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12 湖東戦走劇

『全日本虚無主義協会』の看板の向こうに、こじんまりとした二階建ての白い家。

 人生に意味がないのだ、という最もらしいテーゼを言い立てながら、その実態の凶悪さが許されているような雰囲気に哲樹は戦慄さを覚えた。

「一体いつからあんたたちはここにいるんだ? なぜこんな団体を立ち上げた」

「私どもはすでに特鋼からも許可を受けた組織なのです。そういう風に疑われては困ります」

「……あなた方も我らが教団への入信をご希望ですか?」

 声に、わずかな抑揚がある。

 ごくわずかな抑揚だけだ。他者と最低限円滑な交流を持つために辛うじて人間性を残しているに過ぎない。

 その時、哲樹は受付嬢の背後にかかった銃に、三菱特殊鉄鋼のいたのを見逃さなかった。

 たまたま特鋼の製品が使われていたということではないような気がする。なぜならすでに銃がかかっていたからだ。観た所、それは護身用に置いてある風ではない。以前チラシで観た銃器の広告に載っていたのと同じ型だ。まるで虚無主義者その物が特鋼軍の一部であるかのように見えた。

「じゃあなぜ今すぐにこの世を去らない?」

 受付嬢は大して腹を立ててもいないように

「私たちはこの世界をより澄んだ目で視るために、無心になるのです」

 社会奉仕のためと言えば、聞こえはいい。

 あの虚無主義に傾倒すればするほど、権力に味方するというわけだ。清貧を真似て物をできるだけ持たない生活をしてみたり、あるいはやたら体を鍛えることを褒めたたえるのも、全ては結局体制に加担しているに過ぎない。

