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03 ひそかな脱走

 やってきた側近に背を向け、徳富とくとみ愛夢あいむは仁王立ちで報告を聞いていた。

 床にはもう何のために使うのか分からないようなケーブルやら電化製品の残骸があちこちに散らばり、窓は全て跡形もなく割られ、外の冷たい空気が直に入ってくる。

「脱走者が出たそうだな」

「はい。相模原方面へ向かっております」

 打捨てられた東京タワーの一室で、一面灰色の街を眺めながら、振返る。名前にも反して、顔のあらゆる部位が大きく、突出している。これほどいかついという形容が似合う表情もあるまい。恐らく、十年以上この狭い土地を必死に守らなければならない苦境が、この顔を作るように鍛練させたのかもしれなかった。

 クリーム色の空に白い太陽。空だけ見れば、まるで明るい未来が広がっているように見える。

「二人おりました。奴らはまだ物心もついていない歳の人間だ」

 逃亡者の写真も、すでに撮られていた。この密な空間の中では、誰かが不審な行動を取ろうものならすぐ気づかれ、報告されてしまう。強圧的だの歪つだの言われようが、この監視体制こそが神研の支配を最も安定させるものだ。

「あれと似た形の物は異能戦争で見たきりだな。なぜあんな旧式を?」

「破棄されていたものを利用したのでしょう。いまだにこの東京中に特鋼の製品は多く散らばっていますので」

 愛夢は拳をにぎりしめ、部下の前で振る。

「それも破壊しろ。我々は能力の加護の元に立つもの。文明の利器など不要だ」

 二階堂にかいどうもえは手に力をこめた。脳から何かの電撃が滑落ち、腕の中で何か鋭い刃を形成しようとしている。無論主の前でそんな無礼は許されないが……かつて強敵と戦った時の快感が目覚めようとしているのを、どこかで抑えきれずにいる。

「能力に感謝を。所で、明日の朝飯のお菓子は何に致しますか?」

「こしあんの饅頭だ。あれがないと作戦を立てる気力もないのでな」

 震えあがるような強面に反して愛夢は甘い物が好きだったが、今の時代そんな嗜好品は特鋼の方に持ち去られているのが現実だ。だからそれを手に入れようとすれば向こう側に行かなければならなくなる。その現実をかいくぐって、一部の運び屋が秘密裏に食品などの必需品を密輸してはいるのだ。無論特鋼の取締も年々厳しくなっている。この現実が一体いつまで続くのか。

 萌は死神と呼ばれていた。東京の治安を乱す人間を密かに抹殺するのが使命。彼はこの神智学研究会に数年間、忠臣として仕えていた。

 この東京という地に、萌は硝煙の匂いを感じていた。元からこの街に異能戦争で戦場となった程度の印象しか持っていないからかもしれない。それでも彼はこの街に昔日の繁栄を呼戻すための方策を何か考えているわけではなかった。そんな建設的な人間ではないから。

 神智学研究会。名もない大学、元はごく数人がオカルトな話題を調べ研究する零細サークルに過ぎなかった。それだけなら日本の歴史教科書に決して載るはずのない存在だった――が、運命のいたずらが全てを変えた。

 今、神智学研究会は、この東京中――厳密に言えば、東京都西部、また千葉と茨城の一部――を支配している。日本政府の機能は新潟の魚沼うおぬま市に移り、関東地方はすっかり荒廃してしまっている。だが今や内閣も国会も事実上特鋼の協賛機関と化し、事実上二つの国がこの島々に君臨しているのだ。

 神研と特鋼がこの高度に発展した企業はもはや国家と区別がつかない。


 ◇


 能力などという物を、なぜ持ってしまったのだ。『手に入れる日曜日』だというが、俺にとっては『手に入れてしまった日曜日』だ!

 一ノ瀬魁平は同じ一日を繰り返している。

 手にしたものが朽ちて行ってしまう。ただ意図しているわけでもないのに。一度、ごろつきを殺してしまった事件以降、もはやほとんど人に姿を見せなくなった。

 神研は領内の能力者を厳重に監視している。誰が能力者で、どんな能力を持っているか、必ず申請しなければいけないことになっている。だが能力が社会に与える危険を考えれば、まだその程度の規制では意味をなすまい。

 魁平はそんなことを明かす気はなかった。神研が何をしでかすか分からない連中なのだ。しかも彼の持っている能力は、死をもたらす力。存在が明るみになれば、間違いなく狙われる。

 そして今は、布団の上に伏している。常に、殺されるかもしれない恐怖に怯えながら。

 

 外で誰かの声がする。殺しに来たのか。だがその割には、敵意がない。

「どうする? ここも人影がない」

「二十年前と違って……廃墟なのよね」

 魁平はもはやいても立ってもいられず、二人を殺してしまおうかと考えた。手を触れただけで人を殺すことができるのだから。だがすんでの理性で、彼は二人と話し合うことを決めた。

