420. ミノーディア州にて
往路(アスマ→カンシア)ではざっくりはしょった道筋ですが…
由真たちの乗る「ミノーディア11号」は、大草原の中を走り続ける。
ウィンタや衛はもとより、メリキナ女史ですら、ソファの背もたれに頭を預けて時折うたた寝している。
由真もまた、たびたび眠りに落ちた。
夕食は馬肉が供されて、夜は10時に床に就いた。しかし眠りは浅い状態が続く。
ふと目が覚めて、寝室の時計を見たら4時半を回っていた。
その時計が4時40分を指したところで、列車はブレーキの音とともに停車する。
窓外のホームには、「ヴィグラシア」という駅名表示が見えた。
魔族の本拠地ダナディア辺境州との回廊に面するヴィグラシア城への玄関口に当たる駅。
前回と同じく、目を覚ました状態でこの駅に着いた。
ジーニア支部の書庫で見た地図によれば、標高は3100メートルから3200メートル。
とはいえ、シンカニオでもある列車の内部は気密性が確保されているらしく、息苦しさなどは感じられない。
夜明け前のホームには、駅員が数人いるだけだった。
まだ寝静まったこの場所。
その先に、魔王の率いる魔族・魔物たちが跋扈している――などという感覚もわかない。
(魔王、か)
冒険者という立場で、いつか戦わなければならない相手。
しかし、今の由真は、王国元老院から「魔王の化身」とすら呼ばれる立場だった。
今の由真にとっては、この地を本拠とする「魔王」より、カンシアに跋扈する「貴族たち」の方が、よほど煩わしい敵だった。
この駅にしても、「魔族の本拠への回廊」というより、「王国軍1個師団に面する戦線」と思ってしまう。
(連中が、ヴィグラシア城も奪われて、にっちもさっちもいかなくなったら、そのとき考えればいいか)
王国軍がそういう失態を演じる可能性は――相当高いようにも思われるが。
20分停車した列車は、午前5時にヴィグラシア駅から発車した。
ベッドに戻った由真は、軽く眠りに落ちて、目が覚めたら6時25分だった。
3日目の朝食は、スープつきの麺「ソルパ・ニラルタ」になる。
伸びる前に提供するのは難しいため、特等室でしか提供されない。
衛とウィンタは、食事に関しては特等室の随員として扱われ、このソルパ・ニラルタが提供される。
昼食は、二等寝台と同様に、羊肉の餃子風料理「コストハリ」が供された。
食器が片付けられたところで、メリキナ女史は、鞄から筒状の道具を取り出して、例の水晶板に取り付ける。
その道具に紙を差し込むと、そのまま巻き取られて文字が印字されていく。
(外付けのプリンターまであるのか。ほんと便利だな、これ……)
由真がそんなことを思っているうちに、その紙に昨日見せられた雷信の文案が印刷された。
「こちらでよろしければ、今から専務車掌のところへ持ち込みます」
そう言われて、由真は「お願いします」と応えた。
午後4時40分、列車は定刻通りにオルヴィニア駅に到着した。
直後、扉がノックされる。
「閣下、建国騎士団幹事長のトルフィア宮中伯閣下がお見えです」
扉の向こう側から、そんな声が聞こえてきた。
「建国騎士団幹事長、というと……」
ナスティア離宮で見せられた「建国騎士団からの上奏」。その差出人が「建国騎士団幹事長」だった。
「建国騎士団は、総長が陛下、副総長が現在空位のミノーディア大公で、騎士団から互選された幹事長が統括しております」
メリキナ女史は、そう答えてから立ち上がり、そして扉を開けた。
向こう側にいたのは、初老の男性だった。
「建国騎士団幹事長、トルフィア宮中伯レクトと申します。コーシア方伯ユマ閣下に、御挨拶まで参上いたしました」
そう言うと、相手は一礼して、そして入室してきた。
「閣下の御活躍は、我々も常々お聞きしております。我々一同、ただ感服するばかりです」
「あ、いえ……その、幹事長にわざわざお越しをいただき、大変恐縮です」
相手が続けた言葉に、由真はどうにか社交辞令を返す。
「あの詔書は、ミノーディア総州を代表する立場として、我々も大変ありがたく承りました。こちらのとおり奉戴する旨、全員一致をもって決議し、宮内省を経由して奏上しております」
そう言って、トルフィア幹事長は紙を差し出した。
宮内省布告第8号詔書を拝し奉りて
