」

「僕が見てきたのはほとんど灰色の廃墟の光景だった。こんな風に緑があふれている風景自体が珍しいんだ……今でも、少しめまいがする」

 物見遊山は趣味じゃない――と思いながらも、目の前の風景には圧倒された。


 ◇


「奴らを逃したのか?」

 愛夢の譴責は厳しかった。

「虚無主義者の襲撃に遭いました……彼らは神出鬼没です。どこから襲いかかってくるか見当もつかない!」

「あいつらは東京の西に拠点を構えているからな。ここから攻めていくにはあまりに地の利がなさすぎる」

 愛夢はカステラを食べていた。萌が東京外で調達してきたものだ。微笑ましい任務に思えるが、実の所笑いごとではない。

「ここにいては無益でしょう。能力者の脱走はこれまでもたびたび起きてきました。そのたびに我々が苦虫を噛み潰す思いをしなければならないのですから」

 だが、愛夢の関心の的はそれ以外のことにあるかのように、視点はどこか別の場所を向いている。

「織田哲樹。聞き覚えがある……その名前には聞き覚えがある。将家の子倅だ。だが今そんなことは問題ではない」

 織田将家。異能戦争の際に、独自に能力者を集めて神研に対抗した活動家。

 自らを救世主と名乗り、民衆を煽動したとして その名はメディアに記憶されている。だがその子息がまだ生きているのか。

「は?」

「奴の傍らに『片割』がいる」

「手に入れる日曜日で、明宝大学からあの結晶が盗み出され、割れたことで解放された力の一つがあのガキに宿っている。『片割』を一つの場所に集めた時、結晶が地球に降り立った本当の意味が分かる」

 愛夢の瞳がいつになく輝いていた。

 かつて神研がしがないサークルでしかなかった頃の素朴な探求者としての側面がふと蘇ってきたかのように。

「片割は一つの場所に集合しなければ意味がない。ところが残念なことに、一つは特鋼の方に握られている」

 萌は、限りなく不審な心象を覚えた。

 俺が求めているのは、力だ。そんな得体の知れない物ではなくて。

「では、片割を揃えるなど我々にはどだい不可能ではないのですか。京都からここは離れすぎている」

 しかし愛夢は失望などしなかった。

「むしろ、奴らの手に曝されたという点ではチャンスかもしれんな。奴らが原石を揃えたその時に、私たちが片割を奪還し、歴史的瞬間を目撃する。それでこそ神研の存在意義が確認された時だ!」

 ああ――と萌は上司との溝を実感した。

 萌が能力に目覚めた時、世界にはすでに無数の能力者がいた。

 異能戦争という強制イベントは駆出される前に終結した。

 この荒廃した世界で、萌は自然と力を渇望する人間にならざるを得なかった。力を求めるのをやめれば、いずれ必ず死が訪れる。

「萌、お前はそのために協力してくれるな?」

 愛夢の元でこれまで力を求めてきたが、それもそろそろ限界が見えてきたらしい。

 戦略を変えなければならない、と思う萌。神研はもうこの東京にはとどまっていられない。

 もうこの東京は戦略的に重大な土地ではない。

「……仰せの通りでございます」

 明宝大学がこの地にあった、というだけで愛夢はいまだ廃墟に固執しているのだ。

 きっと、二人がそう遠くない。いずれ、この男を裏切らなければいけない時が来る。


 ◇


 伊豆半島のある高地に彼らは山幸号を停めた。ここも特鋼の監視の目が厳しいかと思ったが、意外にもそのような施設は見えなかった。ひたすら東京と京都の周囲を警戒しているのだろう。