「ごめんください。誰か、いらっしゃいますか?」

 魁平はわずかだけ玄関を開き、かろうじて目だけを、見せた。

 向こうでは、幼げな感じの残る瞳が不安そうに。

「怪しいものではありません。この辺りで車を駐める場所がないか探している者でして」

 目つきの悪い、いかにも柄の悪そうな少年が険しい物腰を与えないように、慎重に語りかける。

「車を駐める? 今の時代、車を持つことに価値があるのか?」

「旅の者です」

 少年は冷汗をかきつつ、いかにもしゃべることに慣れていない様子だった。だが魁平はそれより直感で、

「お前らも……能力者なのか」

 狭い隙間からのぞきこみながら低い声、尋ねる。

「能力者なら、俺がこの界隈で恐れられていることくらい知っているはずだ」

「僕たちも能力者です。追われる側であることは知っています」

「能力は、人間を不幸にする」

 同じ能力者で理解しあえるなど、魁平は少しも思っていなかった。自分があまりにも被害者すぎて、これ以上のひどい境遇などもはや想像もできない。

 たとえ何者であろうが、この俺の悲惨さに勝るものではない。

 少年はしかしそれを理解しようとはしなかった。年月の差だ。まだ希望というものを信じているからか。

「僕の父親は超能力者に殺されました。そして今も神研に監視されている」

「ちょっと……哲樹?」 隣の少女が小声で。

「この東京では能力者以外の人間は生きていけない。能力者は生きることも死ぬこともできないような環境に置かれ続けている。だからここを出る」

「北に逃げる、というのか?」

「いや、特鋼の方に」 魁平はますます、哲樹に怪訝な眼。

「聞かせろ」

 そして、中はごみがたまっていて、見るに堪えない。

「お前らはこの東京をどうやって抜出すつもりだ」

「神研の詰所を虚無主義者が襲撃するので、その時に逃げます」

 魁平はもはやその時点で二人の会話を聴くつもりにならなくなっていた。

「お前らはいい奴らだよ。そうやって逃げる手段がある。俺にはそのための金もない。暴れる勇気すらないんだ」

 魁平は『能力者手帳』と書かれた小さな札を見せた。仰々しくも『神智学研究会公認』と下に小さく。

 これこそ、神研による東京の支配を象徴に敵に示している文物だった。

「俺はここで生きていくしかない。誰の助けもなくな。危険な能力を持ってる人間は生きてちゃいけないのか? お前らだって能力者だというのに!」

 少年は黙り込んだまま、何も言わない。

「さあ、行ってくれ。俺はもう何もしていたくないんだ。俺は寝る。そしてまた同じ毎日を過ごす。ずっと変わらない毎日を……」

 青い髪の少女は、苛立った風に少年の顔を見る。

「哲樹、もう行こうよ。こんなのに構っていても……」

「でも、ここにいてもどうにもならないでしょう?」

 少年は、まだ情をかけるかのように詰寄る。

「虚無主義者が襲いに来るかもしれないんです。いつか特鋼が襲いに来るかもしれない」

「それはお前らにとってどうでもよくなるんだろ?」

 ふと魁平は床を見下ろし、そこまで散らばっていた落ち葉を手でつかんだ。すると、瞬く間に砂になって崩れ、虚空へ舞上がっていった。

「これが俺の力だ……色んなものが勝手に腐敗してしまう」

 二人とも、あっけにとられていた。

「俺にお前らを傷つけさせる気か? なら去ってくれ!」

 魁平は叫んだ。それからまた畳の上に臥して、再び絶望にふけり始めた。

「そうでないと、俺はお前らを傷つけたくなっちまう」

 全身が震えていた。弱者は弱者同士ですら仲良くできない。それどころか、自分よりも劣った弱者を見つけ、虐げることでしか希望を見いだせないのか。

「出よう、哲樹。私たちは何もできない」

 少女は少年につぶやいた。そして、二人はやや雑な動きで玄関から姿を消していった。

 魁平は壁にぐったりともたれた。

 思えばずっと報われない人生だった。新型ウイルスだ。それのせいでほとんど仕事らしい仕事もできず、数十年を過ぎようとしていた時に『手に入れる日曜日』に出くわした。それによって彼は能力を手に入れた――物を腐敗させる力を。だがそれが何の役に立つのだ。

 理解できないことに、この能力を使って金や権力を手に入れようとする輩が現れだした。一人や二人ではない。彼らは自らの私利私欲のためだけに能力を使い、さらには国家にたてつくような真似すら始めた。

 この男は無論、そんな争いには一切関わろうとしなかった。一度利用されれば、いいように弄ばれて捨てられるだけ。しかし、魁平の存在をかぎつけ、その身を奪おうとする連中がいた。

