91. 食堂で買う昼食
タイトルどおり、お昼です。
ドルカナ駅に到着した一行は、二等客用の待合室に入った。王都セントラに向かう「シンカニオ」は、13時ちょうどに発車する「ドルカオ4号」だった。
「嫌な名前の列車ね」
晴美は眉をひそめる。
彼女たちを勝手に召喚した人物の一人が王都セントラ司教のミニコ・フィン・ドルカオ。その兄は、この地を統治し晴美たちをダンジョン攻略に向かわせたドルカオ方伯マニコだった。
その「ドルカオ」という名。それを聞くだけでも苛立ちがこみ上げてくる。
「あの、『ドルカオ』は、そもそもこの辺の地名で、あの人たちは、地名付きの爵位を名乗ってるだけですから」
そういって、ユイナが苦笑とともに晴美をなだめる。
「あ、時間もちょうどいいですし、あそこでお昼ご飯にしましょう」
ユイナが指さした先に、カフェテリアのようなものがあった。時刻はもうじき正午。確かにちょうどよい頃合いだった。
「そうね。ところで、何が食べられるの?」
話題をそらそうとするユイナの意図を察して、晴美は苛立ちを引っ込めて食事の話に乗る。
「ここは二等待合室ですから、ソーセージつきが基本ですけど、多少高くてもよければイノシシ肉も出てきますよ」
その言葉を聞いて――晴美はきわめて重要な事実に気づいた。
「ユイナさん? ……この世界のお金、って、どうなってるのかしら?」
この世界に召喚されてから、神殿に寝泊まりして、衣食住全てが提供されていた。
セプタカのダンジョン攻略にしても、移動は神殿が手配した切符で列車に乗り、砦の中でも食事は出てきた。
晴美たちは、この世界の「金銭」というものに、接する機会が全くなかった。
「お金ですか? 皆さんの分は、私が持ってますから大丈夫です」
「いや、そうじゃなくて、お金の制度とか……来週からは、私たちも独り立ちする訳だし……」
金銭に関することを知らないという訳にはいかない。
「通貨単位はデノとかデニとか。中隊の食事1回120人分で、原価が70デニくらい。王子の晩餐会のやつは、食事だけで1人に100デニちょいかかった」
七戸愛香が言う。彼女を含むC3班は、「ダンジョン攻略」の途中から兵站事務に入っていた。
「え? 何それ? ちょっと基準がわからないわよ」
「あたしもそれはよくわかんない。みんなに出すエールは10リットルの樽で30デニ、SとAに出してたワインは瓶1本10デニ、王子の晩餐会に出したのは1本1000デニだった」
「その王子の晩餐会のはいったん置いておいて。食事120人分が70で、10リットルのエールが30ってことは……」
「みんなの食事の分なら、1デノが100円くらいって感じだと思った」
そういうことなのだろう。「120人分が7000円」が高いか安いかは晴美には判断できないが。
「あの、元々、デノは銅貨だったんです。大昔のノーディアが作ったものが、ナロペアとアスマにも定着したもので……その上に、銀貨のアルゴが10デニ、金貨のラストが10アルギという単位もあったんですけど、今は、お金はデノに統一されています」
ユイナが補足する。
「こういう話も、本来はきちんと授業で教えないといけないはずなんですけど、お金関係のことも歴史関係のことも、最後まで言わないように、というのが、神殿の方針でして……」
苦笑交じりでユイナは言葉を続ける。
晴美たちが神殿で受けた「初期教育」は、社会常識、地理、生物などの基礎知識を教えるものだった。
しかし、その内容には、ノーディア王国の支配が及ばない地域に関することは含まれず、また歴史については一切触れられなかった。
その理由は、神殿の幹部、そしてノーディア王国の支配階層にとって、都合が悪い、あるいはプライドに傷がつくようなことは教えない――という「方針」にあった。
「ところで、お昼ご飯は、おいくらなんでしょう?」
そう尋ねたのは、由真だった。
これから昼食を買おうとする彼女たちにとって――それこそが最重要の話題だった。
「一般定食は5デニでエールが1杯1デニ、特別定食は9デニでワインが1杯3デニです」
「私たちも一般定食でいいわよ」
ユイナの言葉に、晴美はすかさずそう応える。
