14 東京の戦い
三菱特殊鉄鋼の印章を胸のポケットに張り付け、兵士たちは装甲車を駆って上空を駆け抜けていった。不格好なドリルの形だが、その速度はジェット機に勝るとも劣らない。
その遥か下には、手つかずのまま数十年間遺棄された廃墟が沙漠のように広がり、人の姿どころか鼠一匹すら見当たらない。……いや。
この都市の盛衰は誠に目まぐるしいものがある。百年前も同じような荒野だったのだ。そこから復興し、またも荒廃していった百年の歴史の終局に彼らはいる。もし心ある人間なら、そこに何かの感慨を見出さずにはいなかったろう。
だが敵を倒すためにやってきた彼らにとってその都市は単なる攻略対象でしかない。しかも、すでに兵士たちは超能力による攻撃にさらされていたのだから。
瞬く間に、数台の装甲車が火を噴いて撃墜された。地上から光の柱がほとばしり、幾層も重なった金属の板をぶち抜いていた。それも載っている人間の肉を貫いてだ。
途端、機銃が能力者に向けて火を噴き、薬莢が装甲車の横から飛散った。。
最初、謎の幕が虚空に描き出され、銃弾を静止させていた。だがその超能力者が不可視の盾を保つ力を失ったのか、静止していた銃弾が一瞬で見えなくなった。
一秒と数える間もなく、何十人といる能力者が血と肉の嵐にその姿を変えた。
それはまさしく地獄の光景だった。もはやここに至っては
地上にいる超能力者の一人が、仲間の死に目もくれずその力で虚空を圧縮し、数秒後にいくつかの装甲車を爆風で包んだ。
東京にはかつて特殊鉄鋼の本社もあった。京都にあるそれはかつて支社だったものだ。
兵士たちも、能力者たちも、もはや旧本社がどこにあるのかなど皆目知らない。今やどことも知らず朽ち果てているか、あるいは悪意ある何者かに爆破されたか。そういう風にしか考えていない。
この数年の歴史ですら、もはや詳細に記録している人間は稀なもの。
さらにその後方では。
「敵能力者を地上で引き寄せるッ! その間にッ!!」
ここは巨大な航空母艦『いざなぎ』の艦橋。
禅造がいつもと変わらないはきはきした声でしゃべり、背後に置かれた巨大な電子掲示板を指さしつつ、
「地下水道ッ! そこを通って東京タワーに突入しッ、敵の総首領徳富愛夢を拿捕するッ!」
詳細に映し出される東京の地図。地名や通りの名前が詳しく書かれ、さらに軍隊の進行経路までもが精密に描写される。
「その後は敵から愛夢を死守しろッ! 奴らは愛夢を守るためなら何でもしでかすからなッ!!」
禅造以外は誰もが緊張した面持ちで説明を聴いていた。空を切り裂く轟音と銃弾の音がひっきりなしに壁をなぞり、通り過ぎていく。
禅造たちがいるスペースより上の方では、円形の廊下に座って、数十人の能力者が静かに瞑想に明暮れていた。愛夢の居場所を探知し、またもっとも犠牲の少ない最短ルートを導くためだ。予知能力者は反抗する力を持たないので特鋼の中では一際重宝されている。防音ガラスで隔てられているので外部の音に思考をかき乱される恐れはない。
「貴官ら、何か質問はあるかッ!?」
数秒間、気迫に気おされて誰も質問することはできなかった。
「愛夢に対して麻酔銃を撃つことは許可されますか?」
恐る恐る尋ねる一人。
「許さんッ! 奴には傷一つつけてはならんッ! 生きたまま捕らえろッ! 能力者の貴重なサンプルだからなッ!」
と言って、一瞬だけ群衆の内一人を見つめた。
萌は、禅造の視線を浴びてもはや動揺するより辟易している。なぜたった数日間会っただけの、それも以前は殺し合う仲だった人間に注目されねばならぬのか。
「だが、捕らえるなら手段は自由だッ! 能力者には徹底的に己の無力さを痛感させておけッ!」
愛夢が一体どのような能力者であるのか分からない。
であるからこそ、能力者に対する武装は、まるで軍艦や戦闘機を相手にするかのように過剰。
兵士たちにはごく小さな灰色のケースが一つ一つ渡された。中には、金色のメッキがほどこされた弾が六つ入っている。
対超能力抵抗弾。ある程度念動力がかかっても変わらず速度を維持し続ける銃弾だ。それどころか、皮膚の表面で繰返し爆発し、裂傷を広げる力もある。いくら能力者とはいえ肉体的には常人と異なる所はないはずなのだが。
「『いざなぎ』は一時間後東京タワーに突入する。」
