22. 二日目
異世界の授業は続きます。
その日、晴美はユイナから光系統魔法の体系を教わった。レベル8がレベル10に教えるだけあって、砂に水がしみこむように、忽ちに術を会得していく。
その傍らで、由真はいわゆる「ラジオ体操」を試してみた。
「第一」の冒頭の伸びの運動から、すでに体幹が怪しい。腕を振り、腕を回し、胸を反らすところまではまだしも、横曲げ運動に来ると筋肉がそげ落ちているのがわかる。
前屈は、幸い両掌が地面に着く。後屈も問題はない。柔軟性は損なわれていなかったらしい。
続く体をねじる運動で、上半身の筋肉のほどを痛感させられてしまう。しかし、腕を上に伸ばす動きも、斜め下に屈んで胸をそらす動きも、体幹がおぼつかない。上半身を回す運動、跳躍、腕振りも、一応身体が動いてはいるものの、安定感があまりになさ過ぎた。
(一応、『第二』もやっておくか)
身体が動かない訳ではないので、引き続き「第二」に進める。使う筋肉の部位が増え、体幹の不安感も増したように感じる。
(『ラジオ体操』が、全くバカにできないなんて……)
元の「男子」の身体では造作もなくできた運動。「第二」が「第一」より激しい動きだということを意識すらしたことがなかった。しかし、今の「女体」では、身体がろくに動いていないことを意識せずにはいられない。
(まあ、これはよくできた体操だし……準備運動としては、毎日やることにしよう)
そうすれば、身体の筋肉を多少なりとも回復できるかもしれない。由真は、そう思い直すことにした。
翌日も、同様の時間割で講義と実習が行われる。
「ノーディア王国の地域は、州、県、郡、町・村の4段階になります」
この日も、ユイナが講師となって、地理の授業の続きとなった。
「王都セントラは、州からは独立している位置づけです。州は、カンシア地方には西州・南州・北州・ゴトビラ州の4州があります。中央のミノーディアは広大なので『総州』とされます。東はアスマ州で、その南にはメカニア州があります」
ノーディア王国領が色分けされた地図を指示棒で指しつつ、ユイナは説明する。
カンシア地方は、南にはベストナ王国領や地中海、その先に砂漠があり、北にもダスティア王国領があるため、さほど広くはない。それでも、その地域は4州に分けられる。
中央は、南の山脈から北端まで全体が「ミノーディア総州」だった。そして東部は、南北に渡って全て「アスマ州」とされている。そのさらに南に「メカニア州」があった。
続けて、ユイナはミノーディア総州を色分けした地図を掲げる。
「ミノーディア総州は、次のように細分されます。中央の東側が、元々のミノーディア州で、我々ノーディア王国の源がこの地域です。その西側はカザリア辺境州。この線から北はトネリア辺境州といって、ミノーディアの遊牧民には居住できない極寒の地です。そして……」
そういって、ユイナはミノーディア州とカザリア辺境州のさらに南の区域を指し示す。
「ここ、ダナディア辺境州は、魔族と魔物の本拠地であるアダリ山地から北に続く……彼らの拠点となる地域です」
「アダリ山地」といってユイナが指したのは、例の「南北の間に位置する山地」だった。
「ミノーディア州とカザリア辺境州は、このダナディア辺境州に面しているため、魔族との戦いにおける攻防の要となります」
そう言われて、2年F組の面々は、ほぼ全員が表情を硬直させる。「魔族との戦い」。「兵団」に採用されれば、それに挑まなければならない。そうでなくとも、「魔族」の進出は大きな脅威である。
「ダナディア辺境州の北部は、ミノーディア側はコスティ山脈、カザリア側はカロリ山脈という急峻な山脈があり、魔族たちも意のままに往来できる訳ではありません。それでも、回廊のような箇所はありますので、そこが拠点となります」
そこまで言うと、ユイナは指示棒を地図から離す。
「今は、皆さんの授業は一般常識の範囲ですので、この辺りについては、この程度にしておきます。今日明日に、ここから魔族が攻め込んでくる訳でもありませんし。
ちなみに、各州の長官は陛下が自ら任命されます。ミノーディア総州の総督は、ミノーディア州長官が兼ねる決まりです」
そういって、ユイナは話題を切り替える。生徒たちは、それで緊張の色を緩めた。
午前後半の武芸実習は、昨日と同様に、技を教えられる教官もいない中、生徒たちが漫然と剣を振る。
由真もまた、「晴美の『従者』」として、それを漫然と見学していた。
昼食も昨日と同様に全員が会議室で取る。メニューの格差も昨日と同じだった。
「他の子たちも、そのパンとスープだけなのよね?」
島倉美亜と七戸愛香を誘った晴美は、二人にそう尋ねる。
「そうだね。女子は、晴美たちを別にすると、みんなCクラスだから、これだよ?」
「それで、美亜と愛香だけ誘うのも、なんだか気が引けるわね」
晴美は眉をひそめる。Cクラスに属する女子のうち、他の4人。新学年が始まって1週間しか経過していないため、晴美としても接点はない。それでも、彼女たちの待遇格差を晴美は憂いている。
「あれね、牛肉は、こんなステーキじゃなくて、Aの人たちと同じスライスしたのを少し多めに出してもらって、大皿で取り分けられるようにできないかしら。あと、サラダも分けられたらなおいいわね」
――やはり晴美は、女子たちを見捨てることはできないらしい。彼女の優しさにまた一つ触れて、由真の心は温かくなる。
「それじゃ、夕食のときに交渉してみるよ」
由真は、そう応えていた。自分自身の食環境について意見するつもりはない。しかし、この「主人」の「慈愛」の心は、最大限支えたい。
「そしたら、話まとまったら他の子たちにも声かけるね」
島倉美亜が言う。彼女もまた、1年の時からのクラスメイトとして、晴美の性格を知っているのだろう。
1年B組の頃にはついぞ感じることのなかった情に触れて、由真はとても心地よかった。
午後の魔法講座。この日、ユイナは水系統魔法の初歩訓練に当たった。
「全然できないんですけど……これ、無理です……」
「そんなことはありませんよシチノヘさん。肩の力を抜いて、この水の『ア』と『ラ』を感じて……動くように念じて……」
ユイナが指導していたのは、初日は成果が出なかった七戸愛香だった。
「ほら! 今動いたの、わかりました? この感覚です!」
「え? えっと、動いた……のかな……えっと……」
ユイナにそう言われるうちに、七戸愛香の目の前の水が、目に見えて流れ始める。
「そうそう! ほら、できましたよシチノヘさん!」
そう言われて、七戸愛香は照れ笑いを浮かべた。
「晴美、あたしも、魔法できたっぽい……なんか信じらんない……」
「って愛香、ユイナさんが言ってたでしょ? 魔法適性があるから必ず魔法は使える、って」
傍らにいた晴美に言葉をもらした七戸愛香に、晴美が苦笑交じりに答える。
「あれ? ユイナさん、水系統魔法も使えるんですか?」
「ええ。レベル4ですけど、一応は」
その傍らにいた由真の問いに、ユイナはあっさりと答えた。
(やっぱりこの人、魔法使いとしても教師としても、すごい優秀だよな)
由真は、改めてそう認識していた。
細々と地名を出しましたけど、いちいち覚えていただかなくとも問題ないようにお話は進めます。
ユイナさんの台詞のとおり、今すぐにどうこうしてくる場所ではありませんので。