01 遭遇
2015/1/22 青森県の遺跡から、鉱石で形成されたらしい構造物が発見される。用途や材質が分からないまま、明宝大学の研究室に収蔵された。
2021/7 複数の大企業同士が合併して、三菱特殊鉄鋼株式会社が設立される。
2023/7/16 『手に入れる日曜日』事件。謎の光が京都で目撃され、それ以降一部の人々が異能に目覚め始める。
2027 三菱特殊鉄鋼株式会社、軍事事業に参入。軍隊から顧問を迎えいれ、緊迫する国際情勢に対応する民間軍事商社として急発展を遂げる。
2035-2041 異能大戦。神智学研究会の能力者二千人と自衛隊が交戦し、関東地方を巻きこむ戦争へと発展した。これによって神智学研究会は拡大するが、三菱特鋼の軍事介入によってその支配圏は東京周辺に抑込まれた。
2047/4/18
織田哲樹は、その日も同じように山幸号の狭い座席で、首筋に痛みを感じながら寝ざめていった。天井を開いて、外の様子を見ると、本当に、人も、動物も死に絶えてしまったかのように。
見慣れた道路や街を立ち止まって観察するたび、いつも人が少なくなったものだと思ってしまう。二十年前の戦乱以来、この地で人口の増減を論ずるのは非常識だとは知りながらも。
無論人が減っては仕事も減る。仕事が減っては、飯も食べられない。そんな風に死ぬのは、耐えられない。
山幸号は戦車と言っても過言ではないような、物々しい灰色の甲虫だ。フロントは槍のように尖り、背後には高出力の配管みたいなエンジンが何台も取り付けられている。旧式の自動車のほぼ倍近くの座席があるし、フロント部分には銃を何本も収納することができる。たった一人であったから、哲樹はその中で家のように過ごすことができる。
歯車のように、バケツに組んできた水で顔を洗い、タイマーで五分間計って小さくジャンプし続けながら、今日しなければならないことをつくづく思いかえす。
ラジオの電源を入れると、神智研究会の能力者が三菱特鋼の軍隊がまたもや交戦した、というニュースを流している。東京や神奈川は神研の領土であるとはいえ、それでも危険を冒して進まなければならない。顧客からの信用を、守るために。北日本からの旅路は想像したより過酷なものではなく、これといった襲撃にも遭わなかったが、特鋼の影響力が強まっていることは確認できた。
すでに哲樹は、一葉の手紙を預かり、かばんの中にいれていた。
それを、今は新宿に暮らしている伊能太刀巳という人物に手紙を送り届けなければならない。それも、今日中になるべく早く。太刀巳とは個人として、長い付合。彼がいなければ、哲樹はこうして山幸号を運転していることも、運送業についていることだってなかったろう。
哲樹は、同じ一日でも、命がある限りはそれに感謝しなきゃいけない――と思いつつ、念じる。もはやここは日本の首都ではないのだ。ならず者の襲撃に会わないように祈りながら、哲樹は山幸号のハンドルに手をかけた。
静かに動出していく。
「おい、止まれ」
禿頭の、柄の悪そうな男が両腕を挙げて哲樹を止める。
「ここから先に進むなら、通行料を払ってもらおうか」
数週間前通っていた時には、いなかった人間だ。それなのにどこの馬の骨とも知れない人間が居場所を主張している。ここも、次第に法の統治が及ばなくなっているというのか。
「そんな金は持ってない」 窓から顔を出して、ぼそっと答える。
「では進ませるわけにはいかんな! これは俺の命令なんだよ」
哲樹がアクセルを踏めば突破することも可能だろうが、この男は能力持ちなのかどうか、分からない。
発火能力やサイコキネシスの持主なら、走って逃げ出すことなどもはやかなわぬこと。なら実際に金を渡すべきかどうか。
「俺の命令? 何を率いているんだ」
哲樹は山幸から降りて、相手の真意を糺そうとした。
「そんなもの俺の知ったことか。お前が神研の手先だろうが命令には従ってもらう」
やはりか。能力者相手に容赦する気は皆目ないらしい。
須臾の間に葛藤していると、男が苛立に声を張上げる。
「この『怖がらせの白須』を知らないのか。なら能力を見せてやる……!」
目を背けようとした時にはもう、遅かった。哲樹の視界に、異様な光と霧がなだれこんできた。
◇
「哲樹! 逃げろ……!」
薄闇の中、街の一角。
銃声が轟きやまない中、少年と父親の姿がある。
少年は父の裾に引っ張って、一緒に逃げようとする。
「でも父さんは!」
背中から服を通りこして、流れる血。
「俺のことはどうでもいい! 早くお前だけでも生き延びるんだ」
少年は、数秒間ためらった。ためらった後にようやく足を上げて、向きを変えて。薄闇の中、街の一角銃声が轟きやまない中、少年――
◇
幻覚がまたもや繰返す前に、哲樹はすでに正気に返っていた。
こんなものを俺に見せやがって。恐怖よりも怒りの方が先に出てきた。こんな光景はもう何度も見てきたものだ。今さら他人に掘り下げられる気はさらさらない!
