57. 「殺傷モード」
由真ちゃんが、さらにもう一枚皮を脱ぎます。
「みんな……静かにして」
自らの心身を落ち着かせたところで、由真は、弓矢を手に取り天幕から外に出る。
「え? どしたの由真ちゃん?」
声を潜めつつ、美亜がついてきた。
「油断した。敵が迫ってる。ゴブリンが20体くらい。中にホブがいる」
由真は、実際に把握しているより少ない数字で美亜に答える。
実数値をそのまま話せば、美亜たちC3班は間違いなくパニックになる。それは即座に命取りだった。
「ここから素早く離脱して、砦に逃げよう。ただ、大慌てで逃げ出すと、ゴブリンは集団で追いかけてくる。ゴブリンの習性は……みんなが想像してるとおり。『高校生女子』が群れてるこの集団は、格好の『カモ』。だから、冷静に逃げる必要がある」
そう言いつつ、由真は弓矢をつがえる。その頃には、愛香たち他のメンバーも天幕から出てきた。
「今から、僕が、ホブゴブリンを狙って矢を放つ。美亜さんは、それと合わせて発光の魔法を使って。それで目くらましして、その隙に逃げよう」
この場で光系統魔法を使うことができるのは、由真自身を除けば美亜ただ一人だった。
「愛香さんは、薪の束を持って。それで、一つ火をつけて、僕に差し出してくれるかな?」
この場で唯一火系統魔法を使うことができる愛香は、由真のいうとおりに薪の束を手に取り、その一つに火をつけて由真に差し出す。
「ゴブリンは、必ず集団でおそってくる。ターゲットを取り囲んで、逃げ道を塞ぐようにして。だから、僕は、弓矢を撃ったら、すぐにこの薪を取って、連中の進路に火をつけて妨害する。その合間で、みんなはあの砦を目指して、とにかく冷静に走って」
そういって、由真は砦に顔を向ける。
「ゴブリンは夜目が利く。その代わり、光に弱い。だから、危なくなったら、美亜さんが発光の術式で目くらましをして」
美亜は、その言葉に頷く。
「そして、ゴブリンは火に弱い。火をかけられそうになると逃げ出す。……ここは常に西風が吹いてて、砦は西側。だから、草に火をつければ、すぐに延焼して、ゴブリンは近寄れなくなる。だから愛香さん、囲まれそうになったら、薪に火をつけて草むらに投げ込んで。それだけで、ゴブリンを退かせることができるから」
愛香も頷いた。その間で、由真は、夜目と光系統魔法を使って、「ホブゴブリン」――と彼女たちには説明している「オーガ」に矢の狙いをつけた。
「それじゃ……行くよ」
狙いを定めた由真は、そういうと、目を閉じて弓を離す。
同時に周囲が光る中、由真は、弓矢を手放し愛香が差し出していた薪を手に取る。そして、C3班の6人は一斉に走り出した。
(しんがりは……すぐには逃げられない)
ゴブリン47体。正面に数を集めなければ、回り込まれてC3班が襲われる。
(こっちは素手……仕方ないな……)
走り出したC3班に気づいてか、ゴブリンの群れがこちらへ駆け寄ってくる。
由真は集中を高め、そして宣言する。
「……【殺傷モード】、開始!」
由真の形意拳は、相応の水準まで鍛錬している。それを「素人」相手に使ってしまうと、殺傷可能な「凶器」になる。
不幸にも、中学時代には「ヤンキー」との接触が避けられず、時として暴力沙汰に巻き込まれることもあった。
しかし、喧嘩ばかりのヤンキーたちといえども、武芸の面ではおよそ「素人」であり、本気で技を使うと由真のほうが罪に問われかねない。
そのため、由真は、形意拳を中核とする武術を、普段は「非殺傷モード」に抑えていた。それでも、日常生活で巻き込まれる程度の「危険」であれば、問題なく対処することができた。
そして、それでも対処できないような「非常に危険な局面」においては、その場合に限って、「殺傷モード」に移行して、「本気で」戦う。
この状態でも、人を「殺した」ことはない。しかし、「半殺し」と形容してもよい程度の被害なら、負わせたことは何度かあった。
今現在の「女体」でも、「殺傷モード」なら、人間を数ヶ月は病院に押し込めるだけの打撃を与えることはできる。
それであれば、ゴブリンどもに致命傷を与えることも可能だろう。
美亜の放ったまばゆい発光。
その直後、敵の後方からうめき声が上がる。オーガのうち1体の眼球を矢で貫くことに成功した。
(眼球の回復まで、1分半はかかる)
1体が我を失い、もう1体が前進しようとする。由真は、そちらに対して「ダ」を封じる術を施す。
「ウガ? グガァ!」
魔法が封じられ、身体も重くなったであろう相手が大きく叫ぶ。
