418. 届けられた元老院決議
封書はもう1通あります。
午後1時20分に、列車はアフタマ駅から発車した。
メリキナ女史は、裏返した方の封筒を手に取り、軽くため息をつく。
「メリキナさん、そちらは……」
「このようなものです」
由真の問いに、メリキナ女史はそう言って封筒の正面を見せる。
そこには「元老院決議在中」という文字が見えた。
臣民院決議から1日遅れのそれは――詔書を否定し「アルヴィノ体制」の継続を求める内容であろうことは自明だった。
積極的に読みたいものでは全くないものの、読まない訳にもいかない。
メリキナ女史は、先ほどのタツノ副知事からの雷信と同じように、そちらの封筒も上辺を光系統魔法で切り開いて、中の紙を机に載せた。
<元老院公報>
ノーディア王国の国体の護持に関する元老院決議
大陸暦120年晩夏の月29日
ノーディア王国は、広大無比の領土を保ち、大陸の覇者として400年の長きにわたり君臨し続けている。その国体は、知勇を兼備する至高の王権と強靱なる武備によって立つ。
王国の長い歴史の途中には、国勢弱体化の苦難に見舞われた時期が存在したことは否定できない。
しかし、大陸暦68年晩秋の月22日に異世界「ニホン」より勇者と賢者が召喚され、類いなき力量をもって、魔王を下し、ミグニア朝アスマ帝国を滅ぼしてアスマの地を奪還し、さらにはメカニア・ソアリカ戦争にも勝利して、王国の最大版図を実現した。
現在の王国は、勇者元帥大将軍マリシア公爵タケトモ閣下と賢者元帥大将軍ボルディア方伯カズヒコ閣下の勲功により空前の栄華を得ている。
それ故に、 アルヴィノ7世はこの両元帥閣下を上級国務大臣となされ、その絶大無比の勲功に報いられた。
この両元帥閣下がおられる今、他に上級国務大臣の地位を得るべき者や、まして首席国務大臣の称号を得る者などは、到底あり得べきものではない。
本年初夏の月5日に行われたいわゆる「大召喚」は、世界を危機より救済し、王国をさらなる繁栄へと導くべく、 アルヴィノ王子殿下が直接指揮されて執行された。
しかしながら、担当神官が出自下賎にして技量不足の故、人数こそ39人の多数に及びながら、不義不忠の者や惰弱な雑兵が少なからず含まれた。
あまつさえ、この神聖不可侵の儀式に身元不詳の村娘が紛れ込むという前代未聞の不祥事も生じた。
本来であれば、この担当神官は、その罪を身命をもって償うべきところながら、責任を問われなかったばかりか、分不相応にも神祇官の地位すら得るに至っている。
そして大召喚に紛れ込んだ村娘は、神格すらも愚弄する邪悪極まる術を用い、王国の不易の国体を破壊し、世界の安寧をも崩壊させようとしている。その所業は、魔王の化身と言うべきものと認めざるを得ない。
アスマ州の長官は、神聖不可侵の王権に対する反意をあらわにしている。建国騎士団すらも、建国の地として特に王権より許された権利をもって王権を侵害しようとしている。
かくのごときを放置すれば、両元帥閣下の空前の勲功は水泡に帰し、王国の400年を超える歴史は無残にも終焉を迎えることとなりかねない。
王国元老院は、かくのごとき事態を到底容認し得ない。
王国元老院は、王国の不易の国体を護持するため、武備を更に充実させ、社会と経済の秩序をいっそう強化し、王権に抗う無頼の輩をことごとく退け、魔王の化身を徹底的に追い詰めて、その邪悪な術に打ち勝ちこれを殲滅することを目指して全力を尽くすことをここに誓う。
以上のとおり決議する。
アルヴィノ王子と両元帥をあがめ奉り、由真を否定し罵倒する。
そして、詔書で示された国王の思いを否定して、「アルヴィノ体制」の強化を謳う。
それ自体は、予想通りでしかなかった。
とはいえ、その記述は――
「これ、ひどすぎるわね。『魔王の化身』だとか、あげくユイナさんのことまで、こんな風に……」
ウィンタが、そう言って大きくため息をつく。
この決議では、由真を「魔王の化身」などと呼んでいた。
由真を「魔王」と結びつけることで「絶対悪」と位置づけ、元老院自身を「正義の具現者」と標榜する意図だろう。
これにより、由真の言動は「魔王の企み」として非難され、これに対抗する元老院の活動は「ノーディア王国全体のための戦い」として正当化される。
