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06 理解しえないもの

 異能戦争。

 物心つき始めた時、それは突然起きて、世界を焼いた。自分が住んでいた街ですら例外ではなかった。

 猪治いのじはその時に異能への憎しみを植付けられたのだった。

「でも本当に、奴らが悪いのか?」

 許せない気持ちは、確かにある。だが、それでも憎みきるには、彼らにも事情があるのではないか――と、どこかでためらうのだった。


 例の能力者の女がついに街から逃出した、という通報によって大田おおた猪治いのじは警備兵として出動した。肩に銃をかけ、弾薬を腰に提げる重武装で、数十人の仲間とともに現場に急行した。

 能力者は、三人いる。その内の一人は、公安にも危険視されていた。名前は市川魯奈。火を操る能力の持主。これまで特鋼の召喚命令を受けながら拒否し続けて来た要注意人物。

 猪治は敵を追った。そして、川辺の上を走る高速道路の下にまで走った。

 魯奈につき従っている二人が何者なのか、猪治は知らなかった。だが、どうせ能力者だろう。それも敵対的な。

 能力者という存在を、猪治は恐れた。それは、権力の手に因って繋留めなければ、何をしでかすか分からない危険分子。


「猪治! 走るな!」

 志水しみずが叱りつける。

「能力者だぞ! お前ひとりで戦って何とかなる相手じゃない!」

「奴らが本当に闘うことでしか屈服できないのかどうか確かめます!」

 十人前後の兵士。RPGや銃剣を担ぎ、どれも重武装。

「あの女を生け捕りにする! 能力者は貴重な資源だ。無理に殺すようなことがあってはならん!」

 上官の声には、能力者というのを何か道具とみなすような響きがあった。猪治はその様子に何か厳しいものを感じないでもないが、それも仕方がないと考えて、

「二人の人間がついていました。彼らも能力者です」

「そいつらにも手荒な真似はするな。できることなら捕獲しろ」

 市街地であるにも関わらず、彼らの中にはもうそこが戦場の真っただ中であるとばかりの厳粛さがあった。

 この異能戦争の際からさほど変わっていない。猪治はそれを日常と感じて生きてきた。その空気を感じることに倦んでしまったら、それこそ自分は自分でなくなってしまうと思うくらいにありふれた、空気。


 少年と少女。

 ほとんど下着だけの女がいた。市川魯奈――彼女こそが、この相模原の街で指名手配されている能力者。

 これまで何回か当局の元に来るよう命じられていたが、ずっとそれを拒否し続けていた。

 女と二人の子供は、逃げ続けた。

「ついにここまで来たのか……!」

「やれやれね……私、どこまでもついてない」

 空中の塵をかき集めて、点火しているわけだ。

「能力者め、投降しろ!」

 兵士の後ろで、志水が呼びかける。

「三菱特殊鉄鋼は能力者を歓迎する。日本のさらなる発展のためには能力者が必要なのだ!」

 しかし女がそんな命令に従うはずもなかった。腕から更なる火球を放ち、鋼鉄の盾で防ごうとする兵士をなぎ倒した。

 その一つは、猪治の額をかすめ、ヘルメットの塗装を焦がした。

 幸い熱はその装甲により遮断されたが、腕は反射的に銃を構える。それでもまだこの時点では敵を殺すことを躊躇していた。

 女の顔は、おびえている。いや、あきらめているようでもある。

 これほどの力を持っていながら、社会においては全くの弱者でしかない。手を講じなければ、たちまちのうちに滅びてしまう種族。

「とんだ出まかせ言いやがって……私たちは、あんたたちの役に立つべく生まれてきたんじゃない!」

 猪治は、力を求めていた。より強い人間をねじふせるための力が。確かに彼らの力は絶大的な物で、猪治はそれを欲した。だが彼ら自身にはとてもつない忌避感と偏見を。

 あこがれというものではなかった。あこがれなら、

「私たちは抵抗する。たとえその先が暗闇だとしても」

 その側で、少年が何かを言いたそうに立ちすくんでいる。

 猪治には、その顔が死んだ弟に似ていると感じた。

「逃げた所でどうする。能力者同士で手を取りあうなどできるわけもない」

 彼は急に激昂しそうになる感情を冷淡さでとりつくろった。

 

「いずれ虚無主義者がお前たちを殺しにくる。奴らはこの世界の癌だ。だから協力しろ。そうすれば少しだけ日本が良くなる」

 志水は、落ち着いた声でなお能力者を追詰める。

 しばらく、無言の壁が落ちる。

「上官殿、彼らは聴く耳を持ちません。絶望を教えるだけで彼らは従うはずがない」

「何をするつもりだ?」 訝る志水。

「能力者だぞ。そいつらを説得するつもりなのか」

 彼らが、本当に残酷な人間なのか。心のどこかで猪治はまだ確信を決めかねていた。

「好き放題ほざきやがって……あんたたちの方がよっぽど理解に苦しむ奴ら」

 もしかしたら、まだ話し合う余地があるかもしれない。こいつらを穏便に帰順させる方法があるかもしれない。すでにただ一人、前へ前へと歩を進めていた。

 魯奈は不審な動きに神経をとがらせる。

「何? あんたもそこにいる奴らと同類じゃないの?」

「お前らは能力のせいで住む場所を追われ、今もこうして追いつめられている。だが、それは今に始まったことじゃない」

「異能戦争で俺の弟は殺された! 俺の家族もいなくなった! 市川魯奈、お前にだって俺のような苦しみと無関係ではないはずだ。だから、俺たちに投降しろ。それが平和をもたらす唯一の手段なんだ」