晴美たちは、S級・A級という「特権階級」として、イノシシ肉に生野菜のサラダ、飲み物はワインという「贅沢な食事」をしてきた。
それと同じ水準のものを食べさせろ、などというつもりはみじんもない。
まして、「一般」なら飲み物を入れて600円、「特別」は飲み物を入れると1200円と言われてはなおさらだ。
「わかりました。それじゃ、皆さん一般定食にエールでよろしいですね?」
そう確認して、ユイナは窓口で注文をする。11人分合計66デニ。彼女は、小切手のようなものを切って支払った。
程なく、お盆にのせられた「一般定食」とエールのコップが人数分提供された。内容は、パン1切れ、ソーセージに肉と野菜の入ったスープだった。
一行は、3つ並んだ4人掛けテーブルを確保することができた。
「ソーセージ、おいしい! 食べ応え最高!」
佐藤明美が喜色満面で言う。
スープに入った細切れのイノシシ肉しか口にできなかった彼女たちにとって、まとまったソーセージの肉は確かに最高の食べ応えだった。
「これで、牛乳があったらもっとよかったんだけど……」
牧村恵が、おっとりとそう言って苦笑を浮かべる。
「あの、牛の乳は、すぐに悪くなるので、牧場の絞りたてじゃないと、とても危なくて飲めませんから」
ユイナが苦笑を返す。
「って、ここ、時速320キロの新幹線はあるのに、牛乳の殺菌はないの?」
晴美はそう尋ねてしまう。
「そっち系統の技術は、そんなに古くないよ。パスチャライゼーション……低温殺菌が導入されたのって、南北戦争が終わった翌年、普墺戦争の年だから」
答えたのは由真だった。
「牛の乳の菌は、闇系統魔法を使えば殺せますけど……『闇系統魔法を通したもの』を飲みたがる人は、基本的にいませんから」
そしてユイナも答える。
確かに、この世界なら「系統魔法」でできることはそれで対応するということだろう。そして「闇系統魔法で加工した」と言われては、イメージが大幅に低下するのもやむを得ない。
「まあ、それもそうね……って、これ?」
ソーセージを取った晴美の目に映ったのは、ささやかに盛られた黄色いキャベツだった。
フォークに少し刺して、試しにつまんでみると、それは――
「これ! ザワークラウトじゃない!」
歯ごたえといい、酸味といい、それはザワークラウトそのものだった。
「お? 晴美、ドイチュラントの血が騒ぐ?」
大声を上げた晴美に、愛香がそんな言葉を向ける。晴美は、母方の祖母がドイツ人、すなわちドイツ系クオーターである。
「漬けキャベツのこと、『ニホン』だと、ザワーなんとか、って言うんですか?」
現地人のユイナが問いかけてきた。ちなみに、この世界の人々は、日本を含む異世界全体のことを「ニホン」と呼んでいる。
「え? セレニア先生、ザワークラウトのこと、こっちだと『漬けキャベツ』って言うんですか?」
島倉美亜がユイナに問い返す。
「ええ、まあ、これ、キャベツを漬けたものですから」
「『ザワークラウト』も、ドイツ語で『酸っぱいキャベツ』っていう意味よ。そのまんまね」
ユイナの答えを晴美は補う。
「ドイツ語にするだけで厨二感……じゃなくてかっこよさが出るのがなんとも」
「まあ、ドイツ語ってかっこいいよね」
愛香のつぶやきに、由真が応える。
「ああ、でも、これがあるなら、エールの方がいいわ」
神殿で供されていた豪華料理とワインより、このザワークラウトとエールの方が格段に心地よい。
そんな思いとともに、晴美はこの「一般定食」に舌鼓を打っていた。
「異世界メシ」のタグを加えようか―と思う程度には食事シーンが出てくるお話です。
晴美さんは、ザワークラウトでドイチュラントの血が騒いで、安い料理に満足しています。
通貨制度は―全部神殿持ちという前提で描写を避けていました。
お話を続けることにしたので、設定を出しています。
金貨1枚=銀貨10枚=銅貨100枚。ありがちな設定ですが…ローマも共和制時代は銀貨1デナリウスが青銅貨10アスでした。
(ユイナさんが「大昔のノーディアが」云々と説明しているのは、このローマのシステムをモチーフにしています)
「中隊の食事」は1人当たり原価60円、原価率3割として売価200円相当ですが、中身はパン1切れにイノシシ肉と野菜のスープだけなので…