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05 初めての逢引

 東京からこの方面に出たのは初めてかもしれない。

 ここをさらに通れば、近畿に至る。京都……三菱特鋼の本社に。

 相模原。紅の十字団によって封鎖された東京のすぐ外側にある都市。最前線だ。

 所々に神研への抵抗を訴えるポスター、三菱特鋼からの求人広告が貼ってあるのを除けば、人がいるということに哲樹はどこか新鮮さを感じた。もうここは廃墟ではない。数十年前の繁栄の残りかすがまだある。

 もう何時間も歩いている。さすがに元々軍用機である山幸号を道路の中で走らせるわけにはいかないので、端末でどこか目立たない所に自動で向かわせた。できるだけ官憲に見つかるのは避けたい。もし機体に何かされたら後で警報が鳴るし、携帯で呼べばやってくれるわけだから。

「絵子さんはこの街に行ったことは?」

「東京近郊は治安が悪いからね。誰も観光であまり行くことはないと思う」

 と言ってから、絵子は哲樹の常識を推しはかって、

「もしかして、あまりこういう都市の姿ってのを見たことないんじゃない?」

 哲樹は街の人間を観察した。どれも暗い。それが、現代では普通のことなのか、あるいは異常なのか、彼には判断しかねた。


 二人はシックな看板をかかげる、二階建てのカフェに入ることにした。とりあえず簡素であってもいいから飯にありつきたいどころだったのだ。

「私は市川魯奈。あなたは?」

 女主人は、少し上の歳の人間。かなり妙齢な顔つきで、体格に対してだいぶ若作りな印象を与える。

「織田哲樹」

 名を名乗る声が変に上ずってしまう。

 自分でもなぜか分からなかったが、絵子はいささか決まりの悪い顔。

「じゃあ、出身地」

「東京から」

「驚いたわね。どうやって逃げてきたのよ」

 魯奈は普通に驚いている。多分、これが外の人間の普通の反応なのかも。

「虚無主義者の起こした混乱に乗じて逃げ出してきた。神研はあいつらに手間取っているからな」

 虚無主義者という響きに目を丸める魯奈。

「あんなテロリストまで!? よく生き延びてこれたわね」

 まるで彼女自身も、その脅威にさらされたような風だった。

「それだけじゃない。私自身あいつらに捕まって洗脳されそうになった」

 彼らに対する気持ち悪さを吐く絵子。

「あいつら、よく学生のサークルとかを装って活動してるのよね。一度引込んだ人間をどんどん追いつめて、虚無主義にすがらせるのよ」

 どうも魯奈は、それをいかがわしい団体以上の物としては認識していない風だった。

 だが哲樹は、彼らの恐ろしい姿をよく知っている。

「俺たちが出会ったのはそんな生やさしい連中じゃない。能力者と戦って、死ぬことすら躊躇しない異常者だ」

 あの時の緊迫した様子を思出しひたすら暗くなる哲樹の表情。どう考えても、初対面の人間に対する話題ではないと絵子は思った。

「私ももらったことがあるの。あいつらのパンフレット。でもまあ旅でお腹もすいたでしょ。少し食べなさい」

 哲樹と絵子の前に出る黒いパン。

 しかし、哲樹はそれをパンだとは思えなかった。今まで、太刀巳たちの元で米や味噌汁、全うな和食をたしなんでいた哲樹にはそれが何か古い餅に見えた。

 餅であるにしても、年月が経ちすぎじゃないのか。

「これは? なあ痛んでるんじゃないのか?」

「ちょっと、そんなこと――」

 思わず、その口を抑える絵子。

「今はね、経済が先細りしてる時代なんだから。そう豪華な物なんて食べてられないわよ」

 たしなめる魯奈。

「あのね哲樹、やっぱりあなたは相当育ちが異常なんじゃない?」

「異常?」 哲樹の方もすこしむっとして、その真意を問いただそうとしかける。

「仲睦まじいわね。私が幼かった頃は、そういうのをSNSに載せて自慢するのが流行ってたのよ。『インスタ映え』とか言ったかしら?」

 SNSという言葉の意味がよく分からなかった。確か現実で悪口を言えない人間がインターネットで言いたい放題ぶちまけるためのサイトではなかったか。

「喧嘩が終わったら、さっさと食べてよね」

 哲樹も絵子もそう言われると黒パンにむしゃぶりついた。久しぶりに食べる飯

 魯奈はそんな二人を見て、あまり浮かない顔だった。

 私より死が遠い、これほどの年頃の子供が、この先生きていかなきゃいけないなんて。しかも、多分人に言えない、壮絶な過去を持ってる。

 それから急に深刻な目になった。無邪気に飯にありついている少年たちに豆をいて、コーヒー汲み、差出す時にもますますその瞳は生気を失っていった。

 今すぐ出てもらいたそうな顔で、語りかける。

「昔はこういう喫茶店もおしゃれな社交の場って感じ娯楽だったけど、最近ではそんな余裕もなくなって、今は柄の悪い連中が寄着く不潔な場所って不評がついちゃってるんだから」