 雑木林に沈んだ山幸号の中で、二人は静かに語り合った。

「今日は楽しかったわ、哲樹くん」 いつになく、絵子に親し気な様子が見える。

 この時、哲樹の脳裏に魯奈の姿が見え隠れしていた。

「楽しかった? 俺は神研や虚無主義者や特鋼から逃げるのにほとほと疲れてるんだ。楽しいだなんて少しも思わないな」 不審な眼で。

「そもそも、君と俺とは知人でも何でもないだろう? 何でそこまで僕に対して隙を見せるんだ」

 絵子は、哲樹が実にそっけない返答をしたことに失望した風に、

「もちろん知ってるわよ。私は京都に戻るという目的を達成するために、あなたに手伝ってもらっているに過ぎない。その間、少しでも気分を和らげたくて仕方ないのよ」

 絵子との見ている世界の違いに戸惑ながら、哲樹は自分の疑問をふと告白うちあける。

「なあ、教えてくれよ。俺は相模原で奇妙な物を目にしたんだ」

 ごく素朴な質問を、少女にぶつける。

「あの店の中で、魯奈が俺に対して裸を見せた。あれは一体、何を意味してたんだ?」

 驚いて、顔を赤らめる絵子。

「まさか……あの人、そんなことを!?」

 まるで、自分にとって最も都合の悪い部分を突かれたかのようだった。

「俺はあの時今まで感じたことのないような感情を覚えた。まるであの人に飛びつかずにはいられないような欲望を覚えた」

 しばらくの沈黙の後、

「そういうのを性欲っていうのよ。あなたほどの歳ごろの男の子なら自然に身につくものだけど」

 しゃべるのも恥ずかしそうに。

「……分からない。俺は女というものを絵子さん以外にほとんど見たことがない。彼女がなぜあんな行為に至ったのか腑に落ちないんだ。それを求めてあんな行動に至ったのか?」

 絵子は一瞬、蜘蛛でも見るような目つきをしていたが、冷静になって哲樹の疑念を払拭しようと。

「私が哲樹くんを部屋の外において魯奈さんと話していた時、あの人は愛に飢えていた目をしていた。それを解決するためには人との信頼よりも体の快楽を求める方が早い。でもね、それは歪んだ愛なのよ……」

「愛か」

 哲樹は愛について考えたことがなかった。そして、愛にあまりいい印象がしなかった。

「多分戦争で誰もが欲望に飢えているのよ。それは人にとって不自然な生き方しかもたらしえない」

 愛について何か言えるくらい、洗練された思考を持ってる。少なくとも絵子は、特鋼の中くらいの地位の人の娘なのだ。

「あんたは相当いい暮らしをしてたんだろうな。何が人にとってふさわしい生き方なのか知っている様子だが」

 絵子はそれに対して答えなかった。三菱特鋼の人間が、そう易々と家庭環境について語るわけにはいかないのだろう。ここにおいて、両者とも気まずい雰囲気で黙っていた。

「……確か、あんたは特鋼の追跡を逃れて東京に逃げて来たんだな?」

 哲樹は、今しがた絵子に投げかけた質問を悔いながら別の話題を持ちかける。

「なんでそこまで逃げてきたのか、教えてくれよ」

「あなたに話せることはごく限られてるけど、上層部のもめごとが原因だったってのはわかってるわ」

「お前にはそういう会社の内情が分かったりしないのか? それなりの身分だったろ?」

「特鋼は企業秘密を徹底的に守ってるの。父ですら会社の全容を知っているわけじゃない」

 絵子は改めて、哲樹を完全に信用しきっているわけではない意思を示した。

「でも、父のせいじゃない。多分これは……根源的には、私のせいなのかもしれない。私の中に、超能力じゃない、別の力が宿っているような気がするの」

 絵子のただならぬ様子に、哲樹もそれ以上掘り下げようとしなかった。

「命を父は私を車に乗せて、逃がした。東京のある施設に預けられて、そこでしばらく暮らすことになったの。虚無主義者が襲いに来たあの日まで」

「どんな人だったんだ?」 どうしても気になる哲樹。

「あんたよりもずっとつれない人じゃない」

 哲樹のあっけらかんとした口調を真似て。

「あんたよりももっと優しくて、話し上手で、魅力的な人」

 この頃になると、絵子もかなり哲樹の性格を把握してきたのか、だいぶずけずけとした口ぶりになってきていた。余裕の表れか、あるいは哲樹のぶっきらぼうな性格が移ってきたのか。彼女自身も、あまり分かっているわけではなかった。

「名前は?」

「前言ったと思う。いや、『言っちゃった』かしら」

 絵子はそれを笑い話にしようとするみたいに、無理に明るい顔を作ろうとしていた。

「全然記憶にないな」

「その時は私も取り乱してたからうっかり漏らしてしまったけど。でも、あまりあの人のことは他の人に語りたくないわね。それくらい、大切なことなのよ」

 小休止を置いてから。

「その名前は……内村うちむら安吉やすきち

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