 魁平は周囲の人間との関係を絶ち、名前を隠し、住所も隠し、国中を逃回った。ただ、人に能力を知られないために。能力のせいで誰かに迷惑をかけないために。その逃避行には終わりがなくて……

 そして、現在に至る。

 先ほどの二人は、なぜ神研から人間も、能力者なのだろうと思った。

 いずれ、俺もあの連中に殺される。悲劇の人生は止められないのだ。

 しかしあの小僧は女を連れていた。女か! シェイクスピアは「弱き者よ、汝の名は女!」と書いたそうだが、弱い男は弱い女以上に救われる見込みがない。


 ◇


 哲樹は魁平に懲りた。魁平の絶望の深さに、ただただ絶句していた。人に危害を加えるどころか、存在するだけで人間の命をおびやかす。そこから来る自責の念は耐難いものだ。

 想像以上に、世の中には荒んだ心の持主が多い。


 もはや車など通ることがない道路の真ん中、雑に止めた山幸号に歩み寄る少年少女。

「やれやれだ。車を止める場所を探してただけだったんだけどな」

「あの人にとっては人と会うこと自体が苦痛だったのよ」

「そうか。俺は人に会うことに飢えてるように見えたがな」

 どっちにしろ、それはあの老人に相当な苦痛を与えていると哲樹は思う。だが何もしてやることはできない。彼ら自身が一番助けを求めているからだ。

「あの人は、物を朽果てさせる能力の持主だと言ってた」

「能力にはどんな危険なものがあるか分からないからな……いつ発現するものなのかさえ分からないんだ」

「お前は……いつから能力を覚醒させたんだ?」

「私は六歳の頃だった。部屋で遊んでいた時、急にポルターガイストが起きたのが始まりだった」

「俺は確か十歳の時だったかな。持っていた腕時計の針が急に回り始めた時はさすがに驚いたよ。で……その時みんな、どんな顔を浮かべたんだ?」

 親切な回答など望んでいなかったが、絵子は実に答えづらそうな顔をしていた。


 ◇


 危険な能力を有している人間は、それだけで監視の対象だ。しかも体制に反抗的であるというのなら、抹殺するほかはない。

 萌は、一ノ瀬の家をすでに突き止めていた。そして、その扉の前に立ち、

「一ノ瀬魁平! いるのか!?」

 乱雑に戸を叩く。

「お前がここから出てこなければこちらから強引に入るぞ。いいのか!?」

 しびれを切らし、中に入りこむ萌。

 その瞬間うっ、と思わず鼻を塞いだ。もうほとんど何年も掃除すらされていない家の中で、蜘蛛の巣やらポリ袋やらが無造作に壁と床を這っていた。

「あ、あいつらか」

「そうだ。お前の身柄を拘束しにきた。大人しくすれば命までは奪わん」

 そんな言葉は、嘘に決まっている。

「誰がお前らなんかに従うか?」

 窮鼠猫をかむ。

 にわかに生気のこもった顔になり、魁平は団員の胸倉をつかんだ。

 団員は急に青ざめた顔になり、頬から額に深いしわを寄始める。

「これが貴様の力か」

「俺は悪くない……悪いのは全てお前らの方だ」

 魁平には、目の前にいた人間が、これまで自分を見棄て、責めた仇敵と重なって見えた。こいつらに慈悲なんていらない。

 つかんでいた団員を乱雑に投捨てると、胸から上、急速に黒いしぶきをあげて蒸発し始めた。

「この世全てが憎い!!」

 歯をかみしめながら叫ぶと、突然その黒い瞳が光を放った。

 危険を感じて萌が床に伏せると、衝撃波が隅から隅へと飛散り、プラスチックの包装やティッシュを灰色の砂へと変えていく。

 怖ろしい力だ、と感嘆する萌。

 この力があれば三菱特鋼に対しどれほどの戦力になるかしれない。だが一番の問題は、こいつがそれを決して認めないことだ。

「この子供おじさんが!」

 萌は怒りに満ち、刃でその腹を貫いた。

 血は流れなかった。わずかに、魁平は刃を両手でつかんで体から引抜こうとしていたが、痛みに耐えかねたのすぐ腕を垂らしてしまった。それからはもはや何の気力も見せずに、腰から地面へ倒れこんだ。

 まだ、生きている。能力を開放したためか、ますます悪意を秘めた眼で、萌を呪う。

「何を言っているんだ!? この男は……!!」

 魁平を倒すと、萌は後ずさった。しばらく、魁平はうつろな瞳に最後の激情を宿して天井をにらんでいたが、黒い稲妻を放ちながら全身をしみに変え、ずぶずぶと床に吸いこまれていった。

「貴重な人材を失ったものだ」

 品性さえあればこれほど落ちぶれることもなかったろうに。萌は、ずかずかと死者の棺桶を出ると、

「あとはあのガキ二人を追う。菓子の調達はその後でいい」

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