「関東の方はそんな風なのね」

 どうしてもずれた常識を見せる哲樹に話しかけないようにして、絵子が返事。

「どっちにしろここは、うぶな子供が来る場所じゃない」

 しかし、不敵な笑みを浮かべた。

 さっきの、あの単に歓迎する様子とは違う笑みだ。魯奈は、哲樹に顔を近づけ、

「でもあなたの風格、悪くないね。そういう地獄を生き延びてきただけの貫禄を感じるわ」

 わざとらしく舌を見せた。しかし哲樹にはそれが何を意味するのか分からなかった。隣では、びくついてため息をもらす絵子。

「どうしたんだ?」

 瞬時に動揺。

「そ、それはこっちが訊きたいことよ! 哲樹、今からここを出て頂戴。男と女がこんな場所で一緒にいるのは良くない」

 確かに魯奈は、哲樹と絵子を不憫に思いながら、同時に彼らに生きる気力を見出してもいた。

「……何で俺にそんなことを?」 やはり女とは分からん生き物だ、とコーヒーを飲みつつ。

「だって男一人に女二人よ。それにあなたは女との付合方を知らない。異性を疑うことを知らない」

 絵子は魯奈を警戒した。この店がぼったくりではない保証がどこにある。魯奈がたった今見せた艶ある顔に、絵子は彼女がただの善人ではない恐怖を覚えた。

「何よ。せっかく私が誘おうとしてるのに」 残念がる魯奈。

「分かった。じゃあトイレに行くから」 魯奈の内心など知る由もなく、席を立つ哲樹。店主の仕草が気になったまま。


「目ざといわね。私は性欲が強いから、少しでも興味を持った男を食わずにはいられないの」

 顔を赤くしている。やはり危険な女だ。

 絵子はその表情の邪悪さを豚みたいに見つめて、

「知ってるでしょ。男に辱められる以上女に、女に辱められる男は傷つくのよ」

 魯奈はその性欲をたしなめられ、

「そっか。別に私は女だろうが気にしないんだけどね」

「へ……?」 顔面蒼白になりかける絵子。

「あなたに根掘り葉掘り訊くつもりはないけど……どこに行くつもりなの?」

 こう切り返された時、魯奈の性欲の強さをもう絵子は問題にしなかった。

 話せば、密告されるだろう。

 いや、密告された所でどうしようもない。東京から脱出した時点で、もう神研からも狙われているのは確実なのだから。

「京都本社」

 低い声で絵子。

「もしかして、三菱特鋼の?」

 特鋼。魯奈にとっても、それはあまりに鋭い辛辣な単語だった。

「本社に? じゃあ……」 それからは、あまりに小さい声。もはや聞取れない。

「あまり詳しく言えない。でも私はそこに行かなくちゃいけない」

 魯奈は、一応商売柄、客の事情を詮索するのをよしとはしなかった。

「まさかあいつらに追われてるの? つまり……」

 うなずく絵子。

 すると、魯奈の方も少女の耳元でささやく。カウンターの机が、濡れ、凍始める。

「なるほどね。実は……」

 しばらく小言を交わした後、絵子は一瞬だけだが口調をあらげた。

「だって、あんなこと、許せることじゃない……!」


 絵子が怒りを見せた所で、哲樹は部屋に入るタイミングを逸してしまった。

 哲樹はすでに、その会話を部屋の外から盗聴ぬすみぎきしていた。トイレに行っていたこと自体ただのはったり。そもそも、一日を通してこの女は一体俺をどこに連れ回す気なのか。

