424. ジーニア支部に到着して
長い旅がようやく終わりました。
由真たちの乗った特急「ミノーディア11号」は、定刻通りの午後8時10分に、アトリア西駅に到着した。
自動改札を抜けて、駅舎を出てそのままジーニア支部に入ると――
「由真ちゃん、お疲れ様」
――玄関先に、晴美が迎えに来ていた。
「晴美さん……戻ってきてたんだ」
由真がそう応える傍らで、メリキナ女史も軽く会釈して、例の水晶板を持って受付窓口に向かう。
「ハルミちゃん。みんなも元気?」
ウィンタが晴美にそんな声をかける。
「はい。ウィンタさんも、お疲れ様でした」
晴美は、ウィンタにそう応えて一礼する。
「まあ、ユマちゃんに比べたら、あたしなんて何にもしてないけどね。それじゃ、2人ともお疲れ」
「「お疲れ様でした」」
由真と晴美がそう応えると、ウィンタは手を振って宿泊棟の方に向かった。
「あっちは、大変だったみたいね」
ウィンタの後ろ姿を見送りつつ、晴美が言う。
「まあ、ね。アスマも、ロンディアの休業騒ぎとか……」
「あれは、愛香が仕切って『生活支援駅前市』っていう臨時の出店を開いて、それでなんとかしのいだわ」
出店を開いたというその話は、ここで初めて聞かされた。
「コーシニアでもファニアでも好評だったから、愛香は来月中にお店を開く、って言ってたわね」
晴美はそう続ける。
「あれ? そうすると、愛香さんは……」
「明日引っ越しだから、今日はこっちに戻ってるわよ。来月に入ったら、コーシニアに貼り付くつもりみたいだけど」
「それ……僕も行った方がいいのかな」
「大丈夫よ。愛香は、タツノ副知事とも直接相談してるから」
由真と晴美がそんな話をしていたところに、メリキナ女史が近づいてきた。
「閣下、上奏案は、尚書府官房長宛で雷信いたしました。日報部が連絡を待っていたとのことでしたので、殿下に御相談中の案という前提で写しを渡しています。日報部は、24時まで状況を待つと言っていたそうです」
「上奏案? また、何かあったんですか?」
事情を知らない晴美が、眉をひそめてメリキナ女史に問いかける。
「このようなことになっております」
そう言って、メリキナ女史は、「王国軍人事情報」の雷信と上奏案を見せる。
「……度会さんと、嵯峨さん、どうしてるのかしらね」
晴美に「度会さん」と言われて、由真は、召喚されたあの日の晴美と聖奈のやりとりを思い出した。
あのときは、あたかも晴美が聖奈から由真を奪い取るような形になった。
しかし、セントラ北駅で邂逅した聖奈との関係は――
「あっちのメンバーとは、帰り際にセントラ北駅ですれ違って、あの2人とは、軽く話もしたよ」
――晴美に隠し事はできない。そう思って、由真はそのことを正直に話すことにした。
「……2人は、どんな感じだったの?」
「女子2人だけになって、なんとか支え合ってる、って感じだったと思う。来月また会おう、って話して、それで別れたけど」
聖奈が泣いていた――ということまでは、話す必要はないだろう。
「そう。度会さんたちも、大変そうね」
晴美は、聖奈たちをおもんばかる言葉を口にした。
「そうだね。カンシアの体質に、あっちの14人はすんなり染まってるみたいだから、これから、ますます大変になりそうだね」
「彼女たちも、アスマに『割愛』させてもいいんじゃない?」
そう口にする晴美の表情に、わだかまりのようなものは見えない――と感じるのは、自分がそう思いたいからなのか――
「それは……まあ、来月の末にあっちに行くときに、どうなってるかにもよると思うけどね」
「それも、そうね」
由真の言葉に、晴美はそう返す。
そこで、2人の間の言葉はいったん途切れた。
「それで、セントラから、こちらの雷信が送信されました」
そう言って、メリキナ女史は封書を差し出した。
至急
晩夏の月31日18:46受信
本部御中
別添のとおりセントラ情報を雷信します。
大陸暦120年晩夏の月31日
セントラ支部
(別添)
王国内務省人事情報
ドルカオ内務大臣は、衛兵総監ハレムロ子爵ロスト氏の退任を認め、後任に内務次官ギドリオ男爵ランソ氏を起用する旨上意を承ったと発表した。
内務次官には衛兵総監府副総監メンシオ男爵スティロ衛兵将軍、衛兵総監府副総監には内務省公安局長ロストコ男爵ワルド氏が任ぜられ、公安局長には衛兵総監府犯罪組織対策部長のメレスコ男爵キルト衛兵将軍が起用される。いずれも発令は初秋の月1日付。
メレスコ新公安局長は現行冒険者法の立案に当たった人物。
