230. 対応開始
想定とは違う方向に、敵の存在が確認されました。
これまで「下流側」と判定されていた河竜の所在。それが初めて「上流側」と判定された。
すなわち、敵はベニリア川のヤクティアとガルディアの間、又は支流のノクティナ川にいるということになる。
「とにかく、まずは結界を張ります」
続く言葉に、神殿長と神官たちが大急ぎで小さな仮設祠と祈祷道具を用意する。
ユイナは、それまでと同じ趣で祈祷を始めた。
敵が出てくる危険性はより高い――と思い、由真は上流側に最大限の警戒を向ける。
幸い、祈祷が終わるまで、敵の襲撃はなかった。
この地が「最前線」だと確定した以上、早急な対策が必要になる。
「そうしたら、対策に入りましょう。まず、ノクティナ川ですけど……」
「ここから15キロほど遡ると、ガルディア堰堤があります。私の術も、堰堤に阻まれるので、そこまで行かないとダメです」
ユイナが答える。やはり堰堤があった。
「15キロ……時間は……」
「飛ばせば、30分ほどで着きます」
今度は支部長が答える。
「往復1時間以上ですか。そうなると、報告が先ですね」
由真は、背嚢からペンと紙を取り出して、急いで文章を記す。
「ここの詰め所から、これを雷信してもらえますか?」
そう言って、由真は書き上がった紙を支部長に渡す。
コーシア県庁御中
北シナニア県庁御中
当地滞在中のセレニア神祇官猊下より以下のとおり至急伝達するよう指示されました。
大陸暦120年晩夏の月7日
北シナニア冒険者ギルド ノクティノ支部
コーシア県副知事 SS級大夫 タツノ男爵ヨシト閣下
北シナニア県知事 白馬騎士団S級大夫 大将軍 エストロ子爵オルト閣下
本日現地午後3時頃北シナニア県ノクティノ郡ガルディア町のベニリア川・ノクティナ川合流地点において祈祷したところ、河竜は同地点より上流に潜伏している可能性が高いことを確認しました。
これに先立ち、現地午後2時頃に同郡ヤクティア町においても祈祷を行い、同地点より上流に河竜は存在していないことも確認しています。
ヤクティア町及びガルディア町には、コモディア市と同様の防御結界を展開しています。
引き続き、現地において対策の祈祷を行います。
大陸暦120年晩夏の月7日
S1級神祇理事 セレニア神祇官ユイナ
アスマ軍との間で手戻りが発生するのも煩わしいため、「ユマ」の「ユ」の字も出さないことにした。
大夫云々でいちいちマウントを取りに来る手合いも面倒なので、副知事、大将軍閣下の両方に大夫の肩書きをつけた上で、神祇官猊下はそれより格上の「S1級神祇理事」という名義にしておく。
「かしこまりました!」
支部長はそう答えて、近くのギルド員にそれを手渡す。
「そうすると、ユイナさんにはガルディア堰堤に向かってもらうことにして、ついて行くのは……」
「河竜は、由真ちゃんがいると出てこない可能性が高いのよね?」
晴美が反応する。
「おそらくそうです」
答えたのはユイナだった。
「支流の方がいる確率が低いなら、私が行くわ」
本流は由真が構え、支流には自分が対応する。晴美はそう提案してきた。
「僕は、呼び出しとかの可能性もあるけど……」
「ならなおさらでしょ。由真ちゃんは、今日中にいったんコーシニアに戻って、殿下とご相談とかもしないといけないはずだから」
晴美のその指摘を、由真は否定できない。
「そうなると、我々は……」
支部長が、当惑をあらわに問いかけてきた。
彼は、「河竜潜伏」などという一大事案を経験したことは当然ないはずで、この事態に対応できなくとも無理はない。
「流域の人たちに、ユイナさんの結界で防御されている範囲内に避難するよう、至急通知させてください。神殿長は、ユイナさんの結界が効く範囲は、把握してますか?」
由真が問うと、神殿長は、はい、と答える。
