97. 通行手形
旅行に出るのに必要なものといえば……
国王の体調を考慮して、拝謁はそれで終わりとなった。
ごく短時間の拝謁。それでも、アスマのために国王が由真とユイナに寄せる強い期待は、十二分に理解できた。
来たときと同じ手順を経て、一行はセントラ北駅に戻る。
「それでは、こちらが切符です。これをなくすと、アトリアに着いたときに降りられなくなるので、くれぐれも気をつけてください」
そういって、ユイナは切符を渡す。それは、セプタカへの往復で使ったものより些か堅く、裏は黒かった。
「これは、黒磁紙といって、裏が非常に薄い磁石になっていて、簡単な情報を書き付けることができます。アトリア市内の駅は、これを通して改札をする『自動改札機』が使われています」
「「自動改札機……」」
由真と晴美が漏らした声が重なってしまった。
「って、これ……」
「磁気券だね、自動改札に対応してる……」
表面が薄い桃色である点を除けば、日本のJRで発券されるそれと同じものだった。
その表面には、「二等寝台特急券 盛夏の月24日発 ミノーディア11号 5号車4番上段 セントラ北よりアトリア西まで (二等乗車券 セントラ市内よりアトリア市内まで) 大陸暦120年盛夏の月20日 TA アスマ旅客列車運行発行」と記されている。
「皆さん、行き渡りましたね。それでは、これを、あちらの機械に通して中に入ります」
そういってユイナが指さした先には――日本で見慣れた自動改札機があった。
他は全て古めかしい有人改札で、その一角だけが浮いて見える。
特にトラブルもなく、全員が自動改札を抜ける。その先に立っていたのは、ウィンタだった。
「ウィンタさん! お疲れ様です!」
「いえいえ。それで、頼まれてたのは、これでよかった?」
ウィンタは、そういって背嚢から木箱を取り出した。
「はい。ありがとうございます。これも私が持ってて、なくしたら怖いですから」
「そんな大事なものだったの?」
「ええ、まあ。中に入ってから開けますね」
そういって、ユイナは、ウィンタを含む一行を誘導する。
衛兵が立つ扉の前で、ユイナが札をかざし、扉が開かれる――という手順で中に入る。
短い廊下の先に、豪壮な部屋があった。4つのソファーに囲まれた丸いテーブルが8箇所ほど据えられている。
「それでは、こちらをお渡しますね」
ユイナはウィンタから渡された木箱を取り、手提げ鞄から鍵を取り出してそれを開けた。中には札が9枚並んでいる。
「こちらは、ユマさん以外の皆さんの通行手形です。大事なので、くれぐれもなくさないでくださいね」
そういうと、ユイナはその通行手形を各自に配る。
晴美のものをのぞき見ると、「ハルミ・ディグラファ・フィン・アイザワ」「大陸暦103年盛秋の月1日生まれ」などと記されている。「ディグラファ」は「女子爵」。晴美も、一連の功績で子爵に叙されている。
「由真ちゃんの分は?」
その晴美が眉をひそめて問いかける。由真を差別するような扱いに対して、晴美は由真本人より遙かに敏感だった。
「ユマさんの分は、こちらだったんですけど、これは、もう使えなくなってしまいました」
ユイナは、苦笑とともに手提げ鞄から札を取り出した。
「ユマさんはナスティア城伯になりましたので、通行手形も再発行です。それまでは、爵位記が通行手形代わりになります。もっとも、それも、コーシア伯爵に叙されるまでの『つなぎ』ですけど」
「そういうこと。それじゃ仕方ないわね」
由真を差別している訳ではない。そうわかると、晴美の表情はすぐに緩む。
「ちなみに私も、この通行手形は今日限りです。神祇院の方から……」
「失礼いたします、セレニア神祇官猊下」
ちょうどそこで、歩み寄ってきた女性がユイナに声をかける。
「猊下の通行手形、こちらになります。そちらの方は、こちらで処分させていただきます」
そう言われたユイナは、手元の通行手形を差し出し、代わりに女性から新しいものを受け取る。
「神祇官は、身分が変わるので、通行手形も再発行なんです」
ユイナは、受け取ったばかりの通行手形を見せる。「ユイナ・アギナ・フィン・セレニア」「大陸暦103年晩冬の月26日生まれ」と記されているのが見えた。
「……『フィン』? ってことは、ユイナさん、ひょっとして……」
「神祇官は、子爵待遇です。なので、『アギナ・フィン』がつきます」
騎士爵以上の貴族の名に必ずつく「フィン」。ユイナの名にもそれが加わっている。すなわち彼女は、「住人」から「臣民」を経て、ついに「貴族」にまで成り上がったということになる。
「おさすがね、神祇官猊下」
「それは止めてください、子爵閣下」
そんな言葉を交わして、二人はそろって苦笑した。
身分証になるパスポート。その類が必要な程度には古い世界です。
(切符は磁気券ですが、これは王都の駅では浮いています)
その身分証が、成り上がった人の地位の証にもなります。