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11 内訌

 萌がいなくなった。もはや東京タワーにも、彼の人影を見ることはできなかった。

 愛夢は焦った。元から誰かを信用する人間ではなかったが、まさかこの期に及んで蓄電するとは思わなかった。もはや食欲すら問題ではなかった。

 だがなぜか、愛夢には行方にある種の確証があった。奴は、特鋼に投降したに違いない。

 この東京にとどまり続ける神研に未来がないと踏んだのだ。それが分からないほど、愛夢も頑迷な人間ではない。

 神研に未来はない。たとえ三菱鉄鋼からの干渉がないとしても、愛夢が死んだだけで自然に消滅する運命にある。いや、死ぬより前かもしれない。

 虚無主義者が超能力者に対して行うテロはますます激化している。たとえ何人の強力な能力者をそろえても、この内憂外患には対処のしようがない。

 愛夢は一瞬、自分のとってきた選択を疑いそうになった。これまであえて自分の腕を血に濡らしてきたのは、大いなる正義のためだと信じてきた。それがどれほどの犠牲を払う物だとしても、それ以外に愛夢の取る道は存在しなかった。

 だが今ではたった一つ残されたその道ですら先を崩そうとしている。

 朽ちかけとげとげしい形になった椅子に腰かけ、荒廃した街並を眺める。かつては無数の人影が入組み、無数の喜怒哀楽が存在した街に自分の姿を見出そうとした。

 なぜ破滅する運命がうっすら分かっているにも関わらず、自分がこうしてじっとしているのか、ふと考えた。なぜ彼は、他の誰かに代ってこの道を進もうとしたのか。


 更級さらしな清伍きよごは明宝大学の学生だった。愛夢は彼の同期であり、昔からの顔なじみだった。明宝大学といえば、有名でもないし、さほど規模の大きな大学というわけでもない。ただ一つの特色と言えば、2015年に、青森県の、何万年も前の隕石の跡から発見された謎の緑色の結晶を保管していることくらいだった。

 彼が所属していたのは、神智学研究会という怪しいサークルだった。ごく数人しかいない、実体のよく分からない集まりだった。オカルトを『研究』していると称していたが、実際にはそれはさして中世の錬金術と同じくらい不毛な営みだった――と愛夢は記憶している。

 あの頃の愛夢はまだ、青春を楽しもうとする一介の学生に過ぎなかった。そして清伍も、あまり世間に目立つ存在ではなかった。政治的野心など、二人にはさらさらなかった。

 卒業後、政情不安もあり職を転々とした清伍はついに収入に困った。そして、自らがかつて明宝大学の研究室に侵入して、例の結晶を盗出し街に逃出した。

 清伍は通報され、すぐ発見された。速水はやみりつという警官と、もう一人無関係な男がいるだけだった。速水とのもみ合いの途中で、清伍は結晶をポケットから落とし、割った。

 そしてあの事件が起きた。


 愛夢も、力に目覚めた。そして、長らく音信不通だった清伍からメールを受取った。

 清伍は明らかに以前とは違っていた。彼は生まれ変わったかのように別人であり、王者の気風を秘めていた。

 愛夢は、あれ以来自分は生まれ変わったと信じて疑わない。清伍は果たして超能力に目覚めたし、実際に何千人もの超能力者を治める長となった。

 彼に仕えていると、自分が世界を変える使命を与えられたような気がした。かつて実体すらよく分からない、数人だけが所属していた神智学研究会は数千人からなる巨大な組織へと、数年で姿を変えた。

 自分は理不尽な世界を敵にして戦っているのだと思うと、愛夢はその活動に酔った。

 たとえその使命がどれほど実現しえないものだとしても、現に特別な存在に変身した彼はもうその理想に殉じる覚悟を決め、邁進するしかない。何より清伍が、あの高貴さをたった数年で失ってしまい、彼がかつて手にしていた栄光を変わらず維持し続ける使命の元に立ったからには。


