2. ようこそ異世界へ
異世界に到着しました。
「よく来てくれた! 異世界ニホンの戦士諸君!」
通ったその声に反応できた者はいなかった。
自習中の教室が突如光に覆われるや、気がついたらどこともしれぬ神殿のような場所にいた。
周囲には、くるぶし丈ほどの長い詰襟コートを身にまとった男性が20人ほど。その頭髪の色は、いずれも茶か赤。
この状況で、意識がまともに機能していた者は、ほぼ皆無だった。
「ん? 何だ? 一人残らず、マスクで顔を隠しているのか? どういうつもりだ?」
そう続けた声の主。一人だけ腰丈のジャケットに白いスラックスを着用し、その上に濃青のマントをまとった男性。その金髪と碧眼はひときわ目立つ。
「そなたら、なぜマスクなどしている」
重ねて問われて、意識の機能が回復する者が現れた。
「なぜ、って……コロナのせいじゃないですか」
平田正志が言葉を返した。
「ころな? なんだそれは?」
怪訝そうな表情になった相手。その言葉に――クラスメイトたちは一様に困惑する。
「コロナ、通じない?」
「え、マジ? あり得なくね?」
そんな声がそこかしこから上がる。
「えっと、新型コロナウィルス感染防止で、必ずマスクして登校しろ、ってことに……」
「だから、そのコロナなんとやらとは、いったい何なのか、と聞いているのだが」
平田の言葉に、相手は怪訝そうな表情のまま問いを重ねる。
「……COVID-19、といってもわかりません?」
女子生徒の声が通る。
「……コヴィ? ……王族にそんな名の者はいたか?」
「いえ、アルヴィノ殿下、さようの名のお方はおられません」
相手は傍らに立つ男性――一人だけえんじ色のコートを身にまとっていた――とやりとりする。
ふう、というため息の音が場に通った。
「つまり、今私たちがいるここは、COVID-19、いわゆる新型コロナウィルスの存在すら認知されていない、それでいて、殿下と呼ばれる王族が存在する程度の文明はある。……明らかに、私たちの住む地球、日本じゃない、ということですね」
磨りガラスを通したような澄んだ声が蕩々と響く。彼女の名は、相沢晴美。この学級で二番手に位置する才女と目されている。
「私たちを『異世界ニホンの戦士諸君』と呼ぶあなた方は、いかなる世界の何者なのでしょう?」
相沢晴美の堂々とした問いかけに、相手の集団は一瞬息をのんだ。
「き、貴様! 殿下の御前で無礼であろう!」
えんじ色のコートの男性が叫ぶ。
「……申し訳ございませんが、我々は『異世界ニホン』より突如さらわれてきた身の上です。そこのお方がどの王国のいかなる殿下であるかも、当然承知しておりません。委細をお教えいただければ、相応の礼はとらせていただきますが」
あくまで冷静に。あくまで堂々と。相沢晴美は相手に対していた。
「ぐっ、よかろう……」
無礼を糾そうとした相手は、苦しげな表情で説明を始めた。
この場所は、2年F組の彼らにとっては「異世界」だった。
彼らがいるのは、ノーディア王国。この「世界」の大陸の北方に領土を有している。その大陸は、南北の間に険しい山地があり、それを挟んでいくつかの国が成立している。
ノーディア王国は、南北間に横たわる山地を本拠とする「魔王」の進出に直面している。この魔王と、その配下の「魔族」は、暴虐の限りを尽くし、民の生命身体の安全すらも脅かされている。
魔王も魔族も、並のヒトが多少の軍事訓練を受けたところで対抗できるような存在ではない。
彼らの世界には、「ギフト」と呼ばれるモノを持って生まれる者がいる。「ギフト」を与えられた者は、常人を凌駕する能力を発揮し、特に優れた者は、訓練によって、魔族たちを倒し、さらには魔王にも挑むことがかなうという。
その「ギフト」を持って生まれるのは、全体の1割程度。しかもその多くは「並の秀才・強者程度」。魔王に挑むことができるような「勇者」は、天文学的な確率でしか出現しない、そういう存在である。
そんな彼らに「創造神の啓示」として与えられた手段。それが「異世界召喚」だった。彼らにとっての「異世界」から優れた者を召喚する。異世界から召喚された者は、ごく一部の例外を除いて、基本的に「ギフト」を備えていた。その中から「勇者」の名に値する傑物が現れる確率も高い。
魔王による破滅から国家と国民を守るため、彼らは異世界召喚をたびたび執行してきた。
「魔王と戦いこの世界を救うため、そなたらは召喚されたということだ」
アルヴィノ殿下と呼ばれた男――ノーディア王国第一王子アルヴィノ・リンソ・フィン・ノーディアが高らかに告げて、「説明の時間」は終わった。
「その前に確認したいのですが、ノーディア王国には現在空気感染する深刻な感染症はない、と理解してよろしいですか?」
アルヴィノ王子の高らかな宣言に氷水を注ぐような問いかけを放ったのは、相沢晴美だった。
「インフルエンザの類か? そのようなものはない」
これまで説明していたえんじ色のコートの男性が答える。
「確かに、マスクという概念はあるにもかかわらず、誰一人としてマスクをしていない、ということなら……こんなものをつけておびえることもなさそうですね」
そういって、相沢晴美はマスクを外した。それにつられて、他のクラスメイトたちもそれぞれのマスクを外す。
「それで、俺たちは、その魔王とかいうのと、戦わないといけないんですか?」
平田正志が尋ねる。
「いずれは、そうしてもらいたい。だが、今すぐにとは行かぬであろう。召喚された者も、全員が英雄級の『ギフト』を持つ訳でもない。まずは、全員の『ギフト』と『ステータス』を確認させてもらう」
その答えに、「マジか」「テンプレだよ」といった声がちらほらと上がる。
「『ギフト』と『ステータス』は、これで確認させてもらう」
彼らの前に、小ぶりなスイカほどの大きさの水晶玉が用意された。その前後には、やはり水晶とおぼしき板が据えられている。
「では、確認に入りたい。順番に……」
順番、と言われて、クラスメイトたちは一瞬目を見合わせる。
「それじゃ、出席番号順じゃないか?」
平田が答える。彼は、新学年初日のホームルームで学級委員長に推挙されていた。
「出席番号1番は……相沢か」
他ならぬ相沢晴美が、早速「『ギフト』と『ステータス』の確認」に臨むことになった。
この異世界には新型コロナウィルスはいませんが、インフルエンザはあります。
予約投稿で連載を追加するのは始めてなので、おかしくなっていたら措置します。