52. ゴブリンがあらわれた
最初の敵は、例のヤツです。
夏の空が白み始める頃、若い男性がやってきて、見回りを交代してくれた。
天幕に入ると、他の男性たちもすでに起きていて、由真は、寝転がって軽く仮眠を取ることができた。
明けた日曜日。
砦の中の39人は「休日」の扱いらしかった。しかし、由真たち「雑兵」に、そんなものはなかった。
「勇者様の団が入られる前に、ダンジョン内を入念に偵察する!」
という中隊長の命令を受け、由真たちが先頭に立ってダンジョンの中に進むことになった。
このダンジョンは、第三層までが攻略されていて、その先の第四層に進む入り口の存在が確認されている。
第一層は、通常はスライム程度しかいない。第二層まで来るとゴブリンが歩き回り、第三層にはオーガも現れる。そこまでが判明していた。
第一層は狭苦しい洞窟だった。時折現れるスライムには物理攻撃が通じない。雑兵たちは、専用の毒薬を与えられていて、それを振りまくとスライムは逃げていく。
第二層に進むと、ゴブリンが現れる。2・3体程度で闊歩するそれは、雑兵たちの手をもってしても造作なく蹴散らすことができた。「ゴブリン」という種の恐ろしさは、個体の能力にある訳ではない。
第三層に向かう入り口は、第二層の奥に広がる空洞の先にある。その空洞にさしかかったところで、異変は起きた。
「ご、ゴブリン!」
初老の雑兵が叫ぶ。見ると、広がる空洞に多数のゴブリンが群れをなしている。
(これは……光系統魔法で把握しないと)
由真は、光系統魔法を発動させて、ゴブリンどもの気配を読む。正確には52体が、空洞入り口付近にたむろしていた。
「これ、これはっ!」
若い雑兵が金切り声を上げる。
均等に割り振っても1人当たり2体から3体。相手が武器を持っていれば、囲まれ絡まれて致命傷を負うリスクも十分にある。
「何をしている! ゴブリンなど蹴散らせ!」
後ろから罵声が響く。そして、由真たちの背後にいた兵士たちが、槍で由真たちを突き出した。
「やっ、やめっ!」
「死ぬっ! 殺されるっ!」
突かれた方は、もはや絶叫を上げていた。
栄養状態は、明らかに雑兵たちの方が悪い。武装も、すでに鈍った銅剣程度しか持たない彼らは、槍を持つ兵士たちに大きく劣る。
「もたもたするな! 貴様ら、王国兵士の端くれだろうが! さっさと進まんか!」
中隊長は、由真たちにさらなる罵声を浴びせてきた。しかし、雑兵たちには踏み込む気力も体力もない。
なお悪いことに、前方に現れた人の群れを前にして、ゴブリンどもは前進の構えを見せ始める。
(これは……仕方ないな……)
このままでは、前門のゴブリンと後門の王国兵士に挟まれてゲームオーバーになる。手段を迷い行為を躊躇しているいとまはなかった。
「【光の盾】!」
ユイナが使う対物防壁展開術式。
由真は杖の代わりに掌をかざして、それを発動する。
ただし、ユイナが地面に垂直に展開するそれを、地面と平行とし、範囲はゴブリン52体全ての頭上を覆うところまで広げる。
直後、その「光の盾」をまっすぐ地面に落とす。
鈍い衝撃音、ぐしゃりと何かがつぶれる音、断末魔の声。一瞬飛び交った音は、程なく消える。
そして、床を覆った光の面も消えていく。後に残ったのは――ゴブリンだったもののミンチだった。
「え?」
「は?」
ようやく我に返った兵士たちが、そんな間抜けな声を上げる。由真が振り向くと、ほとんどの兵士たちが茫然自失の体だった。
「王国兵士の端くれとして、ゴブリン計52体、制圧いたしました」
中隊長に向けて、由真はそう言う。自らの心の温度が急激に低下していくのを、由真ははっきり自覚していた。