萌には、禅造が普段どんな生活を送っているのか皆目見当がつかなかった。平和な世の中では生きていけない種類の人間という共通点しか見いだせなかった。
それは実に壮絶な光景だった。『いざなぎ』の華奢で色白な艦体が無理矢理鋼鉄の壁に寄添い、特殊な溶解スプレーで穴を開けた。そしてごくわずかな面積しかないハッチまるでロボットのような装甲を着こんだ兵士が息せき切ってなだれ込んできた。
それからもはや、地上と大差ない地獄。
数時間後、特鋼兵たちは能力者の壁を打ち砕いて東京タワーの一室にたどり着こうとしていた。
禅造は自らの手で数人の能力者を射殺し、先陣を切った。まるで軍神となったかのように荒々しく、陽気な身のこなしで敵の喉元に迫ろうとしていた。
「来たか、特鋼め……!」
愛夢が目の前の敵をにらみつけると、途端に天井や床がみしみしと軋んで衝撃波が走った。
兵士たちはたちまち後ろに吹き飛び、壁に叩きつけられる。
愛夢はたった一人で奥に立っていた。銃も剣も身に着けていなかった。
だが左腕をさっと横にないだだけで、無造作に散らばった機材と見えない壁に兵士たちが挟まれ、体をあり得ない方向に捻曲げる。
数人がかろうじて起上がり、よろめきながら発砲するが、愛夢はさらに力を発揮した。
銃弾は彼に届くまでに力を失い、空しく床に散らばるに過ぎない。
「お前たちに超能力者を殺せると思うな!」
無論指揮官がこの苦境を是認するはずもなかった。
「できないだとッ!?」
ただでさえ恐ろしげな顔が怒りに黒く染まる。
「あまりにも超能力による圧力が強く、愛夢のいる部屋に接近できません!」
彼は眥が引裂かれそうな形相で叱りつけた。
「ふざけるなッ! 我々は勝つために東京に来たのだッ! ここで負ければ二度とこの機会は来ないッ!!」
凄まじい形相に驚いた兵士を見下ろし、再び表情をほころばせ、
「奴は決して逃げはしないッ! もはや逃げる場所もないからなッ!」
愛夢のいる方向を見つめる。たった一人でこの危険な地域に突進することさえ厭わないような、今にも駆けだしそうな勢いで、
「抵抗弾用意ッ!」
禅造は手のひらを見せる。
誰もが、その意図を理解しかねた。理解してからも、正気を疑った。
「指揮官どの! ここは危険です、どうかお下がり――」
「私がやる!」
無理矢理ライフルをもぎとり、奥の部屋へ走りだした。
「小僧、貴様も来い!」 振り向くこともなく。
萌は、自分が小僧と呼ばれるほど幼くないと内心不満を漏らしながら、渋々従った。
愛夢は深く念じて、見えない障害物を空間中に展開していた。それは壁のような形を取り、あるいは瓦礫のように不定形だたが、それは鋼鉄よりも頑丈に張巡らされ銃弾の命中を困難にしていた。
この東京でまるで虜囚のような生活を強いられてきたのだ。今さらどれほどの鬱憤を晴らしても晴らし尽くすことなどないのだ。
「全て下らん!」
ただ一つ、権力を死守することだ。闘争の果てに勝取った権力を頑なににぎり続けることでしか、愛夢は自分の存在価値を維持することができなかった。
「お前たちがいなければ、今頃私は超能力の文明を築き上げてきた所だ!」
ただそれを無造作に操るだけで、敵は押しつぶされ、蹴散らされる。
そして
「首魁ッ! 徳富ッ!! 愛夢ッ!!!」
「私は磯野禅造ッ! 今降伏すればッ! 貴様に栄光ある半生を約束してやろうッ!」
愛夢は茫然とした。敵の指揮官ともあろう人間が、命の危険も、責任感も捨てて死にに来ているのだ。
「この俺を懐柔する気か? そんなものは無駄だ」
そのままこの部屋を覆う壁を練り、禅造を圧殺しようとする。
しかし、それは果たせなかった。愛夢が能力を発動させようとした瞬間、禅造から放たれた一発の弾が彼の服の裾を掠めたからだ。
なぜだ。なぜ、能力によって銃弾を弾き返せない。
「貴様は貴重なサンプルだッ!」
こちらを、人間とも見ていないような瞳。
徹底的な断絶。もはや憎悪の対象ですらない。愛夢が、今まで見たこともないタイプの人種だった。
恐怖を感じるか、怒りを感じるか、それにすら迷う。
だが、その判断を決めかねている間に突然愛夢は体の一部が切り落とされた感覚に襲われた。痛みなどなかった。それは急にやって来て、怒りの中に驚きを混込んできた。
