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397. 生活支援駅前市

今回は、挿話のような始まりです。

 コーシア県知事公邸用務主任ハモニア・ラルニアの朝は、その職責から見れば遅い。


 5時に起床し、身繕いを整えて、更に1日の仕事を確認し、6時に使用人たちを集めて重要事項を伝える。


 聞くところでは、つい先日までの北シナニア県知事公邸などは、エストロ知事やストロコ副知事の気まぐれで口やかましい要求に応えるため、4時起き5時始業を強いられていたらしい。

 それに対して、この邸宅の事実上の主であるコーシア県副知事のタツノ男爵とサクラ夫人は、着任の時点で「賄い料理をそのまま供するように」と指示を下し、以後それを曲げたことは一度もなかった。


 そして、最近この邸宅の名目上の主となったコーシア方伯ユマ。


 優れた功績を挙げた冒険者として、若くして高い爵位と広大な知行領を与えられた彼女は、いかなる「貴族令嬢」のごとき振る舞いに及ぶのか。

 そんな不安は――彼女が最初にこの知事公邸に泊まった翌日に、たちまちに雲散霧消した。


 ユマは、年の頃は未だ学生と見えるものの、使用人たちに対して尊大な態度など一切見せない。

 彼女も、彼女と行動をともにするセレニア神祇官ユイナや若き冒険者たちも、賄い料理と同じ品目の食事に不満など一切示すことなく、おいしそうに食べてくれる。

 邸宅の采配を預かる用務主任として、そんな彼女たちは微笑ましく、そして彼女たちのために最大限奉仕しようという思いを深めるばかりだった。



 その日、晩夏の月27日は、常と同じ――とはとてもいえなかった。


 イデリアのコーシニア北店が閉店し、この地の小売業を独占支配するに至ったロンディア。

 この会社が昨日、「戦争を起こそうとする一部指導層に抗議するため」と称して、コーシア県内の全店舗を終日臨時休業すると発表した。

 自分たちの主であるコーシア方伯ユマを貶めようという意図は明白だった。


 しかも、ロンディアに休業されては、午後からの食材を手に入れるのも難しくなる。

 知事公邸の食事――副知事夫妻と住み込みの使用人のための賄い料理のための材料をどこから調達するか。


 朝から憂鬱だった。



 ラルニア用務主任は、表だっては常と変わらない態度で、使用人たちの集会に使う会議室に入った。


「おはようございます、主任。ギルド日報です」

 若い女性使用人が、そう言ってギルド日報の朝刊を差し出した。


「ありがとう」


 そう言って受け取ると、記事そのものではなく、まず折り込み広告に目を向ける。それは、仕事柄の習慣だった。

 この日入っていたのは2枚。1枚は、昨日も目にしたロンディアの「臨時休業について」。

 見るだけでいらだちがこみ上げそうになり、それは机の上に置いてしまう。

 そして2枚目は――


「『緊急開設 生活支援駅前市!』?」


 上段に掲げられた大見出しを思わず読み上げてしまった。


 見ると、TA旅客とコーシニア・メトロの各駅駅前で、豚肉、鱒、卵、キャベツ、ナス、野菜の詰め合わせなどを販売する「駅前市」なるものが、午前9時から開かれるという。

 掲示されているその価格は、イデリアの安売りにこそ及ばないものの、ロンディアの午前中の値付けと比べると、ほぼ同水準だった。


「これは……」

「あの、配達員さんは、ギルドが総動員された、って言ってました」


 この日報を受け取った際に、そんな話を聞かされたらしい。



 6時。

 厨房を始めとする各部署に配置された使用人たちが集まって、毎朝定例の会が始まる。


「おはようございます。副知事御夫妻からは、特別な仰せはありません。ただ、昨日お伝えしたとおり、今日は、ロンディア全店舗が、臨時休業します。奥様の御昼食、御夫妻の御夕食、それに皆さんの賄いについては、食材の調達が難しくなります」


 そう口にしたところで、ラルニア用務主任は、ギルド日報に織り込まれた広告を思い出す。


「ただ、こちら……ギルドが総動員されて、この『駅前市』なるものが開かれるそうです。中央駅の方に、私も行ってみようとは思いますが、皆さんも、ギルドの伝手を頼るなどして、食材が確保できるよう、よろしくお願いします」


