26. 2週目
由真たちの異世界ライフは2週目に入ります。
月曜日。由真は、晴美とともに会議室に入る。
「おはよー晴美アンド由真ちゃん……ってそれ?! 由真ちゃん制服じゃん!」
島倉美亜がいきなり声を上げたため、クラスの注目が二人に集まる。
「あ、由真ちゃん、なんか、違和感、全然ないね」
「ほんとほんと。ってか、そもそも背丈も縮んでるよね?」
「……15センチくらいね」
七戸愛香と島倉美亜の言葉に、由真は短く答える。
「それにしても、スカートは攻めてるね?」
「総丈42センチまでは安いって言われたから、それでね」
「42かぁ。にしてもこれ……あれ? ひょっとして由真ちゃん、股下は長い? よく見たらすっごい美脚だし!」
その言葉に、今度は男子たちの目線が集まる。その先は、由真のスカートの裾から下へと向かっていた。
「ってかそれに……えい!」
といって、島倉美亜は由真の乳房に掌を当てた。
「おやぁ? なんですかこれはぁ? 男の子だったのにぃ、ずいぶんとボリューミーですなぁ?」
「え、なに、由真ちゃん、胸部装甲がすごいの?」
おどけた口調の島倉美亜に、七戸愛香も乗ってきた。
「ちょっと待って……男子の目が、すごくあれだから……」
思わず胸元をかばいつつ、由真は二人を制止しようとした。
「ほらほら、そのくらいにして。もうすぐユイナさんも来るわよ」
「あ、そうだね。セレニア先生に怒られちゃうね」
ユイナの名を出したら、島倉美亜はあっさり引っ込んだ。
午前前半の座学が終わり、午前後半の武芸に向かう途中、晴美に加えて島倉美亜と七戸愛香の二人が由真に近づいた。
「由真ちゃん、武芸はどうするの? 今週も見学?」
「まあ、この体になってなければ、武芸も余裕だったと思うけど……今はさすがにね」
島倉美亜に問われて、由真の代わりに晴美が応える。
先週「自主練」をしていた晴美は、由真が形意拳の「三才式」と「跟歩」に難渋しているのをよく見ていた。基本動作として身体にみっちりと身につけたはずのそれが思うようにならない。先週の由真は。その面でも憂鬱だった。
更衣室に入る晴美たちといったん別れて、武芸の実習を行う訓練場に向かう。
「ヨシ、何なのそれ?」
その声で我に返って振り向くと、先週顔も会わせなかった度会聖奈が毛利剛を従えてたたずんでいた。
「これは……ご主人様より賜ったお洋服でございます、賢者様」
先々週に「絶縁」したときと同じ口調で由真は応えて、軽く頭を下げる。
「って渡良瀬! お前キモいんだよ!」
すかさず毛利が身を乗り出してきた。由真は、あらがうでもなくその動きを待つ。
「毛利。何してるんだ。女子に暴力を振るうとか、男として最低だぞ」
その後ろからかかった声で、毛利は動きを止めた。振り向くと、すでにジャージに着替えた仙道衛が腕を組んで立っていた。
「女子って、仙道、お前何言って……」
「そこにいるのが……男子に見えるのか?」
仙道は、そういって由真の方に手を向けた。「指を指す」動作はしなかったことに、由真はなんとなく「配慮」を意識してしまう。
毛利は、ちっ、と舌打ちすると、鼻白んだ様子でその場を後にした。
「渡良瀬……とにかく、今はその身体なんだから、相沢になり俺になり、遠慮なく頼ってくれ」
セーラー服姿の由真を見下ろすと、仙道はそういって由真の肩を軽く叩いて、訓練場に向かう。由真は、その後ろ姿を暫し目で追っていた。
この週になっても、由真は武芸の実習を受けることはなかった。
その間で、仙道衛と桂木和葉の二人は、「剣技基礎」のスキルが「剣術」にランクアップした。ろくな教えも受けられない環境にもかかわらず、二人の動きは確かに上達している。それは、由真の目にも「剣術」の名に十分値して見えた。
午後の魔法は、座学なしで実習に入った。先週の時点で実技が開花しなかった「賢者」度会聖奈には、この日はユイナがつくことになった。
ユイナは、島倉美亜や七戸愛香に対するほどの親切味は見せなかったものの、丁寧な説明により、光系統魔法・風系統魔法・水系統魔法の実践を成功させた。