 萌は誰も信じることはできなかった。

 特鋼の駐屯地に赴く時も、彼は兵士に狙撃される恐怖を感じていた。

 己の欲得のためなら何者でも犠牲にする奴らだ。能力者なら金を払ってでも手に入れようとする。

「止まれッ!」

 暗闇の中で、いくつもの白い光がともり、萌の姿を明らかにする。

 兵士が幾重にも銃口を向けている。

「その顔ッ! 神智学研究会の二階堂萌だなッ!」

 特徴的な声だ。いや、顔すら特徴的だった。

 いくつも、灯りをともされ、兵士たちの中央に立つようにして現れたのは磯野いその禅造ぜんぞうという男だ。関東有事担当相とかいう仰々しい肩書で最近着任した。

 目が、顔を引裂くように横に伸び、つり上がっている。

 これほどの顔だと、どんな歴戦の戦士でも怖気づいてしまうだろうという認識が兵士たちにはあった。

「貴様ッ! 我々三菱特殊鉄鋼が能力者を信用していると思ってかッ!」

 その腕に能力を封じる手錠をはめた。萌は身動きもしなかった。

 ちらりとその顔を一瞥する禅造。いや、その奇異に過ぎる顔のせいで相当な威圧感を与えてくるのだが。

「敵意はないようだなッ! だがッ、どうやって貢献するつもりだッ?」

「お前たちが望んでいるのは徳富愛夢の首級だろ? 俺がそいつをお前らにくれてやる」

「ならッ! なぜ今持っていないッ? 超能力者なら奴を殺すこと位容易なはずだッ!」

「お前らが生け捕りにしたいからだ。『片割』を傷つけず手に入れるためにな」

 萌は、それを知っていた。そう、片割の一人は愛夢なのだから。


 最初の『片割』だった清伍は、愛夢が殺害した。異能戦争後、すでに精神に異常をきたしていた清伍は神研を指導するだけの器ではなくなり、酒に溺れていたのだ。超能力者という自覚がこの上ない矜持を持たせたとしても、責任感が与える肉体や精神への負担があまりにも大きかった。

 それゆえ清伍は超能力者の頂点を巡る戦いから脱落したのだ。

 超能力者なら誰でも強いというわけではない。人間とは違う強い何かに、変身したわけではないのだから。たとえ『片割』の力を受け継いだ今でも。


 猪治は、目の前の非能力者に銃を向けながら、禅造の耳につく言葉が終わるのを待っていた。

「安心しろッ! 東京奪還で戦うのはお前たちではないッ! あの男のような能力者の部隊が上から派遣されてくるッ! せいぜい期待することだッ!!」

 悲しい皮肉だ、と猪治は思った。能力者だ。

 そしてもしこの戦いに勝っても、得られるものがあるだろうか。いや、そんなものはないのだ。勝った所で平成のような平和と繁栄の時代を取戻すことなどできはしない。

 この世界を支配する国家や企業を、正義とか悪とか決定付けることができないのは分かっている。だからこそ能力者はあるまじき存在なのだ。

 こうして並んでいると個としての自我がなくなる。そこに彼は心地良さを覚える。

 誰もが同じ装備をしていると、何か別の精神が入りこんだような錯覚を猪治は覚えた。ここに存在しているのは一つの自我ではなく、集団としての意思だ。

 歯車なのだと思う。社会のためになるという確信がある限り、歯車として生きるのも彼は受入れる。

 それに禅造が言う通り、実際に先頭に立って戦うのは俺たちのような一般の兵士ではない。超能力者だ。超能力者を鎮圧するはずの特鋼が、超能力者に頼らなければならないという皮肉。

 笑う禅造。萌の言い分を信じたのか。だがそれにしても、獣本来の怒りの表明としての笑みをたたえた顔だったが。

「いいだろうッ! お前を信じるッ! だが裏切った時の命の保証はないがなッ!」

 のどがほとんど枯れている。それでも無理に叫ぼうとするせいで、ほとんど金切声。

「お前たちッ! かたく縛っておけよッ!」

 萌は身動き一つしなかった。太田の推測とは違って、決して彼は非能力者を見下しているわけではなかった。現実は、超能力を越える方向に進んでいる。

 能力者ですら、人類の発展のまえには全くの無力。

「一つ訊いてもいいか?」

 禅造は勝誇ったかのように叫んだ。

「どうした超能力者ッ! 怖気づいたかッ!?」

「お前らはいつ東京に攻込むつもりだ? 遠い未来のことではなさそうだが」

「知らんッ!」 単純窮まる回答、萌は面食らった。

 いや、よく考えてみれば疑うまでもない。禅造にとっては最初から萌などいるようでいて存在しないものなのだ。特鋼が能力者を一人の人間として見ているわけがないのだから。

「我々は超能力など知ったことかッ! いずれ我々は超能力など超越するッ! それが人間の宿命だからなッ!!」

 なるほど、彼らは科学を溺愛しているわけだ。その科学で我が身が滅ぶことなど意にも介していない。


 愛夢は覚悟を決めて、その昼に能力者を招集していた。

 愛夢は餡子餅を食べながら椅子に腰かけ、群衆を目の前に話した。

「二階堂萌がいなくなった。特殊鉄鋼に投降したのだ。より強い力を求めてな」

 萌がいなくなったと聞いて彼らはどよめいた。奴は、愛夢の片腕として戦後の神研を切盛してきたではないか。

「神研はもはや強くないと見て、奴は思いあがったのだ。すでに東京に向けて特鋼は軍備を整えている。そう遠くない頃に戦闘をしかけてくるに違いない。奴らは我らを一人残らず殲滅するだろう。これはお前たちの内の誰のしわざでもない。これは、歴史が定めた宿命だ」