 憎しみのようでもあった。まるで何かを失ってしまったものの嘆きだ。

 あらためて、俺はこの少女のことを何も知らないと思った。

「もう、いいか?」

 わずかに扉を開け、顔をのぞかせる哲樹。

「まさか、あんたたちが能力者だったなんてね」

 絵子から哲樹に顔を移す魯奈。

 扉を開きながら、

「ああ。俺たちは能力者で、常に神研と虚無主義者に追われていた」と入る哲樹。

 魯奈はその簡潔な説明でことの重大さを理解したらしく、

「じゃなきゃ、あんな場所から逃げられないものね。非能力者なら彼らに抵抗することすらできないもの」

 絵子は魯奈の顔を見ながら、青ざめた表情で、

「あいつらの弾圧は生やさしいものじゃない。危険な能力を持っていることで監視されてる奴がいた。俺たちが逃げる前に奴らの幹部がやってきて、その人は……」

 これが外に聴かれることを恐れ、思わず口をつぐむ哲樹。だが魯奈は、ますます哲樹の心配を呑みこんだように、

「私もよ。もうすぐここに特鋼からの治安部隊がやってくる。能力者を捜索してるの」

 また、狙われるのか。疲れ果てて到着したってのに。

「今まで白を切ってきたけど今度こそ許されないかもね……だから、すぐ隠れて」


 哲樹と絵子は二階に隠れた。絵子は哲樹と同じ階の、少し離れた自分の部屋のベッドの下に。

 都市で生きるとはこれほど困難なことなのか。哲樹はたまたまこの店を訪ねて来てしまったことを後悔しようとしたが、すぐにこう思直した。

 いや、非能力者とはち合わせになったら絶対にしょっ引かれるに決まっている。

 改めて自分は世の中に疎すぎる。絵子がいなければ早々特鋼につかまりご臨終だったろう。

 だが突然、哲樹は腰のあたりに謎の感覚を覚えた。今が危険な状況であるにも関わらず、抗いがたい欲望の元、ひたすら四つん這いになりながら絵子がいる部屋の前まで進んだ。

 誰かが、あえいでいる。

 魯奈が色の白い服を着ていた。体の線がはっきりと出ていた。つまり、彼女は何も着ていない。

 哲樹は不思議な感じがした。女とはこういう体をしているのか。

 すると、魯奈の方から哲樹の顔に気づき、

「へえ、私に興味あるんだ?」

 ごく低い声でささやいてくる。

「じらさないで」

 気づくと哲樹は目の前に進みだそうとしていた。自分が何を求めているのかも分からないままに。

 しかしそんな時間は、急に終了させられた。

「お前ら!」

 突然窓が割れ、中に何かが投込まれた。壺が割れ、ベッドの上に火があがった。

 もう魯奈の異様な表情は消えていた。彼女の目は晴渡り、まるでガラスのようだった。

 そして裸体のまま、下着もつけず上着だけ着て、すぐさま部屋を出た。

「逃げなさい!」

 痛いくらいに哲樹の腕をつかみ、一緒に臥せる。

 火炎瓶だった。もう一発、窓ガラスを割って床に転がった。

 哲樹は魯奈に何か言おうとしたが、魯奈は厳しい目つきでにらみつけ、廊下の方を這いながらうごめき続ける。

「魯奈、痛い――」

「知らない人を呼びつけにする?」

 打って変わって叱りつけるような声だが、女の妖艶さは消えていない。

「残念ね。私も結局、迫害される身の上なのね」

 察する哲樹。

「あんたも、能力者なのか?」

「そうよ。どうせ狙われると知ってたけど」

 取り乱して、二階に駆けあがる絵子。

「魯奈さん!」

 それから二人の様子を見て、また別の意味で驚愕。

「落着いて。もうここに私の居場所はない」

 煙の臭い。敵は火をつけたらしい。魯奈はもはやいてもたってもいられず叫ぶ。

「飛降りるわよ!」

「そんな、どうやって?」 絵子のそんな疑問に答えることもなく、両手で二人の手をつかみ、窓の外へと飛びこんだ。

 驚くほど体を軽く感じた。煙の臭いがすぐ漂ってきた。そして熱。

「聴かないで」

 恥をかき捨てて、通りを疾走。

 銃弾が聞こえる。混乱に惑う民衆。

「超能力者め!」 特鋼の兵士が毒づく。発砲する。

 哲樹は、その銃弾を食らわないか気が気でなかった。

「手を放すな!」

 魯奈の叱咤。そして、急に体が宙に持っていかれる。

「わあああ!?」

 哲樹も絵子も、何が起きたのかさっぱり分からなかった。地面が、下の遥か遠くに見えた。

「落着いて。私が腕を放さなければ死ぬことはない」

 手を広げて振下ろし、火球を放つ。

 そのまま川のトンネルをくぐり、そこでしばし休息。数分間にあまりにも多くの出来事が起きたので、全く哲樹は口もきけなかった。絵子の方も戸惑がありつつも、まだ澄ました表情を装っている。

「さっきのが私の能力。高く飛ぶことと、火を操るのが私の力なのよ」

 違う能力が一人の人間に宿っているなど、聞いたことがない。

「二つ能力を持っている人間は特級能力者として特鋼からの追求の対象になるのよ。何しろ戦闘に特化した能力だから、異能戦争が始まる前から目をつけてたみたい」

 異能戦争。日本の地図を全く違う形に書変えてしまったあの戦争の名前が出た時、

「こんな力がなかったら、私も普通の人間として生きられたかもしれないのに……」

 哲樹は、どういえば言いか分からなかった。

「お互様だったな」

「でもどうするんだ、あんたは。この街から離れることもできないだろうに」

「もうこの街に何の未練もないわよ。どうせい続けた所で――」

 遮って、軍靴の音が鳴響く。

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