268. ナギナにて (1) 民政部長の命令
舞台はナギナ、まずは県庁です。
晩夏の月10日午前11時半。
ナギナ南駅にほど近い北シナニア県庁民政部の執務室に、蝉の鳴き声が響いていた。
ラルド・バルノ・フィン・オムニコは、北シナニア冒険者ギルドのナギナ支部長ヨルド・クシルノとともに、部長室の前に用意されたソファーに座っていた。
「申し訳ありません、オムニコ男爵、クシルノ支部長。知事室のほうは、まだ終わっていないそうです」
部長秘書の女性が、内線で聞いた事情を2人に告げると、深く頭を下げる。
「いえいえ。知事閣下も男爵閣下も、お忙しいことでしょうから」
クシルノ支部長は穏やかな苦笑とともに応える。ラルドも、その隣で無言のまま頷いてみせた。
5分ほど経過して、部長秘書の手元の内線が呼び出し音を鳴らす。
「はい、民政部長室でございます。……かしこまりました、お疲れ様です」
短いやりとりで、部長秘書は内線を切って立ち上がる。
「知事室のほうが終わったそうです。エンドロ男爵閣下は、まもなくこちらにお戻りになられます」
そう言われて、クシルノ支部長は立ち上がり、ラルドもそれに従う。
バタバタと耳障りな足音が近づき、そして中背の男性が姿を現した。
「「お疲れ様でございます」」
その瞬間、部長秘書とクシルノ支部長はそろって声を上げ、そして腰を折る。ラルドは、声は上げずに頭だけ下げた。
相手は頷きもしなかった――ことは、魔法導師として習い性になっている魔法解析でわかってしまう。
ドシン、という音とともに乱暴に椅子に座った相手に、部長秘書が歩み寄る。
「男爵閣下、ナギナ支部のクシルノ支部長とオムニコ男爵が到着しています」
「ああ。入らせろ」
部長秘書に言われて、「男爵閣下」はそんな言葉を返す。
(いや、戸口に俺たちがいたのは見てただろう)
毎度のこととはいえ、ラルドはそう思わずにいられない。
「失礼いたします、男爵閣下。クシルノでございます」
クシルノ支部長は、開かれた扉をノックしつつそう言って、そして部長室に進む。ラルドは、無言のままそれに続いた。
2人が入室すると、椅子に座った相手は、面倒くさい、という趣をあらわに顔を向けてきた。
「11時半に参上せよ、との仰せでしたが、ご用件は……」
「あ? ……お前たちも見ただろう。アトリアからの雷信の件だ」
クシルノ支部長に問われて、相手はそう答えつつ背もたれに身を預ける。
「とおっしゃいますと、例の本局からのものですか」
「冒険者局はただの担当部局だ。本局などという代物ではない。それもまだわからんとは、これだから冒険者はダメなんだ」
支部長の「本局」という言葉を聞いて、相手はたちまちに不機嫌をあらわにする。
「申し訳ございません。それで、何かのご指示でございましょうか」
支部長は、律儀に頭を下げてから言葉を続ける。
「ああ。冒険者にこれ以上好き勝手を許すな」
相手は――「冒険者」であるラルドの目の前で――端的に言い切った。
「好き勝手……何か問題でもありましたでしょうか……」
支部長は、そういって首をかしげる。
「ふざけるな!」
相手は、途端に身を起こし、右の拳で机を殴る。ドン、という音が部長室に響いた。
「コモディアもガルディアも、エストロ閣下の領内を、冒険者どもが……どこぞの村娘と、軍から『役立たず』として追い出されたごろつき召喚者どもが、散々荒らし回っただろうが!」
そう叫ぶとともに、相手は再び机を殴った。
「それは……私の所轄ではございませんので、なんとも……」
首をかしげたまま、支部長はそう答える。実際、ナギナ支部長にとって、コモディアやガルディアの事案は全く管轄外だった。
「ぐ……貴様!」
そう言って三度机を殴った相手の顔と目は、ラルドの方を向いていた。
「貴様が、ここの冒険者の頭目なんだろう!」
そこで相手は机を殴る。
「貴様が下をまとめてないから、エストロ閣下はたいそうお怒りなんだぞ!」
さらに机を殴る。
「自分は、単に在任が長いだけです。マストの類ではありません」
ラルドは、どうにかそれだけを返す。
「まあいい。とにかく、アトリアがああいう雷信を送ってきたということは、奴らは、次はナギナに踏み込んでくるつもりだろう」
相手は、そう言って背もたれに乱暴に身を預ける。
「エストロ閣下が、イタピラ総司令官と連絡を取っておられる。特急が動いたら、アスマ軍の応援部隊がナギナに入る。軍の配備が整うまでは、冒険者が軽はずみに動くことは絶対に許すな」
そう言うと、相手は支部長とラルドをにらみつける。
「はあ、軽挙妄動のたぐいを慎むように、ということでしたら、綱紀粛正の通知は出しますが……」
「それと、アトリアから冒険者どもが来ても、絶対に受け入れるな。軍の討伐行動を、これ以上邪魔させることは許さん。これはエストロ閣下のご意向だ」
「受け入れるな、とおっしゃいましても、ここは、カンシアのように入境審査がある訳でもありませんので、入ってくるのを追い返す手立ては……」
「……支部の敷居をまたがせるな。市内の宿は一切提供するな。やれることはいくらでもあるだろう!」
相手は、叫びつつ机を殴る。
「エストロ閣下の仰せのとおりだな。これを機に、シナニアだけでも本国並に入境審査を徹底した方がいいな」
「コーシア伯の一行については、そのように通知を出しますが……セレニア神祇官猊下が来られたら、司教府が拒むとはとても思われませんが……」
支部長の言葉に、相手の目は一段と険しくなる。
「あの小娘が……そもそも、あんな住人が神祇官、それもS級とは……あの老いぼれめ、いつまでのさばるつもりだ」
「……老いぼれ?」
「ナイルノのことだ!」
相手は、王国の神祇長官を呼び捨てにして、また机を殴った。
「知事が……白馬騎士団S級大夫のエストロ大将軍閣下が、一連の事態にたいそうお怒りだ。辺境のコモディアならいざ知らず、お膝元のナギナで好き勝手は許さん。伯爵を僭称している村娘だけではない。不遜にも神祇官を名乗っている小娘にもだ。神殿にもしっかり指示しておけ!」
「それは、通知は出しますが……トラスト総主教猊下から何かあれば、司教府はそちらを優先するかと……」
「ふざけるな! エストロ閣下がお怒りだ、と、今言ったばかりだろうが!」
「総主教猊下は……青藍の白銀S級大夫ですが……」
支部長がそう言葉を返すと、相手は拳を大きく振り上げて机を殴った。
「貴様! どっちを向いて仕事をしている! 知事たる閣下と、総主教と、どちらを優先するつもりだ!」
そこまで言うと、相手は重ねて机を殴る。
「申し訳ございません。関係に、通知を下します」
「ああ。最初からそれだけ答えればいいんだ。全く話が通じんやつだ……」
そう言って、相手は背もたれに乱暴に身を預ける。
「話は終わりだ。さっさと戻って仕事をしろ」
「かしこまりました。失礼いたします」
相手の言葉に、支部長はそう応えて一礼し、そしてラルドとともに部長室を後にした。
ちなみに、このエンドロ男爵は、作者が遭遇した経験のある複数のパワハラ系上司の物言いや立ち居振る舞いをモデルにしています。




