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04 虚無主義の元に

 哲樹は、淡い希望のようなものを感じずにはいられなかった。

「ここまで来れば相模原までもうすぐだ。東京を出られる」

 思えばずっと、神研の元で抑圧的な生活を強いられていたものだ。東京から出るたびに、煩雑で陰鬱な手続を強いられていた。政府も、口では神研に奪われた首都を奪還しようと叫びながらも、彼らには結局有効な手立ては打てずにいる。特鋼には、それこそ金によって懐柔されているのと同然。結局、首都とは名ばかりの無法地帯として、十二年もの間まかり通ってしまっている。

「俺は西の方に行ったことないんだ。ずっと新潟とか福島の方にしか行ったことないから」

「私にとっては……里帰りみたいなものね」

 哲樹はその時、絵子との立場の違いにやはり疎外感を覚えた。何とかして理解し合いたいとは思うが、どうしてもこれまで辿ってきた境遇が全く違う。

「危険じゃないのか、特鋼の支配下って?」

「多分、こっちとそんなに変わらないかな。資源の開発や採掘には力を入れてるけど、行政はなおざりにしてる。結局、治安はあの戦争からまるで回復していないまま」

「京都以外はどんな感じなんだ?」

 ほとんど地図でしか見たことのない場所について。

「大阪には何回か行ったことがあるけど日本人より外国人を見つける方が簡単なくらいよ。日本語が通じない場合も多いからね」

 哲樹はそれを聴きながら、暗澹とした気持になった。日本だけではない、世界が終わりつつある時代だ。それでも生きていかなければならない。ただ今日の命をつなぐためだけに。

「絵子はそれでも、もう一度京都に戻りたいんだな」

「あいつ以外に呼びつけにされるのは、慣れてない」

「何だ。じゃあ、絵子『くん』とでも呼べばいいのか?」

「女の子に『くん』はないでしょ?」

 なぜ、絵子がこれほど拘るのか、哲樹にはどうしても理解できない。

「つまらないな。何で男女でそんな区別があるのか、分からないね!」

 体つきが違うだけなのに言葉や身だしなみにまでその区別をつけなければならないことに辟易する哲樹。

「お前がよく言ってる『あいつ』ってのは誰か、教えてくれないか?」

 絵子はむすっとして口を開かない。

「……飲水を補給しなきゃならない」

 哲樹は紫色の壺みたいな物体を手に。

「太刀巳さんからもらった浄水装置だよ。これを使えば飲んでも問題ないくらいの品質にはなる」

「特鋼にもそれくらいの道具を開発するだけの技術があればいいのにね」

 絵子の発言から、どれほど特鋼が歪な集団であるかを哲樹は学習した。

「山幸号みたいななまくらばっかり作ってるんだろうな」

 後ろの機体を見やりながら。無論、操縦に必要な物はポケットにしまってある。電子コードを読取らなければ決して起動しない仕様なのだ。古いとはいえ、高価な代物だ。タイヤに穴をパンクさせようとする輩など、神研の過激派以外には誰もいまい。

 絵子は顔を洗っている。まだ完全に心を開いたわけではないが、この一週間ほどで大部互いの警戒心はほぐれた。

 無論、言えないことはごまんとある。特に親についてははほとんど話したことがない。

 絵子が三菱特鋼の手の者ということもあり、哲樹は無条件で彼女を守ろうとする気にはなれなかった。仮に京都までたどり着いたとして、自分が歓迎されるわけはないのだから。

 無論、かといって絵子を見捨てることもできない。少なくとも仕事として、絵子を『護送』するしかないのだ。

 しかしここ数日、驚くほど誰にも狙われない。虚無主義者らしき姿も見えなかった。

 こんな一日がいつまでも続けばいいのに――


 だが、平穏はいつも突然終わる。

 水草を乱暴に踏み荒らす音。遠くから、敵がやってくる。

「我々は神智学研究会だ! 東京から違法に逃亡す人間は罰する!!」

 メガホンでこちらに警告を発している

「逆らわなければ命は奪わない。いいから早くこちらに戻れ!」

 そんな言葉、信用できるわけもなく。

 すぐ何メートルも離れた山幸号に駆け寄ろう二人。だが次の瞬間、夜空を突然青く光る矢が飛び、草原の上に険しい火柱を建てた。

 連中、完全に殺す気だ。

「倒さなきゃ……どうすれば」

 哲樹はすぐさまあの行動を起こそうとしたが、このままではまともに身動すらとれない。

「そうだ!」

 時に、絵子は突然思い出したかのように川に手を突っこんだ。突然、ばりばりと音を立てて水の表面がひび割れた氷に凝固していく。哲樹が驚いて少女の顔を見ると、いかにも冷たさで辛そうな表情、水を突っこんだ手を抑えている。

「どうすればいい?」

「投げるのよ。この氷の破片を」

 早口の絵子。哲樹は戸惑ってはいたが、何とかその意図を汲取り、

「やってみる」と氷の破片をつかんだ。異様に冷たかったが、もはや躊躇する時間はない。哲樹はもう何メートルか先にいる団員に向かって氷の破片を投擲していた。我ながら拙い動きだったが。

