246. 紅い虎
現れた敵は、紅い虎です。
白い縞を伴う紅い虎が、四つ足で立ち由真たちに顔を向けている。
「紅い虎……もしかして、あれが、紅虎様、ってやつ?」
ウィンタが漏らした声で、由真は我に返った。
前方に立つ虎。その帯びる「ダ」と「ラ」は、竜にも比肩するほどに強い。
しかし――
「いえ、あれは、『西方守護神』じゃないと思います」
由真はそう応える。
このアスマの地において「西方守護神」という地位を占める存在――とは思えなかった。
もとより、その帯びる力は、強く濃厚だった。
「おそらく、分身体とか使い魔とか、そういうたぐいでしょう。とにかく……」
由真が言葉を続けたそのとき。
前方の虎は、首を後ろに向け、そして「ダ」を強めて「ラ」を集める。その目線の先には――
「【水の槍】」
――虎に狙われたダムの堤体に棍棒を向けて、由真は詠唱する。
ダム湖の水がせり上がり、水の槍が10本形成されて、虎に向けて一斉に放たれる。
虎は口から火の玉を放ったものの、水の槍はそれを飲み込み、さらに虎の体を狙う。
「グアアア!」
高く吠えて、虎は下流側へと駆けてきた。1キロほどあった距離が瞬く間に詰められる。
「ガアオオッ!」
さらなる叫びとともに、火の玉が前方――由真たちのいる山の方に放たれた。
「【風盾】!」
ウィンタが詠唱する。風の壁が現れて火の玉は遮られた。
「こいつ、火系統がメイン?! なら……『光のなせる闇の風、集いて我に与すべし』。【闇の風】!」
続く詠唱とともに、虎の周囲の空気が変質した。
「これは?」
「火系統を弱める風の要素よ。人にも害があるから、使いすぎはダメだけどね」
由真の声にウィンタはそう答える。
「グアアア!」
虎はさらに吠えて、3度目の火の玉を放とうとする。
「『風よ敵を捕らえ縛れ』、【闇の風牢】!」
その詠唱で、先ほど出現した「闇の風」がにわかに収縮し、虎の周囲を圧迫する。
口から放たれかけた炎はすぐに消え去った。
そして虎は、苦しげに身悶えする。
(これは……二酸化炭素か)
炎が消え虎が苦悶する様子から見ても、先ほどの「光のなせる闇の風」という詠唱から考えても、そういうことだろう。
(これなら行ける)
身動きがとれなくなった虎。今が好機だろう。
「【大水槍】!」
先ほど10本出した「水の槍」を「1本」に絞り、その代わり勢いを集中させたものを、虎の頭上に出現させ、そして落下させる。
これで――
「グォアアア!」
虎が咆哮し、その全身が青白く光る。
次の瞬間、3条の閃光が放たれた。
うち1条は上空の「大水槍」を貫いた。
残り2条は、川の両岸を撃つ。轟音とともに、山の斜面が崩れていき――
「くっ、『山々の形相を回復せん!『」
とっさの詠唱に、直前までの記憶を載せて、両側の斜面を崩壊前の姿に戻すことができた。
「このっ、力がっ……」
ウィンタの声が引きつる。
「ウィンタさん?!」
「もう、もたない……」
由真の声にウィンタは歯がみする。杖を持つ手が小刻みに震えている。
直後、虎はその体を大きく震わせて、そして自らを拘束していた「闇の風牢」を弾き飛ばした。
(本体じゃなくても、こいつは十分強い……)
ウィンタの術――風系統の「ラ」による圧迫は、あっさり破られた。
落としたはずの「大水槍」も、雷撃によって粉砕されている。
「ウウグォアアア!」
ひときわ大きな咆哮。
虎の口から青い火の玉が放たれて、由真たちに向けて一直線に飛んでくる。
「くっ! 『それを除かん!』」
由真はとっさに詠唱し、無系統魔法を火の玉に向ける。しかし、その勢いを消しきることはできず――
カン、という軽い金属音。
由真たちの前方で、衛が盾を地面に立てていた。
由真たちに向かっていた炎は、その盾の前で遮られ、大きく広がり消えていった。
「ま、衛くん!!」
「さすがだな。由真の魔法は、最強だ」
虎との間に立ちはだかって、衛は淡々と言う。
「グアアア!」
さらなる咆哮とともに、今度は閃光――雷撃が放たれる。
しかしそれも盾に遮られて、衛は顔色一つ変えない。
「衛くん! それっ……」
「断熱に絶縁までしてくれただろう? 火と雷なら、心配はしてない」
その言葉に――心を甘くする余裕は、この場にはなかった。
川下に意識を向けると、「ダ」の質と量がさらに強まったのがわかる。
(あっちは……サゴデロの兄弟も来たか)
監視小屋の方は――最悪のタイミングで「決戦」に入ってしまった。
(こいつを、早く片付けて、あっちに合流しないと……)
由真は、大きく息をつき、意識を改めて集中させて、そして棍棒を虎に向けてかざした。
二正面作戦になってしまったパーティー。
監視小屋に残った方も、危機に直面しています。
呪文の「lancea」(単数)「lanceae」(複数)は英語の「lance」(槍)の語源となったラテン語です。
斜面崩壊を食い止めた方の呪文は「Formas montium reducam.」です。