他方、ゴブリンどもはこちらに駆け寄る。そして、由真から見て左側から、8体が先に進もうとした。
(させるか)
愛香に火をつけてもらった薪をそちらに向けて放り込む。
狙い通りに風下に落ちたそれは、たちまちに草むらに引火して延焼する。そちらにいたゴブリンどもは、4体が火に巻かれて即死、4体が大慌てで逃げ出した。
由真は、そのまま正面の主力に踏み込む。
(1体、2体、3体、4体、5体……)
石斧を振り下ろしてきた個体を炮拳で返り討ち、その先の2体に崩拳と鑚拳を浴びせ、結果的に後ろに来た個体に対して転身して横拳と劈拳を食らわせる。
いずれも一撃で生命を刈り取った。
(勁は十分。……6体、7体)
続けて2体を倒すと、2体目がちょうどいい重さのハンマーを持っていた。
鈍る剣や斧とは異なり、ハンマーは重量さえあれば武器として通用する。
(8体、9体、10体、11体)
ハンマーを手に転身を繰り返し、間近に群がる個体を制していく。
さらに前後から接近する2体。うち後方の1体は銅剣を持っていた。
(あれはしばらく使える。……12体、13体)
13体目の胴を横なぎに殴り、手放された銅剣を手に取る。
ここまで斃したのは、焼死4体、火から逃げた4体、正面で撃破した13体。
この銅剣も、残余26体のうち10体程度までは使えるだろう。
(退散損耗率は、まだ遠い)
人間であれば3割も損耗すれば「壊滅」と判断して逃げ出す。
ゴブリンどもは本能で動くため、その「判断」の基準は人間より緩い。しかし、それでも半減に至れば状況を危険と感じて退散する。
5体同時に迫り来る敵。銅剣を手にした由真は、身を翻しつつ立て続けに切り伏せていく。
(18体……まだか……)
半減には達したものの、なおも背後から襲いかかるものが2体。
(……19体、20体……21体)
2体を切り、転身して踏み込みさらに1体に剣を突き刺す。
「ギィ!」
「グギィ!」
そんな声を上げて、残りのゴブリンどもが逃げ出す。死亡25体にいたり、敵はようやく「敗勢」を感じたらしい。
「グ、おのれぇ、人間の分際でぇ!」
由真に向けられる叫び声。眼球を射貫かれた1体と、「ダ」を封じられた1体。2体のオーガが行動可能になっていた。
「許さん! 許さんぞ小娘!」
わめきつつ巨躯を踏み出すオーガども。
しかし、今の由真は、すでにゴブリンどもの相手から解放されて、眼前のオーガに集中できる状態になっていた。
目をやられた方の個体は、手に大きな斧を持っていた。
ゴブリンどものものとは違い、鋭利に研がれたそれは、他ならぬオーガ自身の体をも切り裂くことができそうだった。
(ちょうどいい)
まずは2体の「ダ」を封じる。これで魔法攻撃はできない。
1体は、それにはかまわず斧を振り下ろしてきた。
由真は、炮拳の要領で銅剣を振るい、敵の手首を切り飛ばす。さらに剣を振り下ろし、斬撃を相手の両脚に与える。
魔法による補強で、オーガの脚は見事に切れて、そのまま倒れてしまう。
その隙で、由真は敵から手首ごと奪い取った斧を手に取る。
もう1体が振り下ろす棍棒をかわしつつ、その両脚を斧で斬ると、こちらもやはり地面に倒れた。
「グオォ、おのれぇ!」
わめきつつ、その体の回復を待つオーガ。
オーガという種の強さは、その膂力や魔法能力以上に、自己回復能力の異常な高さにある。他の種であれば致命傷になりかねないダメージも、ものの1分とかからずに修復してしまう。
それ故に、単にダメージを与えただけでは、オーガを倒すことはできない。回復力を上回る大打撃が必須になる。
「ぬぐお?! ば、バカな! 傷が、傷が治らん?!」
「いだい! いだいぞぉ?!」
――しかし、眼前のオーガたちは、動揺と焦りをあらわに叫ぶ。
「ああ、無駄だよ。君たちの回復能力は、消させてもらったから」
オーガたちを見下ろして、由真は冷然と「そのこと」を告げた。
オーガの自己回復能力の高さ。由真も当然それを知っている。そこで由真は、斬撃を与えると同時に、その肉体の「自己回復」に向けられる「ダ」を無効化させていた。
負傷に対して自動的に機能するそれが働かない。オーガたちは、その理由を知る由もなく、解決のすべも持たない。
「大丈夫。君たちの肉体が『死』に至れば、その術も解消されるから。それまでの辛抱だね」
その言葉を聞いて。
オーガ2体は、その鬼面を絶望に染めたまま、肉体と霊魂の「死」を迎えた。
地球にいたころの「由真くん」は何と戦っていたのでしょうね…