210. アスマ公爵とアスマ軍 (11) いったん決着
王国としての最終兵器、国王陛下の勅書が出たので、さすがに内向きの戦いは一段落です。
直後、再び内線の呼び出し音が鳴る。
「はい、知事室です。……おつなぎしてください」
受話器を取ったマリナビア内政部長は、そう言って振り向く。
「閣下、ナスティア市のラミリオ副市長から通信とのことです」
『閣下、ナスティア市のラミリオでございます』
その声と言葉は、先々週と同様に堅実に聞こえた。
「ラミリオ副市長、済みません、連絡が遅くなって」
由真はそう応えた。アスマに到着してからすでに1週間以上経過しているのに、未だ彼に何の連絡もしていなかった。
『いえ、アスマが切迫した情勢にあるということは、私どもも漏れ聞いております』
ラミリオ副市長はそんな言葉を返してくれた。
『本来であれば、真っ先に閣下にお知らせすべきところながら、アスマ州内の同報通信を優先すべきと考え、州庁内務省への連絡を先に行いました』
相手はそう言葉を続ける。
全県同報通信による周知こそが最優先という判断。それによって、この「勅書」はいち早く州内全域に伝えられることになった。
「ありがとうございます。賢明なご判断でした。おかげで、こちらの情勢は、一気に収束に向かいます」
由真は率直に応える。
アスマ軍がいかに厚顔無恥でも、この「勅書」が伝えられては、もはや「上意」と称して勝手に振る舞うことはできない。
その状態を一刻も早く実現すること。それこそが、まさに最優先の課題だった。
『陛下には、ことのほかお悩みのご様子で、朝の伺候の折りに、勅書をすでに用意されておられました。早く伝えてくれ、との仰せで、閣下をことのほか頼みとされておられました』
そう言われて、由真の胸が締め付けられる。
病身を押して由真に「拝謁」を許し、アスマのことを自ら懇請した国王。
その国王のことを思い、ラミリオ副市長にも「御心を安んじていただく」ことは要請していた。
その国王の「御心」が「ことのほかお悩み」ということなら、速やかに事態を解決しなければならない。
「わかりました。こちらは、全力を尽くすつもりです。陛下に、よろしくお伝えください」
そんな言葉を返すことしかできない。
そんな由真に、副市長は、かしこまりました、と答えてくれた。
「ラミリオさんが側近奉仕しているなら、陛下も心強くお思いでしょう」
タツノ副知事が言う。
「え? 副知事、ラミリオ副市長のこと、ご存じなんですか?」
「はい。彼は、陛下がアスマから招聘している『アスマ衆』の1人です」
「アスマ衆……」
副知事の言葉を由真はオウム返ししてしまう。
「宮内大臣ワスガルト子爵を筆頭に、宮中の側近は、カンシア出身ながらアスマで長年働いてきた者が起用されています。
ナスティアの副市長も、侍従兼王都理事官の兼任という扱いで、こちらでは副知事となりうるA級官吏が就任しております」
国王は、カンシアの文武官吏を信用することができないのだろう。
実際、由真が同じ立場なら、今回の一件だけでも、疑いの目しか向けられなくなる。
「ラミリオ副市長は、民政尚書官房秘書課長から3年前に転任しておりまして、陛下の信頼も厚く、本人が望むなら、そのまま現地に、と思っております」
3年前まで「民政尚書官房秘書課長」だった――ということは、「民政尚書」だった副知事の直下にいたことになる。
彼自身もまた、ラミリオ副市長――「元秘書課長」を厚く信頼しているのだろう。
そこへ、また内線の呼び出し音が鳴る。
「はい、知事室です。……至急おつなぎしてください!」
マリナビア内政部長の声のトーンが跳ね上がる。
「閣下、殿下より通信とのことです!」
その声に、由真はヘッドホンを装着してマイクに向かう。
『ユマ殿、よろしいですか?』
相手――エルヴィノ王子は、この状況でも、落ち着いた態度で丁重に切り出してきた。
「はい。それで……」
『陛下の勅書は、すでにご承知と思います。……私は、やはり非力だったようです』
口調こそ落ち着いていても、その内心――父たる国王に「勅書」を発出させるに至らせたことを不甲斐なく思っているであろうことは、容易に推察できる。
「いえ、それは……彼らは、殿下の手足を縛り付けようと、悪辣な手立てを駆使してきましたから、あれを覆すことができるのは、統帥権を掌握されている陛下お一人しかいない、と……」
内心から突き動かされるままに、由真はそんな言葉を口にしてしまう。
『……そう言っていただいて、だいぶ楽になりました』
幸い、エルヴィノ王子はそんな言葉を返した。
『ともかく、『万機はアスマ公爵に委ねた』と明言された以上、『最大の艱難』を退けるため、早急に対処しなければなりません』
そして、王子は眼前の課題に話題を移した。
「はい。それで……」
『といっても、詳細は、タツノ長官やユイナさんが承知していると思います。こちらからは、まずは勅語で指摘された事案を早急に解決すべし、との台命を発出します。そちらは、具体的な対処について皆さんで相談してください』
そう言って、エルヴィノ王子は通信を終えた。
その通信は、タツノ副知事とユイナもヘッドホンで聞いていた。
「お二人とも、聞こえていたと思いますけど……」
「はい。イドニの砦の集団への対策、ですね」
由真の言葉に応えた副知事は、いったん立ち上がり、本棚から「北シナニア県地図帳」を取り出してきた。
陛下側近の「アスマ衆」。そんなものが必要になる状態です。
エルヴィノ王子は、忸怩たる思いをあえて押しつぶして、当面の課題に挑もうとしています。




