275. 出発準備 (3) 上奏
今回は、上奏文がまるごと入るため、縦に長くなります。
メリキナ女史から手渡された差し入れの品のうち、美亜が作った衣類は、各自がいったん知事公邸居住棟の自室に持って行くことになった。
ただし、由真はこの場の責任者として知事室にとどまる。
その合間で、内線の呼び出し音が鳴った。
「はい、知事室です」
マリナビア内政部長が受話器を取る。
「はい、少々お待ちください」
そう言うと、マリナビア部長はタツノ副知事に顔を向ける。
「副知事、尚書府のファスコ官房長からです」
ファスコ官房長も午後一の特急「コーシア36号」でアトリアに戻っており、すでに尚書府の庁舎に入ったようだった。
「はい、タツノでございます」
『副長官、ファスコでございます。殿下より、先週の一連の上奏案の作成を命ぜられ、私のほうで今確認いたしました。副長官は、内容をご覧になりますか?』
ファスコ官房長は、端的に用件を告げる。
「いえ。殿下にご確認をいただいた上で、速やかに発信してください」
『かしこまりました』
端的な答えで、その通信は終わった。
「副知事、今の通信は……」
「上奏文案の内容を確認するか、という話でしたので、不要、と答えました。ファスコ官房長もすぐに通信を切りましたから、私に気を遣っただけでしょう」
マリナビア内政部長の問いに、タツノ副知事はそう答えた。
実際、この「超大物」に対しては、政府高官たちも配慮しない訳にはいかないのだろう。
時計が4時を指して、通信室から「明日から『白馬』の運行を再開するとの通知がありました」という連絡が入った。
それを受けて、愛香が冒険者局の係官に指示して、「明日にナギナに出張させる人員」についての申請を各省に提出させる。
ここから、アスマ軍が軍用列車の運行を要求してくるか。それをいかにいなすか。駆け引きの局面になる。
さらに15分ほど経ったところで、知事室の扉がノックされた。
「閣下、副知事。尚書府より、上奏の伝達がありました」
通信室の係員は、そういって3枚の紙を捧げ持ち、1枚を由真の前に、1枚をタツノ副知事の前に、残り1枚を他の面々の机に置いた。
大至急
晩夏の月10日16:13受信
全州務尚書各位
公爵殿下より 別紙のとおり上奏がなされましたので、謹んでお知らせいたします。
大陸暦120年晩夏の月10日
尚書府長官官房長
(別紙)
上奏
エルヴィノ謹み畏みて奏上す。
陛下より コーシア伯爵ユマ殿に対し5日勅書を賜りてより伯はセレニア神祇官ユイナ殿並びに盟友アイザワ子爵ハルミ殿カツラギ男爵カズハ殿センドウ男爵マモル殿及び魔法学博士ウィンタ・ボレリア殿と倶に魔族魔物の輩に対抗したり。州庁は結束して其の活動を支援し当地8日にはコーシア伯を州務尚書と為して統括の体制を整備したり。
当地昨9日午前10時前北シナニア県ノクティノ郡に 紅虎様の神使及び河竜が出現したるもコーシア伯は 陛下の御稜威に依りて其盟友連と倶に之を悉く撃退したり。
当地本日セレニア神祇官が祈祷したる所 紅虎様はイドニの砦に拠る魔族が画策に因りて荒ぶ時に入りて魔族魔物の輩と倶にナギナよりベニリア川を下らむと企図すとの神託を賜りたり。
コーシア伯と其盟友連をして此徒党を迎撃せしむべき局面なるもアスマ軍は頻りに軍用列車を運行せしめ冒険者の活動を妨ぐ。
加之北シナニア県知事以下はアスマ軍に頼りてコーシア伯セレニア神祇官及び其の盟友連の入境を峻拒し憲兵警察をしてコーシア伯を逮捕拘束せしめむとの意も示す。
如此妨害を排し任務遂行の安全に就万全なる準備を整へたる上にて北シナニア県の冒険者と協力し現地に於て最終決戦に挑むべく州庁挙げて尽力しある儀エルヴィノ謹み畏みて奏上す。
大陸暦120年晩夏の月10日
アスマ公爵ノーディア王子エルヴィノ
「上奏も、文語なんですね」
翻訳スキルが通したその文体を見て、由真はそう漏らしてしまう。
「はい。ちなみに、名詞形であれば『上奏』、動詞形であれば『奏上す』と、翻訳スキルは一律にそう通します」
タツノ副知事が答える。
「内容は、踏み込んでますね」