「我々雑兵隊は、ゴブリン制圧の任務を確かに遂行いたしました。後片付けは、後ろの皆さんで適宜お願いします。……そのくらいは、できますよね?」
後片付け――ミンチの処理。
それを雑兵仲間たちにさせるのは、由真としては忍びなかった。
それに、後ろから督戦するばかりだったこの兵士たちを見ていると、由真の心は黒く染まっていく。
「そ、それは、きさまりゃっ! いりゃっ!」
叫びかけた中隊長が、間抜けな声を上げる。由真は、彼の舌先と歯を魔法で軽く滑らせてかませてやった。
「皆さんは、『光の盾』と地面のサンドイッチに……耐えられますか?」
由真が言うと、兵士たちの顔が一様に青ざめる。
眼前で見せられた「ゴブリン52体のミンチ」。同じ技が自らに向けられたとして、それに対抗するすべなど、彼らにあろうはずがなかった。
青ざめたまま、おろおろするばかりで何もできない兵士たち。雑兵仲間も、目の前の急展開に我を失ってしまった。
――仕方なしに、由真は、自らが作り出してしまった「ゴブリン52体のミンチ」の「ア」を「土に返す」術を施した。結果、見るも無惨な肉塊の地獄絵図は、刹那にして単なる土塊と化した。
機能停止した「偵察部隊」は、そのまま砦に戻ることになった。
「お前さん、すごいな」
返る道すがら、雑兵仲間の一人が由真に声をかけてきた。
「ああ、あれ、光の魔法だろ? すげえな、まだ若いのに」
「……お前さんは、なにやらかしたんだ?」
初老の雑兵が、そう尋ねてきた。
「やらかし、ですか? ……皆さんも、なにか?」
由真は、問い返しで応じることにした。
「俺たちは……元は、ここの百姓さ」
――その瞬間、由真の背筋が一気に冷える。足腰から力も抜けそうになって、すんでの所で我に返った。
「それじゃ、もしかして……方伯に……」
「ああ、犯罪奴隷にされてな……ここで、雑兵で勤め上げれば、奴隷から解放する、ってことで、仕方なしに、さ」
由真に問いかけてきた初老の男性は、はっきりと答えた。それを告げる覚悟は、すでにできていたのだろう。
「俺たちだって、戦えるなら、戦ってた。……けど、オーガが何体も来るんだ。ゴブリンどもを50もつれて。そんなの……俺たちに戦える訳がねえ」
「冒険者も、例の『あれ』から、てんで冷たくなりやがった」
「貧乏村なんざ知るか、てめえでなんとかしろ、って……それで何が『冒険者』だ、ただの番犬じゃねえか!」
――ユイナから聞かされた、「冒険者ギルド民間化」に伴う「冒険者の体質変化」。この元農民たちは、その「被害者」だった。
「お前さん、『ユマ』さん、って言ったか? 強えな。そこらの『冒険者』なんざ、束になっても勝てねえ」
「ああ、あの『光の盾』! ずがしゃーん! ってな! あんなの見たことねえ!」
「お前さんなら、宮廷司祭でも、魔導師団でも、引く手あまたじゃねえのか?」
雑兵仲間たちの言葉に、由真は苦笑が止められない。
「……実は、ちょっと、お貴族さまを怒らせてしまったんです」
そう答えることにした。
「ああ、なるほどなあ。そりゃ仕方ねえわなあ」
「そういうのは、やられちまうからなぁ、この国じゃ」
――あっさり納得されてしまった。ますます苦笑が止まらない。
「けどな、ユマさん。腐ったりは、するなよ。お前さんの魔法は、天下一品だ。まだ、この国にも、見る目を持った奴はいる。いつか必ず、お前さんは認められる。まだ若いんだ。まっすぐ生きてくれよ」
最初に由真に問いかけた初老の男性が、そういって由真の肩を軽く叩いた。
「……ありがとうございます」
他の言葉を選ぶことができず、由真は、それだけを答えた。
ゴブリンが4ダースほど出てきたところで、今更おろおろする由真ちゃんではありません。
どちらかというと、敵は前より後ろですね…