254. 帰還
雷撃と即死魔法で敵は焼けただれました。
焼けただれた死骸となって転がる「紅い虎」。
その姿を目にしながらも、由真は、警戒はおろか棍棒の構えすら解くことができずにいた。
「今度こそ……大丈夫……なの?」
ウィンタも、やはり杖を構えたまま、警戒をあらわに問いかけてきた。
「……わかりません。『本体』が伸ばしていた『ラ』の紐みたいなものは、殺せるだけ殺しましたけど……」
それしか答えようがない。
「ひとまず……当初の目的は、済ませておきます。……『魔法の眼を暫時設けん』」
そもそもここにやってきた目的は、監視小屋から15キロ上流のこの場所に、魔法による「監視」と「迎撃」の手立てを設けておくことだった。そのための呪文を詠唱して、由真は少しだけ気が楽になる。
「これで、下流の監視小屋からでも……何ならコーシニアの県庁からでも、ここは見張れます。あとはあっち……も、終わったみたいですね」
下流に魔法解析を向けてみると、河竜や魔族の「ダ」も消え失せていた。晴美、和葉、ユイナの3人で、敵を討伐し終えたのだろう。
「あとは……『闇の風』は消しておきましょう。『闇の気を除去せん』」
敵が動けなくなっている以上、充満している「闇の風」は下流へのリスクにしかならない。
「ともかく、戻りましょう。僕たちだけでここにいても、仕方ないですし」
「そうね。これも、復活する気配もないし」
由真の言葉にウィンタはそう応じて、そして衛も無言で頷いた。
ウィンタの運転する小型バソで、由真たち3人は来た道を戻る。
「由真、さっきのあれ……ドライアイスみたいな煙が出たのは……」
先ほどまで戦っていた谷から離れて、衛がそう問いかけてきた。
「あれは、ドライアイスだよ。まあ、正確に言うと、ドライアイスの作り方を使って、『闇の風』を凍らせたんだけどね」
「え? 何それ? 『闇の風』を、凍らせた?」
由真の言葉に、ハンドルを握るウィンタが反応した。
「ええ、あの『闇の風』っぽいものは、日本でも解析されてて……圧縮して冷やすと、ガスから液体になるんです。その圧力を解くと、液体の一部が蒸発して熱を持っていって、一部はますます冷えて凍っちゃうんです。その氷は、溶けて水になる、っていう段階を飛ばして、直接湯気が煙になって出ちゃうので、日本では、冷やしたり煙を出したり、いろいろ便利使いされてるんです」
運転しているウィンタの注意がそらされてはいけないと思い、由真は「種と仕掛け」を説明する。
「晴美さんなら、直接ドライアイスを作るのも簡単だったんだろうけど、僕は、氷はよく理解してないから、回りくどい手を使ったけどね」
続けて、衛に向けてそう答える。
「しかし、あのドライアイスは……窒息を狙ったのか?」
「それが一番の目的かな。あとは、昇華すれば爆発もどきの効果も期待できるかな、って思って」
実際、冷却の術式を解除した瞬間に、衛が「ドライアイスみたいな煙が出た」と言うほどの状態になった。
「あれ、あの最後の雷でとどめを刺したのよね?」
ウィンタが――前方を見据えたまま――問いかけてきた。
「ええ」
「その前に、何発も雷を打ってたのに、よくあれだけの『ラ』が残ってたわね」
「あれは……電子……雷系統の『ラ』をたくさん落としたせいで地上にあふれかえってたので、それを空中にかき集めて、まとめて食らわせたんです」
通じるかどうかはわからないものの、とりあえずそう答える。
「へえ、そんなこともできるのね」
ウィンタは、それだけを言うと、再び運転に集中する。
あのとき。
「紅い虎」の周囲は、「闇の風」――二酸化炭素が充満して、さらにたびたび食らわせた雷撃によって電位が上昇していた。
