450. ヨトヴィラ視察 (3) 午前終了
工程に沿って、施設一連を見終わりました。
ゴムノ合成施設の外に出ると、製鉄所の方向には芝生が広がっていた。
振り向くと、ここまで建ち並んでいる蒸留塔も、区画の間には距離があるように見える。
「この工場は、場所には余裕があるのでしょうか」
由真はそう問いかける。
「将来的に処理装置が追加できるように、各区画には余裕を持たせてあります。例えば、極軽気による浄化は、一層強めるようにとの神託を賜りましたので、109年に沼気処理施設を増強しております」
拡張可能性を持たされていて、実際に拡充もなされたらしい。
「重油の浄化は、相当難しいのでは……」
「200気圧に圧縮して400度まで加熱しますが、軽油ほどには浄化はできませんので、煙突の方でも浄化の処理が行われます」
香織の漏らした言葉に、リカフィオ所長が答える。
「ここの装置は、相当の高温高圧にも耐えられるようですね」
「高温高圧の処理を要する施設には、青染銀も含めました強化合金を使用しております」
由真が問うと、今度はフィレニオ社長が答えた。
「青染銀、って言うと……」
「コバルトじゃないかな」
振り向いた由真に沖田が耳打ちした。
「一度火がつくと爆発して手に負えないたぐいのものばかりですので、我々としましても、手入れは怠らず行っておりますが、やはり、神殿で祈祷していただくのが、最後の砦と考えております」
フィレニオ社長の言葉に、一同の目がユイナに集まる。
「それでは、戻ったら祈祷させていただきます」
ユイナは、あくまで穏やかに応えた。
事務所に戻ると、最奥の部屋に案内された。そこは、小さな神殿にも匹敵すると思われる礼拝堂だった。
女神像の前には、既に水、小麦の種、砂が供えられていた。
祭壇にユイナが到着すると、従業員がろうそくに火をともす。由真たちは、ルデルト社長とフィレニオ社長や従業員たちとともに、その後ろに立つ。
ユイナは、錫杖を構え直すと、女神像に向かって深く一礼した。
「ベニリア魔法油株式会社代表理事社長オルコ・フィン・ルデルト殿、ヨトヴィラ合成ゴムノ株式会社代表理事社長ソフノ・フィレニオ殿の願いにより、我、ユイナ・アギナ・フィン・セレニア、このベニリア魔法油株式会社トリミア製油所、ヨトヴィラ合成ゴムノ株式会社トリミア工場共同礼拝堂において、これより祈祷の式を行う。周囲八方、聖柱設定、結界展開、領域浄化」
今回は、依頼主を代表する社長2人の名前から始まった。
「灯火と水土種を奉り天地の神に伏して祈らん」
そう唱えると、ユイナは左手に取った鈴を鳴らした。
「地より湧きたるこの油、炎と水と風により、選り分け清め組み合わせ、人々に恵み齎す光生む奇しく妙なる油なし、種々の物をも作り出すこの仕事場に、災いのほむらを立てず物種と匠を衛る闇の術、我らの前に姿なせ」
そこでいったん鈴を鳴らす。
「常々の祈りに加え今日この日、我、大空を支配する主たる男神ガロ様と天と地に坐す神々に庶幾わくは、この術の久しく強き働きを助け給いて仕事場に励む人らを守り給えと」
鈴を鳴らしながら、ユイナはそう詠唱し、終わると鐘を1回ついて深く頭を下げる。
「天と地と万のものの大いなる母なる我らが女神様、願わくは、我がこの願い聞こし召し、尊き功徳を天と地の万のものに齎して、衆生と我らを見守り給え」
常の詠唱から鐘を3回ついて、ユイナは改めて深々と頭を下げた。
「ありがとうございました、神祇官猊下」
「猊下直々に御祈祷を賜り、恐縮の至りです」
ルデルト社長とフィレニオ社長が、そう言ってユイナに向かって深く頭を下げる。
「各施設の方も、術の効力は確認し、必要なところは補強しておきました。これからも、トリミア神殿と御相談の上、常の祈祷をよろしくお願いします」
ユイナがそう言うと、両社長は「かしこまりました」と声をそろえた。
祈祷も済んで、視察の日程は終了した。
「追加の質問などありましたら、ジーニア支部の方から連絡いたします」
「かしこまりました。本日は、御視察いただきありがとうございました」
クロド支部長の言葉にルデルト社長が応えて、一行は製油所が用意したバソに乗り込んだ。
バソは、臨港道路に入って製鉄所の横を抜けて、トリミア駅に到着した。
「午後ですが、ヨトヴィラ市役所の方で迎えを出してもらえることになりました。午後1時10分に駅前に来るとのことですので、その間で昼食を済ませましょう」
バソから降りたところで、クロド支部長が言う。
「あの店は、空いているようですが」
メリキナ女史がそう言って指さした先には、「コグニア風料理 クレティア」という看板があった。
「猊下は、いかがなさいますか?」
「そうですね……せっかくですから、こちらで食べていきましょうか」
クロド支部長に問いかけられて、ユイナはそう答える。
メリキナ女史に先導されて、一行はその店に入る。
「いらっしゃいませ」
戸口にいた女性店員が声をかけてきた。
「6人ですが、よろしいですか?」
「はい。こちらへどうぞ」
そんなやりとりで、6人は円卓に案内された。
品書きを見ると、筆頭に「本日のおすすめ 揚げ鶏、エビのスープ(米飯)」と記されていた。
他には「焼き豚」「豚肉と野菜の煮込み」「牛焼き肉」などが並んでいる。
「『おすすめ』のこれにします?」
「そうですね。『おすすめ』ということですし」
由真の問いにユイナはそう答える。沖田と香織も頷いた。
