211. ナギナの地理
まずは主戦場の説明になります。
タツノ副知事は、本棚から取り出した地図帳をテーブルの上に載せる。
広げられたページには、西側から川が4本流れ込み、1本に合流して東に向かう図が示されていた。
「まず、こちらがナギナ市です。こちらは107年の合併で領域が拡大しておりますが……南からアスニア川、南西からシクラ川、北西からクルティア川、北からカロニア川、この4つの川が合流し、ベニリア川となって西に向かいます。
シナニア本線のナギナまで、通称『シナニア東線』はベニリア川沿いを通ります。同じシナニア本線のナギナからマティアまで、通称『シナニア西線』はアスニア川沿いに南下します。それと、ミノーディア線がクルティア川沿いに北西に向かいます」
まずは、広域地図による全体像の説明から入った。
「南西のシクラ川と北西のクルティア川の間に山地がありますが、こちらをイドニ山地と申します。ここは、シクラ川を遡ると、コスティ山脈の数少ない回廊の一つである『鬼の谷』を経て、ダナディア辺境州に至ります。
イドニの砦は、このルートで進撃する魔物を食い止めるために、ノーディア暦81年に築かれたものです。以来長きにわたり、ナギナの防衛拠点として機能していたのですが、大陸暦104年に、魔族どもの手に落ちました。
ナギナから見ますと、ここは格好の山城であり……陥落させられる確信が持てないため、討伐のレイドを編成することは見送って、拠点防衛に徹している状況です」
「大陸暦104年、というと……」
「冒険者ギルドが、ホノリア紛争に忙殺されていた時期でした」
本来アスマ軍が対処すべきだった「紛争」に冒険者ギルドが追われているさなかに、攻防の要となる砦を奪われた。
アスマ軍がいかに有害無益かよくわかる――と由真は改めて思う。
「アスニア川とシクラ川は南よりで合流し、北進してからクルティア川と合流します。ナギナの市街地は、当初はアスニア川とシクラ川の複合扇状地の上にありました。
しかし、洪水被害にたびたび見舞われることから、第一次ノーディア王朝時代に、右岸の丘陵地を掘削と盛土で整備して、そちらに新市街地が建設されました。それが、現在の市街地となっています。
複合扇状地はフリア町と言いまして、こちらは現在は人家もありません」
複合扇状地を放棄する。ノーディア王国の都市政策は、由真から見るとかなり大胆だった。
そして、合流する川の右岸にある台地に市街地を設けるという形は、コーシニアによく似ている。
「敵の主力は、渡渉を避けて、シクラ川から合流するアスニア川の左岸から侵攻してきます。合流後のアスニア川は、右岸の天端に当たる部分と左岸の段丘面の間の幅が500メートルから700メートルあります。
これを高水敷と位置づけ、流水域のみをまたぐ潜水橋3本以外は全て橋桁を落とした上で、この川を渡らせないことを基本としておりました」
「潜水橋というのは、増水時には川面の下に潜るあれですか?」
「はい。あわせて、左岸のセフィリア町、そして砦付近のイドニア村、この1町1村は、軍人とC級以上の冒険者以外の立入を禁止し、一般人は全員退去させております。
シクラ川右岸でアスニア川左岸となるフリア町も、自主避難により無人状態となっております」
左岸を完全に切り捨てて右岸の市街地を守る。その作戦も大胆に思える。
「その作戦は、うまく行っていたんですか?」
「大陸暦117年までは、本局直轄で当たっておりましたので、一般人の犠牲が出ていないことは把握しております。『民間化』以降は、北シナニア冒険者ギルドに委ねられており、ナギナには被害はなかったようですが、他方で……シンカニア・ナギナ線のナギナ工区とオプシア西工区では、高架橋建設現場が襲撃され、しばしば工事中断を余儀なくされているとも聞きます」
ナギナの防備強化にもつながるシンカニアの建設を妨害することを優先したということだろう。
「そうすると、ナギナ線の開通は……」
「ナギナとオプシアの間の開通は、見通しが立っておりません。しかし、コーシニア中央からカリシニアまで、それにコモディアとオプシアの間は、すでに線路締結も完了しております。
カリシニアからコモディアまでについても、残るは例のベニリア川第2橋梁の流水域をまたぐ中央径間の橋桁と床版だけ、という段階でした」
意外にも順調に進捗していたらしい。
「コモディア・オプシア間は、距離も長いですし、川沿いだと遠回りだから、トンネルを掘り抜くように見えますけど、もう完成しているんですね」
北シナニア県の全体図を思い出しつつ由真は問いかける。
「トンネルは、出入り口を監視していれば、魔物のたぐいに攻撃されることはありませんので。地山の質によっては難航しますが、そこは、凝固剤を投入したり、地系統魔法を使ったり、手立てはあります。
この区間の一部は、膨張性地山で難航したそうですが……神祇官猊下に山を鎮めていただいて、以後順調に進んだと聞いております」
そう言う副知事の目線と顔は、ユイナに向けられていた。
「神祇官猊下が?」
由真は――あえて仰々しく――問いかける。
「いえ、私が、というわけではなくて……地山対策で薬液を入れるというので、工事安全祈願の祈祷をお願いされただけです」
その「神祇官猊下」は、苦笑とともに答える。
「それでも、山の中なら、大地母神様の力も働くんですよね」
「それはあります。私も、神官になっていなければ、たぶんトンネルを掘る仕事に就いていたと思います」
――ユイナがトンネル作業員になるというのは、由真にはとても想像ができない。
「ともかく、そういうことですから、山の地下よりも、野ざらしの橋の方が遙かに大変なんです。魔物にも狙われますから」
「それは……北シナニアのA級5人の手だけだと、対応できていない、ってことじゃないんですか?」
「いえ、まあ、あの、そこは……北シナニアギルドの方針を覆す訳にもいきませんから」
それは確かにそうかもしれない。
ギルド以前の問題として、エストロ知事との間では「対話」すら成立せず、あげくクーデター寸前に至ったという状況では、共闘などとてもあり得ない。
「ところで、その『北シナニアのA級5人』って、どういう人たちなんでしょうか?」
それまで無言だった晴美が問いかけた。
「いろいろと事情はあるにしても、その『5人』が最前線の戦力ということなら……」
続く言葉に、ユイナとタツノ副知事が一瞬顔を見合わせる。
「北シナニアの5人は、『ギルド民間化』に際して、魔物の大群に直面するナギナにあえてとどまっています。つまり……全員が、大量破壊タイプの魔法導師です」
タツノ副知事が、そう口を切った。
「この5人は、年齢とA級昇級の順が一致していますので、その順で上げていきます」
この異世界では、鍋立山のような凶悪な山には優秀な神官さんが対応してくれます。
一方、魔物対策の方は、集落全員退去を長年継続し、橋桁も落とすようなことまで余儀なくされていますが…
たびたび出てきた「A級冒険者5人」。顔ぶれを次回紹介します。




