37. 仙道衛のモノローグ (1) 渡良瀬由真という「男子」
タイトルのとおり。ここからしばらく、仙道くんの一人称になります。
渡良瀬由真という「男子」。俺がその名を認識したのは、入学直後の実力テストのときだった。
県内統一の高校入試問題とは格の違う問題に、俺を含む新入生たちは打ちのめされた。そのテストの成績優秀者として筆頭に掲げられた人物、それが渡良瀬由真だった。
新入生総代の類には選ばれなかった。模擬試験で名をはせた訳でもない。しかし、難易度の上昇した実力テストでは首席に輝いた。そのため、「彼」の名はたちまちに学校中に広まった。
A組に属していた俺は、B組の渡良瀬とは体育の授業を合同で受ける関係になった。
渡良瀬は、400メートル走で中学県内記録を更新したという話で、徒競走で右に出る者はいなかった。
しかし、それはあくまで、「彼」の実力の一端に過ぎなかった。
渡良瀬は、普段は目立とうとしない。サッカーでは右翼か左翼に控え、バスケでもゴール下の攻防には加わらない。
しかし、バレーボールになると、自分の周囲に来たボールは、たとえ強烈なアタックであっても的確にレシーブした。
ソフトボールでは、打席に立つと職人芸のごとく打撃を左右に打ち分けて、確実に出塁し、時には三塁の選手を生還させる。
テニスや卓球のような個人競技に至っては、その技量は他の追随を許さなかった。
その「スポーツ万能」ぶりに興味がわいて、俺は、サッカーで渡良瀬がいた左翼(渡良瀬から見れば右翼)からあえてドリブルで切り込んでみたことがあった。
渡良瀬は、俺から逃げることなく正面に相対した。
俺は、フェイントをかけて抜こうとしたものの、渡良瀬はそんなものなど意に介さずにこちらの動きを制する。
パスを出そうにも、打てる方向が右に限られていたせいで、こちらもうまくいかない。
攻めあぐねた末に、後ろから近づいてきたクラスメイトに後ろ足でバックパスをして、その場はどうにかしのいだ。
そしてバスケ。
渡良瀬のいたチームとの試合で、俺が何度目かの攻撃にかかったとき、渡良瀬のチームはゴール前でバラバラになり、渡良瀬が正面から俺を迎え撃つ形になった。
俺は、バスケ部でポイントガードをつとめてレギュラー入りしていた。
一頃バスケ漫画が流行ったせいか、「ポイントガード」というポジションを認識している一般生徒もいたものの、体育の授業で俺が本気で「相手」するのはさすがに大人げない。
それでも俺は、敵陣の「ポイントガード」に立った渡良瀬に、あえて勝負をしかけた。
そのときの渡良瀬との身長差はおよそ10センチ。
しかし、その痩身は鍛え抜かれていて、フィジカルで押し切るのは無理だった。
パスを出そうにも、こちらの動きは全て見切られていて、どうにも手が出ない。
ピボットも限界が来て、結局俺は、身長差を活かして、ジャンプして直接ゴールを狙った。
そのシュートが運良く決まって、俺は「バスケ部のポイントガード」としての面目をかろうじて守った。
渡良瀬は、普段は目立とうとしない。
サッカーのときも、バスケのときも、運良く「対決」の機会が転がってきた。しかし、授業時間の大半は、「隅に控えている」渡良瀬と絡むことはなかった。
2年に上がって、理系クラスを選択した俺は、F組に入れられた。
そのクラス名簿を見て、その中に「渡良瀬由真」の名を見つけると、全身に驚喜がわき上がった。同じクラスであれば、正面からの対決も、あるいは「チームメイト」としての共闘もできる。
待ちわびた「体育の授業」。それは――新型コロナウィルスによる非常事態宣言からの長期休校のせいで、2ヶ月にわたって先送りされた。
暦が6月になって、ようやく「そのとき」が来た。最初の火曜日5時間目はオリエンテーション代わりの体力測定、次が金曜日4時間目の体育で――
スポーツ万能な彼の視点から、「スポーツもできる子」としての由真くん(当時)を描いてみました。
短めですけど、今回はここで区切ります。