 一人が進み出て、やや東北の訛りを残した言葉で訴えた。

「虚無主義者たちが能力者を引き抜いています。彼らは北陸に多くの信者を率いて能力者をさらっています。その数は日に日に増えるばかりです」

 誰もが、不安そうな目をしていた。愛夢は群衆の表情を観て、怒りを隠しながらも若干、諦めのまなざしを向けていた。

 神研自体、数ある能力者の組織の一つに過ぎない。しかも、特に脅かされているわけでもなく、静かに無視されている。

 愛夢もまたさほど盤石な地位の元にあるわけではない。これまでは能力者の他に居場所がないという強迫観念だけで存続してきた。だが月日が経ち、能力者は特殊鉄鋼に希望を持始めてきた。これでは敵に滅ぼされるまでもなく自然に消滅してしまうだろう。

「私たちは彼らとも戦わなければなりません。しかしその勝算がとてもあるとは見えないのです」

 彼らの命を愛夢は背負っている。しかし、無論心のどこかで、彼はその命を捨駒のように扱っていた。

 仲間思いの司令官というタイプの人間ではない

「安心しろ。私の能力は数千人を相手に戦えるものだ」

 誰も、愛夢の能力を知ってはいない。

 元から清伍の影にいるような人間であり、あまり他の人間から実像を把握されているわけでもない。

 いわば、突然湧いてきたかのように出世したのだ。故にその存在を快く受け入れない人間がいるのも、知っている。

 だからこそ、彼は家来に対して慈悲深く接しなければならない。裏切者には死を、だが。

「約束しよう。お前たちの死を見届けてから、最後に私も死ぬ。逃げ出すようなことはしない。私自身が異能戦争でいくつもの死地をくぐり抜けてきたのだから」

 次第に、人々の目に光が戻って来た。いっそ枯れる定めならば、せめて盛大に花を散らそうという心意気が伝わったかのようだった。

「我々は誇りを守って尽果てる。歴史に名を残すことができればそれで我らの勝利だ」

 本当は、心残りがある。片割だ。

 それが敵の元に渡ることだけは、何としても阻止しなければならない。特殊鉄鋼がそれを求めているのは明らかなのだから――


 ◇


「でかい」

 長く続く堀の向こうにそびえ立つ彦根城を目にしながら、二人は道を走っていた。

「こんなのが数百年も持っているのか。俺には信じられないな」

「そりゃ、数え切れない人間が努力して守ってきたからね」

 絵子は、哲樹が無邪気に騒いでいるのを観て、どこか複雑な気分になった。自分たちは物見遊山をしているわけではないのだ。東京以外の光景を知らないのだから目新しい気分でいるのだろうが、彼女にとってはこの世界は常に興味深いよりもまず危険なものとして映る。

 関ケ原から滋賀県までは目と鼻の先だ。二人は山幸号で彦根から琵琶湖の上をを飛んで大津まで行く算段を立てていた。

 しかし燃料が無尽蔵にあるわけではないし、機体をばれないように走らせるにも細かいメンテナンスが必要になる。だからしばらくは彦根の街で留まることにした。

 絵子はそこで立ち止まった。白いローブに、白い仮面がこちらに走りかかってきた。

「虚無主義者?」

 絵子は一気に引きつった顔になって後ずさった。

 数十人が道路に立ち止まり、火箸や袋を持ってゴミ拾いをしている。

 行動などは問題ではない。彼らが『奴ら』である時点で、二人はすさまじい邪気を感じ取った。

 すぐその側を通りかかっていた中年ほどの男を捕まえて、

「どうして逃げないんだ、あいつらから」

 哲樹が問いかける。

 しかしさして驚くまでもなく、

「珍しくもないよ、あんな光景は」

 と返す。

「確かに一見すると変な人間だが、それを気にしなきゃ普通にいい人たちだよ」

 真逆の現実を知っている哲樹は、三人にしか聞こえない声で耳打ち。

「そんなことはない。あいつらは人をさらったり、自爆したりするテロリストだ。能力者相手に戦闘をふっかけけたりすることだってある!」

「知らないな、そんな事実」

 特殊鉄鋼の情報規制がこんな所にまで敷かれているのか。いや、ここでは虚無主義者は

相変わらずニル・アドミラリや様々な呪文を衣装にはりめぐらしているが、その意味を理解している人間はいないようだった。

「俺の息子もあそこに入ったんだ。修行のためだと言ってさ。数か月後にはもう人が変わっていた。でもまあいいや、そんなに困ってるわけじゃないからさ」

 現状を肯定するかのような物言い。

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