彼にしか見えない不可視の壁が裂け、地面へと落下した。
切断したのは、たった一つの刃だ。それも人間の手から伸びている。それを確認した直後には、もう愛夢は体を後ろにそらさなければならなかった。
「まだ降伏しないか、愛夢?」
萌は身の丈の何倍もある剣を前方に突きつけながら愛夢に迫った。もはやあの敬愛の念などどこにもなかった。
「萌……裏切りおったな」
愛夢は壁を一気に近づけ、透明な鎧を形成した。
「俺は力が欲しい。『片割』を手に入れたいんだ」
「そうだ。俺も清伍を殺してその力を手に入れた。なら俺を殺してみせろ」
つまらん争いだとばかり、煽る禅造。
「萌ッ! さッさとやッてしまえッ!!」
愛夢はとっさに禅造を殺そうとしたが、萌の燃盛る闘気がそれを許さなかった。二人だけが、その空間で戦っていた。
わずかな隙ができた。禅造の指揮下に会った
愛夢の肩に銃弾が撃込まれた。
血を吐き、倒れる愛夢。乱暴な足取りで近づき、その胸倉をつかむ萌。
「お前は殺さん。死ぬことすら許さんがな」
達成感はない。どうせこの功績も特鋼の物になるのだから。兵士たちの元に引きずり出すと、身柄を手渡すまでもなく彼らは寄ってたかって愛夢の体をまさぐり、抵抗しないかどうか念入りに確かめた。
◇
「これでこの都市も完全に終わったな」
道なき道の上、弾丸と爆発の音を後ろに聴きながら、太刀巳はジャンクをできるだけ詰込んだ車を走らせていた。不謹慎とは分かっていても、もし今が夜だったら爆発が巻き起こす光がさぞかし綺麗な花火模様を練り上げているだろうと妄想をせずにはいられなかった。
この国にいても仕方のないことだ。こうなったらもはや朝鮮半島か沿海州にでも逃れるしかないだろう。実際ナホトカにその筋の友人がいるのだ。食い扶持には困るまい。
「哲樹とあの娘、生きているといいが」
◇
絵子は目が覚めた。もうその時点で、迫りくるような恐怖を感じて息を飲んだ。もうここは、敵地のまっただ中。
灰色の無機質な部屋。電灯が一つだけ、寂しく天井を照らしている。ベッドの感触も固く、あまり手入れされていない印象を与える。自分がこれからどうなるか全く分からない。
横に、すぐ鉄格子。この艶や冷たさからして、間違いなく、超能力を通さない素材だ。
哲樹の姿は見えない。
「哲樹!」
「絵子……いるのか?」
数秒を置いて、
「隣に、いるの!?」
「ああ。ここはどこなんだ」 哲樹は生気のない声をしていた。
「私たちは間違いなく本社にいる。」
「一巻の終わりか……」
哲樹は、絶望しそうになった。
「二人とも、いい気になっているのはそこまでだぞ」
異様なまでに、人をなめ腐った声が響いてくる。誰の声だ。
「この将家の倅に何があったんだ、橋口絵子?」
「お前は、一体――」
哲樹はその瞬間うめき声をあげ、地面が嫌な悲鳴。
「いや、『片割』!」
蝦夷は嬉しそうに、というより実際に喜びながらこう言った。
絵子をそう呼ばずにはいられなかったのだ。
「よく私の元に来てくれた! この時を私は今か今かと待ち構えていたのだが」
その顔を見たことがあった。一番、目にしたくない人間の顔だ。
「『片割』……!?」
安吉からそういう言葉を聞いた気がする。だが、どういう意味だったか思い出せない。
「私をそんな名前で呼ばないで!」
考えるよりまず嫌悪感が先に立った。この男に何を言われようが、絵子にとっては不愉快以外の何物でもなかった。
哲樹は、この男が誰なのかと一瞬疑ったが、すぐ小野寺蝦夷の名前が出てきた。
奴と彼女の父とは何かと悶着があったという。それがどういうものだったのか関心もないが、間違いなくその男であるに違いない。
「いやいや、君を手に入れたのは私にとって実に光栄なことなんだよ。君を手に入れたことによって私はこの会社でもう一度返り咲くことができるのだから」
蝦夷は絵子を生きた存在として認識していなかった。どう考えてもまるで女神か、絵画の中の美人に対してとるような表情だったからだ。
「私の父ももういない!」
「ああ。君にとってはそうだったな。だが、そうじゃない」
「博士!」
向こうから静かに扉が開き、誰かが入ってきた。
絵子と少し似た、年季の入った顔の白人男性だった。蝦夷の横に並び、絵子の前に立つ。
「お父様……」