 そう告げて、それで「定例の会」は終わった。



 7時半。

 常と同じ時刻に、タツノ副知事夫妻に朝食を出す。


「奥様、御案内かとは思いますが、ロンディアが本日は臨時休業いたしますので、食材の調達が、若干難しくなるかもしれません」

 ラルニア用務主任は、サクラ夫人にそう言って深く頭を下げる。


「確か、ギルドで『駅前市』というものを出すそうですね」

 すると、サクラ夫人はそんな言葉を返してきた。


 日報は、当然夫妻の下にも届けられる。夫人も、あの折り込み広告は見ているはずだった。


「はい。そちらで、多少なりとも品がそろえばよいのですが……」

「それなら、おそらく大丈夫でしょう。『駅前市』は、シチノヘ理事官が取り仕切ったものですから」

 ラルニア用務主任の「繰り言」に。タツノ副知事はそんな言葉を返す。


「シチノヘ理事官が、ですか」


 北シナニア対魔大戦の際に民政省冒険者局付理事官として活躍して、その功績で騎士爵も与えられた人物。

 コーシア方伯ユマの友人の1人でもあり、1泊した折に応接もした。

 口数は多くないものの、聡明な雰囲気を漂わせている、とは感じていた。


「それでは、そちらも利用して、食材はなんとか調達いたします」

 ラルニア用務主任は、夫妻に対してそう応えた。



 朝食を済ませて、タツノ副知事は隣接する県庁に入り、サクラ夫人は自分たちの居室の掃除に取りかかる。


 そしてラルニア用務主任は、使用人2人を連れて、8時50分に知事公邸を出発し、中央駅の駅前に向かった。

 出勤時間帯が終わった駅前広場に、簡易天幕が張られて、その下に食材を販売するための箱が並んでいた。


「はい! いらっしゃいいらっしゃい! 冒険者ギルドの『生活支援駅前市』、開いてますよ! お肉も野菜も、まだまだ在庫はありますから! どんどん買ってってください!」


 そんな声が響き渡り、そして既に行列もできていた。


 見ると、天幕の横には「豚肉」「鱒」「卵」「キャベツ」「ナス」「野菜詰め合わせ」「調味料・茶葉」「雑貨」「豆腐整理券」の看板があった。


 ラルニア用務主任は、「豚肉」の列に1人、「キャベツ」の列に1人を配置し、自らは「野菜詰め合わせ」の列につく。

 その「野菜詰め合わせ」の列が、最も並んでいる人が多い。


 前に進むにつれて、売り場の様子も見えてくる。

 白菜、人参、長ネギにタマネギなどを食品袋に入れたものが売られていて、並んだ人たちはそれを1人で数個ずつ買っていた。


(あれなら、野菜炒めでも野菜麺でも、そのまま作れそうね)


 そんなことを思っているうちに、順番が近づいてきたものの、品物もどんどん売れている。

 あと2人まで来たところで、眼前の箱の中身は、ちょうど完売に至った。


(ここで品切れなんて、ついてないわね……)


 思わずため息が出てきた、その矢先。

 空になった箱を載せた台車が後ろに下げられて、入れ替わりで次の箱が前に出てきた。


「まだまだ在庫はありますから! どうぞご心配なく! いっぱい買ってってください!」


 その箱には、同じ品物が大量に積まれていた。

 1人が3個、次の1人が4個購入したところで、ようやくラルニア用務主任の番になった。


「はい、いらっしゃい!」


 などと言うその人物は、ロンディアのコーシニア南店で食肉売り場に立っている販売員だった。


「え? あなた、いったい……」

「あ、これはラルニアさん! どうも! いや、今日は、うちの店、突然閉めるって言い出して、仕事がなくなっちゃったんですよ。そうしたら、ギルドから募集が来ましたんでね、せっかくなんで、こっちに来ちゃいましたよ」

 相手は、そういって苦笑する。


「あ、それで、これ、1袋3デニですけど、いくつ買ってきます?」

「……15袋、いただけます?」

「15ですね! 毎度あり!」


(いや、あなたには毎度でも、このお店は今日だけじゃないかしら)


 そう口には出さずに、彼女は財布から50デニ札を取り出して、詰め合わせ15袋に釣り銭の5デニを受け取った。



『中央駅前の『駅前市』は、朝から大盛況だったようです。知事公邸の方でも、食材は順調に調達できたと一安心しています。さすがはシチノヘ理事官です』

 タツノ副知事からのその通信をアクティア湖出張所で受けていたのは、「シチノヘ理事官」こと愛香、そして晴美だった。


『食材はまだ余裕があるということで、昨日の指示のとおり、夕刻に安売りを行う予定です』

「よろしくお願いします。配布した氷は、全てアイザワ子爵謹製の品で、明日いっぱいまで使えますので」

 そんなやりとりで、愛香はタツノ副知事との通信を終えた。


「……晴美に働いてもらったおかげで、なんとかなった」

「別に、私はたいしたことはしてないわよ」

 愛香に言われた晴美は、そう言って手を振ってみせる。


 ロンディアの「臨時休業」の知らせを受けて、愛香は、TA旅客とコーシニア・メトロに手配して「駅前の空間」を確保し、冒険者ギルドの生産者を動員して「生活支援駅前市」を開催するよう提案する旨を雷信した。