 哲樹はそれ以上受付嬢に質問しようとしなかった。これほど生気を感じない人間なら、多分百回同じ質問をされても眉毛をぴくりとも動かさないであろう確信が。

 哲樹が耳をすますと、向こうの部屋から何かぼそぼそつぶやく声が聞こえた。数十人で、『勤行』にいそしんでいるのは間違いない。ほとんど腹いせに、こう吐捨てた。

「特鋼があんたらを任為のばなしにするはずはない」

「私たちは治安の向上に貢献していますから」 断言。


 通りを歩くだけでも、白い仮面の姿が目立った。しかも住民がそれにまるで敬意を払っているかのように距離を置いているのだ。

 人生に意味はない、死とは救いだ……まるでそれが常識のようにまかり通っている。

 パンフレットの最後尾を読むと、大阪の方に虚無主義者の本部があるらしい。


 まるで、強権的な特鋼の支配をカモフラージュしているとしか思えなかった。

 受付の端には白い、ざらざらした紙を幾重にも折った物が積み揚がっていたが虚無主義者のパンフレットとは、これのことなのか。

 最初のページに書かれた文章の冒頭だけで、すでに哲樹は

 哲樹はそっと閉じると、絵子に静かに、

「もしかしたら、この街自体が虚無主義者の巣窟なのかもしれないな」

 つぶやく。

「親父から聞いた所では奴らは異能戦争の後、大切な人間を失った人たちの間で広まったというが……まさか」

「今の時代、そういう人が少なくないのよ。もっとも私自身は――」

 それ以上会話を続けることはできなかった。絵子の目の前で、白い仮面が突然哲樹を捕らえた。

「離して!」

 思わず、その手を引離そうとすると仮面のもう一人が手をかざし、絵子の頭上に風を起こした。

 絵子は思わず尻餅をついた。

「……何であの人を捕まえるの!?」

 虚無主義者は一切答えなかった。絵子は背の高い虚無主義者の仮面を見上げ、かっとなって胸倉をつかむ。

 しかし、すぐに地面にたたきつけられた。


 哲樹は、目を開けることをためらった。

 蒸暑い、暗い空間の中で彼の体は乱暴に転がされた。どうやらトラックの中にいるらしい。方向は分からないが、どこかに向かっている。

 先ほどの施設とは別の、違うどこかに。

「この世界に意味はない。人生に意味はない」と無機質な口調が繰返される。

 何かの叫び声。おどろおどろしい警報のような音楽。そうか、これが奴らの手口なのか。

 恐怖によって人間から抵抗する勇気を奪い、ただの機械に貶めてしまう。その先は――

 絵子が捕まった時もこんな様子だったのだろうか。

 だが、哲樹だけがこの空間に存在するわけではなかった。

「お前は橋口絵子という女と一緒にいた」 少し太り気味の仮面が目の前に立ち、居丈高に。

「その女がどうかしたか?」

「特鋼は奴の身柄を求めている。京都に連行せねばならん」

「それは良かった。俺たちも丁度そこに向かっているからな」

「ほざけ小僧! 貴様は虚無主義者として調練されるだけだ」

 虚無主義者は仮面の通気口から、柄の悪そうな声で威圧する。東京で出会った彼らと服装は同じだが、中身はまるで違っていた。こんなエゴや嗜虐性に満ちた『生物』ではない。

「人生に意味はないのだ、よく覚えておくがいい」

 警棒を持っている。じりり、という音。金属の表面を、高圧の電流が走っているに相違なかった。

 敵の輪郭は不明瞭だったが、哲樹はその一撃を間一髪で避けた。もう何度扇動や殴合いを目撃したか分からない位だ。この程度の荒事には慣れている。

 哲樹は虚無主義者の胸倉をつかみ、心臓の鼓動を速めた。

「何を、するっ」

 ほんの短い一瞬だったが、哲樹はこれほど不愉快な感触を人生で経験したことがなかった。

 仮面の口の部分から血のよだれが流れた。致命傷ではないだろうが、今は絵子の安否を確かめなければならない。

 哲樹はそのまま、コンテナを出て逃げ出した。

 もう彦根城の見える場所から大部離れているらしかった。どこに向かえばいいか分からなくなる。

 だが、もう目の前に違う仮面がいた。

「止まれ、小僧。お前たちはすでに特鋼に存在を知られているのだ」

 哲樹は焦った。絵子の存在を把握されている。俺のことまで探りを入れていたのか。

「なぜ、俺を狙う。俺より脅威になる能力者は大勢いるはずだ」

 虚無主義者と言うより、中に特殊鉄鋼の兵士が入っているような感覚。

 いや、その瞬間にそれはもう確信に。

「貴様の罪状は超能力者を扇動したことだ。能力者は国家の厳しい監視下に入らなければならん。それに反する能力者は死をもって罰する」

 虚無主義者は、特殊鉄鋼のぐるだったのか――哲樹は愕然とした。もう背後に銃を提げ、防弾チョッキをまとった男たちがどんどん迫ってくる。あの時、魯奈の命を奪った奴らだ。

「お前ら、この世界には何の価値もないはずじゃなかったのか?」

 彼らは悪びれもせず、哲樹の疑念を無視する。一切慈悲をかけるつもりはないらしい。

「いかなる権力にも屈しないはずじゃなかったのか!?」

「この世の全てに意味はない。権力に反発することにも」

 数秒後、それぞれの獲物――警棒やら、包丁やら――を手にして襲いかかる。

 携帯を取出し、コードを入力する。

 すぐさま山幸号が来た。虚無主義者の異能など物ともせず、哲樹と彼らの間に割って入り、攻撃を防ぐ。しかし、そのまま機体に駆寄ることはできなかった。着地する時点で何か電波の妨害を受けたのか、地面に荒っぽい衝突を与えながらアスファルトの上を滑っていく。

 しかし、その巨体がお構いなく集団の中に突っ込んだことで、敵は一瞬ひるんだ。

 だが、その動揺は極めて短かった。

「行け! 奴を殺せ」

 白仮面たちが一斉に哲樹に飛掛かった。兵士たちが後ろから続いた。

 そう、これだ。殺意すら見せず、まるで金属か大樹のようにのしかかる。

 だがその時、哲樹の持っていた端末から青い光がほとばしって目の前の仮面に風穴を開けた。

 哲樹は発砲した。端末

「権力」

 あらゆる感覚や欲への執着を捨てた虚無主義者とはいえ、彼ら自身だけでは身動がとれない。指揮する人間が必要だ。その指揮する人間までもが欲を捨てている確証がどこにある。