アスマ軍がしきりに要求する「軍用列車」の件だけでなく、憲兵が由真を逮捕・拘束する可能性すら明記されている。
「そこは、やむを得ないところかと。殿下の権限が及ばない統帥部が障壁となっている状況を打破するために、あえて陛下におすがりする、ということですので……」
確かに、元々そのような趣旨で上奏を行うに至っていた。
「私たちの名前まで、書いてあるんですね……」
そこで晴美が言う。
「それは……昨日は、河竜の方は、僕は一切手をつけてない訳だし、紅虎の方も、ウィンタさんの『闇の風』に衛くんの盾があったから、なんとか撃退できたから、名前が載るのは当然じゃないかな」
由真は、包み隠さぬ本音を、ごく自然に口にする。
むしろ、ここで「コーシア伯は配下と倶に」とだけ書かれては、由真としては到底受け入れられない。
「ところで、これは、公表されるものなんでしょうか?」
由真はタツノ副知事に尋ねる。公表――つまりは「アスマ軍の目に入る」かどうか、それが問題になる。
「特に秘密の指定もありませんので……ギルド日報の朝刊には掲載されるでしょう。それに、内務省に通知された文書の多くは、地方局から直ちに全県に伝達されますので、北シナニア県庁にも、程なく送信されることになります」
「それは……ここと同じタイミング、ではないんですか」
「こちらは、州務尚書としての閣下に宛てたものですので、ナスティア離宮に送信された直後に、引用雷信として他の州務尚書と同報で送られたものでしょう」
――秘書官2人がここに張り付いている「州務尚書」という立場が、こんなところにも影響しているらしい。
「けど、雷信って、電信なんですよね? よく、こんな正確に引用できますね」
「引用雷信は、記憶水晶に保存された内容をそのまま再送するだけですので」
「魔物関係の速報とか報告とかも、ひな形は記憶水晶に入ってるんですよ」
ふと思ったことを由真が問いかけると、タツノ副知事とユイナがそう答える。
送信済の文やフォーマットのたぐいが保存されている。それは、地球の「電報」より高度な技術だった。
「ともかく、エストロ知事の目には、あと数分もすれば入ると思われますので、そこからイタピラ総司令官にも流れることでしょう」
タツノ副知事に言われて、由真は一瞬忘れかけた本題を思い出す。
「そうなると、これが引き金になる可能性もありますね」
由真の言葉に、タツノ副知事も、はい、と答えた。
新たな動きは特段ないまま、30分ほどが経過した。
時計が4時45分を指したところで、内線の呼び出し音が鳴る。
「はい、知事室です」
マリナビア内政部長が受話器を取る。
「はい、少々お待ちください」
マリナビア部長は、そう言うと愛香に顔を向ける。
「シチノヘ理事官、TA旅客のリフティオ社長からです」
そう言われて、愛香は、はい、と答えてマイクに向かい、由真とタツノ副知事もヘッドホンを装着する。
「シチノヘでございます」
『お疲れ様です。TA旅客のリフティオでございます。今し方、アスマ軍総司令部より連絡が入りまして、明日の下り『白馬』全6便を軍用列車に振り替えよ、と、そのような指示がありました』
――予想通り、アスマ軍は「運行再開」の発表の後に「軍用列車運行」と「それに伴う運休」を要求してきた。
『ユマ様の御指図のとおり、明日の下りの特急券は全く発行しておりませんので、いつでも運休に応じる用意はできております。関係の官吏がたが乗られる列車を指定していただければ、その分の三等車1両を確保した上で、軍用列車への振り替えを行います』
事前にすりあわせしていた通りの手順で、大きな実害はなくアスマ軍の要求に応じることが可能になっている。
「各省には、16時の運行再開の発表の際に、出張予定者の申請を指示しています。すぐに数をまとめて、折り返し連絡します」
『かしこまりました。よろしくお願いいたします』
そんなやりとりで、その通信は終わった。
悪質な手口で嫌がらせを仕掛けるアスマ軍ですが、主人公側にも事前の準備があります。
さらなる交渉は、次回に続きます。