「あの、賢者様が伸び悩んでいる件、幹部会で問題になってたんです」
指導が終わって、ユイナは晴美と由真に苦笑交じりで言った。他の神官たちは、いくら居丈高に振る舞ったところで、結局はユイナの能力に頼らざるを得ないらしい。
「あと、例の術をユマさんが解呪した件は、他に誰も気づいていません。1週間たっても警戒もされていないので、おそらく大丈夫でしょう」
そういって、ユイナは二人から離れた。
「……ユイナさんが味方だと、心強いわね」
晴美の言葉に、由真も頷いた。
由真は、ユイナの了解を得て神殿の書庫から本を借りることにした。
「他の方はともかく、ユマさんにはごまかしは効きませんから」
ユイナは、苦笑とともにそう言って、あっさりと書庫へのアクセスを認めてくれた。
由真は、各系統魔法の魔導書、歴史書、また神殿の聖典も借りて通読する。
聖典は、地球の経典類で言うと「妙法蓮華経」程度の分量だった。叙事詩の形態を取るそれを一読することで、この世界の基本思想、魔法に関する基礎的な理解、そして――「無系統魔法」についても知ることができた。
とはいえ、「無系統魔法」については、ユイナから聞いた以上の情報はなかったが。
「最初から、これで教えてくれたらよかったのに」
自主練を終えて部屋に戻り、氷系統魔法の魔導書を読みつつ、晴美がぼやく。
「まあ、晴美さんなら、その方が早かったと思う」
「それは由真ちゃんもでしょ……って、何読んでるの?」
「標準ノーディア語の文法書。スキルが翻訳はしてくれるけど、せっかくだから、って思って」
晴美に問われた由真は、そう答えた。
「そこに手を伸ばすのは由真ちゃんだけだと思うわ。それで、どう? 難しそう?」
「そうだね。標準ノーディア語は、英語並に文法が単純化されてるんだけど、一つ大きな問題があるみたい」
「問題?」
「そう。ノーディア語って、実は能格言語なんだ。標準ノーディア語の基本文型も、『SVO』じゃなくて『EVA』になる」
由真の答えに、さすがの晴美も眉をひそめて首をかしげる。
「なにそれ?」
「ああ、日本語とか英語とかは、自動詞の主語と他動詞の主語が同じ型だよね? そうじゃなくて、自動詞の主語と他動詞の目的語が同じ形になって、他動詞の主語だけが違う形になる言語もあるんだ。その『他動詞の主語』の格のことを『能格』って言って、そういう特徴がある言語を『能格言語』って言うんだ。地球でも、バスク語とかチベット語とかはこれだね」
「難しそうね……」
「難しいね。バスク語は、難しさがいろいろネタになるくらいの言語だけど……根っこのところは、それと同じだからね」
「そうなると……アスマ方言、って……」
「この本だと、触りしか書かれてないけど、格変化がそこそこ残ってるみたい」
「1格、2格、3格、4格ってあれ? 煩わしそうね……」
晴美に言われて、由真は、彼女が「ドイツ語」で氷系統魔法の呪文を放ったことを思い出す。
「晴美さん、ドイツ語できるんだっけ」
「まあ、私、実はドイツ系クオーターで、母方の父親がドイツ人なのよ」
なるほどね、と由真は答える。
「由真ちゃんは……中国拳法ができる、ってことは、もしかして中国語……」
「『ニーハオ』とか『メイウェンティ』とか『プーハオイースー』とか、その程度だけね」
「『ニーハオ』以外はわからないわよ……」
そう言われて、由真は苦笑を返す。
「まあ、日常会話ができる……とは言えないかな」
残念ながら、由真の中国語力はその程度だった。形意拳を教えてくれた親戚と会話の練習はできても、現地に行って実践する水準にはない。
「今は、とにかくノーディア語アスマ方言に道筋をつけないとね」
「……そうね」
そんなやりとりで、その話は終わった。
バスク語は、いろいろネタになるくらい難しいそうです。
中国語―「メイウェンティ」は「没問題」と書いて「大丈夫」くらいの意味、「プーハオイースー」は「不好意思」と書いて「済みません」くらいの意味です。
で、晴美さん、実はクオーターでした(これで「裏設定」ではなくなりました)。