 氷の破片は、一瞬で哲樹の手から姿を消していた。どこに消えたかと疑う間もなく、敵の一人が悲鳴を挙げて地面へ倒れていた。腕から伝わる異能によって氷の動きを加速していたのだ。

 哲樹は更に氷を投げて何人かを倒した。

「だが」


「お前たちの運命もここまでだ」

 萌は拳を後ろに回して、静かに、しかし冷酷に近づいていく。

「すでにあの男は俺が罰した。お前も奴のようになる」

「まさか――」ほぼ同時に動揺する二人。「一ノ瀬魁平か?」

 その後を、萌は言わなかった。哲樹は震えた。

「能力者をこの東京から逃がすわけにはいかん。特鋼に人材を取られてはかなわんからな」

「能力なんて、一体何の役に立てるというんだ?」

「決まっている。真理の探究だよ」

 萌の深淵に見えて、何の中身もない発言に哲樹は失笑してしまいそうになった。この恐怖ばかりが高ぶる状況では、もはや震えが笑いに転じそうになる。

 心配そうに、絵子の方を見やる。絵子の瞳が泳いでいた。ここから逃出そうとしているのか、あるいはまた別の脅威から逃げようとしているのか。

 すでに、萌の手から刃が伸びていた。何の迷いもない眼つきだ。

「お前たちもあの老いた死神と同じ目に遭いたいのか?」

 萌は両手から光る剣を伸ばしている。

 こちらにはもはや戦う力がない。絵子も哲樹も低い気温と地面の険しさのせいで予想以上に体力を消耗してしまっていた。


 銃声が鳴った。

 哲樹がとうとう覚悟した途端、萌の背後に控えていた団員が突然倒れこんだ。

 萌は目を見開いて、鋭く振向いた。

「人生に意味はない」

 白い衣装に、白い仮面をつけて、異形の人間が何人も現れた。少なくても、十人は越えている。

「全ては無に帰り行く」

 衣装には黒い文字で、NIL ADMIRARI(不動心)とかEX NIHILO NIHIL FIT(無からは何も生じない)という格言。

「伏せて!」

 絵子が哲樹の肩を叩いた。直後、銃弾が飛んだ。

 能力者たちがあたふたする間、仮面はすでに何十歩か近づいていた。

「能力者だ」「消せ」

 哲樹は草むらを転びながら逃出そうとする。絵子は未だ上半身を起こせずにいる。

「虚無主義者が!!」

 萌は怒りをこめて叫んだ。そして仮面たちに立向かい、光る刃を漆黒にきらめかせて斬伏せていった。

 仮面は臆することなく萌を囲んだ。そして、銃を構えあるいはナイフを振りかざす。

 萌はさすがにひるむことはなかったが、彼らの恐怖を感じた。

 誰一人うめき声を発することなく、血を流しても何の痛みも主張せずに萌を襲続けた。そこには悪意も好奇心もなかった。ただ、有を無に戻すという運動を萌に施しているかのようだった。さらに萌に嫌悪感をかきたてたのは、虚無主義者がどんなに深手を負っていても、その動きは俊敏を全く損なわない。

 この世に対する無関心を貫いた結果、痛覚すら卒業したということなのか。

 哲樹は四つんばいで逃出した。絵子のことすら気にかけず、そこから混乱を脱出しようと。

「ちょっと、ま――」

 まるで見捨てるような動きに腹を立てる絵子。

 絵子は山幸号が戦場に突ッ込んで虚無主義者の群をなぎ倒すのを見た。

 このまま加速し、萌を轢倒そうと。

 しかし萌はすんでの所で腕を車体にぶつけただけで、横に躱していた。哲樹は、舌打する気力すらなかった。もう目前には生気のない白仮面が棒立になって接近していた。なぎ倒した。ボーリングのピンみたいに。数人の仮面だけが、山幸号の暴走を免れ、一目散に逃げ出していた。

 今は守らなければいけない存在がいる。

「乗れよ!」 そう叫んだとき、哲樹自身があきれていた。なぜ、こんな風にかっこつけるんだろう。

 物語の中の英雄じゃないんだぞ。絵子は哲樹の顔色をうかがうまでもなく、座席へ乗込んだ。


 修羅場は長く続かなかった。腕や脚を明後日にへしおって、赤く染まった虚無主義者たちの遺骸を踏みつけながら、萌は立上がった。団員は数人息があるように見えるが、とても連れて行けるほどの容体とは見えない。

