69. 省みる由真
自分のミスは、自分でフォローする主人公です。
(しまった!)
由真は、棍棒を握りしめると走り始める。
400メートル走の男子中学県内記録保持者「渡良瀬由真」。
しかし、この場はイネ科植物が茂る草原で、今の身体は女体だった。加えて、すでに彼我の距離は300メートルある。
(飛び道具を用意しておけば……)
後悔しても始まらない。
由真は、前方に向けて大規模に「物体消滅」の術式を発動する。前方に生えていた草は全て消え去り、ゴブリンの姿が夜目に視認できた。
全力で、走る。
このゴブリンに生還を許してはならない。
所詮「お遊び」の中学総体の類とは訳が違う。これは「生命」がかかった「戦闘」だ。このゴブリンが「情報」をダンジョンに持ち帰っては、由真たちは破滅してしまう。
全力で、走る。走る。走り続ける。
ようやく、敵まで100メートルまで差を詰めた。
「このっ!」
声を上げて、由真は棍棒を振るい、「無系統魔法」の「刃」を飛ばす。
「グギィ!」
悲鳴を上げて、ゴブリンが倒れ込んだ。
腰に浅からぬ傷を与えることができた。これで、20秒――せめて10秒は動けないはず――
由真は、ゴブリンにどうにか追いつき、その頭に棍棒を振り下ろした。
頭部が消滅し、当然に絶命したゴブリンを前に、由真はいったん息をつき、そして改めて索敵する。
今度こそ、周囲に「ダ」は存在しない。
それを確認したところで、由真の膝から力が抜けた。
「くぅ、これは……お話にならないな……」
思わず言葉が漏れてしまう。
自らに課した「任務」。それは、今までの「襲撃してきた敵を撃退する」ものとは違う。「敵陣から出てくる斥候部隊を全て発見し、1体残らず殺す」。それなのに、遠方の敵を仕留めるための飛び道具すら持っていなかった。
「あ、『光の盾』で逃げ道を塞いでおけばよかったのか……」
そんなことに今頃気がついた。
「無系統魔法の鍛錬」のことばかり意識していて、自らの「手札」とその「使い方」に十分思いが至っていなかった。
「甘いぞヨシ! その程度は相手も読める! 『手札』は、相手に対して常に最適、最善、そして最速で繰り出せなければ意味などないぞ!」
――脳裏に蘇る「声」。
「済みません、先輩」
その相手にいつも返していた言葉。それを口にして、由真は大きく息をつく。
(まず、『手札』を再確認して、それから、鍛錬を……)
星空を見上げつつ、由真は自らに言い聞かせた。
まず、遠距離の敵を狙うための手段。
この草原で、敵がゴブリンである限りは――火系統魔法の遠隔発動が手っ取り早い。
ダンジョンの入り口付近を標的にして何度か試した結果、400メートル程度先であれば着火させ、さらにそれを延焼させることが可能になった。
オーガは、自らが火系統魔法を使う可能性もある。「ダ」を封じる術式も、常に通用するとは限らない。
それ以前に、「さらなる上位種」が現れた時点でゲームオーバーでは話にもならない。
最低限、弓矢は必須だった。
翌朝、天幕に戻った由真は、弓矢がないか尋ねてみた。
「あるわよ。これでいい?」
そういって、サニアは物入れから弓を1張り取り出した。先日のC3班の天幕に備えられていたものと大きさは同様だった。
試みに引いてみると、手応えがやや強い。オーガを仮想敵とするなら、威力の面で安心できる作りだった。
「こんな弓も用意してるんですね。『曙の団』は、専業の弓士もいるんですか?」
由真は、この世界の「常識」の範囲を考慮してそう尋ねる。
この世界でも、「弓矢」を扱うことができる者は――地球と同様に――多くはない。
ノーディア王国は、騎馬民族に由来する王朝のため、伝統的に馬上で弓を撃つことができる騎兵が重視されていた。
それ故に、弓術に秀でた者は優先的に軍に採用される。
逆に、弓が引けるだけの者は、時に単独行動が求められる冒険者としては――
「私が使うのよ。私、本業は弓士なの」
――サニアはあっさりと応えた。
「え? サニアさん、弓士なんですか?」
「ええ。まあ、弓だけだと、『冒険者』として独り立ちは難しいから、こういう裏方仕事をいろいろ覚えたけど……ね」
そう言いながら、サニアは物入れに収納されている道具類を確認する。
「おかしい? そうね。ベストナでもダスティアでも、弓が使えたら軍に入るものね。けど、ここ10年くらいのノーディアだと……『住人』は最初から弾かれて、軍になんか入れないわ。まあ、入りたいとも思わないけど」
サニアは、由真の方に振り向いて、軽い苦笑を浮かべた。
「国王陛下がご即位直後にご病気になられて、それ以来、この国はこんな感じよ。マストじゃないけど、武者修行なら、ノーディアは止めた方がいいわね」
「はあ……」
「まあ、あなたはユイナさんと縁ができたんだから、アスマに行って頑張りなさい。あっちは、カンシアと違って、いいとこらしいから」
由真は、弓を持ったまま、はい、と頷くことしかできなかった。
矢を携行するための道具。
