406. 「首相」の初仕事
「国務大臣の首座」、すなわち「首相」ということになり、早速のお仕事が入ります。
といっても、全くの事務仕事であり、半ば儀式のような手続です。
侍従たちから配られた詔書案は――由真に与えられる地位が異様な水準ではあったものの――異を唱えるべきところもなかった。
後は、国王の裁可を受けるのみとなる。
「宮内大臣閣下のお手元にありますものが、副署者が決裁した上で、陛下の裁可を賜る上奏書になります」
ルクスト事務局長がそう説明してくれた。
その綴り――上奏書を見たワスガルト宮内大臣は、表紙に署名して侍従に渡す。
上奏書は、次にナイルノ神祇長官に手渡され、やはり表紙に署名される。
そしてそれは、侍従の手により国王に差し出された。
国王は、受け取った上奏書の表紙をめくり、本文をじっと見つめる。
その表情と仕草から、何度も読み返しているのであろうことは読み取れた。
しばらくして、国王は一つ頷き、そして表紙に○を描いた。
続けて、侍従が国王に紙を差し出す。
この世界では初めて見るほど上質なその紙を、国王はやはりじっと見つめて、そして署名して侍従に返した。
侍従は、その紙をナイルノ神祇長官に渡す。神祇長官が署名すると、続けてワスガルト宮内大臣に渡して、同様に署名を受ける。
それを受け取って、侍従は国王に向かって深く一礼し、そして広間から退いた。
「これで、あの詔書は裁可を賜り、副署も終えて、渙発されることになりました」
ワスガルト宮内大臣が言う。今の一連が、「裁可」の手続だったらしい。
時刻は12時半を回っていた。
昼食時ということで、そのまま広間で食事が振る舞われた。
国王は、スープにパンを浸した粥のようなものを食べている。
由真たちには、豚肉の生姜焼きにパンとスープが供された。
「閣下。秋期王国議会召集の詔書案をお持ちしました」
食事を終えたところで、2枚綴りの紙が由真に差し出された。
1枚目が表紙で、上に「可・不可」の文字、中程に「別状の如く詔書を渙発せらるる儀御裁可を賜りたく謹み畏み奏上す」という文言と「(副署)」「首席国務大臣 コーシア方伯ユマ」という文字が並ぶ。
その表紙をめくると――
王国議会議員へ
大陸暦120年秋期王国議会を茲に召集す。
其会期は大陸暦120年初秋の月15日より同年盛秋の月15日迄とす。
尚委細は追而勅す。
(御名親署)
(日付・副署)
――これが、「別状の如く」とされた詔書の文案だった。
先ほどのものとは打って変わって、確立された前例に沿ったとしか思われない、全く形式的なもの。
このたぐいのものを発出するのも、君主の重要な職責なのだろう。
「よろしければ、こちらに適宜の印をお書きください」
ルクスト事務局長が、そう言って「首席国務大臣 コーシア方伯ユマ」という文字の末尾を指さす。
否定する立場にもない、と思い、由真はローマ字の筆記体で「Yuma」と記した。
その紙束は国王に差し出されて、「可・不可」の「可」の方に「○」が記された。
侍従は、その真下に「27 UN / 120 UG 御裁可」と記す。
続けて、先ほどと同じく上質紙が国王に差し出された。
国王がそれに署名すると、一礼して受け取った侍従が、それを今度は由真に手渡す。
王国議会議員へ
大陸暦120年秋期王国議会を茲に召集す。
其会期は大陸暦120年初秋の月15日より同年盛秋の月15日迄とす。
尚委細は追而勅す。
ノーディア国王ウルヴィノ
大陸暦120年晩夏の月27日
首席国務大臣
「こちらへ、御署名をお願いいたします」
そう言って、侍従は「首席国務大臣」という文言の真横を指さす。
「首席国務大臣 コーシア方伯ユマ」。
詔書が裁可された直後から、早くも使われるその肩書き。
そのまま「首相」を意味するそれは、既成事実の積み重ねという手順はあった「尚書府副長官」より更に急速だった。
