220. 西方守護神の「荒ぶ時」
今回は、中華風ファンタジーな趣になります。
瑞希は、12時2分発の「コーシア34号」でアトリアに戻るということで、ネイチャーストーブを置いて知事公邸を後にして帰路についた。
ネイチャーストーブは由真の部屋に、盾は衛の部屋に置いて、一同は知事室に戻る。
渡り廊下を越えたところで、階段を上ってきた通信室の係員と出くわす。
「あ、神祇官猊下。総主教府から雷信を承りました」
係員は、そう言ってユイナに紙を手渡す。
「あ、はい、ありがとうございます」
ユイナはそう答えて紙を受け取り、他の全員とともに知事室に入る。
至急
晩夏の月6日10:42受信
コーシア県庁御中
貴庁滞在中のセレニア神祇官猊下に以下の文を伝達いただきたくよろしくお願いいたします。
大陸暦120年晩夏の月6日
アスマ総主教府事務総局
神祇理事 セレニア神祇官ユイナ猊下
殿下より イドニの砦魔物対策本部の件に就神殿の参与を仰せ付けられたる所小官は既に高齢なればグスタモ事務総長をして対策本部及び理事官会議に出席せしむる事とせり。
貴官には勅書及び台命に於て明記せられたる所に遵ひ此儀の解決に尽力せられたし。
尚本日朝アトリア中央神殿に於て日課祈祷を行ひたる際 紅虎様の御応へ無し。
貴官に於ても 紅虎様の御様子伺ふ儀試みられたし。
大陸暦120年晩夏の月6日
アスマ総主教 トラスト神祇官コムノ
アスマ州の神官の頂点に立つ総主教からのメッセージだった。
「文語体……ですね」
「あの、これは……総主教猊下は、今年84歳ですので……」
文語を使う年代ということか。
「宛先は、猊下なんですね」
「それは……」
「総主教猊下は神祇理事ではありませんので、『神祇理事猊下』に宛てたものかと」
言いよどんだユイナの代わりにタツノ副知事が応える。
「グスタモ事務総長は、お若いんですか?」
「確か81歳ですから、総主教猊下よりはお若いかと」
――そういうのは「若い」とは言わない。
「それで、一番の問題は……」
「ええ、この紅虎様の件ですね」
今度はユイナが答えた。これは「こうこ」と読めば翻訳スキルを通るらしい。
「その、こうこ様、っていうのは……」
「こちらは、アスマで伝統的に祀られてきた『四方神』の1柱です。四方神は、北の白亀様、東の黒竜様。南の青鷺様、そして西の紅虎様です」
――色は違うものの、種族は中国の四神とおおむね同じ配列だった。
「ことが西で起きているときに、西の守護神様の『マ』が伝わらない、となると、事態はきわめて深刻です」
そう言うと、ユイナは鞄から小さな女神像を取り出す。
「ユイナさん、それで大丈夫なんですか?」
「ええ、まあ、ご様子を伺うだけなら」
由真の問いに答えて、ユイナは女神像に向かう。
「女神様、セレニア神祇官ユイナが申し上げます。四方神の1柱、西の紅虎様にお祈りいたしたく、ご様子をお伺いしたく存じます」
「セレニア神祇官ユイナを認証しました」
その機械的な声を、ずいぶんと久しぶりに聞いたような気がする。
「西方守護神紅虎は、晩夏の月3日より『マ』が弱まり、5日昼以降は『マ』が途絶えています」
女神像を通じて、女神――大地母神セレナは、淡々とした様子で大胆なことを告げる。
「『マ』が途絶えた、ということは……」
「その神霊が『荒ぶ時』を迎えています。今の紅虎は、『マ』ではなく『ダ』を発する状態です」
その言葉に、場の空気が硬直する。
「『マ』ではなく『ダ』を発する状態」とは、すなわち「魔族」「魔物」と同じ――いわば「魔神」と化したということになる。
「すでに、紅虎は魔の者たちの手に落ちています。その神霊を『和む時』に戻すには、少なくともナギナに、できればイドニに入り、調伏の祈祷を施す必要があります」
――それは、絶望的な「お告げ」だった。
四方神の1柱たる西方守護神の紅虎は、今や「魔神」同然の状態に陥っている。
大地母神のその「託宣」は、ユイナの名義の雷信でアトリアの総主教府に急報された。
「こんなことに、なっていたなんて……」
ユイナの顔色は蒼白だった。
「えっと、ユイナさん、これ……大地母神様の力で、どうにかできる……訳じゃないんですよね?」
一応念のため、一縷の望みをかけて、由真はそう問いかけてみる。
「そう……ですね。神々の『和む時』と『荒ぶ時』は、祀る側の働きかけでしか変わりません。大地母神様でも、祀るのをないがしろにすると……『荒ぶ時』に入られます。
それは、祀る場所にも、深く関係してます。たとえば、ダナディアでは、魔族が神々を祀っていますから、大地母神様も、あちらでは常に『荒ぶ時』のままです」
魔族と魔物が神々を祀るというのは、にわかには想像しがたい。
しかしそれ故に、彼らの本拠地ダナディアでは、大地母神すら人々の敵になるらしい。
「北シナニアにも、司教府はあるんですよね?」
「それは、もちろんあります。ただ、B1級だった先代の司教様は、一昨年の春先に亡くなって、今は、B2級しかいませんから……」
「州全体で10人の神祇官はもとより、B1級神官も全体で18人の希少な存在ですので、コーシア司教府でも、常駐しているのは司教1人のみ、という状態です」
ユイナの言葉をタツノ副知事が補う。
力量が「Aクラス」のA2級神祇官とB1級神官を合計しても、人口3億人に対してわずか28人。
軽々しく「死地」に投入できる人的資源ではない。
「河竜の件がなければ、私が行くところですけど……」
ユイナは、軽い溜息とともに言う。「決然として」というような力みやてらいなどは、一切見せずに。
「それは……僕が行って、露払いをして、敵を全滅させられるなら、それでもいいでしょうけど……」
由真は、思わずそう口にしていた。
アスマの現在と将来を担うこの若き女神官を、最悪の「死地」にさらす訳にはいかない。
「それ、由真ちゃんが行くなら私たちもついて行くけど、問題は……河竜の件、よね」
晴美のその指摘。それは、当然由真も理解している。
「そう……『河竜の件がなければ』……なんだよね」
そう応えた由真の胸の奥から、深い溜息が漏れてきた。
「四神」(玄武・青竜・朱雀・白虎)をまんま取り入れるのは「異世界」としてどうかと思い、色だけ変えました…
祀り方を間違うと、魔神になってしまうということで、鎮めるという課題が加わりました。
もちろん、河竜の件も残ったままです。