「どうだ。恐怖するがいい!」
白須、とかいう男は目から例の眼光を放ちながら、なおも少年のことを嘲弄する様子でいる。人間の感情を煽るだけに神経を注ぎこみ、目の前の人の苦悩には目もくれようとしない。
哲樹は幻覚を鬼の心で忍びつつ、静かに男の方に歩いていった。
男の腕につかんだ。そして、心の中で念じるよう――「加速しろ、その能力を」
こちらには腕力などない。それならば、敵を暴走させればよいのだ。
突然、幻覚がその光景を乱し、次に瞬いた時にはくすんだ虹色、完全な砂嵐となっていた。男の腕をつかんだままその向こう側に回りこむと、めくるめく幻覚は完全に途絶えた……その反動で、哲樹自身も混乱でよろめきそうになったが。
男の眼からはまだあの輝きが漏れているが、もはやそれは哲樹の精神に訴えることはない。それどころか男自身が幻覚に呑まれ、自分の力に恍惚となっているかのように突っ立っている。
哲樹は無言でその首筋に手刀を押しあて、アスファルトの地面へと男を倒した。
こんな風に過去の辛さをぶりかえす輩と会ったのは何年ぶりだろう。
いつ頃から発現したのか覚えてはいないが、彼の能力は、物の動きを加速させるものらしい。
動いている車をより高速で走らせたり、CDを倍速で再生たり、ある種のものを加速させる能力だ。
とはいえ、それを万能の能力とは思わない。何しろ、実際に手で触れたものしか動かすことができないのだから。脳みそのある器官から細胞を伝って皮膚表面に力を伝えるらしいが……細かい理屈はよく知らない。昔のアニメや漫画みたいな、そんなに都合のいい代物ではないのだ。もしこれを使って速く走ろうものなら、間違いなく内臓が破裂してしまうだろう。かように、束縛の多い力。
座席に戻った哲樹は念じるままに、山幸号の車輪をさらに進める。やはり見えるのは緑に覆われつつあるかつての都会。くすんだ白い空。
「空山人を見ず、ただ聞く人語の響き」
どこかの教科書で拾った詩を思い出しながら、哲樹はどこかに石油か金属か、何か使える物がないか、見回した。ふと低いビルの側、ゴミがたまっている空間を見つけ、その近くに車を止めてゴミ袋をあさる。これもかつては、貧困の象徴ともされていたような営みだったが。
「どれもがらくたか……」
生ごみやプラスチックの容器、あまり役に立つ代物ではない。他には2040年とか、2042年とか、とても古い日付の雑誌が見つかった。これはせいぜい薪には使えるだろう……。
哲樹は道草しても無駄だと判断して、ごくわずかな資材を後ろに、さっさとその場を去ろうとする。だがその時、反対側の草むらに何かを見つけてしまった。
小さな人影がしぼんだ緑の間に倒れている。まだ生きているかのようだ。死体ではない。
「あの子は……誰だ?」
すぐそばまで近づいて、哲樹は彼女が水色の髪をしていることに気づいた。発現した能力やその出力量によっては、身体に何らかの異常がこともあるらしい。
「お前は……」
すると少女がくわっと瞳を開いて哲樹を見すえてきた。そして、少女の手元から白い氷模様がかけて生えてきた。
「虚無主義者!?」
嫌な響きの叫びをあげ、後ずさるにも背後はない。
「近づくな!」
急に心にも物理的にも、冷たい空気が押寄せる。
「俺は敵じゃない」
哲樹は緊張しながら、相手を安心させようとして手振とともに顔をほころばせようとする。
「君が倒れてきたから、声をかけようとしたんだ。でも気を失って倒れていた」
「奴らが来る……逃げなきゃ」
少女はがちゃりと立上がって、その場を去ろうとする。しかし、すぐに姿勢を崩す。
倒れる前に、その手を取って顔を見る。表情にはっきりおびえ。
こういう時は、相手に自分の正体を教えてあげなければならない。確か父が言っていたことだ。
「織田哲樹。運び屋をしている者だ」
「哲、樹」 少年の名前をたどたどしく繰り返す少女。
「君の名前は? どこから来たんだ?」
「橋口、絵子」
哲樹は地べたに座りこんで静かに尋ねた。
「なるほど。一体どんな経緯でここに?」
少女は見ず知らずの他人に話をするのに恐怖を抱いているようだったが、少年が目の前でじっとしているのを見てどうしようもなくなったのか、
「私虚無主義者たちに追われてるの。あいつらに捕まって、洗脳されそうになって、逃げる途中で気を失って……ここに」
虚無主義者……最近東京に現れた得体のしれない集団だ。実際に会ったことはないので分からないが、絵子の嫌悪感のこもったうろたえ様を見ると、どうやら相当恐ろしいらしい。とりあえず、どこに連れて行けばいいか。