その状況を利用して、「闇の風」をドライアイス化することで「紅い虎」を押さえ込み、その隙で地上の「自由電子」を空中に集積させて、自然な落雷の何倍もの電圧の電撃を放つ。
それが、由真の作戦だった。
「紅い虎」への「本体」からの「補給」を困難にする程度の打撃を与えるため、自然な落雷に匹敵する規模の「最大空雷」を都合6発放ち、あえて地上の電位を高めた。
その上で、「虎の身体と地上」から「自由電子」を移動させる術式を組み、空中に強大な電場を作り、「紅い虎」は「正孔の塊」とすることで、「電流」としては「地上から『紅い虎』を経て空中の磁場へ」という流れを構築した。
戦いが終わって振り返ると、「自由電子」を転移させて滞留させるなどということを思いついたのか、自分でも信じられないという思いもある。
それでも、あの局面では、他の手立ては浮かばなかった。
結果として、狙い通りの展開になり、あの「紅い虎」を倒すことができた。
川沿いに道を下っていくと、不意に木立の間から細長く屹立するものが見えた。
「あれ……まさか河竜?」
ウィンタが、眉をひそめてアクセルを緩める。
「みたいです……けど、もう、固まっちゃってますね。あれは、晴美さんに氷漬けにされたみたいですね」
遠目に見えるそれを魔法解析した由真は、その内部が極端な低温状態になっていて、「ダ」の働きすらも凍結しているのを認識した。
「ハルミちゃんもすごいわね。竜を氷漬け、って」
「まあ、晴美さんは、基礎レベル86、クラス『聖女騎士』レベル62ですから」
嘆息を漏らすウィンタに、由真はその事実を答える。晴美も、「S級冒険者」の地位に十二分に値する力量を備えているということだ。
監視小屋に帰り着くと、晴美、和葉、ユイナの3人がテーブルを囲んでいた。
そのテーブルの上には、1枚の紙が置かれている。
「ただいま。えっと、河竜とサゴデロ兄弟? 撃退した……んだよね?」
由真が声をかけると、3人が振り向く。
「由真ちゃん……そっちも、『紅虎様』の何かが出て、それを退治したんでしょう? 大変だったわね」
晴美はそんな答えを返してきた。
「……え? なんでそれ……」
「これ……カリシニアからです」
ユイナが、そう言ってテーブルの上の紙を指さす。それは、カリシニアにいる愛香からの雷信だった。
大至急
晩夏の月9日10:11受信
北シナニア冒険者ギルド ノクティノ支部ガルディア出張所気付
アイザワ子爵ハルミ閣下
お疲れ様でございます。
公爵殿下には、 ベニリア川とノクティナ川の治水について、内務省が設置した遠隔監視機構の説明を受けられました。
両川合流地点とガルディア堰堤の監視小屋に設置されたムービ撮影機材についても説明があり、 殿下にはこの機材を介して現地の状況を直接ご覧になりました。
その際、ガルディア堰堤に出現した虎型の魔物を コーシア伯爵ユマ閣下がボレリア氏とセンドウ男爵閣下とともに撃退した光景と、合流地点に出現した河竜と魔族2体をアイザワ子爵閣下とカツラギ男爵閣下がセレニア神祇官猊下とともに討伐した光景を、いずれもムービにて拝見する形となりました。
公爵殿下には、 高みの見物のような形になったことは詫びる、いずれの武勲も大いに賞賛する、との趣旨を現地に伝えるよう指示されました。
なお、アトリア冒険者ギルドからの応援部隊が「臨時白馬503号」にて現地入りすることとなりましたので、併せてお知らせいたします。
大陸暦120年晩夏の月9日
民政省冒険者局付理事官 アイカ・フィン・シチノヘ
「……殿下が、全部見られてたんですね」
「ええ、まあ、そうみたいですね」
そんな言葉を交わしたユイナも由真は、深く溜息をつくしかなかった。
「武勲」の配信用動画は、すでに記録されていました。
動画を録って送るという点だけは、この異世界は(魔法の)技術が進展しています。