 体中を汚し、茶色い塵で顔を満たした萌ははるか遠くに灯火と化した山幸号をにらみながら、

「あの小僧ども……次会った時は絶対にぎったんぎったんにしてやるからな!!」

 寂しく叫ぶ萌。

 甘い物が食べたくなってきた。酒に酔えないので、それによって悔しさを紛らわすしかないのだ。



 片方の座席に座り、まだ茫然とした表情のままでいる絵子。

 まだ哲樹が車に乗って戻ってきた理由をよく知らないままだった。

「どうやってこの車を呼んだの?」

 哲樹はハンドルから片手だけ離し、一つの厚いカードみたいな装置をさっと見せた。

「この手の装甲車には一台必ず操作用の携帯があるからな、これを使って召喚したのさ」

 絵子がそれを取ってよく見ると、例の携帯とやらは昔のガラケー――スマホより前時代の――に似ていた。

 もはや博物館でしか見つからないような遺物だ。一昔前は、携帯電話を使って人間が情報や音声をやりとりする時代が確かにあった。2034年にインターネットが世界的な電波障害で崩壊して以来、かつての情報化社会はもはや民衆が気軽に享受できるものではなくなり、政府機関が機密情報をやりとりする程度の手段でしかないのだが。

「これ一台があれば山幸号の中にある武器を操作することだってできる。奪われたって認証機能があるから簡単に乗っ取られたりしない。父さんが独自に改良したんだ。三菱特鋼の技術を研究した上でな。絵子は、そういうの知らないのか?」

「私の父は、こういうのを主に研究していたわけじゃないから」

「まあ、だからといってこれより危険じゃない物を研究していたってわけでもないけど……」

 意味ありげにうつむく。

 哲樹はその意図を尋ねようとしたが、すぐにやめる。嫌な予感がした。俺は、何か踏みこんではいけない領域の前に立っているのではないのかと。

「もしかしてあんたの父親は超能力者の育成に携わっていたのか?」

「……そうなるかもしれない」

 絵子はそこからしばらく口をきこうとしなかった。


 ◇


 哲樹と絵子が決死の旅を続けている中、遥か遠いある場所で。


「……『片割かたわれ』の行方はまだ分からんのか」

 黒い背広を着た初老が、パソコンの隣に置かれたスピーカーに向かって尋ねかける。

「はい。例の超能力者検知レーダーでもまだそれらしき人物は見つかりません」

「異能戦争の中で『片割』は行方知れずとなった。老いぼれめ、自分の娘を逃がしたからこうなるのだ!」

 蝦夷は悔しげに机を叩いた。

「この超能力がどこから来て、我々をどこに導くのか、知っているのは『片割れ』だけだ。全ての超能力者は彼らに比べれば木っ端に過ぎない」

 外は漆黒の闇に包まれ、わずかな街灯がちらちらと見える他は全くその正体を見せない。

 

 蝦夷かい。三菱特鋼を大企業に成長させた功労者――といえば聞こえはいいが。

 今では、彼は社史編纂という閑職に追われている。

 三菱特殊鉄鋼という、もはや国家を凌駕する力を持つ企業だ。その中で行われる権力闘争がどれほど熾烈か。部外者には分かるはずもない。

 創立において彼は特鋼の民間軍事会社(pmc)としての発展を決定づけた立役者だった。だが今ではすっかり窓際に追いつめられている。

 その立場を復活させるには、全ての超能力者のおやである『片割れ』たちを集め、その中に宿る力を元の姿に戻すしかない。2015年に発見された、あの時と同じ姿に。

 蝦夷は焦る。この巨大な企業において、彼の年齢や経験はとるに足らない。それどころか、彼よりも早くから権力と名声をほしいままにしていた人間はさらに栄華を極めようとしている。

 あいつらよりも先に俺が死ぬかもしれんのだぞ――この賭けに、不安と失望すら感じていた頃に。

「報告があります」

 まんざらでもない様子で受話器からごく薄い形の電話機をとる蝦夷。

「今度はどうした?」

「第33区域監視班です。東京から脱出する二人の男女が見つかりました」

「それがどうした。そいつらが『片割』である保証はどこにもないだろう?」

「例の人物とよく似た姿なのです。送られてきた写真データとよく符合しています」

 蝦夷は慌てて机の上にあるノートパソコンを開いて、画面を覗く。

暗視スコープで撮影された写真の中に、二人の少年少女の姿があった。その片方の人間に、白い光が宿っている。確かにその反応が、ある。二つの情報が符合している。

「間違いない。『片割』だ」

 満足げに蝦夷は言った。

「この少女にこそあの力が宿っている。あと二つ同じ力を集めれば、我々の大いなる目的が一歩前進しする。あれがなければ超能力者を制御することができん。日本の統一を成し遂げることもな」

 だが、向こう側の声は意外と冷淡。

「それはそこまで重要なものなのですか? 神研を倒すことに直接役に立つわけでもない」

「神研など問題にならん! 『片割れ』が終結したその際には神研も虚無主義者も意味をなさなくなる。新しい世界が特鋼を通じて実現するのだ」

 果報者だ、と我ながらかすかに思う。だがこの時ばかり、蝦夷は雄弁。

「私の目的はなぜ超能力が誕生したのか、解明することではない。あの日人類に現れた超能力を通して、さらなる進化を遂げるためだ」

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