(これ、署名って、ノーディア語で書かないといけないのかな……)
一瞬迷ってしまう。
(って、大丈夫か。雷信とか、普通に日本語で書いて通ってたよな)
ガルディアで河竜対策に当たっていた際、タツノ副知事や愛香とのやりとりは、全て日本語で綴った。
自分はもとより、「セレニア神祇官ユイナ」なども日本語で書いて通用していたのだから、ここでも大丈夫だろう。
そう思い切って、由真は、日本語で「コーシア方伯ユマ」と書き込み――直後に翻訳スキルを解除してみる。
すると、そこには「Yuma Radigrafa fin Cohsia」という文字が記されていた。
(『翻訳スキル』って、もはや魔法だな)
書いた文字の語順すら変化してしまう。
原理が理解できている系統魔法と比べても、この翻訳スキルの効果はいわゆる「魔法」の神秘性が強いと思われた。
ともかく、「首席国務大臣」としての、最初の詔書副署の手続はつつがなく完了した。
由真は、メリキナ女史や衛にウィンタ、ルクスト事務局長とともに、割り当てられた控室に戻る。
程なく、その控室に侍従がやってきた。
「先ほど御裁可を賜りました詔書に関連して、こちらの勅書が発せられました」
侍従は、そう言って由真に紙を手渡した。
王国議会議員及関係諸官へ
大陸暦117年に施行せられたる諸法律は其影響甚大なる所然るべく改むるを要す。仍て会期は1ヶ月と定めたり。
王国政府各省大臣は各所管法律の施行状況を十分調査の上適切なる改正法案を提出すべし。
元老院及臣民院は其議案の可否に就初秋の月30日迄に決し諸侯会議に報告すべし。
諸侯会議は盛秋の月1日以降会期中に其議案の可否を決し奏上すべし。
尚コーシア首席国務大臣は初秋の月28日に王都に入るべし。議案に関する以後の上奏は須く首席国務大臣の内覧を得べし。
大陸暦120年晩夏の月27日
御名親署
同日
臣宮内大臣 ワスガルト子爵モルト 奉る
詔書の記述を補うその勅書。
冒頭の記述には、「アルヴィノ体制」の法律をしかるべく是正すべきという国王の考えが示されていた。
審議日程を示した上で、最後の段落では、由真に来月28日の王都入りを指示している。
控室には、地球と同じ様式のカレンダーが置かれていた。
初秋の月25日に出発する「ミノーディア12号」に乗れば、28日にナスティアなりセントラなりに入ることができる。
アスマで過ごす期間は3週間半。
アトリア、コーシア、北シナニアの1市2県を見るとなると、時間に余裕はない。
「それと……」
侍従の声で、由真は我に返る。
「こちら、ボレリア博士の栄典の奏請になります。よろしければ、御決裁を賜りたく存じます」
そんな言葉とともに、2枚綴りの紙が差し出された。
表紙は、やはり上に「可・不可」の文字があり、中程には「別状の如く授爵及栄爵騎士団叙任を行ひ其儀を奏ぜしむる儀御裁可を賜りたく謹み畏み奏上す」という文言と「(奏者)」「首席国務大臣 コーシア方伯ユマ」という文字が並んでいた。
2枚目には、こんな文言が記されていた。
栄典奏請
1 対象
月光騎士団B級命婦 士官 魔法学博士 ウィンタ・ボレリア
2 栄典措置
(1) 授爵
騎士爵を授与する。
(2) 騎士団叙任
豊穣騎士団A級命婦兼月光騎士団A級命婦
3 理由
大陸暦120年北シナニア対魔大戦の勲功による。
先ほどの詔書と同じように署名すると、侍従は一礼して控室から退出した。
国王の裁可も無事得られたらしく、程なく、上質紙が2枚、そして箱が1つ用意された。
ウィンタ本人もいるため、この場で爵位と栄爵騎士団叙任に関する書面、それに「クンショ」が手渡されることになった。
「えっと、ウィンタさん、済みません」
由真はウィンタに呼びかける。
ウィンタは、ここに至っては文句も繰り言も言わず、由真の正面に立った。
B級命婦 士官 魔法学博士 ウィンタ・ボレリア