内務大臣は、「特にアスマにおける冒険者ギルドの増長は、王国の秩序を維持する上でもはや放置できない状態にある。現行法を強化して全国適用した上で抜本的な対策を講じるため、冒険者取締の第一人者であるメレスコ男爵を抜擢した」としている。
(人事(1日付))
衛兵総監 ギドリオ男爵ランソ(内務次官)
内務次官 メンシオ男爵スティロ(衛兵総監府副総監)
内務省公安局長 メレスコ男爵キルト(衛兵総監府犯罪組織対策部長)
衛兵総監府副総監 ロストコ男爵ワルド(内務省公安局長)
衛兵総監府犯罪組織対策部長 クレスロ男爵ヒルモ(内務省公安局公安課長)
今度は、王国内務省の人事だった。
アスマに戻った今、もはや関係ない――とはとてもいえない。
あのメレスコ衛兵将軍を、内務省公安局長に抜擢する。
それも「アスマにおける冒険者ギルドの増長」に対して「抜本的な対策を講じるため」として。
軍神ナルソのアマリトに頼み、由真はもとよりゲントに対してすら小馬鹿にした態度をとったあの男。
そのしたり顔を思い出すだけで、由真の心に敵意がわき上がってくる。
「このメレスコって、確か、セントラで王都邸宅を取り囲んだ衛兵の、指揮官だったんでしょう?」
晴美も、そこまでは聞き及んでいたらしい。
「そう。アルヴィノ王子にすり寄って、例の『冒険者ギルド民間化奨励の令旨』を出させて、それから、公安局の総務課長で法案を作ったんだってさ。その功績で、エリートコースに乗ってるらしいよ」
「それ……つまり『諸悪の根源』ってこと?」
晴美は、由真自身と全く同じ言葉を使った。
「これは、陛下のお考えには……」
「衛兵総監が引責辞任するのであれば、それは陛下の御意に沿うところかと思いますが、それであれば、犯罪組織対策部長も連座で退くべきところです。それが、退任どころか、本省公安局長に抜擢されるというのは、明らかに、陛下の御意に反するところかと思われます」
メリキナ女史は、やはり蕩々と答える。
「つまり、これも、陛下の勅許すら賜ることなしに……」
「『上意を承った』とありますので、アルヴィノ殿下が了解されただけかと」
「あの元老院決議が出ただけで、このていたらく、っていうのは……あれ、やっぱり否定しておいた方がよかったんでしょうか……」
「いえ、それは……あれは、感情的なものに過ぎません。それに、勅許を賜ることなく人事を強行するのは、アルヴィノ殿下と閣僚連の暴走です。元老院が、それを後押しするような態度を示したため、彼らは躊躇しなくなった、ということかと」
由真の心に生じた迷いを、メリキナ女史はそんな言葉で否定した。
「人事は、まあ、仕方ないとして、あのメレスコ男爵が公安局長になる、ってことは、冒険者法は、相当ごり押ししてくるんでしょうね」
そもそも、内務大臣が「現行法を強化して全国適用した上で」と発言していることからも、その意図は明白だった。
「アスマは、公爵殿下の拒否権で対抗する、っていうのは、大丈夫でしょうか」
「権限上は問題ありませんし、8号詔書の趣旨からしても、カンシアの圧力にアスマが対抗することは、聖慮にも沿うところのはずです」
8号詔書――28日に渙発されたそれは、ミノーディア、アスマ、メカニアの地位を重視し、カンシアが圧力を加える動きを強く明確に否定していた。
「昨日の話からして、ミノーディアも、今の冒険者法には反対ですよね」
「はい。ヴィグラシア師団が当てにならないというのは、否定し得ない事実ですので」
メリキナ女史のその答えも遠慮がない。
「カンシアは、なんとかできないものですかね」
ゲントやサニア、それに研修を終えた後のウィンタ、更にはヴェルディノ男爵のことを思うと、カンシアの惨状にも改善の道筋を開きたい。
「そこは……カンシア地域法制についても、本来は陛下の裁可が必要です。それを差し止めることができれば、地域法制に関しても、改廃させることは不可能ではない、と、そう思われます」
メリキナ女史はそう答えた。
「コーシア方伯が王都乃至ナスティア離宮に在る時は国務大臣等が上奏は須くコーシア方伯の内覧を得べし」
例の「8号詔書」には、そう記されていた。
王国議会召集に関する勅書でも「議案に関する以後の上奏は須く首席国務大臣の内覧を得べし」とされている。
国王自身が「悪法の施行を許し」と口にする。
そのような事態を解消するために、与えられた権限をもって「アルヴィノ体制」に対抗する。
それが、由真の新たな責務になる。
「そう……ですね。次のセントラ入りの時が、大勝負ですね」
由真がそう言うと、メリキナ女史は、はい、と相づちを打つ。