「へえ、あんたにそんな過去があったんだ」

「で、それは今この状況に何の関係がある? あんたたちがやっていることは異能戦争の時と何も変わりがないじゃない!」

 感情の爆発があった。

 左手のひらを胸の高さにまで挙げた。

 能力者が、俺を殺しにかかっている。殺さなきゃ、殺される。

 女と目が合った。もうその時には、指が震え銃口が火を噴いていた。

 そのことに悔いなどなかった。異能戦争によって国を荒廃させた奴らに、何の手加減がいるのだ。

 女は、倒れた。少年が肩を抱いた。

 目の前で人を殺したのは、これが初めてではない。手を下したことはなくても、加担したことはいくらでもあるのだから。

「魯奈さん!」 叫ぶ少年。

 女は、しばらく息をしていた。こちらには目もくれず、二人の若者を絶入りそうな様子で見すえながら、

「二人とも……し……あ……」

 何かを言いかけ、そのまま、うなだれた。

 少年はこちらをにらんだ。そして、激しく怒った目を向けた。

 少女は、少年に対して驚き、おののくことしかできない。

 

 ぞっとして、猪治はとっさに少年に発砲しようとした。

 だが突然、灰色の巨大な物体が飛来し、猪治を通り過ぎて背後に居た仲間を襲った。

 武装装甲車・七式。民間人の手に入る代物ではない。なぜ、こんな年端もいかないがきが持っている。

 兵士たちがざわめき、ついに誰もがこの能力者たちを射殺するほかないと確信した。

「戻れ、猪治!」

 後ろでは志水が叫ぶ。

 装甲車両に軽く飛乗り、少年がこちらへとゆっくり視点を移す。

 それはあからさまな敵意ではなかった。ただ、静かな失望がその頭上にどこまでも広がっていた。

「これがお前たちのやり口なんだな。よく分かったよ」

 冷やかな視線を向けられ、猪治は言葉がなかった。いやこの時点で、猪治は少年の言葉を聞くことすら嫌った。

 なぜ思ってしまったんだ。こいつらと理解し合えるって。

「兵士か。神研に追従している人間もお前と同じくらいの奴が大勢いたな」

 やおら装甲車の上に登り、少年は叫んだ。

「やめろ。お前たちに捕まるつもりはない。手出しさえしなければ、俺たちは危害を加えない」

 少年は奪った銃をこちらに構えていた。


 哲樹の目は一切の妥協を許さない。

 これが、あの廃墟で地獄の日々を送って来た人間の覚悟なのか――と絵子はただ、自分が生まれてきた境遇との差に絶句するしかなかった。


 猪治には、少年のその顔は能力者の残忍さを示すように思えた。やはりこいつらは、暴力で抑えつけるしかない集団だというのか。

 絶望を感じた。それが彼らに対する消せない憎しみに変わってしまうまで、さほど時間を必要としなかった。まだだ。まだ、戦わずに済む方法があるはずだ。

「能力者め、こちらに投降しろ!」

「死体になったら好きにしろ」

「悪魔め……お前らがそれほど日本を不安に陥れているのか知らないのか!」

「特鋼は能力者を道具として使い捨てるだけだろう。俺はそんな奴らに屈従するつもりはない」

 少年は怒りのあまり早口でまくしたてた。

「お前らに何が分かる。お前ら能力者でもない人間に、俺たちの苦悩が分かるというのか!」

 猪治の背後で、数人の兵士がおののいた。

「あの小僧、投降するつもりはないようだぞ」

 少女がこちらに目を向けて、怯えている。今すぐ少年から逃げたそうに、助けを求めている。

「だめ、戦っては――」

「黙ってろ!!」 哲樹の一喝。

 猪治いのじは驚いた。

 弾丸があまりに速い。間違いなく、超能力で威力を高めている歳か思えない。

 少女はいまだに少年の足元で必死に立とうとあがいている。

「やめて!」

 志水はついにしびれを切らして、号令一下、

「総員、撃ち方始め!!」

「くそっ! 撃て!!」

 やはり能力者とは、話など通じない。こいつらは、人間なんかじゃない。

 銃弾の嵐が少年に降り注ぐ。

 しかし、ぶ厚い透明な盾が少年の前に生えてきて、その軌道を歪めた。

 その氷の幕が一瞬で溶けた後、少年はただ茫然としていた。傍らでは市川魯奈を地面に倒したまま、何の気にもかけずに。

 だが少年が無策な様子を見せたのは一瞬だけだった。片手に携帯をにぎりしめていたのだ。

「乗れよ」

 と一声、少女を無理やりつかんで座席に入る。上から風防が降りて、翼が展開される。

「逃がすな、破壊しろ!」

 志水が命令した時には火花の噴水が装甲車の表面から散っていった。しかし銃弾はその装甲車にほとんど傷もつけられず、少年は鋼鉄の巨体を駆り、こちらに向かって突進してきた。

