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263. 「綸言汗のごとし」

 意見交換を終えて、カプリノ陸運総監たちは知事室を後にした。

 愛香とタツノ副知事と3人きりになって、由真は先ほどの会話を思い出す。


「副知事、『一刻も早くナギナに入って』というのは……あまり言ってはいけないような言葉だったのでしょうか……」


 由真がそう言いかけたとたん、それまで無言でいたタツノ副知事は、由真の言葉を遮って発言を始めた。

 それは、「その言葉」を由真に言わせたくなかったから――


「……率直に申し上げると……今のところ、ナギナが閣下がたを受け入れる見通しは全く立っておりません。閣下がたがナギナに入って攻防の体制を強化した方が、陸運総監府なり鉄道3社なりにとっても好ましい話ですので、なおさら、カプリノ総監たちにその選択肢を意識させるのは、望ましくないものと思われます」


 タツノ副知事は、曇った表情で答える。


 ナギナの北シナニア冒険者ギルドとの関係が好転する公算が薄いという現状は、由真も認めざるを得ない。

 そうなると、北シナニアギルドとの連携を前提とした選択肢に過剰な期待を持たせるべきではないということだろう。


「少なくとも、エストロ知事とエンドロ民政部長を押さえ込んで、ラルドたちと連携して事態に当たる見込みが立たないうちは、踏み込んだ発言は難しいと、お考えいただいた方がよろしいかと」

 そう言葉を続けられて、由真はふと閣僚会合の際の話を思い出す。


「さっきの閣僚会合で、北シナニアから音沙汰があったか、と殿下が下問されて、コールト尚書もビルト局長も、音沙汰はない、と答えたら、殿下が、『そうなると』と……何か、より強い言葉が出そうな感じがして、それはまずいと思って、とっさに『コーシア県庁から連絡を試みます』と発言したんですけど、それは……」


 あのとき、エルヴィノ王子がこれ以上の言葉を口にしたら後戻りがきかなくなる、と、由真はそう直感していた。それは――


「それは、賢明なご判断でした」

 タツノ副知事は、そんな言葉を返してきた。


「おそらく、殿下はその場で、より強い台命を発する、と、そのようなお考えだったものと思われます。ですが、エストロ知事もイタピラ総司令官も、殿下の御意に背くことはあっても従うことはないでしょう。そうなると、殿下の台命はないがしろにされます」


 ――容易に想像される事態だった。


「あの、こちらだと、勅命だとか台命(たいめい)だとかは、従わなくてもいいたぐいのもの、なのでしょうか?」

 一応念のため、由真はそう尋ねる。

「いえ。もとより、本来的には、いわば『承詔必謹(しょうしょうひっきん)』というたぐいのものです」

 タツノ副知事は、日本の戦前の言葉を使って応えた。


「とはいえ、『従わない』という事態が全く想定されない、ということはありません。そして、その場合、『従わなかった臣下』以上に、『従わせることができなかった主君』が、その不徳を問われることになります」

「……不徳?」

「アスマにおける伝統的な主君と臣下の関係の文化、それにノーディアの『強者が君主たるべき』という遊牧民族としての伝統的意識、そういったものの影響であろうと思われますが……こちらでは、『承詔必謹』は、『されるべきこと』である以上に『させるべきこと』と観念されています。

 言い方を変えれば、従わせられないようなことを命じるべきではない、命じたからには従わせなければならない、そういう意味で『綸言汗のごとし』ということでもあります」


 ――中国から日本に伝わったその格言が、この世界――少なくともアスマでは、より厳格なものとして根付いているということだろう。


「陛下のあの勅語も、そこはよく考えられたものでした。陛下は、王族の長にして統帥権を統括される方ですから、そのお立場で、アスマ公爵殿下なりアスマ軍総司令官なりに直接命令を発することができます。

 しかしその場合、公爵殿下がアスマ軍をも指導して事態解決に当たるべし、という趣旨は、アスマ軍によってないがしろにされ、結果として『違勅』となり、さらには公爵殿下の権威にも傷がつく恐れがあります。

 その点、閣下に宛てて事態解決に尽力するよう要請する内容のあの勅語であれば、具体的な方策は閣下のご判断に委ねられますので、直ちに『違勅』とはなりません」


「それは……」

「もとより、閣下が陛下の御意を重んじ、事態解決に全力を尽くすであろう……という信頼あってのことですが」


 タツノ副知事の言葉に、由真は頷くことしかできない。


「勅命」や「勅語」を巡る厳しい文化。

 それを平然とないがしろにするアスマ軍。

 そのような条件の下で、あえて「コーシア伯爵ユマ殿へ」とされたあの勅語には、宛名とされた人物に対する期待と信頼が、それだけ強く込められているはずだ。


「それは……なんとしても、お応えしたいです……よね」

「……はい」

 由真の言葉に、タツノ副知事は短く頷く。


「そうすると……やっぱり、問題は、北シナニアギルドとの関係……ですか」

「はい。ただ、そちらは、閣僚会合の場で『コーシア県庁から連絡を試みる』と閣下がおっしゃっていただいたということであれば、私のほうで接触を試みます。ナギナのクシルノ支部長とも知らぬ関係ではありませんので」


「後は、理事官会議は、11時40分からだったよね?」

 それまで無言だった愛香に顔を向けて由真が問うと、愛香は無言のまま頷く。


「そっちは……」

「今の顔ぶれだと、民政省以外は全州の対策で、鉄道関係はさっき下打ち合わせをしたから、後は、紅虎様の件を踏まえて今週もよろしく、って話だと思ってる」


 ことさら発言していなかっただけで、愛香はすでに今後の進め方の考えを持っていた。


「そういえば、北シナニア県庁は、商工省とか農務省とかとはどうしてるのかな?」

「農務省はいろいろ来てる。アスニア蕎麦が足りないとか、シナニアうどんならあるとか、コモディアのチーズが来ないとか。商工省は、あんまり聞いてない」

「ストロコ副知事は王国商工省の高官ですから、商工部への締め付けは厳しいそうです」

 愛香が答えると、タツノ副知事が補うように言う。


「それは……物資が足りてるなら、別にいいんでしょうけど……」

「急を要するたぐいの産品のある地域でもありませんので、現時点で無理にことをせくまでのことはないかと」


 確かに、昨日まで滞在していても、食糧や物資が不足しているという感覚はなかった。

 それであれば、北シナニア県庁に頼る要素を増やさないという意味からも、無理をする必要はないだろう。


「理事官会議の取り仕切りは、ここまで順調だったと思います。引き続き、混乱を拡大しないために各省それぞれに尽力する、という方針を貫けば、この先も大丈夫でしょう」


 その言葉に、由真も、そして愛香も、はい、と頷いた。

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