「それでは、ギルドで大至急通知してください。それと、ヤクティアとガルディアの両神殿は、追加で祈祷をお願いします」
その言葉に、二人とも、かしこまりました、と答えた。
ユイナと晴美を乗せたバソがノクティナ川の上流に向かい、支部長と神殿長は市街地に走り出した。
「竜、大丈夫……なのかな……」
残された和葉が、ぼそっとつぶやく。
「たぶん、大丈夫だと思うよ。ユイナさんの術が、ダムで阻まれる、っていう話なら、敵の動きも、たぶんダムに止められる。ここから15キロのところにダムがあるくらいなら、もっと上流にもダムがあるだろうから、たぶん、河竜はノクティナ川にはいないよ」
和葉を力づけるべく、由真はそう言葉を返す。
「ユマちゃん、何が起きても冷静ね」
ウィンタがそんなことを言い出した。
「いえ、そういう訳でもないです。ここに、アスマ軍のお偉方が来たら、たぶん、キレて暴れます」
「はは、そしたら、みんなそろって『王国の威信』丸出し?」
由真が冗談のつもりで返した言葉に、ウィンタはさらなる冗談口で応じる。
それを聞いて、和葉が吹き出した。
もはや、由真たちの界隈では、「王国の威信」という言葉そのものが妙な隠語と化していた。
ユイナと晴美の「お祓い」とギルド員と神官たちの「緊急連絡」の間、由真たちは川辺で待つことになった。
衛は、上流の方に目をこらして、時折目の上に掌を当てている。
「どうしたの?」
「いや、向こうの橋が気になってな」
由真が問うと、衛は眉をしかめて答える。そう言われてみると、かなり遠くに橋が見える。
「あれ? 仙道君、土木好き?」
和葉が問いかける。
「ああ、親が建築士で、俺も、土木か建築を目指してた」
以前由真に教えてくれた話だった。
「ふうん。……あの橋、普通に鉄橋みたいだよ? ほら、アクティア湖の行き帰りで乗った奴で渡った橋あったじゃん? あれと同じ感じだよ」
視力のいい和葉は、その橋をかなり明瞭に認識できるらしい。
「それは、こういう鉄の柱が上に並んでいるやつか?」
衛は、「こういう」といって台形を描く。
「うん。そんな感じ」
「そうか。なら大丈夫だな。あっちのもトラス橋だから、あれと同じだろう」
衛は、下流側を指さして言う。見ると、やや遠くに大きなトラス橋がかけられていた。
「あの潜水橋で不安になったんだが、鉄道は、ここだけは左岸に渡して超えてるらしい」
――当然というべきか、あの潜水橋を見て由真以上に衛は不安になったのだろう。
「ああ、あの扇状地で暴れ川じゃ、さすがに迂回するよね。……って、上流の方は、河竜にやられるリスクもあるかな」
「可能性は否定できないな」
衛に言われて、由真はその橋に意識を集中させる。
「……とりあえず、『局所乾燥』の射程距離には入れたよ。今夜の宿が決まったら、そこからも伸ばす」
河竜が水に依拠する限りは絶大な効果を持つオリジナル術式「局所乾燥」。その射程に入れておけば問題ないだろう。
「由真ちゃん、もはや人間イージス艦だね」
「ほんと、ユマちゃんがいれば、アスマ軍なんていらないくらいじゃない?」
和葉が嘆息し、ウィンタもそう言って笑う。
「まあ、頭数はいませんし、初見の敵でもないですから。……アスマ軍と神経戦をしてるより、こっちの方がよほどましです」
予想の斜め上を行く策で次々と妨害の手を打ってくる「敵」は、下手な魔族よりよほどやっかいというよりない。
魔物や魔族が出てくる危険があるとしても、この川を眺めている今の方がよほど気が楽だ。
川を見やりつつ、由真はそんなことを思っていた。
――「ユマ」の「ユ」の字は出てこなくとも、「ユイナ」の「ユ」の字は出てきますが。
それはさておき、延々と続いた妙な「戦い」に比べたら、竜でも相手にしてた方がまし、ということですね。