それを見て、メリキナ女史が店員を呼び出し、この「おすすめ」を6人分注文する。
店員は、注文を厨房に伝えると、人数分の茶を持ってきた。
「まあ、エチレンプラントだったわね」
お茶が配られたところで、香織がそう言って息をつく。
「塩化アルミは、裏技みたいな魔法を使ってたけど、それ以外は普通に処理してたわね」
「確かにね。まあでも、水素とメタンが魔法で分離できるっていうのは便利かな」
香織が続けた言葉に沖田が応える。
「でも、触媒はそれなりにそろえてたから、エチレンオキシドも、銀を使わないと難しそうね」
往路の車中で話題に上った物質と触媒に言及すると、香織の表情が曇る。
「あの、こちらでは、銀は希少ですし、25グラムあれば10デニになりますから、確かに、かなりのところは魔法で代用します」
そこにユイナが応じる。
「例えば、鏡は、『ニホン』では銀を使うそうですけど、こちらでは、普通は銅を使います」
「え?」
「鏡、銀じゃないんですか?」
香織と沖田は驚きをあらわに声を上げる。
「ええ。バソとかトラカドにも使わないといけないので、特性付与を施した銅を使いますね。魔法師がいなくても装置で処理できますし、それでも20年くらいは変色もしません」
銅鏡を銀鏡並に輝かせる。そんな術式がこの世界では実現されているらしい。
「もちろん、本物の銀に比べると見栄えは劣りますから、上等な鏡台とか軍刀とかには、銀を塗りつけています。メッキの技術も、ナロペア大戦後に召喚者から伝わりましたけど、危険ということで、天空神様から禁忌とされていますね」
「神様が……」
「……まあ、シアン化は、禁止ものよね……」
沖田が漏らした声に、香織がそう言ってため息をつく。
「鏡は、ナギナ中央駅の宿舎でも、銀塗りを使っていたはずです。そこまで希少というほどでもございません」
クロド支部長が言う。
ナギナ中央駅の宿舎――イドニの砦に遠征する際に泊まった宿でも使われているなら、希少性を過剰に意識せずともよいだろう。
「エチレンとかベンゼンとかって、他の使い道は……」
「ポリエチレンを作るには、チーグラー・ナッタ触媒……塩化チタンとアルキルアルミがいるわね。アルキルアルミは、自然発火するたぐいだから……」
「ベンゼンからナイロンを作るのも……手順が長いし、どこかしらで引っかかりそうな気はするかな」
由真が問いかけると、香織と沖田はそう答える。
そんな話をしていたところに、注文の品が配膳された。
揚げ鶏は、唐揚げより薄く柔らかい仕上げで、濃いめの醤油で味付けされていた。
エビのスープは、白菜なども混じってうまみが出ている。
どちらも、米飯によく合う。
「とにかく、こっちで何が実用化できてるか、っていうのも、僕はよくわかってないからね」
沖田は苦笑交じりで言う。
「さっきの話だと、コバルトは使えてるんだよね」
ゴムノ工場では、「青染銀を含めた強化合金」を使っているという説明があった。
「それに、白鉄鋼って言ってステンレスを使ってるし、真鍮ミスリルっていうのもあるから、亜鉛とマグネシウムも使ってるね」
この1ヶ月セプタカにいて俗事に触れる機会のなかった沖田のために、由真はそう言葉を返す。
「それに、硫黄回収まできちんとできてるなら、ニッケルだけじゃなくて、モリブデンも使ってるわね。それに活性アルミナも」
香織もそう応える。
「なるほどね。僕は、これから1ヶ月研修だから、使える素材をしっかり勉強するところからかな」
それを受けて沖田が言う。確かに、この世界で利用可能な物質を知るのが第一歩になるだろう。
「私は、ちょっと即物的にやってて……とりあえず、グリセリンの塗り薬は、ギルドに置いてもらえることになったから、しばらくは調べ物に集中できるわ」
香織は苦笑交じりで言う。
「それって……」
「グリセリンにポーションを入れて作ったの。由真ちゃんに渡したら、イドニの砦のときに、コスモさんが使ってくれて、いい宣伝になったわ」
冒険者ギルドの界隈では、戦いのついでに「良薬」の噂も広まっていたらしい。
「ジーニア支部では、今週第1日に発売いたしました。評判の薬ということで品切れ状態です」
クロド支部長が笑顔で言う。
「実験室に置いてある溶解油がトルエンとキシレンの混ざったもの、って話も聞いたから、魔法で調べてみるのもいいわね」
「そうだね。うまくすれば、PETに行けるかもしれないしね」
香織の言葉に沖田が応える。
PET――ポリエチレンテレフタレートに関しても、参考書に記載があったのを由真は思い出した。
(沖田君がこっちに来てくれたおかげで、化学は、相当はかどりそうだな)
香織と同様に、沖田も召喚前からの知見があり、相応のスキルも与えられている。
2人の知識とスキルが化学工業に結実すれば、由真たちの生活環境も大いに改善されるだろう。
「まあ、僕も。魔法でできることなら協力するよ」
由真は、そんな思いとともに、香織と沖田にそう告げた。
香織さんは液体関係、沖田君は固体関係のスキルがあります。多少は魔法も使ってでも、生産につなげていきたいところです。
前回の製油所・工場にの視察話と、今回のお話は、かなりの難産でした。
石油精製プロセスを調べ直す程度は覚悟していたのですが、この先のNAISEIの可能性を考えるために、裏取りとして化学物質やら化学反応やらをいろいろ調べないといけない有様でした。
この半月ほど周期表を見ない日はなく、ベンゼン環が夢に出てきたこともありました。
…高校で化学をサボったつけでしょうね。