 

 猪治は魯奈を見捨てた少年を軽蔑した。そしてあらたに、能力者を憎んだ。能力者同士ですら分かり合えない。どうせ少女も能力者だろうと思った。

「分かった。あれが能力者なんだよ、風間かざま

 猪治は同僚に漏らした。

「今さらかよ。分かってたろ、あいつらが元からけだものその物なんだ」

 さらに小さい声で風間。

 こいつらは何を言っているのだ、と統制のとれない新兵にいらだつ志水。

 少年たちの逃げ去った方向を見やりながら、隊長は告げた。

「今すぐ警備部門に伝えろ。能力者と交戦して一名死亡、二名は逃走したと」

 それから猪治に方に歩き、

「太田。なぜ奴らと話が合うと思った」

 上官に咎められ、かなり決まりの悪い表情を浮かべて、慎重に理由を述べる。

「彼女は非常に抑圧されていました。心理的外圧を加えられ続ければ、その内無秩序な暴力に走るのは明白でした。そのため説得を試みたのです」

「貴様は能力者と話が通じると思っていたのか?」

「……以前はそう考えていました」

 少しは、対話できるかもしれないと思った。

 弟が、人と話すことを好んでいたからだ。

 無論、そんな心がけなど『組織』には必要とされない。

「我々には敵に見せる余裕など存在しない。殺されるだけだ」

 志水は制裁を加える必要を感じなかった。この部下は、ただ気の迷いに惑わされただけなのだ。もっと気のふれた人間は、どんな反乱を企てているか知れないのだから。

「弱者同士が分かり合えるはずなどなかろうが」

 小さく耳打。それは、怒号で吐かれるよりも激しい後悔を猪治にもたらした。

 やはり能力者は、分かり会えない。こんな奴らは、家畜のように飼い慣らすしかない。


 ◇


 山幸号の中で、哲樹はいつもと人が変わったように不愛想になっていた。絵子からすれば、元から無口で人とのやり取りが苦手そうな印象を与えたが、あの少年兵との一幕は彼のもっとも知られたくない部分を突いてしまったらしい。

「哲樹……あの子は」

 哲樹は黙っていた。あの日の情景が目の前に焼きつきそうになり、しかし少年はもはや敵に聴く耳を持たなかった。

 装甲車は空を飛び、相模原の上空を颯爽と駆け抜けていく。


 ◇


 京都本社。三菱特殊鉄鋼の本社。

 それは外から見ると巨大なピラミッドを成している。灰色の、迷路のような模様が刻みこまれ、まさに機械らしさを主張するその壁は、ミサイルや核攻撃に備えて最先端の技術によってコーティングされ、現在もその拡張が続いている。

 それでも、さらに防護工事をしなければならないと思う人間がいる。

 もはやこれは企業などではない。れっきとした国家。

 異能戦争以後、国会も内閣も北条執権下の将軍よろしく傀儡となってしまった今では。


 特鋼は様々な企業を合併したこともありその事業は多岐にわたるが、特に能力の特徴やその起源に関する研究を行う部門はかなり規模が大きい。

 実際、超能力の研究を小野寺蝦夷――あんな時代の捨てられた人間はそのままにしておけ、と平助は――だった。2024年法改正によって民間軍事商社の国内参入が容易になって以後、特鋼は非常に様々な軍事的事業に投機してきたが、中でも超能力研究は格別の高い利益を得た。だが、その超能力がなぜ生まれたのか、知っている人間はごく少ない。

 蜷川になかわ平助へいすけは そのような機密に触れることのできる数少ない人間。もとい、特殊鉄鋼の中で最も高い階級にいる人間でもある。

 平助はごく選ばれた数人の前にしか姿を見せない。平社員はもちろんのこと、幹部ですら顔を見たこともない人間は多い。ただ、ひたすら長く生きていたという理由だけで、彼は周囲から一目置かれていた。無論それだけが

 平助は本棚や机などその部屋の中から出る必要がないだけの設備の整った環境で、車椅子に座りながら書類と向かい合っていた。

「明宝大学のあのデータに書かれた論文……当時はほとんど迷妄とみなされておったが……あの男は……」

 ほとんど噂だ。確証はない。

『手に入れる日曜日』が一体何を原因として起きたのか、いまだ定説はない。

 明宝大学も今は施設としては閉鎖し、その関係者も全て神研の方にいるという現実がその探求を難しくしている。だが明宝大学の調査班が発見した謎の鉱石。それが突然盗み出された事件。これが、確かに関わっている。平助はそこで、一瞬干からびた唇をたわませた。無論、誰も見るはずのない唇だった。

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