「家は? どこに行けばいい」
「安吉がいなくなったのよ。今さらどこに帰るというの」
知らない人間の名前を挙げたが、哲樹はそれに対して関心を持つ暇などなかった。とにかく、安全な場所に避難しなければならない。
「どうして、あいつ……じゃったのよ……!」
絵子は悲しみにも似た、空しい表情を浮かべる。これでは、とても話が通じる状況ではない。この子を車に乗せるべきか。いや、そんな怪しい真似を擦るわけにはいかない。だからといって、ここに置いておくのも非情な話だ。
「君はどこから来た? どこ住まいなんだ?」
少女は勝手にいらつき出した。
「ほっといてよ。まさかあんたも虚無主義者の一味?」
なかなかいうことを聴かない。
「ここにいると危険だ」
異性とはあまり接したことがない――母とすらほとんど顔を合わせたことがない――ため、女性にどう話を始めれば見当もつかない。とはいえ固まっても仕方ないので、男と話すような口調で、
「私は、あなたが危険じゃない証拠をつかんでない」
「でも、腹はすくだろうに」
絵子の、哲樹を見つめる両目が虚無の表情を浮かべ始めた。このままでいた所でもはや絶望しかないことを冷静に悟り始めたらしい。やや腹にすえかねるが、哲樹は絵子を追詰めるような真似はしたくなかった。だから、こう提案した。
「お前がここにい続けるのはまずい」
「お前って……」 絵子はまたもやむすっとする。
「安心しろよ。俺は見知らぬ人に親切にすることを心得ているからな――」
と言って、絵子の肩ほどをつかもうと。
「つめたっ!」 指先に霜が張始め、思わず腰元にひっこめる哲樹。
絵子は怒りに顔を赤らめて、
「あのね……、女性の扱い方ってのを心得てる? あいつはそんな乱暴な仕打ちはしなかった」
「すまないな。女がどういう生物かよく分からないんだ。そもそも人間と話す機会すら滅多にないんだから」
「昔だったら逮捕されていた所よ」
逮捕、という言葉に哲樹はびくっと。現代ではそれは、神研の奴らに捕まって、虐待を受けることだからだ。逮捕などという野蛮な所業は、あの人のすることじゃない。
「俺を待ってる人がいるんだ。とにかくその人の元に向かわなきゃならない。その時までは、一緒にいてほしい」
絵子はしぶしぶ、うなずいた。それから哲樹は、落ち着いて説明を試みる。
「伊能太刀巳。まあ、僕のよく世話になってる人。戦前は機械をいじくる仕事に付いてたそうだ。戦後もそれで生計を立ててる。この山幸号もあの人がエンジンとか性能を引き上げてくれた。でも部品は北日本に調達しなくちゃいけなくて……それをこうやって僕が運搬しているわけだ」
自分の身の上をこうして語ることに、哲樹はさして不安を覚えなかった。この絵子がたとえ特鋼のスパイだとしても、それで困ることなどない。すでに身ぐるみはがされているようなものだから。
「まるで……刹那的な生き方じゃない。私の父の方が、もっと安定した生活をしていたわよ」
絵子はどこか自慢げに語る。
「そっか」 哲樹は彼女の過去に触れず、運転を続ける。
「太刀巳さんは知らない人が来たからっていきなり追払うような人間じゃないさ。僕の父が偶然会って、それから仲が良くなったって次第だからね」
「一緒に行けばいいんでしょ、行けば」
だが自分の行く末と、哲樹の絵子は半ば絶望したい気分だった。
「ああ。だから、一緒に来てくれ」
山幸号に載せて、哲樹は道なき道を走始めた。
名前を告げた切、絵子は、うつむいて哲樹に顔を向き合わせようともしない。隣の座席に座って、さむがってはいない様子だが、それでも少年に対するある種の不安を抱いてるらしい。哲樹は彼女の気分をやら気杳として、適当に話を持ちかける。
「……知ってるか? 今から十年前は子供が車を運転するのに特別な物が必要だったんだ」
「免許って言ったっけ。もちろん僕は持ってないけど」
絵子は、光景だけを見ているわけではなかった。この運転席や、扉の造りにも目をこらしているらしかった。
「僕はお前の心境をよく知らない。だからそれを軽く質問する気もないけど……僕も、同じような身の上かもしれない」
絵子の傷心をなるべく刺激しないように、穏やかに入りこもうとする。
「大切な存在を失って……それ以来、俺の心にはぽっかりとした穴が開いたままだ」
「何よ、その大切な存在って」
絵子は、やや冷たさを含んだ声で。哲樹はそれを聴いて、一瞬面白くない顔をした。
「一つだけじゃない」
父の死際の幻覚がまだ引いていないこともあり、哲樹はまだ感傷にふけった声。