「法律とか、そういう関係は、僕はそれこそ素人なので、メリキナさんにお手間をかけると思いますけど……」
「……微力は尽くさせていただきます」
由真の言葉に、メリキナ女史はそう応えてくれた。
「由真ちゃんも、ますます大変ね。こんな手合いの相手までさせられて」
晴美が、苦笑交じりで言ってくる。
「まあ、連中を放っておくとどうなるかは、カンシアで見てきたから。それこそ微力は尽くすよ」
由真はそう応えた。
由真と晴美、それにメリキナ女史は、宿泊棟に向かって歩き出した。
「ユマ様!」
そこに、そんな呼び声が響く。立ち止まると、受付嬢が紙を持って駆け寄ってきた。
「ユマ様、尚書府から、大至急の雷信です!」
そう言って、受付嬢は手に持っていた紙を由真に手渡した。
大至急
晩夏の月31日21:12受信
コーシア方伯ユマ閣下
お示しの上奏案につき 殿下に御確認を賜り、原案のとおり大至急雷信すべしとの御意を賜りました。
大陸暦120年晩夏の月31日
尚書府長官官房長
「メリキナさんの指示どおり、ナスティア離宮の方には大至急で雷信を打っています」
受付嬢はそう言葉を続ける。「了解が得られたら速やかに雷信を送信すること」という指示をしていたのだろう。
「ありがとうございます」
メリキナ女史がそう答えると、受付嬢は一礼して窓口に戻る。
「カンシア時間は、午後4時半になるところ……ですか」
カンシアとアスマの時差は5時間ある。
「本日中に大きな動きはないと思われますが、何かありましたら、明朝御報告いたします」
メリキナ女史はそう応える。彼女自身は、「本日中」は待ち続けるつもりなのだろう。
「僕も、『本日中』くらいは待ちますから、何かあれば、僕のほうにもお願いします」
「それは……」
「僕も、どうなるかは気になりますから」
そう言葉を続けると、メリキナ女史は、「かしこまりました」と応えた。
およそ半月ぶりに戻った部屋は、明日で引き払うことになる。
たびたび不在にしていたため、片付けるほどの荷物もない。
午後11時近くになって、扉が――控えめな音で――コンコンとノックされた。
「はい」
そう声を上げて扉を開けると、戸口にメリキナ女史が立っていた。
「ナスティア離宮より、こちらのとおり勅書が発せられました」
そう言って、メリキナ女史は封書を差し出した。
晩夏の月31日22:36受信
アトリア冒険者ギルド・ジーニア支部御中
別添のとおり勅書が発せられましたので コーシア方伯ユマ閣下に伝達のほどよろしくお願いいたします。
大陸暦120年晩夏の月31日
ナスティア離宮付侍従職
(別添)
首席国務大臣兼軍務監察官 コーシア方伯ユマ殿へ
貴公が上奏を聴き軍務大臣に対して別状の如く勅したり。
13日に詔したる所に拠り貴公がアスマ軍が粛軍と体制合理化に向け監察を徹底するを予は庶幾す。
大陸暦120年晩夏の月31日
御名親署
同日
臣宮内大臣 ワスガルト子爵モルト 奉る
(別状)
軍務大臣へ
アスマ軍総司令官等補職及「勇者の団」が団員の一部の任官及栄爵の儀に就予は本日コーシア首席国務大臣が上奏に依り之を知りたり。
アスマ軍に就ては13日に詔したる所に拠りコーシア軍務監察官が監察に当らむ所予は其活動に依る粛軍に強く期待す。
尚「勇者の団」魔物対策小隊長ワタライ男爵及渉外班長サガ男爵に就ては予が意に拠り隊長及班長の地位に就きたる者なれば隊員乃至班員たるべき現軍曹12人が士官に任ぜらるるを以て両男爵が劣後に置かるる如きは予が意に明確に背く所なり。
仍て予は茲に魔物対策小隊長ワタライ男爵及渉外班長サガ男爵をして新任せらるる士官12人に対して当然に先任の地位を保持せしむべく措置すべき旨を命ず。
大陸暦120年晩夏の月31日
御名親署
同日
臣宮内大臣 ワスガルト子爵モルト 奉る
あの上奏が送られてからわずか1時間ほどで、軍務大臣に宛てた勅書が発出され、その上で由真にも勅書が発出された。
文言自体は、上奏のそれとほぼ同様だった。
しかし、勅書に「措置すべき旨を命ず」と明記された以上、軍務大臣が「措置」を怠れば即座に「違勅」を問うことができる。
そして、由真宛の勅書には、「粛軍と体制合理化」という言葉が明記されている。その方向性は、文書によって明確化されたことになる。
「一歩前進……ですね」
由真のその言葉に、メリキナ女史は、はい、と応えてくれた。
元老院決議を境に、カンシアの貴族たちは勢いづいています。
「諸悪の根源」も、まだしばらく出番があります。
それでも、上奏に陛下と宮内大臣が迅速に対応して、「一歩前進」となりました。