(建国騎士団決議)
畏くも国王陛下には 昨日大陸暦120年宮内省布告第8号詔書を渙発せられたり。
ミノーディア総州に及ばせられたる聖慮を拝し奉りて当騎士団一同は恐懼に堪へず。
当騎士団は一致して本詔書を謹みて奉戴し其聖慮を深く体してアスマ州と密に連携してミノーディア総州が更なる発展を図り延て王国全体の繁栄の持続に尽さむ旨 天地神明と 国王陛下に謹みて誓約し奉る。
以上の儀当騎士団は全員一致を以て茲に決議す。
大陸暦120年晩夏の月28日
建国騎士団
冒頭で「建国の地ミノーディアが大陸東西を緊密に連絡し」としたあの詔書を、建国騎士団は当然ながら「謹みて奉戴」した。
そして、「アスマ州と密に連携してミノーディア総州が更なる発展を図り」としている。
「昨日の元老院決議は、我々も受け取っております」
そう口にしたトルフィア幹事長の表情が曇る。
「我々に関する部分は、捨て置くことはできぬ、との判断にいたり、本日、こちらのとおり緊急決議を行っております」
そんな言葉とともに、別の紙が差し出された。
晩夏の月29日元老院決議に就て
(建国騎士団決議)
ノーディア王国元老院は大陸暦120年晩夏の月29日に「ノーディア王国の国体の護持に関する元老院決議」を決議し公報したり。
同決議に於ては当騎士団に就「建国の地として特に王権より許された権利をもって王権を侵害しようとしている」との言及あり。
抑も当騎士団は初代オルヴィノ大帝を推戴したりてより歴代のノーディア国王をミノーディア大公として推戴したり。之は精強無比なる騎馬民族に由来するノーディア王国の歴史に於て一貫する君主推戴の原則に拠る所なり。
苟もノーディア王国の国体と歴史を語る者は須く此原則を弁ふべき旨内外に改めて求む。
尚元老院が如此決議を肯定する王族はミノーディア大公に推戴し得ざる旨を併せ宣告す。
以上の儀当騎士団は全員一致を以て茲に緊急に決議す。
大陸暦120年晩夏の月30日
建国騎士団
王位継承者たるミノーディア大公を推戴する権限。
歴史的に有してきたそれに対して、あの元老院決議は――アルヴィノ王子の感情を忖度してか――攻撃的な言葉を使っていた。
それは、建国騎士団としては絶対に譲ることのできない「君主推戴の原則」という一線を踏み越えていたということだろう。
「我々としましては、陛下の御不例が続く中、アルヴィノ王子と両元帥が国政を壟断し、あまつさえ、アルヴィノ王子のミノーディア大公推戴を認めない我々に対して威圧的な態度を強める状況に、危機感を強めておりました。
そのような中、閣下が出現されてより、陛下には聖慮をたびたび強くお示しになられ、我々としましても、大いに励まされております」
彼ら建国騎士団は、国王を敬慕し、そしてアルヴィノ王子と両元帥の体制を否定的に受け止めている。
だからこそ、これまで4回の要請を受けながら、アルヴィノ王子のミノーディア大公推戴を一貫して「時期尚早」と退けてきたのだろう。
「我々ミノーディアは、魔族の本拠ダナディア辺境州と境を接し、その脅威にさらされております。回廊であるヴィグラシアは、城塞こそ、タツノ男爵による補修と拡張で充実しておりますが、駐留するヴィグラシア師団は、食糧を強請るばかりで、戦力としては何の当てにもなりません」
他に誰もいない密室だからか、トルフィア幹事長は直截な言葉を口にした。
「我々も、選抜された冒険者により、魔族に対する防衛力の強化に努めておりますが、閣下にも、建国の地であるこのミノーディア総州に、より一層の御理解をいただければ幸いに存じます」
そう言って、トルフィア幹事長は深く頭を下げた。
「わかりました。お忙しいところお時間を割いていただき、大変恐縮です」
由真は、まずそんな社交辞令を口にする。
「アスマとしても、ミノーディアとは共存共栄の関係にあることは、僕も十分承知しているつもりです。建国騎士団の皆さんには、今後とも、御協力をよろしくお願いします」
そう言葉を続けると、相手は、「確かに承りました」と応えた。
あの詔書を出させた「コーシア方伯ユマ閣下」は、建国騎士団幹事長も挨拶に来る立場になりました。
その建国騎士団も、国王陛下を支持し「アルヴィノ体制」を嫌っていて、主人公と同じ立ち位置です。