 だが仮面はどんどん前に迫ってきた。手にナイフを持っている! 地面に刃を向け、一気に突きかかるつもりだ。

 このままでは刺されてしまう。

 いよいよ観念せねばと思った時、突然地面に透明な氷が走り仮面たちが次々と姿勢をくずした。

 腰がくだけたままの哲樹に、仮面の群れを挟んで絵子の姿が見える。

「絵子!」

 手に凍てついた氷の塊を握りしめ、顔を煤に汚しながら、

「はあ……どうも私も悪い子になってきたみたい」

 安心した微笑。しかし、哲樹は下卑た、どうも荒っぽさがぬぐえない表情だと思った。

「能力者め、許せん! 抵抗に意味がないのに!」と虚無主義者の首魁。

「特鋼に屈従する方が無意味さ」

 吐き捨てる哲樹。

「乗るぞ!」

 内部に乗込んだ途端に哲樹は体が重くなったのを感じた。操縦桿すら、まるで深く突き刺さった剣のように動かない。

 だが、哲樹はそんなことに気を取られている場合ではなかった。この町は

 だがまだ虚無主義者たちの攻撃が病まないのか、風防ががたがた音を鳴らして割れそうになっている。

 後ろでは絵子が声を張り上げながら能力を使い、虚無主義者たちをはたき落としているように聞こえる。

 そうしてもがく途中、ついに重力から解放されアクセルを踏むことに成功した。反動で、体が吹き飛ぶかと思った。

 哲樹は能力者のことなど忘れていた。この街から離れることしか頭になかった。

 すでに百メートルほど上空に浮上した山幸号は、背後に嵐のようなガスを吹いて前方に突進した。


 空は思ったよりも黒く、果てしなく見えた。

 それが直感か、事実かを確認するまでもなく哲樹は、

「予定を変更した! 京都本社に突入する!」

「何ですって!?」 絵子は驚いた。

 まだ、京都に行くのは時期尚早だと言ったはずだ。しかし、もうそれほどの余裕がないことも少女に歯分かっていた。

「どうせ追われるなら、こっちから突入かちこみを決めるまでだ」

 もはや特鋼に明確に敵意を見せてしまったわけだから。

 懲罰は、素早かった。背後から、敵がもう数メートルにまで距離を詰めていた。

 山幸号に似た装甲車が追跡してくる。それも二台や三台ではない。それは明らかに一種の軍団だった。

 振向きつつ、血の気の引いた声で絵子。

「振り切れるの、あれ?」

「やってやる。俺はこれくらいの死地は何度でもくぐり抜けて来たんだからな」

 そう言って、全身から鋼鉄の機体に力を注ぎこむ情景を想像する。この山幸号の速度を加速させ、さらに呼吸すら加速させる。

 だが、何か硬い物が跳ねる音、大きく揺れる機体。

「ひゃん!」 甲高い悲鳴。

 横にまで山幸号とよく似た装甲車が近づく。中に入っている人間の姿がくっきり見えるほどに、こちらに近づいてくる。

 突然、その巨体を傾けて山幸号にぶつかろうとした。

「くそっ! 避けきれない……絵子、爆弾を投げろ!」

「爆弾って!?」 望んでもいない戦闘に巻込まれ、泣出しそうな絵子。

「太刀巳さんがくれた指向性グレネード、座席の中に!」 冷静に説明する暇など哲樹にはなかった。

 絵子はほとんど哲樹に恐怖する様子で座席をまさぐり、何かのふたのようなものを見つけて開く。またもや床が揺れたが、そんなことに構わず手をつっこむ。

 出てきたのは楕円のような、濃緑の球体。使い道が分からずに両手でまさぐる絵子。

 突然風防が開く。銃弾の音が明確に聞こえる。

 哲樹は絵子をかすかに見やりつつ、鋭い小声を投げかける。

「あいつに投げろ!」

 言葉の意味を理解する間もなく、絵子は手榴弾を投げようとした。

 だが、哲樹は違うとでも言いたげな声、

「信管! 信管抜くの!」

「信管って!?」

「ああもう、貸せ!!」 だが、直後に絵子は何が信管なのか理解していた。

 絵子は球体に刺さっていた棒を引抜き、敵機に向かって投げつけた。ほとんどやけくそじみた挙動だったが、手榴弾は一人でに投げられた方向へと走りだし、絵子が思った通りの場所に当たり、火と煙のペンキをぶちまける。

 人を殺した。殺してしまった。また自分は、もう一段悪い子になってしまった。

 絵子はその恐怖に怯える暇もなかった。操縦桿の方からエラー音が鳴響き、哲樹が半ば絶望した声でどなる。

「くそっ! メインエンジンがやられた!!」

 絵子はもはや逃げ出しそうに青ざめ、

「ど、どこ行くの!?」

 哲樹にも、その後のことなど考えられなかった。生きることしか

 絵子を守って、京都に行って、この逃避行を終えることに何の意味がある。

 現実から逃げているだけじゃないのか。現実の厳しさを直視しないことも確かに逃げかもしれない。だが、目前の多難な人生にのめりこむのもまた別の逃げじゃないか。

 一瞬、判断が鈍った自分を恥じる哲樹。

 後部からジャマーを放ち敵のレーダーを撹乱しながら、低い声で。

「一端湖岸沿いに逃げる。どこか人目につかない場所に機体を打ち捨てて、歩いて京都を目指す」

「……知ってるの? 京都には監視網が敷かれてる」

「こうなったらもう、わざと奴らに捕まるのも悪くないからな」

 だが、絵子は首を縦に振ろうとせず。

「それはできない。下っ端の社員にお父様の顔を知ってる人はいない」

「お父様? ……お前、まだそんなコネにしがみついてるのか?」

「コネじゃない。それに――」

 何かを言いかけたが、再び機体が大きく揺れ、風防にひびが入る。

「駄目か!」 哲樹は大きくハンドルを左に切り、海とこけむした道路がせめぎ合う境目へ視点を移す。地面が海を覆い隠し、大きな衝撃が空間の全体を揺るがしたのはそれから間もなかった。

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