 更に、各支部から卸売市場に連絡させて、普段ロンディアが仕入れているのと同程度の食材を用意するよう要請し、やはりロンディアが使っている荷物列車とトラカドにより現物を各駅まで輸送させた。


 販売に当たっては、広大な売り場が用意できないため、「豚肉」「鱒」「キャベツ」「ナス」「卵」の5品目の他は、野菜炒めや野菜麺にそのまま利用させる前提の「野菜詰め合わせ」にまとめた。

 また、パックのないこの異世界では慎重な扱いが求められる豆腐については、「豆腐整理券」を発行して、後で必要個数を取りに来てもらうことにした。


 その食材の鮮度を保つために必要となるのが冷却システム、ことにその中核となる「氷」だった。


 その「氷」を、愛香は、晴美の氷系統魔法で調達した。

 店舗が相当程度集約されているロンディアに対して、「駅前市」は販売拠点が分散される。そのため、必要となる氷の数も必然的に増える。

 これに対応するため、愛香からは「万単位の氷のコア」を要求され、晴美は「2日間維持できる氷塊」を8万個作製した。


「まあ、ちょうどいい練習にもなったわ」

 晴美はそう言葉を続ける。


 作製した氷塊「8万個」。それは、決して無意味な数ではなかった。

 まず肩慣らしで1万個、次に3万個、それから2万個を2度に分けて、という手順で作った氷塊。


 それは――コーシア師団、アトリア3個師団、そして隣県に2個師団ずつ、という「アトリアを包囲するアスマ軍」の兵員の数に合わせたものだった。


 そう。晴美にとって、この「氷塊8万個」は、アスマ軍8万人を氷結させるための「練習」でもあった。


 今の晴美が持つ「氷の太陽」や「殲滅の吹雪」は、強大な魔物を相手取る技だった。

 しかし、今の仮想敵「アスマ軍」は、個々人の戦力などはゴブリン並かそれ以下で、ただ頭数が膨大になる。

 これを相手取るには、「中庸程度の術を膨大な対象に施す」ことが必要になる。


「それにしても、いくら大株主に言われたから、って、ロンディアもろくでもないことしてくれるわね」

 昨日からずっと去来していたその思いを、晴美は思わず口にしてしまう。


 すると、愛香はこちらにすっと目を向けてきた。


「晴美……いつから、株主が会社の味方だと錯覚していた?」


 まっすぐそう言われて、晴美は息を呑んでしまう。


「株主にとって、会社は、自分の都合のいい豚の貯金箱。貯めたいだけ金を貯めて、それ以上入らなくなったらトンカチでたたき壊して小銭を巻き上げる、そのための、ただの入れ物」


 その目に鋭い眼光を帯びて、愛香は言葉を続ける。


「株主の言うことを聞いていたら、会社は潰される。だから、七戸家は、2009年にMBOをして、ナナトヤの二部上場を廃止した」


 愛香の家が経営するスーパーチェーン「ナナトヤ」。

 この会社がかつては上場企業だったという話は、晴美は親から聞いたことがあった。


「七戸家は、アクティビストに口は開かせない。ナナトヤの経営には、一切介入させない」


 この異世界で、愛香は強く言い切る。そのことは、七戸家にとってそれだけ重い「家訓」なのだろう。


「ともかく、ロンディアは、くだらない政治的な話で、先行者の有利を帳消しにした。このチャンスを活かして、こっちは一気に攻める。『生活支援駅前市』は、来月中には、常設のスーパーとコンビニにする」


 ――愛香は、この異世界の、今現在の「現実」に話を戻した。


「そうね。進めてくれれば、由真ちゃんは助かるし、殿下も喜ぶわね」

 晴美は、愛香にそう応えた。

前半は、コーシニアの一般消費者を代表して、用務主任さんに登場いただきました。


一夜城ならぬ一夜スーパーです。

実店舗が確保できないので、駅前空間を臨時に使いました。

季節は夏ですが、氷塊8万個でどうにか鮮度を保っています。


巨大な先行事業者がやってくれた「自殺点」。愛香さんにとっては、攻勢に出る好機です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 支店で全店一斉閉店なんてやったらただ活動基盤の縮小でしかないわけで… 国で言ったら独立させて不干渉になったのレベルだから基盤を乗っ取れるならただの利益供与ですよねぇw
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