勅命を奉じ騎士爵を授与する。
大陸暦120年晩夏の月27日
首席国務大臣 コーシア方伯ユマ
B級命婦 士官 魔法学博士 ウィンタ・リデラ・フィン・ボレリア
A級命婦に叙任せらる。
兼ねて豊穣騎士団に列せらる。
以上勅旨を奉じ謹みて奏す。
大陸暦120年晩夏の月27日
首席国務大臣 コーシア方伯ユマ
その2枚の紙を、由真は読み上げ、そして「クンショ」の入った箱とともにウィンタに手渡した。
これで、「A級命婦 士官 魔法学博士 ウィンタ・リデラ・フィン・ボレリア」が誕生したことになる。
「済みません、ウィンタさん。なにか、僕の名前で、偉そうな感じですごく申し訳ないんですけど……」
「まあ、『首席国務大臣』は、実際偉いでしょ。ユマちゃんの名義なら、ありがたみがあるわよ」
由真の繰り言に、ウィンタは苦笑を返した。
「それにしても、ウィンタさん、今も『士官』って肩書きがつくんですね」
今手渡したばかりの紙は、いずれも「士官」という階級が明記されていた。
「一応、今でも『予備役士官』ってことになってるからね」
苦笑を浮かべたまま、ウィンタはそう応える。
「ノーディア王国では、予備役でも退役でも、武官であれば階級を付して、『官職、栄爵騎士団、階級、学位、氏名』で記されることとされております。タツノ長官も、正式には『コーシア県副知事、SS級大夫、工兵士官、工学博士、タツノ男爵ヨシト』となります」
そして、メリキナ女史がそう補った。
やはり「軍人の階級」が重視されるのが、この王国の体質なのだろう。
「この手のって、担当大臣の名義で出るのよ。月光騎士団のB級命婦は、魔法大臣の名義でもらったんだけど……今だと、予備役士官でも、魔法導師でも……あの軍務大臣の名義になっちゃうから」
そう口にしたウィンタの顔が、ひときわ険しくなる。
「あの、陛下の前でわめき散らした軍務大臣閣下ですか」
「そう。あのアルキアって……114年から117年まで、最初の魔法師団長だったのよ」
ウィンタに「『光の風』と『闇の風』の軍事利用」を強要し、彼女と衝突して、そして魔法師団から除名した。
その因縁の相手「魔法師団長」。それが、他ならぬアルキア現軍務大臣だった。
「それ……あの人、魔法なんてろくに使えないんじゃ……」
午前中に「対決」した相手の「マ」からは、魔法能力などまるで感じられなかった。
「……そういうこと」
ウィンタは、深いため息とともにそう応えた。
『そもそも基本魔法もろくに使えない師団長と幕僚が、『そんなくだらない研究をしてる暇があったら戦闘魔法をやれ』ってしつこくて、それで、ね』
先月、「ミノーディア11号」の車中でウィンタが口にしたその言葉が、由真の脳裏によみがえる。
10代半ばの由真の挑発に簡単に乗せられる程度の人格で、魔法能力は「基本魔法もろくに使えない」。
そんな人物が、魔法師団長に就任し、魔法師団の組織を蹂躙した。
あまつさえ、ついには軍務大臣という閣僚の席すら占めるに至った。
「それは……ほんとに、ろくでもないですね……」
他の言葉が出てこない。
王国軍を担うべき閣僚が、そこまで腐りきっている。
国王と宮内省が、「首席国務大臣」の肩書きを急いで使用し、由真の「権威」を強調しようとする。
この体質の中では、それも無理からぬことなのかもしれない。
「ほんとに、ろくでもないわ」
ウィンタが返したその言葉に、由真は頷くことしかできなかった。
王国議会は、国王が君主として召し出すものとして、日本の国会と同じ「召集」としています。
その王国議会は、会期1ヶ月で確定しました。
主人公は、約1ヶ月後に、またカンシアに入ることになります。
叙爵・叙勲されたウィンタさんは、実は軍務大臣氏とは因縁がありました。
騎士爵と勲章を彼から渡されるなら、「頼まれても受け取らない」となっていたかもしれません…