由真はキュイバーの類を想像していたものの、サニアに渡されたのは、背中に背負う帯状のものと腰につるす箙の組み合わせだった。
「これはノーディア式だから、鏃の方を持って下に引っ張って取り出すの。使えそう?」
サニアはそう言った。ベストナやダスティアはキュイバーを使っているのかもしれない。
「はい、大丈夫です。むしろ、こっちの方が使いやすいです」
由真は率直に答える。
由真は、近所に住んでいた「先輩」から、弓道の手ほどきを受けていた。ちなみに、柔道を教えてくれたのもその「先輩」だった。
この「先輩」は、由真に対してひどく無理な要求を課してきた。
「ヨシ。そこに的を9個用意した。1分以内にあれを全て射貫け」
――それは、もはや「弓道」とは違う何かだった。
「そんなのできるわけ」
「なら見本を見せてやろう」
そういって、「先輩」は箙に矢を差して弓を取り、そして立て続けに矢を放ち続けた。
放たれた9本の矢が、9個の的全ての中心を射貫き終わるまでに、かかった時間は36秒だった。
――由真は、その領域に達することはできなかった。それでも、60秒プラスマイナス2秒程度の時間で9箇所を射貫くことは、どうにか可能になったが。
金曜日の夜は、敵影が見当たらなかったため、由真は、その「曲芸」を練習してみた。
箙から外した矢を下に抜いて、弓に添えた時点で狙いを確実に定め、素早く弦を引き放つ。
この一連を、複数回、正確に反復する。
「先輩」に言わせれば「ただそれだけ」のこと。自分も模倣できるようになるまで、ずいぶんと時間と労力を取られた「芸当」。
正確な時間を測定してくれる他人はいないものの、手応えとしては、60秒前後で9箇所を射貫く水準は維持できていた。
土曜日の夜。
由真は、あえてダンジョンの入り口に向かった。
自分がダンジョンを率いる立場だとしたらどう考えるか。
これまで数年、衛兵の攻略すら退けてきたダンジョン。
その戦力は、ここ数日で激減した。
由真が直接手を出した分だけで、オーガ2体にゴブリンは77体。「曙の団」がさらにオーガ3体を討伐した。
そして水曜日にも、晴美たちがオーガ5体にゴブリン24体を討伐している。
それでもなお、木曜日には斥候部隊を出して、オーガ1体とゴブリン12体を失う結果になった。
自分なら、これ以上ダンジョンの外に兵力など出さない。
まもなく進入してくる敵勢を迎え撃つため、貴重な戦力は温存する。
しかし、このダンジョンの主がどう考えるかはわからない。
なおも斥候を出すか。あるいは、より大規模な戦力を投入し、攪乱、奇襲を図るか。
いずれにせよ、敵は、1箇所しかないダンジョンの出入り口から兵力を出してくる。
もし仮にそれ以外の隠し通路があって、そこから戦力を送り込まれたとしたら――そのときは、砦にいる戦力に対応を任せるだけだ。
「曙の団」なら、多少の不意打ちにも十分対応できるだろう。
晴美たちも実戦を経験している。「曙の団」との連携は問題ないだろう。
C3班の護身も、彼らとユイナがいれば心配ない。
王国軍や「勇者様」たちは――自己防衛くらいはしろ、というだけだった。
そう判断して、敵の唯一の通路であろうダンジョンの出入り口に近づいたちょうどそのとき。
その出入り口から大群が現れた。
内訳は、オーガ4体、ゴブリン42体だった。
(兵力の逐次投入を愚策とは思わない程度、か。けど、この数はやっかいだな)
見敵必殺。それしかない。
由真は、敵が射程距離に入った段階で、オーガ4体の眼球を狙い、件の「曲芸」の要領で矢を連続で撃つ。
そして、矢がオーガを射貫くその瞬間を狙い、身体の物理的消失の術式を発動した。
最初の2体は、矢を撃つ方に気を取られたため失敗したものの、続く2体は、頭部を消し去ることに成功した。
由真は続けて、残敵2体の1体目を狙って5本目の矢を放つ。
同時に、そのオーガの手元に大きな炎の玉が現れた。
(火の玉か、ちょうどいい)
矢を放つのはいったん止めて、放たれた5本目に思念を込める。
その矢が敵の眼球を貫くと同時に、その頭部は消え去った。
その手元にあった「火の玉」。主を失ったそれは、そのまま地面に落下して、草原の草に燃え移った。
火系統魔法を遠隔で発動すれば、その炎を操ることなどたやすい。
由真は、オーガの残り1体、そしてゴブリン42体が立っている範囲に、余すことなく火を延焼させていった。
「ウグォ?!」
「ギィ!」
そんな叫びとともに逃げ惑う敵。その向かう方向へと炎を展開させつつ、余計な範囲への延焼は、風系統魔法により抑止する。
念のために、残り1体のオーガについては自己回復能力も無効化した。程なく、その「ダ」も消え去る。
後は、ゴブリンが全て燃え尽きるまで燃焼を続けさせればいい。
赤々と燃え上がる炎を制御する由真の耳に、ゴブリンどもの断末魔の声が聞こえた。
由真ちゃんがチート化した元凶――もとい原因は、「先輩」の存在でした。
異世界に移ってしまった以上、「先輩」は回想シーンの中にしか登場しません。
そして、経験を重ねた彼女は、より慎重になっていきます。