あまつさえ、ユイナに対してすら――「担当神官」という言葉を使い実名を示すことは避けつつ――「出自下賎にして技量不足」などと誹謗し、「大召喚」の「失敗の責任」すら問うている。
それは、到底許せるものではなかった。
(けど、実名は出してない上に、『魔王の化身』呼ばわりじゃ……)
由真がユイナをかばい立てると、今度はユイナが「魔王の手先」呼ばわりされるということにもなりかねない。
(それにこれ……『違勅』にはならないんだよな、多分……)
詔書で示された「国体観」と異なる見解を示してはいても、ただちに「違勅」は成立しないのだろう。
国王が由真に与えた「上級国務大臣」や「首席国務大臣」の地位にしても、「到底あり得べきものではない」などと持って回った言い方で「否定的な見解」を示すにとどまっている。
そうやって「違勅」そのものは回避する。その程度には知恵が回る。
(こいつらは……)
由真の胸の奥で、どす黒い感情がうごめき始める。
大きく息をついて、その感情を吐き出す。
「どうしますかね、これ。いちいち反応するのも馬鹿馬鹿しいですけど……」
そこまで口にしたところで、由真は顔を上げる。
「メリキナさんは、どう思いますか?」
今回の出張で、たびたび由真をいさめてくれたメリキナ女史。彼女の理性と判断力に期待して、由真はそう問いかけてみる。
「閣下のおっしゃるとおり、逐一反応する意義があるとは思われません」
メリキナ女史は、由真の期待通りに、そんな言葉を返した。
「この決議は、8号詔書と閣下の存在に対する、感情的な反発の域を出ません。もとより、詔書の内容を具体的に否定していけば、元老院であっても『違勅』となりますので、そこは避けているものでしょう」
由真の漠然とした感覚を、メリキナ女史は明瞭に言語化した。
「もとより、『魔王の化身』云々という呼ばわりにせよ、神祇官猊下を誹謗している箇所にせよ、私も、個人感情としては到底受け入れられません。
ただ、閣下がこれになにがしか反応した場合、この『魔王の化身』云々という呼ばわりをもって、元老院は思うままに感情論を展開することになる、と、そう思われます」
そのことも、メリキナ女史の冷静な口調で言われると、冷静に受け止めることができた。
「そもそもあの『大召喚』は、8号詔書で指摘されたとおり、陛下の勅許もなく、長官台下が指揮された訳でもありません。その時点で、これまでの慣行に反しています。
当然、ベストナやダスティアからすれば、ノーディアが慣行すら無視していたずらに軍拡を図ったと見られても致し方ありません。
そうなると、両国が再び手を結び、ノーディアが『国勢弱体化の苦難に見舞われた時期』に見舞われたナロペア大戦、その二の舞を演じることになりかねません」
メリキナ女史は、元老院決議の文言をひもといた。
南北の両国を敵に回し、領土を少なからず失うに至った戦争。その「屈辱の歴史」を繰り返す危険もある。
それは、由真にとっても腹落ちする見解だった。
「この決議は、陛下が詔書で示された聖慮に対する否定、王族たる公爵殿下に対する不敬、建国騎士団が建国の主として有してきた権能に対する理解の欠如を含み、国際感覚の不足をもさらし、その上で、現在の大陸の神官で最も神々に近い神祇官猊下を誹謗し、そして無系統魔法の魔法大導師たる閣下に敵意を向けているものです。
閣下があえて見解を示されるまでもなく、この決議は、不見識の極みとしか形容しようがないものと、私はそう思います」
それもやはり「感情論」なのだとしても。
メリキナ女史のその言葉は、理性的で論理的なものに聞こえた。
「やっぱり、これは放置しておいていいですよね」
「私は、そう思います。下手に手を出されては、かえって閣下の権威を損なうことにもなりかねません」
確かに、由真が低次元な感情論にまともに応じていては、その言葉は軽んじられていくことになる。
この世界の「綸言汗の如し」の文化からすれば、それは、由真自身以上に、タツノ副知事たちにとって望ましくないことだろう。
「それじゃ、そういうことにしましょうか」
「かしこまりました」
由真の言葉にそう応えて、メリキナ女史は元老院決議を封筒に戻した。
「魔王の化身」呼ばわりまでされましたが…
メリキナ女史の助言も受けて、感情論はスルーです。